架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・全文

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架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その9

学び舎:回を重ねて架空対談も9回目となりました。今日は小松柵焼失後の小休止をはさんで、貞任さんの軍勢が国府軍を襲撃するところからお聞きしたいと思います。経清さん、よろしくお願いします。宗任さんも…、あれっ、宗任さん来てないんですか?
経清 :たぶんトイレだと思います。
学び舎:え!?収録が始まるときになって…。
経清 :今日は最初のうちはあまり話すこともないだろうから途中から顔を出すとか言ってました。
学び舎:あれだけ出たがっていたのにですか?
経清 :だから、あの男の言うことはまともに受け取らない方がいいって忠告したんですよ。ま、黙っていても割り込んでくるでしょうから始めましょう。

学び舎:分かりました。それでは貞任さんが八千余人の軍勢で源頼義将軍の国府軍を襲撃した話からお伺いします。
経清 :前回にも出ましたが、国府軍は後続の輜重隊を襲われて兵粮不足となりました。このため頼義将軍は栗原郡に千人ほど兵を派遣し、輜重隊の安全を確保する一方、三千人を超える兵を磐井郡仲村に遣わして兵粮になる稲や粟を刈り取らせたのです。
学び舎:そうすると、小松柵からほど遠くない野営地にとどまっていた国府軍はどれくらいだったのですか。
経清 :たしか六千五百人ほどでした。
学び舎:そこへ八千人を上回る軍勢で攻め込んだわけですね。
経清 :どう考えてもわれわれの方が有利だった。まず国府側は兵粮が不足している。あちこちに兵力が分散していて、将軍や清原武則殿のいる本隊は営岡(たむろがおか)に勢揃えしたときの半数になっている。こういった情報から勝てると判断したわけです。
学び舎:なるほど。ところがその予想が覆ってしまった。
経清 :そうです。清原武則殿が分析していたように、われわれは引いて構えているべきだった。国府軍は兵粮に不安があるから、安倍側に引かれてしまうと長く攻め続けることが出来ない。それがこの時はこちらからわざわざ攻め込んだわけですから、国府軍の待ち望んでいた決戦へ即座に持ち込めると判断されてしまった。
学び舎:でも、数の上では安倍側が多かったんですよね。
経清 :結果論だが、それもよくなかったのかもしれない。数の上でも圧倒しているのだからという気のゆるみが、全くなかったと言えば嘘になるでしょう。

学び舎:とにかく本隊同士のぶつかり合いですから激戦になったんでしょうね。
経清 :その通りです。正午に始まった戦が日没近くまで続いた。国府軍は孫子の兵法にもある「常山の蛇勢」という布陣、。首をたたけば尾が立ち上がり、尾をたたけば首が持ち上がり、中ほどを攻撃すれば首尾両方とも立ち向かってくるという戦法です。これは国府軍の主体が実質的に清原軍だったから出来たことだと思います。連携が取れないと「常山の蛇勢」という布陣はできませんからね。
学び舎:どこで勝敗が分かれたのですか。
経清 :うーん、これは難しいです。ほぼ互角に近い闘いだったと貞任殿は振り返っておられた。おそらくじりじりと国府軍の勢いに押され始めて、楽勝の予想が外れたという気持ちが将兵の間に広がっていったのだと思います。戦力が拮抗している間はいいんですが、一旦そういう気持ちになると雪崩をうったように崩されていきますから。
学び舎:日没間近の時点でどれくらいの損耗が出ていたんですか。
経清 :射殺された者が百名以上。馬も三百匹以上を奪われてしまった。
学び舎:総崩れになると追撃されて討たれた数も多かったんじゃないですか。
経清 :おっしゃる通りです。日没とともに磐井川の渡河点が分からなくなってしまったり、崖から落ちたりして相当数が命を失っています。

学び舎:夜に入ってからはどうでしたか。
経清 :清原武則殿が八百名ほどを率いて掃討に出て、特に貞任殿の陣に潜入した五十人の一隊が中から火の手をあげた。慌てた安倍側は同士討ちになり、かなりの数を失いました。ついには高梨宿と石坂柵を捨てて衣川関へ逃げ込むところまで追い込まれたのです。
学び舎:あ、宗任さん。
宗任 :そろそろ話が終わる頃じゃないかと思ってさ。それよりここのトイレ、水の出が悪いよ。見てもらった方がいいな、あれは。
学び舎:収録が始まるときに、トイレはないと思うんですが…。
宗任 :だって今日は出番があまりないんだろ?
学び舎:それはそうですけど。
宗任 :ま、次回は衣川関の話だろうから、大いに語りますよ。
経清 :あまり語らなくてもいいんだけど…。
宗任 :なんか言った?
学び舎:では、次回をお楽しみに。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その10

学び舎:「前九年の役」を振り返るこの対談も10回を迎えました。今日も経清さん、宗任さんのお二人をお招きしております。
宗任 :久しぶりなんだけど、今日は出番あるんだよね?
学び舎:ええ。たぶん。
宗任 :せっかく来たのにさ、あんまりしゃべるところがないとつまんないんだよね。
経清 :お前の方で頼み込んで出してもらったんだろ。
宗任 :だけどさぁ、飽きるんだよなぁ…、話が長いと。
学び舎:ま、今日は衣川関の攻防ですし、宗任さんにも語っていただきますので…。
宗任 :じゃ、ひとつパアッといきますか。
経清 :飲み会を始めるんじゃあるまいし、衣川関が陥落する話でパアッとできるか。

学び舎:ええ、お腹立ちはごもっともですが、さっそく本題に移りたいと思います。貞任さんの八千を越える軍勢が六千五百の国府軍に破られて後退し、さらに清原武則さんの夜襲で火をかけられ潰走した、ということでしたよね?
経清 :そうです。
宗任 :それで、しょうがないから衣川関まで逃げ込んだのよ。
学び舎:当時の衣川関は「一人の人間が険しいところで防御すれば一万人の人間といっても進むことが出来ないような関」と言われてますが、これは本当にそうだったんですか?
宗任 :そんなわけあるはずないだろ、どう考えても。ハッタリかましていただけ。まあ、道が狭まった場所であることは確かだけどな。いいかい、一人で防げるんだったら誰も苦労しねえだろ。
経清 :まあ、付近の木を切り倒して道を封鎖してましたし、衣川を渡渉する地点は岸を崩しておきましたから清原勢にはすぐには衣川関を破られないだろうと考えていたのです。

学び舎:ところが破られてしまった。そもそも国府軍はどう攻めてきたのですか?
経清 :まず、清原武則殿の息子である武貞殿が関の正面を攻撃し、武則殿自身は北上川寄りの衣川下流、武則殿の甥の橘頼貞殿が衣川上流を攻めるという布陣でした。
宗任 :あのさぁ、橘頼貞ってさ、どっちだっけ?
経清 :どっちとは?
宗任 :兄貴の方か、それとも弟の方かってことだよ。
経清 :貞頼殿が兄で、頼貞殿が弟だ。
宗任 :まったく、紛らわしい兄弟だぜ。いつも頭がこんがらがるのよ、こいつらの名前を聞くと。
経清 :お前の頭が単純すぎるんじゃないのか。
宗任 :おっ、言ってくれるじゃない。この宗任さんに喧嘩を売ろうってぇの?
学び舎:まあまあ、予定調和的口論はこの辺で納めていただいて、一つ疑問に思っていることを聞いてもいいですか。
経清 :どうぞ。
宗任 :業近柵のことなら、おれだぜ。

学び舎:業近(なりちか)さんのことは後で伺うとして、衣川関って衣川の南岸にあったんですか?
経清 :そうです。
学び舎:とすると、衣川を背に衣川関から上流方面と下流方面に展開して清原勢と対峙したわけですね。
宗任 :だから、川向こうの業近柵から火の手が上がったときに動揺しちまったのさ。
学び舎:川の水かさが、雨の影響か増えてますが。
経清 :それもあってこちらの防衛線の引き方は割合楽だったのです。水量が多くなっているため、川幅があり深い地点は渡河が容易ではないから攻め込まれない。したがって我々安倍側は、渡河点になり得る地点を守りきればよいと考えていました。万一破られても岸は崩してありますので、すぐに渡河は出来ず足止めをくわせることが出来るという判断でした。
宗任 :しゃくにさわるのはあの久清って奴だ。猿のような野郎だったぜ。
経清 :清原武則殿は下流域を攻めていたのですが、配下にいた久清という者に策を授けて向こう岸に渡らせました。久清は川面を覆うように伸びていた木の枝をそれこそ猿のように伝って渡り、体に葛をまとって迷彩し縄を掛けて三十名ほどの兵士を渡らせました。
学び舎:それってなんだかレンジャー部隊の話みたいですね。
経清 :川をすぐに越えられるという点は予想していませんでしたからね、これは衝撃が大きかった。
宗任 :ま、しょうがないわな。今さらああだこうだ言っても、元には戻らねえわけだし。

学び舎:あのぉ、業近(なりちか)さんのこと伺ってもいいですか。
宗任 :いいよ。業近はおれがガキの頃から見守ってくれていた。親父代わりみたいな存在でな。「大藤内」って呼ばれてることからも一目置かれているのが分かるだろ?安倍勢の中じゃ、重鎮の一人だよ。「腹心」とか言われてもいるけれど、おれにとっては「相談役」みたいな感じだった。とにかく、業近に任せておけば何も心配はいらないと思っていた。
経清 :安倍頼時殿が亡くなられてから、藤原業近殿の存在は頼りになる大きな存在でした。もちろん貞任殿には求心力がありましたが、業近殿の長年の経験に裏打ちされた判断は傾聴に値するものでした。
宗任 :まあ、親父と一緒に安倍の勢力を大きくしてきた古参の武将だからな。業近の柵が簡単に焼け落ちるなんて誰も思わなかったのさ。あり得ない、どう考えても。

学び舎:それは宗任さんや経清さんだけでなく、安倍方の将兵に共通の意識だったんでしょうね。それで業近柵が焼失したときにあれだけ動揺が走り、衝撃が大きかったというのも分かるような気がします。ところで、衣川関からどうやって鳥海(とのみ)柵目指して逃げたんですか?
経清 :衣川の渡河点は分かってましたが、増水していることに加えて岸を崩していましたので、遙か上流へ迂回し川幅の狭い地点へ退却しながら衣川を越えました。
学び舎:では、犠牲もそれなりに大きかったんじゃないですか。
経清 :平孝忠殿、金師道(こんのもろみち)殿、安倍時任殿、安倍貞行殿、金依方(こんのよりかた)殿などが衣川関陥落前後からその後の大麻生野(おおあそうの)柵、瀬原(せばら)柵陥落までの合戦の中で亡くなられました。特に衣川関からの退却時も犠牲は大きかったと言えます。
宗任 :全軍の中で殿軍(しんがり)を務める部隊が犠牲を出して、仲間を逃がしてくれたんだ。最後まで踏みとどまってくれた連中をおれは忘れない。
経清 :我々が逃げ延びることが出来たのは、いつもそうした味方の捨て身の戦いがあったからです。
宗任 :一度負け始めると変なもんだよな、負け癖がついちまう。清原の連中が参戦した当初は負ける気がしなかったんだけどな。悪い方に考えちまうからなんだろう、たぶん。
経清 :そういう意味で宗任と私の責任は大きいと言えます。
宗任 :だからさっきも言ったろ。今さらああだこうだ言っても、元には戻らねえんだよ。

学び舎:それでは次回は鳥海柵を無傷のまま明け渡した真相についてお聞きしたいと思いますので、またお二人によろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。
宗任 :今日は少ししんみりしちまったな。次はパアッと派手にいきますか。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その11

学び舎:少し間隔が開いてしまいましたが、今日も経清さんと宗任さんをお迎えしております。どうぞよろしく。
宗任 :この前が衣川関陥落の話で、今日は何だっけ?
学び舎:ええと、鳥海(とのみ)柵の件です。
宗任 :なんか負け戦の話だからなぁ、盛り上がりに欠けるんだよね。
経清 :何から話せばいいでしょうか。

学び舎:まず国府軍は旧暦九月七日に胆沢郡白鳥村に入り、続いて大麻生野柵と瀬原柵を落とします。九月十一日の夜明けに国府軍は鳥海柵へ押し寄せてきますが、白鳥村から鳥海柵までって距離にして二十㎞あるかどうかの近さです。それなのに四日もかかっているのはなぜなんですか?
経清 :おそらく兵粮の関係だと思います。衣川関を破った後、これから「奥六郡」と呼ばれた安倍の本拠地内部に踏み込んでいくわけですし、十分な兵粮を確保しておかないと北上するのが難しいと考えたのでしょう。
宗任 :まあ、磐井郡までとは話は違うわな、そりゃ。
学び舎:なるほど。すると兵粮を整えるのに数日かかったということですか。
経清 :後方からの輜重隊を待ったのかもしれません。

学び舎:さて鳥海柵ですが…。
宗任 :鳥海柵跡にさ、行ってみた?
学び舎:ええ。何度か行ったことがあります。
宗任 :東北自動車道のすぐ近くだろ?国道4号線の金ヶ崎大橋からの眺めがいいよなぁ。
学び舎:よくご存じで…。
宗任 :あそこはいい柵だったのよ。何といってもこの宗任さんの守る柵だからねぇ、そんじょそこらの柵とはわけが違う。
経清 :深い堀もあり、台地状の土地にそびえる大きな柵は壮観でした。
学び舎:相当大きな柵ですが、この柵が安倍氏の政治・経済・軍事の中心的な柵だったのではないですか。
経清 :そうです。鎮守府の建物はとうに無くなっていましたから、鎮守府が持っていた統治機能は鳥海柵と安倍が肩代わりしたようなものです。
宗任 :親父が安倍富忠の伏兵に深手を負わされ、運び込まれて亡くなったのもここだった。

学び舎:そうでしたね。その鳥海柵に国府軍が攻め込んでみると中はもぬけの殻。これはどういうことだったんですか。
宗任 :わざと明け渡したんだよ、無傷で。
学び舎:え?だって鳥海柵は安倍氏の最重要拠点じゃないんですか?
宗任 :だから明け渡したのよ。お前さんも、のみ込みの悪い野郎だねぇ。いいかい、この柵には有りとあらゆる書類やら台帳やらがあったんだ。一時明け渡しても、いずれ俺たちは取り返すつもりでいたから、そのままにしておいたんだよ。ここを戦場にして小松柵みたいに灰にしてみろ、取り戻してからが大変だろ。だから無傷のまま一旦将軍さんに貸しとこうかって思ったわけ。
経清 :主戦論ももちろんあった。鳥海柵を一戦もせずに明け渡すという法はなかろうという強硬な声も上がったが、私たちが説得したのです。
宗任 :「私たちが」って、ほとんど俺が説得したんじゃねえか。
経清 :お前一人ですべて事を運んだわけじゃないだろ。あちこちに声を掛けたのは私も同じだ。
宗任 :ああ、そうですか。そいつはご苦労様でしたね。へっ、せっかく酒を用意させてひと騒ぎしてから離れようと思ったのによ、国府の連中が迫ってるから早く抜け出せってうるさく言いやがって。
経清 :あ、お前そんなケチなことを根にもってたのか?どうしようもないね、まったく。
宗任 :長年世話になった鳥海柵に別れを告げる前に、みんなでドンチャンやりてえってのは当たり前じゃねえか。それを、やれ急げ、遅れると大変だぞとか触れ回るからみんなあわてたんだ。
経清 :実際すぐそこまで来ていただろうが。
宗任 :だけどよ、何もみすみすうまそうな酒を国府の連中に飲ませることはなかっただろって話だよ。

学び舎:源頼義将軍は酒に毒が仕込んであると思ったようです。
宗任 :せこい爺さんだよ、全く。毒味かなんかさせたんだろ、きっと。
学び舎:いえ、それが雑用係の連中がうまそうな酒に我慢できず、飲んでみたらしいんです。ところが何ともないので、それじゃあみんなで一杯やろうかということになったようですよ。
宗任 :ふーん。ほんとに毒でも仕込んどけばよかったな。
学び舎:その時に頼義将軍が清原武則さんに向かって「長年、鳥海柵の名前は聞いていたがその実際を見ることが出来なかった」と感謝の言葉をかけているんですが、鳥海柵を見たことがないというのは本当だったんですか?
宗任 :たぶん本当だろうな。頼義のおっさんが陸奥守の任期が終わる間際に鎮守府の府務を処理しに来たときも、鳥海柵周辺は見せなかったのよ。
学び舎:そんなことが可能だったんですか。陸奥守で鎮守府将軍が見たいといったら見せないわけにはいかなかったと思うんですが。
宗任 :ところがさ、そんときは親父が接待攻勢に出て将軍にも部下の連中にも十分すぎる鼻薬をかがせてやったから、言い出しにくかったんだろ、きっと。金やら馬やら琥珀やら山と積まれてしまったら無理に見せろとはねえ、言えねえだろ。
学び舎:なるほど。
宗任 :それもあったから、鳥海柵に入ったときはよっぽどうれしかったんじゃないの。

学び舎:その後、勢いがついた国府軍は、正任さんの黒沢尻柵を落とし鶴脛(つるはぎ)柵・比与鳥(ひよどり)柵と立て続けに攻め落としていきますが。
経清 :鳥海柵を手放した時点で決戦の地は厨川柵と決めていました。貞任殿には迎え撃つ支度をお願いして先に入ってもらっていましたし、他の柵を死守するつもりはありませんでした。
宗任 :お前は柵主じゃねえから、あっさり「死守するつもりはありませんでした」なんて涼しい顔で言えるだろうけど、正任にしたってその部下の連中にしたってだれ一人好きこのんで柵を手放した奴はいねえんだぜ。鳥海柵みたいによ、後から取り返すことが決まっていたっていい気持ちがしなかったんだ。まして明け渡した後どうなるか分からない柵を守っていた連中の気持ちになってみろってんだ。
経清 :私だって平気だったわけじゃない。しかし戦況を見渡してみたら、戦力を各柵に分散しておくより厨川柵に集結して守り抜くという策しか思いつかなかったのだ。
宗任 :言いたいことは分かるさ、俺にもな。だけどよ、理屈で分かることと気持ちで分かることとは違うんだよ。頭の中じゃ、仕方がないと思っている。でもな敵が攻め込んできて自分の柵が奪われていくのを黙ってみていろって方が酷じゃねえのか。
経清 :分かるけれども、それを認めるわけにはいかなかった。厨川柵には将兵だけが逃げ込んだわけではないんだ。我々を信じて付き従ってくれた民を守らねばならなかったのだ。
宗任 :知ってるよ。鳥海柵を明け渡す前に策を練ったとき、散々議論し尽くしたことだからな。お前の考えの方が冷静に考えれば正しいんだろ、たぶん。それでも肚の底から納得できねえ奴もいたってことよ。口惜しいじゃねえか。むざむざとよ。
経清 :(学び舎に向かって)今日はここまでにしませんか。
学び舎:そ、そうですね。では、次回からいよいよ厨川柵の攻防に入ります。またよろしくお願いします。
宗任 :厨川柵か、ついに。
経清 :では、また。