架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・全文

(「前九年の役」の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その1

学び舎:どうも、みなさんお久しぶりです。源俊房卿をゲストにお迎えして以来絶えて久しい「架空対談」のコーナーです。本日は、あの藤原経清氏をお招きし「前九年の役」の全貌に迫るシリーズの第1回となります。藤原さん、どうぞこちらへ。
経清 :どうも。
学び舎:うわっ、なんだか渡哲也みたいで渋いですねぇ。あのぉ、藤原さんとお呼びした方がいいんでしょうか、それとも経清さんの方が…。
経清 :どちらでも、お好きなように。

学び舎:恐縮です。では、さっそくですが、経清さんを簡単にご紹介させていただきます。ええと、俵藤太藤原秀郷の末流で、お父さんは下総国住人藤原頼遠さん。世間一般には奥州藤原氏の祖、初代藤原清衡の父上とご紹介した方が分かりやすいかもしれません。あのぉ、安倍氏の娘さんと結婚されたんですよね?
経清 :そうです。三人姉妹の一番上が私の妻になり、二番目が平永衡殿の妻となりました。
学び舎:奥さんのお名前は、何という…
経清 :それが私にも分からない。(爆笑)
学び舎:えっ、やはりそうなんですか?
経清 :(真顔で)記録に残っていないからね。
学び舎:でも、『吾妻鏡』には三人のお名前らしきものが載ってますけど。
経清 :『吾妻鏡』だけでしょ。他の資料に残ってますか?『吾妻鏡』に出ている内容は前九年の役から相当時代が下ったころの話だから、確実にそうだったとは言い切れない。

学び舎:なるほど。今、平永衡さんのお名前が出ましたけど、永衡さんは前の陸奥守藤原登任(なりとう)さんと一緒に下ってきたんですよね?
経清 :そうです。彼は登任に従って陸奥まで来たけれども、安倍側につくことにした。
学び舎:それは、奥六郡といわれた今の岩手県中央部を安倍氏が支配している現実を目にしたからですか?
経清 :そうだろう。予想外に安倍氏の勢力が大きかったからな。永衡殿は伊具郡、私は亘理郡を領していた。われわれ二人が安倍氏の婿になるということがどういうことを意味するか、分かりますか?
学び舎:陸奥国府のあった多賀城を南北からはさむ形になりますね。
経清 :そういうこと。北から安倍氏が国府方面に向けて勢力範囲を南下させ、南からわれわれ婿たちが国府の背後をつくとどうなるか想像できるでしょ。登任が鬼切部を攻めようと軍を起こしたのは、安倍氏が南下する際の拠点となる鬼切部を早いうちにつぶしておきたいと考えたからだろう。
学び舎:鬼切部というのは今の鬼首のことですか?
経清 :今はそう呼ばれているようですね。
学び舎:永承六年、一〇五一年ですね。国守の登任さんは秋田城介の平重成さんを誘ってますけど、これは何かあるんですか?
経清 :何かあるから来たんでしょう。登任が平重成の伯母を妻にしているという噂もあった。あくまでも噂だから定かではないが。そういう姻戚関係に加えて、重成が余五将軍維茂の息子だという兵(つわもの)の家の習いで、勢力拡張できる機会を利用しようという肚があったのだと思う。

学び舎:なるほど。でも安倍側が勝ってしまうわけですね。その結果、新しい陸奥守として源頼義さんが乗り込んでくる。
経清 :そういうことです。
学び舎:あのぉ、源頼義さんって本当に武略のある将軍だったんですか?この後の戦いを見ているとどうもそう思えないんですけど。
経清 :(フッフッという笑い)まあ、出羽の清原勢が駆けつけるまで、われわれにやられっぱなしだったからね、そう思うのも分からないではないですが。それでも当時源頼義殿といえば、武勲に輝く威光を備えておられた。何と言っても、坂東で平忠常の乱が起きたとき、父親の源頼信殿が出馬しただけでたちまち事態が収まってしまうくらいだった。だから、息子の頼義殿も同じように見られていたというところがあるのですよ。
学び舎:うまい具合に上東門院彰子さんの病気平癒を祈願する大赦が行われて、安倍氏も許されていますが。
経清 :国守と戦ったということは、朝廷に弓を引いたことになるのだが、ちょうどよく大赦が出ましてね、この時を逃さず頼義殿へ恭順の意を示したわけです。
学び舎:もしかして経清さんや永衡さんが安倍頼良さんに勧めたんじゃないですか?このタイミングを逃すと責めを負うことになりますよとか何とか言って。
経清 :まあ、ご想像におまかせします。

学び舎:では、次回は源頼義さんの陸奥守の任期が終わる天喜四年、一〇五六年の話をうかがいますので、またよろしくお願いします。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その2

学び舎:ええ、今日も藤原経清さんをお迎えして、「前九年の役」を振り返ってみたいと思います。経清さん、本日もよろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。

学び舎:今回は、陸奥守として下ってきた源頼義さんの任期が終わる天喜四年、一〇五六年の話をうかがいます。まず、頼義さんは何をしに奥六郡にやってきたんですか。
経清 :源頼義殿は陸奥守と鎮守府将軍を兼ねていた。鎮守府将軍として胆沢城の鎮守府に来て府務を行うという仕事があったのです。
学び舎:そのころすでに胆沢城の鎮守府は建物が残っていなかったという話もありますが、どうなんですか?
経清 :確か、なかったはず。鎮守府の建物はなくとも、奥六郡内を巡察すればよいだけのことだから十分に府務は行えたのです。
学び舎:安倍頼時さん、あ、もうこの時はとっくに名前が頼時さんに変わってたんですよね。
経清 :源頼義殿が下ってこられた折に、将軍と同じ読みの「頼良」ではおそれ多いと「頼時」に改められた。
学び舎:それで、その安倍頼時さんは鎮守府の業務を果たしに来た頼義さんの一行を歓待して、土産物まで持たせてますが。
経清 :もう任期が終わるし、このまま都へ帰ってくれれば何事もなく平穏に済むわけだから、少しくらいの出費は痛くもなかったのでしょう。

学び舎:それが、国府多賀城へ帰る途中、権守(ごんのかみ)藤原説貞(ときさだ)さんのご子息たちが安倍貞任さんに夜襲されるという事件が起こる。阿久利川(あくとがわ)事件ですね。
経清 :この事件は真相が分からない。説貞殿の息子たち、光貞や元貞たちがでっち上げたという話もあったし、頼義将軍配下がひそかに企てた謀略だという説も流れたが、案外貞任殿が実際に襲ったのかもしれません。六郡の巡回中に供をした貞任殿を光貞や元貞たちがさんざんからかったという話が聞こえてきましたから。
学び舎:ああ、貞任さんが光貞さんたちの妹を嫁に取りたいと申し出てことわられた話ですか。家柄が違うとかって許されなかった…。
経清 :もともと権守の説貞殿は安倍頼時殿のことをよく思っておりませんでしたし、光貞たちもネチネチと以前のことを蒸し返して貞任殿に恥をかかせたのでしょう。

学び舎:この事件のことが将軍頼義さんの耳に入り、貞任さんの召喚となるわけですが、安倍頼時さんは息子の貞任さんをかばう肚をくくり、一族を集めて貞任さんを守るため戦うことを告げています。よく思い切ったものだという気がするのですが。
経清 :それほど簡単には敗れないという自信があったのです。何といっても奥六郡は相当広い範囲ですし、そこから集められる強兵の力はあなどりがたいものでした。戦線が膠着すれば、そのうち源頼義殿の任期が切れる。いつまでも戦が続くわけではない。そう読んでいたところもあったはずです。
学び舎:でも、このとき坂東の兵(つわもの)たちが軍勢を率いて続々と頼義さんの許に集まってきますね。伊具郡の平永衡さんや亘理郡の経清さんたちも将軍の麾下(きか)に馳せなければならなかった。
経清 :これはやむを得ぬ選択でした。坂東の軍勢が陸続と押し掛けてきた状況では、われわれが将軍に反旗をひるがえしてもすぐに鎮圧されてしまったでしょう。ここは将軍の許に参じ国府側についていないと、血祭りに上げられてしまう可能性の方が高かったのです。

学び舎:実際、平永衡さんは将軍の側近に疑いをかけられて斬られていますけど、なぜまた永衡さんはわざわざ目立つような銀の兜なんかかぶってたんですか?
経清 :永衡殿は見かけをたいそう気にされる方で、銀の兜もお気に入りのものでした。ふつうの兜にしておれば、疑いもかけられなかったのだけど。あの兜のせいで敵方に内通し、いざというときに自分が射られないための目印だなどと讒言(ざんげん)されてしまったのです。どのみちわれわれの立場は早晩難しい位置になっていったでしょうが、永衡殿が斬られたことで私も安倍氏の許へ逃れる覚悟ができました。
学び舎:安倍氏の軽騎が将軍たちの出払った多賀城を襲うと流言を広め、混乱に乗じて安倍方へ逃げたんでしたっけ?
経清 :どうだろうかと効果を危ぶんだのだが、思った以上にうまくいった。

学び舎:このあと、数万に膨れ上がったと言われる将軍麾下の大軍が雲散霧消してしまいますが、なぜなんですか?
経清 :どうも兵粮が十分ではなかったようだ。諸国からの兵粮が集まらず、腹を空かせた軍勢が離脱していき、立て直しを図らないわけにはいかなくなったのです。
学び舎:なるほど。では、本日はここまでといたします。また次回をお楽しみに。経清さん、どうもありがとうございました。
経清 :こちらこそ。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その3

学び舎:「前九年の役」を藤原経清さんととともに振り返る架空対談シリーズの、今日は3回目となります。経清さん、よろしくお願いします。
経清 :よろしくお願いします。

学び舎:前回は天喜四年の阿久利川事件とその後の情勢、そして経清さんが安倍氏の許へ逃れるまででした。今回は翌天喜五年、一〇五七年の大きな出来事からお願いします。
経清 :安倍頼時殿が亡くなられた時のことですね?分かりました。どこから話しましょう?
学び舎:ええと、当時の状況からお願いできますか。
経清 :新任の陸奥守が下向したくないとゴネて、源頼義殿再任となったのが前年天喜四年のこと。この間も話したように、兵粮の不足から頼義将軍の許に集まった大軍は自然に離散してしまった。そのため国府側は決定的な戦力を欠き、戦線が膠着してしまったのです。

学び舎:それを何とかしようとして、将軍頼義さんは下毛野興重(しもつけののおきしげ)さんと気仙郡司の金為時(こんのためとき)さんの二人を安倍富忠さんのところへ派遣したわけですね。
経清 :そうです。安倍富忠は馬淵(まべち)川の流域から奥地の都母(つも)を支配する実力者でした。
学び舎:もともとは安倍頼時さんの一族の人だったんでは?
経清 :そうらしいですが、私も詳しいことは知りません。
学び舎:安倍富忠さんが国府側についたのはなぜなんでしょうか。
経清 :これは推測だが、頼義将軍から平定後の奥六郡北部を支配する権限を約束されたのだと思う。

学び舎:この動きを知った安倍頼時さんは、富忠さんの説得に自ら二千騎ほどを率いて向かいますね。
経清 :以前からつきあいはあったわけだし、話せば分かる奴だと頼時殿は言われた。説得して国府側へつくことを思いとどまらせる自信は、おそらくあったのだと思います。
学び舎:それが富忠さんの伏兵にあい、山中で戦となり流れ矢を受けてしまう。
経清 :頼時殿が深手を負ったという知らせはすぐに届いた。鳥海柵で伏せっていると聞き急いで駆けつけましたが、頼時殿は助からなかった。
学び舎:この後、安倍氏は貞任さんを中心に結束していきますが、やはり亡くなった頼時さんの弔い合戦みたいな雰囲気があったんですか?
経清 :それはそうです。貞任殿は一族を束ねる求心力を持っていたし、亡き頼時殿の無念さを晴らすということで、みんなの気持ちも一つになっていた。

学び舎:あのぉ、ひとつ疑問があるんですが。
経清 :何でしょう?
学び舎:国府側に協力した富忠さんて、その後『陸奥話記』に登場しませんよね。富忠さんはどうなったかご存じですか。
経清 :あくまでも噂だからそのつもりで聞いてほしいけど、頼時殿を裏切ったことで支配地域での影響力を失い、出羽の秋田城介を頼っていったという噂が流れました。国府側から恩賞が出なかったことも大きかったようです。

学び舎:では、本日はここまでとして、次回は黄海(きのみ)の戦いについてお聞きしたいと思います。どうもありがとうございました。

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収録後、経清氏が私を呼び止めた。

経清 :実は弱ってるんだよ。
学び舎:どうしたんですか?
経清 :宗任が、なぜおれじゃないんだってうるさいんだ。
学び舎:だって一度、出演交渉して断られましたよ。
経清 :だからあいつは素人だ、と宗任は吠えてる。一度断られたくらいで、ハイそうですかじゃ、物事はうまくいかないだろうって。
学び舎:ええーっ、今ごろそんなこと言われても困りますよ。
経清 :だよね。あいつホントは出たがりだからさ。
学び舎:じゃあ、出演は検討してみますけど、次回に宗任さんの出番はないと思いますのでよろしく伝えて下さい。

あくまで、「架空」の話です。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その4

学び舎:ええ、経清さんをゲストに迎えて「前九年の役」を語るシリーズの4回目をお送りします。経清さん、毎回ありがとうございます。
経清 :いえ。

学び舎:では、今日は天喜五年、一〇五七年の十一月に起きた黄海(きのみ)の戦いについてお聞きします。まず一番疑問に思っていることを聞いていいですか?
経清 :どうぞ。
学び舎:旧暦十一月っていったら、もう冬ですよね。実際、国府軍は雪の吹き付ける中を行軍して来るわけですが、この時期にわずか千八百騎程度の軍勢で攻めて来るというのが、どう考えても分からないんです。
経清 :確か、こっちから情報を流して誘ったんじゃなかったかな。貞任殿がわずかな兵力で川崎柵にいるとかなんとか。
学び舎:え、そうなんですか?
経清 :確かね、そうだったと思うんだけど。その辺はよく覚えていないんですよ、私。貞任殿を連れてくればよかったな。

学び舎:でも貞任さん、こういう席って嫌がるんじゃないですか?
経清 :そうなんだよ。あまりべらべらしゃべらないからね。必要なときにびしっと言うけど、ふだんは寡黙だなあ。まあ、どっしり構えてくれた方が従う者たちは安心する。
学び舎:前に出演交渉したときも、話すのは経清殿か宗任の方が向いているとあっさり断られました。
経清 :やっぱり。同じ兄弟でも宗任だと、口から先に生まれてきたんじゃないかと思うくらいうるさい。まあ、その分口八丁手八丁で、多才な男ではあるんですがね。

学び舎:話を黄海の戦いに戻します。将軍頼義さんは、よほど焦っていたんですか?とにかくわずかな手勢だけで一気に決着をつけようという意気込みで来たようですけど。
経清 :安倍頼時殿が七月に亡くなられて、安倍側が総崩れになるのは時間の問題だと思っていたのが、逆に貞任殿を中心に結束し容易に破れそうもなくなってきた。頼義将軍は長期化するのを避けたかったんでしょう。だから、中心軸たる貞任殿さえ討ち取れば終わる、そう判断したのだと思います。

学び舎:迎え撃つ安倍側は用意周到ですね。川崎柵を拠点に国府軍を圧倒する軍勢で包囲し、討ち取っていきます。頼義さんの率いる部隊も壊滅状態で、ご本人を含めてわずか七騎まで数を減らしているのですが。
経清 :そうそう。息子の八幡太郎源義家、藤原景通、大宅光任、清原貞広、藤原範季、藤原則明しか残っていなかった。
学び舎:いわゆる「頼義七騎」ですね。よくそれで脱出できましたね。
経清 :窮鼠猫を噛むというでしょ。もう後がないと死力を尽くしますからね。とくに将軍の息子の義家殿が光っていたそうです。何といってもその弓勢の強さは、常人とは思えない。鎧を三領重ねても貫く弓の威力が、われわれにどれほど脅威だったかわかりますか。
学び舎:文字通り「矢面」には立ちたくなかったでしょうね。
経清 :だから、数の上では圧倒的に優位だったのに、頼義将軍主従を討ち漏らしてしまった。

学び舎:頼義さんたちは何とか脱出できましたが、多くの部下を失っていますね。
経清 :佐伯経範殿とその配下数名は、頼義将軍を救い出そうと包囲している安倍勢の中へ突入し討死。和気致輔(わけのむねすけ)、紀為清(きのためきよ)両名も同じく討死。藤原景季は武勇で聞こえた寡黙な若者でしたが、馬がつまずきわれわれに捕らえられました。その武勇を惜しんで助けようという声もあったのですが、頼義将軍の親衛兵であるから許せないと斬られました。
学び舎:経清さんの叔父でいらっしゃる平国妙(たいらのくにたえ)さんも、捕らえられましたね。
経清 :叔父なのか伯父なのか、はっきりしませんが…(笑)。母の妹あるいは姉の夫が平国妙殿です。国妙殿は戦上手で名高い方でしたが、この時はどうにもならず捕らえられました。すぐに分かりましたので、私の方から願い出て釈放してもらったのです。
学び舎:なるほど。激戦がしのばれます。

経清 :頼義将軍が討死されたと思って、出家した藤原茂頼殿のようなあわて者もいました。
学び舎:なぜまた出家したのですか?
経清 :当時僧侶は、戦死者を弔うために戦場に出入りすることが許されていました。茂頼殿はせめて頼義将軍の亡骸を納め、菩提を弔いたいと思ったのでしょう。実際は、剃髪して戦場へ向かう途中で、落ちのびてきた将軍の一行に遭遇し、さんざん将軍から粗忽ぶりを笑われたようですがね。

学び舎:では、今日はここまでということで失礼します。また次回をお楽しみに。

(「前九年の役」の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その5

学び舎:どうも。またまた経清さんをゲストにお迎えしております。このシリーズも今回で5回目となります。経清さん、どうぞよろしくお願いします。
経清 :こちらこそ。

学び舎:ええと、前回は黄海(きのみ)の戦いのお話でしたね。今日はその後の展開からお聞きしたいのですが。
経清 :わかりました。黄海の戦いがあったのが天喜五年、一〇五七年の旧暦十一月でした。翌康平元年から康平四年、一〇五八年から一〇六一年までの期間はわれわれの思うままに、磐井郡以南の諸郡を勢力下におくことが出来ました。
学び舎:具体的に言うとどういうことでしょう?
経清 :本来官物となるべき租税をわれわれが収奪したわけです。
学び舎:というと、国府の倉庫かなんかを襲撃したんですか。
経清 :いやいや、そのようなことをしたわけではない。きちんと徴税書を用意し、国府に納める分をわれわれに納めてもらったのです。
学び舎:あ、じゃあ納入先が変わっただけで、農民からすると基本的なことは変わらなかった…。
経清 :まあそうなりますね。国府の徴税書には朱印が押してあったから「赤符」と呼ばれていましたが、われわれの徴税書には印が押してないので「白符」と言っていました。農民たちに「赤符」ではなく「白符」に従って納めるよう指示したのです。
学び舎:源頼義将軍は実力でそれを止めようとしなかったのですか。
経清 :止められるのであれば止めたかったでしょうね。しかし、それを可能にする国府軍の軍勢が手許に無い。だからわれわれのすることを黙って見ているしかなかった。口惜しくて歯噛みしていたと思いますよ。

学び舎:国府軍の軍勢がそろわなかったのはなぜですか。
経清 :出羽守がサボった、ということかな。黄海の戦いがあった頃の出羽守は源兼長殿でした。頼義殿は、兼長殿へ出羽に逃げ込んだ農民たちを陸奥へ移送してくれるよう文書で依頼していたようです。ところが兼長殿は移送をしないどころか、朝廷からの指示がないのじゃねえ、といかにもお役人的な態度をとった。このサボりが原因で、兼長殿は出羽守を更迭されたらしいというもっぱらの噂だった。
学び舎:でも任期切れで交替だったのでは、という見方もありますね。
経清 :その辺は私にもわかりかねます。
学び舎:兼長さんの次に任命されたのが、源齊頼(ただより)さん。この方のお父さんと頼義将軍のお父さんがいとこ同士じゃないですか。言ってみれば親戚の人間が出羽守になったようなものですが。
経清 :ところがね、人間関係っていうのは難しい。この齊頼殿も頼義殿にあまり協力的ではなかった。
学び舎:えっ、頼義将軍ってそんなに人望がなかったんですか?性格が悪いとか…。
経清 :まあ、尊大だったのは確かですがね。でも何よりも陸奥国の国力が安倍氏との戦いでどんどん落ちていくのを目にして、隣国の国司としては関わり合いたくなかったのかもしれないな。特に兼長殿は和歌の方は熱心だったが、国司の仕事や戦は関心がなかったみたいだ。齊頼殿も鷹飼がまず優先の人だから、いい鷹の産地に配属されたくらいにしか思っていなかったのかもしれない。

学び舎:康平五年、一〇六二年になると源頼義将軍の陸奥守の任期が終わりますね。
経清 :そう。高階経重(たかしなのつねしげ)殿が下ってきて交替しようとした。
学び舎:ところが、交替できなかった。
経清 :頼義殿が手を回して、新しい国司には協力するなと国府の在庁官人へ命じていたらしい。
学び舎:なんだか姑息ですね。居心地を悪くして追い返そうなんて。
経清 :意地でも戦果をあげずには帰れない。そう思っていたのかもしれない。高階殿は国府の役人たちがだれも自分の言うことを聞いてくれないので、早々に都に立ち帰り朝廷にこの事を報告したようです。

学び舎:頼義将軍が出羽の清原氏に援軍を要請していたのはこの頃ですか。
経清 :たぶん。最初は清原勢も動かず、様子見だったのだが。
学び舎:頼義さんが再三頼み込んだので、重い腰を上げることになったわけですね。
経清 :もともと安倍氏との関係は悪くなかったのだから、清原勢にしてみれば明らかなメリットがないと話には乗れなかったはずです。
学び舎:メリット…ですか。よく英語をご存じで。
経清 :(照れながら)いやあ、この間覚えたばかりで使ってみたかったのですよ、ハハハ。
学び舎:清原武則さんが一万の軍勢を率いて将軍の許にやって来ますね。武則さんの兄の光頼さんが来なかったというのは、清原氏内部に何か確執があったんでしょうか。
経清 :さっきも言ったように清原勢にしてみれば、安倍氏との関係を壊してまで頼義殿につくには大きな見返りが必要だった。おそらく頼義殿から平定後の奥六郡の支配権を約束されたのでしょう。ただ、安倍氏との関係を重視し、頼義殿と手を組まない方がいいと考えていた人間もいたと思う。その辺りで意見の対立があったんじゃないかな。
学び舎:だから、後で安倍正任さんが出羽の清原頼遠さんにかくまってもらったり、正任さんたちの叔父に当たる良昭(りょうしょう)さんも出羽へ逃げたんですね。
経清 :まあ、味方がいないところへは逃げないでしょう、普通。

学び舎:では、次回はその清原氏の軍勢が加わって最初の一戦、小松柵攻防戦が始まるまでの情勢をお伝えしたいと思います。長い時間がありがとうございました、経清さん。
経清 :いえ。では、また。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その6

学び舎:ええ、今日は清原勢が加わってからの第一戦にあたる小松柵攻防戦を振り返ってみたいと思います。いつものように経清さんをゲストにお迎えしていますが、今日はもう一人お招きしています。
宗任 :どうも、ヘヘヘ。来ちゃったよ。お招きだもんね、しょうがないよねえ。ねぇ、経清ちゃん。
経清 :(露骨にイヤな顔をして)最初から出せ出せってしつこく言ってただろが。何が「お招き」だ。
宗任 :お前、それはないだろ。お前と俺とは義理の兄弟だよ、分かってんの?
経清 :よく分かってますよ、お義兄さん。
宗任 :(学び舎に)こいつね、歳は俺より上なんだけど、妹と結婚しやがったから俺の義弟なのよ。な、そうだよな、経清ちゃん。
学び舎:ま、ま、宗任さんもせっかくおいでですので、今日はじっくりと小松柵の攻防戦までの過程を語っていただきます。

宗任 :で、何から?
経清 :ちょっと待って。前回まで語ってきたのは私なんだから、まず私からだろ。
宗任 :いいじゃないの、お前さんずーっとしゃべりっぱなしでしょ。ここはひとつ義理の兄を立てて譲るところじゃござんせんか、ときたもんだ、アハハハ。
経清 :わかりましたよ、お義兄さん。だから一緒に出たくなかったんだけどなあ。
宗任 :何をブツブツぼやいてんの、経清ちゃん、ダメだよそれじゃ。ノリが悪いよ。
学び舎:あのぉ、どちらでも結構ですが、本題が始まらないのでそろそろお願いできますか?

宗任 :ああ、ハイハイ。ええと、何だっけ?あ、清原勢が陸奥国へやって来たところから?んーとね、営岡(たむろがおか)ってところにね、将軍の頼義のおっさんが待ってて清原武則の軍勢と落ち合った。清原の連中は全部でどんくらいだっけ、経清ちゃん?
経清 :一万余り。
宗任 :お、さすが。数字に強い。よっ、安倍方の財務担当大臣、ヒューヒュー。
経清 :宗任、いい加減にしないと怒るぞ。
宗任 :ほめてんだよ。お前、長生きしねえぞ、そんなことじゃ。あ、長生きしなかったか。頸斬られちゃったもんな。
学び舎:(あわてて経清を押さえて)ま、まま、経清さん。ここは冷静に。それから宗任さんも余計な脱線は出来るだけ押さえていただけませんか。でないと次回からお招きできませんよ。
宗任 :わかった、わかった。わかりましたよ。俺だってね、やるときはやるんだから。それで、どこまで話したんだっけ?
学び舎:清原勢が営岡で頼義将軍に合流したところです。
宗任 :ああ、なるほど。あ、そうそう、その時のことで有名な話があるのよ。清原武則が頼義のおっちゃんと会ったときお互いの姿を見て涙を流したとかっていうやつ。
学び舎:頼義さんは待ちに待った清原勢が一万以上も駆けつけてくれてうれし泣きだとわかりますが、清原武則さんは?
経清 :(すかさず)おそらく、頼義将軍のやつれた様子に哀れを催したんだと思いますよ。
宗任 :おいたわしや、将軍さま。ま、そんなとこだろ。

学び舎:頼義将軍はどのくらいの軍勢を引き連れていたんですか?
経清 :(ちらっと宗任を見て)三千余り。だから総勢一万三千余りとなったわけです。
宗任 :数が多けりゃいい、てもんじゃないけどな。
学び舎:それで、どういう陣容となったのですか?
宗任 :経清ちゃん、説明してやって。俺、よく覚えてないのよ。
経清 :よく言うよ。自分の配下に探らせてしっかり情報握ってただろ。まず第一陣が清原武貞殿。この人は武則殿の息子。第二陣が橘貞頼殿で武則殿の甥。第三陣が武則殿の甥でかつ娘婿、吉彦秀武(きみこのひでたけ)殿。第四陣が橘頼貞殿で、第二陣の貞頼殿の弟。第五陣は頼義将軍と武則殿と国府軍。第六陣が吉美侯武忠(きみこのたけただ)殿。第七陣が武則殿の弟で清原武道殿。こういう陣立てでした。
宗任 :橘貞頼と橘頼貞兄弟なんかまぎらわしいったらありゃしねえ。どっちがどっちだか、わけがわからない。

学び舎:あのぉ、ひとつ聞いてもいいですか?
経清・宗任:(同時に)どうぞ・いいよ。
学び舎:たしか、以前頼義将軍の許に坂東の大軍が集まったとき、兵粮が不足して軍勢を維持できませんでしたよね?今回は大丈夫だったんですか。
経清 :(宗任を押さえて)私から説明しましょう。この時は国府側も前例に懲りて兵粮を用意してあったようだ。しかし、おそらく短期間分の兵粮しか持っていなかった。小松柵を落とすところまでは兵粮に不足はなかったのだろうと思います。
学び舎:なるほど。では、小松柵攻防戦の様子は次回にお聞きしたいと思います。今日はありがとうございました。
宗任 :じゃ、次も出られるわけ?やった。小松柵の様子はよく知ってるから、次回はこの宗任さん中心でいいんじゃない?
学び舎:あ、いや、経清さんにもぜひ出ていただかないと…。
宗任 :ふーん。俺ひとりでもいいのにさあ。ま、いっか。じゃあな。

経清 :(鼻歌を歌いながら去る宗任を見つつ)ホントに次も呼ぶの?
学び舎:だって、呼ばないと暴れ込んできそうじゃないですか。
経清 :まったく。
学び舎:いずれにしても経清さんには出ていただかないと困りますのでよろしくお願いします。
経清 :わかりました。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その7

学び舎:早いものでこのシリーズも7回目を迎えました。前回に引き続き、経清さんと宗任さんのお二人をゲストにお招きしております。
宗任 :どーもぉ。いやぁ、今日もがんばっちゃうから、よろしくね。
学び舎:はあ。
経清 :あのね、この男のことはあまり考えないほうがいいですよ。あれこれ心配するほうが馬鹿を見るから。
宗任 :言ってくれるじゃない。だけど今日は小松柵攻防戦の話だろ?俺に聞かなくて誰に聞くってぇの?経清ちゃん出てないじゃん、この戦(いくさ)
経清 :それはそうだが。
宗任 :だろっ。じゃあ、話は決まりだな。今日は俺が仕切るからな。
経清 :(しぶしぶ)どうぞ、お好きに。

学び舎:あのぉ、それではさっそくですが、清原勢が攻撃を始めた時の様子から伺ってよろしいですか。
宗任 :いいよぉ。
学び舎:そもそも攻撃開始のきっかけは何だったんですか?
宗任 :んーとね、たしか清原武貞と橘頼貞の二人が偵察に来たのよ。でね、偵察だけのつもりだったんだけど、どっちの手下か知らねぇけど、フライングした野郎がいたわけよ。
学び舎:フライング?
宗任 :そう。小松柵の周りは芦原だったんだけどさ、命令も出てないのにそこに火つけやがった奴がいたのよ。こっちは様子見だろうと思ってたのに、火をつけられちゃあ黙っていられない。生かして帰すなとばかり矢を射かけたわけ。

学び舎:なるほど。ところで小松柵って良昭さんの柵ですよね?
宗任 :そうよ。
学び舎:宗任さんは、なぜ小松柵に居たんですか。偶然ですか?
宗任 :いや、偶然じゃあない。営岡(たむろがおか)に頼義将軍のおっさんと清原勢が勢揃えしたっていう情報が入ったとき、最初に攻め込まれる柵は小松柵だろうって分かっていた。それに叔父貴のとこは居心地がよかったんで、しょっちゅう行ってた。叔父貴は親父と違ってファンキーだったからね。
経清 :この男と良昭殿は似た者同士ですよ。どれだけわれわれが振り回されたか。
宗任 :何言ってやがんだ。お前さんとか貞任兄貴とかみたいな堅物ばかりだったら、とっくに俺たちは国府の連中にやられてただろうよ。良昭叔父や俺ががんばったから、なんとか厨川の決戦まで持ちこたえられたんだぜ。そこんとこ、よろしく。
経清 :よく言うよ。結局、小松柵を焼かれてしまったくせに。
宗任 :あ、そういうこと言うわけ。いくら義弟でも、今のは許せねぇよ。
経清 :許せなかったら、どうする?

学び舎:ちょ、ちょっと待っていただけますか。身内の争いは収録が終わってからにして下さい。それより、小松柵の様子をもう少し詳しくお聞かせ願えますか。
宗任 :(経清をにらみつけながら)小松柵はね、いい柵だったよ。南東が深い淵になっていて北西に岩壁があったからね。攻め入るのは容易じゃなかったはずさ。
学び舎:でも、結局焼かれてしまいますね。どこからほころびが出たのですか。
宗任 :絶対に無理だと思ってた南東の淵と北西の岩壁から攻め込まれた。有り得ないと思ってたんだよ。深江是則(ふかえのこれのり)と大伴員季(おおとものかずすえ)の決死隊が柵内に乱入してきたときは、驚いた。

学び舎:その混乱の中で、宗任さんは柵外に出て八百騎を率い果敢に国府軍を攻撃していますね。
宗任 :フ、フフ。そうなのよ。あん時は気持ちいいくらい押しまくった。
学び舎:柵の中に八百騎もいたんですか?
宗任 :いや、野営させてたのさ。柵内に入れる余裕は無かったし、騎馬の連中は馬といっしょに外にいる方が好きだったしな。
学び舎:圧倒的に優勢に立っていたのに、なぜ形勢が変わったのでしょう。
宗任 :新手の軍勢にやられたのよ。国府の奴らのほうが数は多かったからね。こっちが疲れてきた頃に新手を繰り出してきやがった。
経清 :遊撃隊を三十騎だけにしたのもまずかった。
宗任 :(むっとして)しょうがなかったんだよ。それ以上の人数は割けなかった。それに遊撃隊の三十騎だって精鋭の連中だった。ま、結果的に俺の指揮が悪かったということにはなるがな。
経清 :珍しく、しおらしいな。
宗任 :馬鹿野郎。死なせなくてもいい部下を死なせちまったんだぞ。あいつらに顔向けができると思ってんのか?
学び舎:遊撃隊はほぼ全滅だったんですね?
宗任 :そう。
学び舎:で、小松柵は焼かれてしまう。
宗任 :ああ。遠くから立ち上る火の手と煙を振り返って見たときは、口惜しくってしょうがなかった。

学び舎:では、今回はここまでといたします。次回は小松柵焼失後の戦況について、また宗任さんにお聞きしたいと思います。
宗任 :あ、また出られるわけ?そいつはありがた山のカントンチキだな。
学び舎:何ですか、それ?
宗任 :五代目古今亭志ん生の落語に出てくるフレーズだよ。だめだよ、お前さん。落語ファンなら、すぐ気がつかなきゃ。
経清 :この男の言うことは気にしなくていいですよ。どうせロクなことは言わないんだから。
学び舎:はあ。では、またお二人ともよろしくお願いします。

架空対談:藤原経清氏と振り返る「前九年の役」・その8

学び舎:みなさんお元気でしょうか。今回も経清さんと宗任さんをお迎えしております。よろしくお願いします。
宗任 :あのさぁ、タイトル変えた方がいいんじゃない。やっぱりさ「安倍宗任氏・藤原経清氏と振り返る…」だろっ?
学び舎:いや、このタイトルでもう8回目ですので、今から変えるわけには…。
宗任 :固いこと言わないでさぁ、ねぇ、ねぇ、今回から「宗任氏・経清氏と振り返る…」にしようよ。何なら経清抜きで、「宗任氏と振り返る…」でもいいよ。
経清 :いい加減にしろ、宗任。小松柵に詳しいから連れてきただけで、この先ずっとレギュラーとは限らないんだぞ。
宗任 :(学び舎に)えっ、そうなの?そりゃ、さびしい話じゃないの。小松柵の話が終わったらお払い箱なんてさ。
学び舎:あのぉ、必要に応じてお呼びしますが…。
宗任 :だよね。これっきりってわけじゃないよな。それ聞いて安心したワ。じゃあ、今日も張り切っていきますか。

学び舎:はあ。では、小松柵焼失後の情勢をお聞きします。
宗任 :いいよ。で、何から?
学び舎:小松柵が焼失した後、戦闘が小休止に入りますね。これはどういうことだったんですか。
宗任 :んーとね、たしか長雨のせいじゃなかったっけ。
経清 :確かに。長雨が数日続くと足許がぬかるむので、人馬とも進退が難しくなりました。ま、ちょうどいい休息になると国府側では考えたようですがね。
学び舎:ところが国府軍の兵粮が不足する。
宗任 :へへへ、俺が後方攪乱の手配をしておいたのよ。
学び舎:どういうことですか。

宗任 :あんだけの軍勢だろっ、後から兵粮を積んだ輜重隊が来るだろうとにらんだわけ。でさぁ、当たっちゃったのよ、その読みが。アハハ。
経清 :この男がうまく磐井以南の諸郡を回って、国府軍の輜重を奪うように焚き付けていたんです。
学び舎:でも、磐井郡はともかくとして、それより南の諸郡て国府の支配地域じゃないんですか。
宗任 :そうよ。そこがおもしろいとこだろ。敵の支配地域を舌先三寸で丸め込んでくる。楽しくてたまりませんよ、これは。
経清 :どうせこの男のことだから、口から出まかせを並べてたぶらかしてきたんでしょうけどね。
宗任 :何?俺の手柄にケチつけようっての?
学び舎:ま、まま、落ち着いてください。ともかく宗任さんのそそのかしがうまくいって国府軍の輜重は本隊に届かないということになったんですね。
宗任 :そういうこと。

学び舎:国府軍はどう対応したんですか?
経清 :ここは私が説明しましょう。まず、国府軍の輜重を奪っていた連中を追補するため、源頼義将軍は栗原郡に千人ほど兵を送ります。それだけでは当面の兵粮が確保できないので、磐井郡の仲村というところに三千人あまりの部隊を派遣し、稲とか粟を刈り取らせています。
学び舎:磐井郡の仲村って、今の花泉駅の西北の辺りですか。表記は「中村」ですが。
宗任 :そう、そう。運動公園かなんかあるだろ、その東隣りの辺りだよ。大験セミナーの金田先生の家からも遠くねえと思うけどな。
び舎:よ、よくご存じで。
宗任 :地獄耳の宗ちゃんて有名だったのよ、知らなかったっけ?
学び舎:そうなんですか。
経清 :あちこちに自分の情報網を持っていたんですよ、この男。人たらしにかけては一番だと認めざるをえません。とにかく味方を作ることに関しては天才的ですね。
宗任 :え、経清ちゃんほめてくれんの?へへ。でもさ身内だから何にも出ないよ、ほめても。
経清 :この後当分出番がないと思うから花を持たせたんだよ。

宗任 :………。(学び舎に)ねえ、ホントに次の回は出番無いの?寂しい話じゃありませんか、やっぱり。ちょいとこの、宗任さんを隅っこに置いておこうとかって気にはならない?
学び舎:鳥海(とのみ)柵の話になるまでは、たぶん出番が無いと思うんですが…。
経清 :ほらほら、司会者を困らせちゃいけないでしょ。
宗任 :あんまり口をはさまないからさぁ。ねぇ、ねぇ、いいよね。
経清 :しつこいよ、宗任。
宗任 :お前さんに聞いてるんじゃなくて、この人に聞いてんだよ。貞任兄貴のことだって俺の方がよく知ってるんだし、衣川関の攻防戦の話になったら業近(なりちか)の柵のことも出てくるだろ?
学び舎:そういえば業近さんて宗任さんの腹心でしたね。
宗任 :そう。そうなのよ。経清に聞くより俺に聞いた方が詳しいよ。
学び舎:そうですねえ。(経清がダメダメと目配せをする)経清さんは不満のようですが、分かりました。ただし、こちらが聞くまでは黙っていることが条件ですよ。
宗任 :いいの?え、ホント。アハ、アハハ、アハ。
経清 :(学び舎に)ダメだよ、この男に甘い顔見せちゃ。収拾がつかなくなりますよ。
学び舎:でも、宗任さんの裏情報も聞いてみたい気がするんです。
宗任 :お、いいこと言うねぇ。一寸の虫にも五分の魂。イワシの頭も信心から。
学び舎:なんか違うと思うんですが…。
宗任 :いいの、いいの、細かいことは気にしなくて。
学び舎:では、ともかく今日はここまでといたします。また次回よろしくお願いします。

(前九年の役の概略は「架空対談をお楽しみいただくために」をご覧下さい)

>>架空対談・その9~はこちら