読書メモ・リスト

2013年1月30日 (水)

ひさびさの読書リスト

昔の記事を読み返していて、そうだ最近読書リストの記事を書いていないなと気がついた。東日本大震災からもうじき二年となるが、その間、福島の原発事故のその後を追いかけていたこともあり、読書リストを作ることなどすっかり忘れていた。

というわけで、読書リストをさっそく。例によってまだ読んでいないので、どんな内容の本なのかよく分からないものばかりだ。何かの参考になさろうという方は全くの無駄足になるので、他をお探し下さい。

  1. 「黒船前夜 … ロシア・アイヌ・日本の三国志」 渡辺京二、洋泉社
  2. 「重力とは何か」 大栗博司、幻冬舎新書
  3. 「宇宙は何でできているのか」 村山斉、幻冬舎新書
  4. 「河原ノ者・非人・秀吉」 服部英雄、山川出版
  5. 「A3」 森達也、集英社インターナショナル
  6. 「オウム … なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 島田裕巳、トランスビュー
  7. 「オウム裁判と日本人」 降幡賢一、平凡社新書
  8. 「情報時代のオウム真理教」 井上順孝責任編集、春秋社
  9. 「オウム法廷」 降幡賢一、朝日文庫(品切れ)
 10. 「数学ガール」 結城浩、ソフトバンククリエイティブ
 11. 「すべては今日から」 児玉清、新潮社
 12. 「表現の技術」 高崎卓馬、電通発行、朝日新聞出版
 13. 「五代目小さん芸語録」 柳家小里ん、石井徹也、中央公論新社
 14. 「原発のコスト」 大島堅一、岩波新書
 15. 「日本の統治構造」 飯尾潤、中公新書
 16. 「銃・病原菌・鉄」 ジャレド・ダイアモンド、草思社
 17. 「戦後史の正体」 孫崎享、創元社
 18. 「夢よりも深い覚醒へ」 大沢真幸、岩波新書
 19. 「一般意志2.0」 東浩紀、講談社
 20. 「ヨーロッパ「近代」の終焉」 山本雅男、講談社現代新書

まずは1から。さっそく内容が分からない。いつメモしたのかも覚えていないので何もコメントができないのだが、たぶん幕末の外国船来航史で北方関係のものだと思う。

次の2と3は、おそらく新聞に載っていた新刊の広告でメモしていたものだと思うが内容は不明。ときどきこの手の物理・地学関係の本を読みたくなることがあるので、衝動的にメモしていたのではないか。

4は明らかに歴史関係で、タイトルからすると桃山時代の河原者から始まった芸能、おそらくは歌舞伎などの話ではないかと想像する。

5から9までずらりとオウム関連の本であるが、確かこれは去年のTBS「ニュース探究ラジオDig」でオウム真理教とは何だったのかを改めて問い直す企画があり、そのポッドキャスティングを聴いたからメモしたのだと思う。指名手配されていた元信者が出頭したという出来事もどこかに引っかかっていたのかもしれない。オウムの事件は阪神淡路大震災と同じ1995年の出来事だった。日本の社会の一つの転回点になった年だったのではないかと思うが、ほぼ同年代のオウム幹部たちが何を考えていたのか、自分なりに探ってみたいと思う。

しかし、こうしてズラリとオウム関連のタイトルを並べるとちょっと危ない本に見えるので不思議なものだ。なんとなく現代の日本社会の中では、触れたくないタブーのような扱いになっているのかもしれない。

10以降もメモしたきっかけと内容について何もコメントできないのでひと括りにしたいが、一つだけ11の児玉清さんの本はじっくり読みたいと思っている。亡くなった俳優の児玉清さんは、NHKのBSで放送していた「週刊ブックレビュー」の司会を長くつとめていた。ときどき見ることがあったのだが、本当に本好きな児玉さんの様子が伺えて楽しかった。それもあってこの本はぜひ読んでみたいと思っている。

それから16は、このリストの中で唯一読み始めている本である。去年文庫化されて話題になった本でもあるのだが、約400頁の上・下巻を読むので、いつ読み終われるのか分からない。しかし、新しい視点からの世界史の見直しであり、おもしろい本であると思う。

以前に作ったリストの本も完読しておらず、こうしてリストだけがどんどん雪のように積もっていくのがまた楽しからずやである。いつまで経っても読み切れないんだろうな、たぶん。

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2010年11月11日 (木)

読書週間は終わったけれど・その2

読書関連で、これから読もうとメモしたままの「読んでいない本のリスト」もついでにまとめておこうと思う。「読んでいない本」なので当然内容はわからないし、メモしたときには紹介記事や新聞の広告を見て興味を引かれたはずなのだが、時間が経過しているのでそれも思い出せない。したがって、本当に書名と著者と出版社だけのリストになる。少しばかり私の与太話もつくけれど。

  1. 「天使はなぜ堕落するのか」 八木雄二、春秋社
  2. 「格差社会という不幸」 神保哲生・宮台真司、春秋社
  3. 「働き方」 稲盛和夫、三笠書房
  4. 「大学教授のように小説を読む方法」 トーマス・C・フォスター/矢倉尚子 訳、白水社
  5. 「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一、講談社
  6. 「動的平衡」 福岡伸一、木楽社
  7. 「世界は分けてもわからない」 福岡伸一、講談社
  8. 「闘争の思考」 市田良彦、平凡社
  9. 「ランシエール」 市田良彦、白水社
  10. 「望郷の道」上・下  北方謙三、幻冬舎
  11. 「受験国語が君を救う!」 石原千秋、河出書房新社
  12. 「高校生のための評論文キーワード100」 中山元、ちくま新書
  13. 「おれのおばさん」 佐川光晴、集英社
  14. 「小さいおうち」 中島京子、文芸春秋

1はほぼ何も覚えていないので書きようがない。ネットで調べてみると、中世哲学の興亡というサブタイトルがついた中世哲学の通史であった。どこに興味を引かれたのか記憶がないのだが、キリスト教神学を中心とした中世哲学史は面白そうである。

2は、「ビデオニュース・ドット・コム」でおなじみの神保・宮台コンビが論ずる格差社会論である。議論の方向はだいたい推測できるが、口頭での議論ではなく、文書になったものでじっくりと読んでみたい。

3の「働き方」は、京セラ会長の稲盛和夫氏が書いたものである。稲盛氏の若い頃のエピソードで、来る日も来る日もセラミクスを焼き続けていたころ、こんなことを一生続けてうだつがあがらないのかと悩んだこともあったという話に感銘を受けたことがある。それもあってメモしていたのだろう。

4は、おそらくタイトルの面白さに引かれてメモしたと思うのだが、内容は不明。

5~7の福岡伸一氏は分子生物学者で、狂牛病問題などの折りによくテレビでお見かけした記憶がある。4と同様、タイトルで選んだ三冊。中味は不明。

8・9の市田良彦氏は社会思想史の研究家で、フランス現代思想が専門。なぜ読もうと思ったのか、理由を忘れてしまった。

10は、北方謙三氏が祖父母をモデルに書いたと言われている小説。波瀾万丈の生涯を送った祖父母の骨太な生き方が興味深そうだと思った。

11・12は仕事がらみ。特に12はウロコ先生 のブログからのリンクで知った本。高校生に現代文を教える際に必要な一冊だと思う。

13・14は朝日新聞の文芸時評で斎藤美奈子氏が取り上げていたので無条件にメモしておいたもの。面白そうな小説だとその時は思ったのだが、中味についてはまったく記憶がない。

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2010年11月10日 (水)

読書週間は終わったけれど

今年は例年にくらべて本を読んでいないような気がする。いや、気がするではなく、実際に読んでいない。もう一年以上も「読書メモ」の記事を書いていないことからも分かるように、月単位ではメモに残すほどの冊数を読んでいないのだ。

ディケンズの『荒涼館』は、相変わらず読みかけでなかなか進まない。なんとか年内には読み終えたいとは思っている。それ以外に今年は何を読んできたのだろう。

その時々に記事にしたものでは、村上春樹氏がジャズの名盤を紹介しながら綴った『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)(こちら)。南部藩を脱藩し新撰組に入った吉村貫一郎を主人公にした浅田次郎氏の『壬生義士伝』(文春文庫)(こちら )。ワールドカップ南アフリカ大会の直前に読んでいた杉山茂樹氏のサッカー戦術論『4-2-3-1』(光文社新書)(こちら )などだろうか。これらについてはそれぞれの記事をお読みいただければと思う。

さて、それ以外に何を読んだのだろう。まず思い出せるのが宮台真司氏の『日本の難点』(幻冬舎新書)。この新書はかなり面白かった。タイトルからも分かるように『日本の論点』をもじっているのだが、『日本の論点』とは違って一人の社会学者があらゆる問題を串刺しにするように論じ尽くした好著だと思う。格差社会、グローバリゼーション、教育の問題などなどを考える上で有効な視点が提供されている。

それから次が山本七平氏の『「空気」の研究』(文春文庫)。これもまた面白い内容だった。なぜ日本では同調圧力が起きやすいのか。「空気」に対抗するためにはどうすればいいのか。まったく古くなっていない問題をさばいていく山本氏の論理が小気味よい一冊だった。かねてから名前だけ耳にしていて読んでいなかった一冊でもあり、読み終えたことで一応すっきりもした。

桜井章一氏の『負けない技術』『手離す技術』(講談社+α新書)も、いつもながら面白かった。この新書のシリーズは『人を見抜く技術』も含めて三冊読んだことになる。桜井氏の本で最初に読んだのは『最強の言葉』(ゴマブックス)という一冊だった。ビジネス書のコーナーに平積みにされていて、なにげなく手にとって頁をめくり始めたら動けなくなった。実に分かりやすい言葉で書かれているのに奥が深い。後頭部を一発ぶんなぐられたような衝撃だった。以来、機会があるたびに手を伸ばすようにしているのだが、プロの雀士として何年も勝負の世界に生きてきた氏の言葉には、計り知れない重みが感じられる。

ちなみに動画サイトに行くと桜井氏の雀士としてのテクニックを紹介した映像も見かけるが、あれもすごい。「雀鬼」と異名をとるだけのことはあると思う。

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2009年9月24日 (木)

読書メモ・9月(2009)

平行して読んでいる本がなかなか読み終わらず、今月の読書メモに残しておく本もごくわずかである。

  1. 「三国志 八」吉川英治、講談社吉川英治歴史時代文庫、1989年
  2. 「魂(ソウル)のゆくえ」ピーター・バラカン、アルテスパブリッシング、2008年
  3. 「うつくしく、やさしく、おろかなり--私の惚れた「江戸」--」杉浦日向子、筑摩書房、2006年

1の「三国志 八」は先月の末に読み終わっていたのだが、しばらく読書メモを書いていなかったので9月のメモにあわせて取り上げることにした。去年の暮れ方に読み始めたので、ほぼひと月に一冊のペースで読み返してきたことになる。

五丈原の戦いから諸葛亮孔明の死を迎え、吉川三国志は終章となる。「篇外余録」と題された章で作者が説明しているように、原書の「三国志演義」では孔明の死後も三国のその後が語られ、晋が三国を統一するまでの治乱興亡がつぶさに描かれているらしい。しかし、作者の吉川英治は孔明の死をもって筆をおくべきだと考えた。

ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない。(「三国志 八」篇外余録「諸葛菜」)

この一文に、的確に吉川英治の三国志認識が示されていると思う。あらためてその通りだと頷く。曹操と対峙しているのは劉備ではなく孔明という軍師なのだ。一方で今回読み返して面白かったのは、孔明と司馬仲達の対決だった。先の先を読みあうさまは、まるで将棋や囲碁の名人同士の対局みたいで、知謀の限りを尽くすという言葉通りの対戦になっている。以前に読んだときにはあまり注目しなかったのだが、こういう大作は何度読んでもその都度新しい魅力が見つかるものだ。

2の「魂(ソウル)のゆくえ」は、1989年に新潮文庫の一冊として出版されたソウル・ミュージックの入門書に手を入れ、ディスク・ガイドをすっかり作りなおした改訂増補の新版である。

作者のピーター・バラカン氏をご存じの方は多いと思うのだが、何と紹介すればよいのか。本のカバー見返しには「フリーのブロードキャスター」とある。あ、そうなのか。ずっと音楽評論家だと思っていた。NHK-FMで土曜の朝、バラカン氏が担当する「ウィークエンド・サンシャイン」という番組が放送されている。時々しか聴くことがないのだが、取り上げている音楽の種類が豊富で他の音楽番組ではほぼ流れないだろうと思われるような「ワールド・ミュージック」が紹介される。特にアフリカのアーティストのアルバムなどは面白いものが多く、たまたま放送を聴いたときはラッキーだったと思うことが多い。

この本では年代順にソウル・ミュージックを取り上げ、それぞれの時代の特色と背景を丁寧に説明している。タイトルだけ見てもそれだけでソウルの歴史が分かる。「ゴスペルの話から始めよう」「R&Bからソウルへ」「モータウン」「サザン・ソウル」「ニュー・オーリンズのR&B」「七○年代のソウルのスーパースターたち」「フィラデルフィア・ソウル」「ファンク、ロックとソウル」「ディスコ・ブームとソウルの死」「ヒップ・ホップの時代」

実際に聴いたことがある時代は「フィラデルフィア・ソウル」の辺りからだが、それ以外の時代もなんだかんだと耳にしたことのある名前が登場してくる。熱心なソウルファンではないのだが、そういえば七○年代の後半はディスコがブームだったなあと思い出した。若い読者にも昔聴いていたという読者にも、この本ですべてこと足りるのではないかと思う一冊だ。

3は杉浦さんが亡くなって一年後に出されたエッセイ集である。出版の経緯は、筑摩書房編集部の松田哲夫氏による「あとがき」に詳しい。

杉浦さんの江戸についてのエッセイが魅力的なのは、「江戸時代はよかったなあ」的な発想がまったくないからだ。「神田八丁堀」という冒頭のエッセイで次のように語る。

 「江戸に住みたかったろう」と人は問う。
 日夜江戸に淫し、のべつまわらぬ舌で江戸を語る(騙る)身にあっては、ソウ尋ねられるのが日常だ。けれど自分は今が良い。昨日でも明日でもない、今日この日の、ここが良い。どこへも行きたくない。現在たまたまいる場所が、いつでもどこよりも良い。(8頁)

また『半七捕物帳』の岡本綺堂にふれた文では 

 私がなぜ江戸に魅せられてやまぬのかを、人に語るのはむずかしい。惚れた男が、相馬の金さんのようなやつだった場合、親きょうだいに、かれをなんと説明したら良いのか。それと同じ気持ちだ。
 いい若いもんで、ぶらぶら暇をもて余している。とくに仕事はない。たまに友達と、ゆすりたかりをする。ちょくちょく呑んで暴れるけれど、喧嘩は弱い。でもかあいい。なによりだれよりかけがえないのだよ。
 私が惚れた「江戸」も、有り体に言えば、そういうやつだ。(15頁)

と自分が江戸に惹かれる理由を述べる。懐古趣味ではなく、江戸を今に生きるという感覚がいいなと思う。この本は三部に分かれていて、「壱」では江戸の粋と遊び、「弐」では江戸のくらし、「参」では江戸の食事情についてのエッセイが並ぶ。どのエッセイも興味深いのだが、特に第三部の食についての話を読むと、江戸の長屋のくらしは生活臭に縁遠かったんだなあと目を開かれる。江戸時代の長屋住まいは都心のワンルーム賃貸のようなもので、居住者の中に妻帯者が少なく、江戸は単身者の都だったというような一節に、あ、そういえば落語の「野晒し」でも長屋は男所帯ばかりだったなあと思い出す。

固い時代考証の話よりも、杉浦さんのエッセイの方がよく分かる。そう言ってしまっては身もフタもないのかもしれない。しかし、そのやわらかい筆遣いで捉えられた江戸の姿は実に魅力的である。

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2009年6月21日 (日)

読書メモ・6月

1. 「知られざる日本人 ---南北アメリカ編」、太田宏人、オークラ出版、2007年
2. 「人を見抜く技術」、桜井章一、講談社+アルファ文庫、2009年
3. 「優劣のかなたに」、苅谷夏子、筑摩書房、2007年

1の「知られざる日本人」は「とよ爺のつぶやき」 のとよ爺先生が、浅野七之助のことを紹介したブログの中で知った本。浅野七之助は、原敬の書生をつとめた後アメリカへ渡った岩手の先人である。在米ジャーナリストとして新聞社の通信員を勤めるかたわら、戦後の日本に送られたララ物資を通じて学校給食が始まる基を作った人でもある(ララとは「アジア救済連盟」の頭文字をとったもの)。浅野七之助の功績についてはとよ爺先生のブログ記事「学校給食の産みの親:浅野七之助」 に詳しく載っているので、そちらをご覧いただきたい。

岩手に住んでいながら、これまでずっと知らずにいたというのも恥ずかしい話である。戦後の学校給食の生みの親ともいうべき人物が、郷土の先人であったとは。

この本には浅野七之助だけでなく、南米やアラスカに生きた日本人たちの生きた姿が描かれている。遠く異郷に没することになった人々の姿は、さまざまなことを考えさせる。どれもみな濃密な時間がそこには存在していた。日本で平々凡々と暮らしている現代の我々からは想像もつかないような苦労を、移民一世の方々は味わったのであろうと思われる。人の生の営みのたくましさと悲しさの両者をしみじみと思う本である。

2の「人を見抜く技術」は再読である。20年間無敗、伝説の雀鬼と言われた桜井氏の最新刊だが、このひとの人間観察には含蓄がある。人が持つ「癖」や身体の動き、立ち居振る舞いにその人がどういう人間であるか如実に表れるという。「この世の中に性格のない人がいないのと同様に、癖も誰にでもあるものなのだ。だったら、癖があることを認めてしまって、できるだけよい癖になるようにすればよい。」(27頁)と述べ、性格を直したいと本気で思うなら、性格を「癖」だと考えて出てきたときに意識すれば直しやすいのではないかと言う。

桜井氏は、麻雀を通じて人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を主催している。多くの若者が道場生として在籍してるそうだが、この「雀鬼会」では牌の捨て方、切り方に重点を置いて練習している。「牌を捨てるという行為には、弱気、疑い、損得勘定など人間が持つ欲、いやらしい部分がすべて出てくる。だから、雀鬼会ではその捨て方、切り方が少しでも美しくなるよう、牌を切る練習ばかりしている。(中略)切り方を練習していると、だんだん麻雀に対して美意識というものが出てくる。動作を磨いていくことで徐々に思考にも美しさが出てくるのだ。」

最後の方にある「動作を磨いていくことで徐々に思考にも美しさが出てくる」という言葉は味わい深い。習慣が人を形作るということと同じではないか。立ち居振る舞いの美しさは単に見た目の美しさだけでなく、それが思考の美しさに通じるからなのだ。あらゆる芸事がまず型を身につけることから始まるのも意味のあることなのだと思う。

3は大村はまさんの言葉を、教え子の苅谷夏子氏が紹介していくというもの。60ほどの言葉が引用されているのだが、どれもこれも深い。教育に携わる人、教育の仕事を目指そうとする人にぜひとも味わってほしい言葉の数々だ。たとえば次のような言葉。

 子どもたちに、安易に、だれでもやれる、やればやれるといいたくない。やってもできないことがある---それも、かなりあることを、ひしと胸にして、やってもできない悲しみを越えて、なお、やってやって、やまない人にしたいと思う。(22頁)

 子どもを知るということ、子ども自身より深く知るということ、親をも越えて子どもを知るということ、これがまず教師として第一のことでしょう。子どもを愛すること、子どもを信頼することを第一に挙げる方もありますが、それも「知る」ということと共にあることと思います。(40頁)

どちらも教室で子どもたちに向き合ってきた大村さんの経験に裏付けられた言葉だ。教師論も奥が深い。

 子どもがかわいいのであれば、子どもをとにかく少しでもよくしていける、教師という職業人としての技術、専門職としての実力をもつことだ。子どもをほんとうにかわいがる、幸せにする方法は、そのほかにはないと思います。それ以外のことはみんな二次的なことだと思います。遊んでやるのもよいし、頭をなでてやるのもよいし、やさしいことばをかけるのも結構、しかしそれらはみな二次的なことです。……いちばん大事なことをちゃんとやっていながらでないと、教師自身の自己がこわれてしまうと思います。(191頁)

「教師という職業人としての技術、専門職としての実力をもつこと」というのは当たり前のように見えるが、そうではない。教えるということを通じて生徒との信頼関係を築いていくということが、実は一番難しい。

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2009年5月21日 (木)

読書メモ・5月

1 『教えることの復権』、大村はま/苅谷剛彦・夏子、ちくま新書、2003年
2 『「わかりやすい表現」の技術』、藤沢晃治、ブルーバックス(講談社)、1999年
3 『図で考える人は仕事ができる』、久恒啓一、日経ビジネス人文庫、2005年
4 『江戸の古地図で東京を歩く本』、ロム・インターナショナル編、河出書房新社、2008年

1の「単元学習」と呼ばれた大村はまさんの国語指導は現在どういう捉え方をされているのだろう。中学時代にその国語教室で学んだ苅谷夏子さんが、「教える」ということをとらえ直すために、かつての国語教師と対話する。その対話の中で、国語という教科を通じていかに考える力をつけることができたのか明らかにしていく。
塾の中で直接大村単元学習を取り入れることは難しいかもしれない。しかし、学校の現場であれば条件さえ整えば可能ではないかと思った。ただ、一方で大村はまさんだからできた授業であり、他の教師が真似してもうまくいかない部分があるのではないかという感想も持った。それほどこの「単元学習」は、大村さんの使命感と教えることへの貪欲な探求心が形を取ったものである。その方法論とエッセンスは学び取れるだろう。が、効果が同じように出るかどうかは分からない。

2はブルーバックスのロングセラーである。藤沢氏のシリーズのお世話になっている方も多いのではないだろうか。本書「分かりやすい表現」では、案内板やマニュアル、指示書などに見かける「分かりにくい」表現を、どうあらためればいいか具体的に示したものである。
笑ってしまったが、高速道路の道路案内図の例は紛らわしく、わかりにくいことこの上なかった。瞬時に判断できない。判断に迷ってしまう。そういう事態を招くような案内図になっている。
「ユーザビリティ」という言葉がある。使い勝手とでも訳せばいいのか。使う側の立場に立って考えていない表現はわかりにくい。これは笑ってばかりもいられない。物事を教える立場というのも同じように教えられる側にとってどうかを考えないと「分かりやすい」説明にはならない。

3は先日も紹介した「図解」による読解と説明の入門編ともいうべき一冊。著者の久恒氏は現多摩大学教授。図で理解することがいかによりよい理解につながるか、実例を挙げながら詳述されている。
「分かる」ということは2の藤沢氏のシリーズによれば、情報が脳内関所と呼ぶべき関門をすばやく通過し、図書館にあたる脳内整理棚にうまく収まることなのだそうだ。つまり適当な小ささの情報で、分類しやすい加工がしてあれば「分かりやすい」となるようだ。
「図解」はまさにこの条件にあてはまる。図示する場合、細部にとらわれず簡略化して大枠で関係を示す。これによって把握しやすく分類しやすくなるのだろう。
「図解」では詳細が伝わらない、大雑把すぎて議論の役に立たない、微妙なニュアンスがこぼれてしまう。こういう批判もあるようだ。しかし、著者はこれに対し、「図解」と「文書」の併用という形で解消できると述べる。場合に応じて使い分けすればいいということなのだろう。

4は例によって落語関連。本当は古地図ライブラリー別冊の『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』という人文社の本を見たかったのだが、入手できなかった。しかし本書でも切絵図がふんだんに使われていて江戸の町をしのぶことができる。
ルーペで見ないと細部が分からない切絵図も多い。それでも切絵図に書き込まれた武家屋敷や寺社の名前をぼんやりと眺めているだけで、あれこれと想像に遊ぶことができる。地図を「読む」ことがお好きな方にはおすすめの一冊。

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2009年4月21日 (火)

読書メモ・4月(その2)

3.「血涙  …新楊家将 上・下」北方謙三、PHP研究所、2006年

3は北方謙三が以前に書いた「楊家将」の後編にあたる作品。時代は宋代。北方に遼があり、宋の北部にあたる燕雲十六州を制圧している。この遼との衝突に投入されたのが楊業とその七人の息子たちを中心とした楊家軍であった。激戦のさなか見方の裏切りにあい、楊業と長男延平、二郎延定が戦死。五郎延徳は行方不明となり、六郎延昭と七郎延嗣が生き残る。四郎延朗は記憶を失い遼に降り石幻果と呼ばれる遼の将軍になる。この記憶を失った四郎と生き残って楊家軍を再興しようとしている六郎、七郎との葛藤が「血涙」の見せ場である。

いやあ、これもたまりませんなあ。「楊家将」や「血涙」が扱っているのは「水滸伝」や「楊令伝」の前の時代の中国北部である。「水滸伝」に出てくる楊志は楊業の子孫であり、血のつながりはなくとも「楊令伝」の楊令はその楊志の子にあたる。「水滸伝」を中心にそのプロローグにあたるのが「楊家将」「血涙」、エピローグにあたるのが「楊令伝」という位置付けにでもなるのだろうか。ただし「楊令伝」はいわゆるエピローグの分量をはるかに超えて既に長大な物語が進行中であるのだが(実際、「楊令伝」は広告では続・水滸伝と銘打たれている)。北方謙三はどこまで考えてこの壮大な「楊家サーガ」とでも呼ぶべき物語群を構想したのか。その意図を図り知ることはできないが、いずれにしても希有な長編の物語世界が出来上がりつつあると思ってよいだろう。

この物語群の大きな特徴は何だろう。それは一つの国なり組織なりの経済構造や生産構造まできちんと描かれているということにつきる。塩の製造や交易、馬を育てる牧の経営や馬の買い付けなどなど、どの物語もかならず経済面の活動に触れている。単純に比較してはいけないのだろうが、吉川英治の「三国志」などの場合は生産の基盤や経済活動に言及する部分が少ない。もちろん作品が世に出た時代の違いというものも大きいだろう。北方謙三の作品群には、人や組織の日常を支える経済活動や生産活動が物語の大事な要素として欠かせないものになっている。

食事の描写が多いのも特徴である。何をどのようにして食べるのかが具体的に描かれる。たとえば野営している軍士には何を食べさせるのか、旅先ではどこで何を食べるのかなどが細かく描写されている。考えてみれば当たり前の話だが、人間はものを食べずには生きられない。だから物語の中の人物だとはいっても、何をどのようにして食べていたのかはおろそかにできない問題だといえる。それをどこまで描くかは作家の食に対する興味や執着の違いによりさまざまであろう。北方謙三のこのシリーズの場合、食べ物の描写はこれまたリアリティを支える重要な要素になっている。「水滸伝」や「楊令伝」の中で登場人物たちがものを食べる場面は印象的な場面が多いように思う。実際にその食事を作って食べてみておいしいかどうかは別として、うまそうな食べ物のシーンが多い。

このような食や経済や生産といった下部構造の支えがあるゆえに、その上に立つ人間や歴史の物語世界が一層確固としたものになっているのだと思われる。「水滸伝」や「楊令伝」を読んで面白いと思った方で「楊家将」「血涙」を未読の方は是非読まれることをお勧めしたい。「水滸伝」や「楊令伝」に描かれる遼や女真族の金が違った視点で見えてくるのではないかと思う。

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2009年4月20日 (月)

読書メモ・4月(その1)

1.「三国志 四」「三国志 五」吉川英治、講談社吉川英治歴史時代文庫、1989年
2. 「気の発見」五木寛之・望月勇対談集、平凡社、2004年

1の三国志は何度目の読み返しだろう。三度目か四度目かもしれない。「四」ではいよいよ三顧の礼を受けて諸葛孔明が劉備の軍師に迎えられ、「五」では赤壁の戦いとなる。何度読んでも面白いなあ。映画「レッドクリフ・パート2」の公開にうまく合わせたように赤壁の戦いの箇所に入った。今年の初めに読み始めてから大体毎月1巻ちょっとというペースで読んできたことになる。このまま行くと夏休みが始まる直前に最終巻まで読み切ってしまいそうだ。

三国志に興味を持っている生徒がここ数年増えてきたようだ。男子女子に限らずというところが面白い。どうやら「三国無双」などのゲームから入り、興味を持つようになったらしい。去年中3だったある女子生徒は「呉」のファンである。どうして「呉」なのか。聞いてみると、呉の武将は「魏」や「蜀」にくらべて若いしむさ苦しくないからとのこと。なるほど。映画でも呉の大都督、周瑜の役はトニー・レオンが演じていたなあ、そういえば。それに呉には大喬・小喬の美人姉妹もいるしね。

ちなみに私は「蜀」のファンである。劉備のかたくななまでに「仁愛」を守ろうとする君主像や関羽、張飛の武勇と忠誠、諸葛孔明の知謀。どれをとっても魅力的である。おっと忘れてはいけないのが趙雲。長坂坡で孤軍奮闘し劉備の息子、阿斗を守りきった場面はたまりません。

2は3月のメモ(こちら)で取り上げた「息の発見」と同じ「発見」シリーズの冒頭にあたる巻。ロンドン在住の気功家、望月勇と作家の五木寛之が「気」をめぐる興味深い対談をしている。「気」の存在については非科学的だ、と受け付けない方もいらっしゃると思う。私も半信半疑のところがある。が、対談は非常に面白い。動物にも気功治療が効くという話題では、飼い主の気功治療のときにそばにいた足腰の立たない犬が歩けるようになったという例を紹介する。犬や猫は人間と違い先入観に惑わされることがないので、気が通りやすいのだそうだ。また、気功治療が効くタイプとして上げていたのが、(1)身体的に気が通りやすく、精神的にもいろいろなことに心を開いている人、(2)心はあまり開いていないが、身体的に気が通りやすい人、(3)身体的には気が通りにくいが、心を開いている人の3つらしい。この他に望月氏は2つのタイプを挙げ、(4)身体的にも、精神的にも閉じている人、(5)なぜだか原因は分からないが気功治療が効いてしまう人というのもあるのだそうだ。当然のことながら(4)のタイプの人は気功治療が効かない人である。

(5)のタイプが面白いと望月氏は言う。あるドイツ人の婦人に気功治療を施したのだが、最初から望月氏は気功が効かないタイプだろうと感じていた。実際気功治療を続けているときにはこれといって効果が出てこなかった。ところが数年後その同じ婦人と偶然会ったときに、他の治療を受けないのにすっかりよくなったと感謝される。これには望月氏も驚き何が原因となって症状が改善されたのか、なぜ気功が効いたのか分からなかったそうだ。

科学的に証明できないものは存在しないのだという考え方は果たしてそうなのか、と五木寛之は疑問を投げかける。現在の科学で証明できないだけの話で、将来解明できる可能性だってあるのではないかと言う。このあたりは意見の分かれるところだろう。私はあまり科学万能主義の一辺倒にならない方がいいと思っている。つまり五木寛之の考えに同調している。今の科学では証明できないが、あるらしいというくらいのゆるさでもいいのではないか。

読んだ冊数が少ない割には長くなりそうなので残りは次回。

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2009年4月10日 (金)

恒例の読書リスト春版

暖かくなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。ネタが切れてきた頃の定番、これから読みたい読書リストの春版となりました。興味のわく題材がありましたらお手にとってみてはいかがでしょうか。

  1. 「学力と階層  …教育の綻びをどう修正するか」、苅谷剛彦、朝日出版社
  2. 「アラブ、祈りとしての文学」、岡真理、みすず書房
  3. 「エル・システマ …音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策」、山田真一、教育評論社
  4. 「町工場巡礼の旅」、小関智弘、中公文庫
  5. 「心は遺伝子の論理で決まるのか」、キース・E・スタノヴィッチ、椋田直子訳、みすず書房
  6. 「すごい空の見つけ方」、武田康男、草思社
  7. 「世界の測量」、ダニエル・ケールマン、瀬川裕司訳、三修社

1は仕事がらみではありますが、経済の危機的な状況が進行していく中で親の所得格差によって子どもの教育が左右されてしまう現状に不安と不満を覚えることから。

2はタイトルしか記憶がありません。おそらくあまり紹介されることのないアラブ現代文学についての本だったように思います。アラブの文学的な伝統を踏まえてイスラム教圏の今を映し出している文学作品がいかなるものなのか、大いに興味を引かれます。

3はNHK教育テレビでも取り上げられていたのでご存じの方もあるのでは。南米のベネズエラではスラム街に住む子どもたちにクラシック音楽の教育を施し、才能のある子どもにはその道で食べていけるように政府が音楽教育に力を入れているようです。確か政府が立てた音楽学校に無償で入れて才能を開花させるのではなかったでしょうか。貧困に立ち向かうこれも一つの方法だと思います。

4は2と同様タイトルしか覚えていません。日本の町工場には高い技術をもつ職人さんが大勢いたし今もいるのだろうと思うのですが、そういった職人さんを著者が一人一人尋ねていくルポだったと思います。

5の話はなかなか面白そうです。それにしてもみすず書房は科学から文学まで守備範囲が広いです。装幀がきれいですよね、みすず書房の本って。みすず書房の白いカバーは一種神々しい趣すらあります。もちろん、お値段もそれなりに高いです。

6の「すごい空」は本当にすごい空なんでしょうね。ほとんど内容についての記憶がないので多分そうだとしか言いようがありません。

7はフンボルトとガウスを主人公にした小説。一方は世界各地を自由に旅行していた地理学者で探検家のフンボルト、他方は祖国から離れなかった数学者で天文学者のガウス。この両者の対照的な姿が面白そうです。18~19世紀のドイツに生きた二人の学者の人生を描いた「哲学的冒険小説」なのだそうです。ドイツでは100万部を越えるベストセラーになったらしいのですが、ということは読みやすいのかそれともドイツ人が哲学好きなのか。いずれにしても面白そうな一冊です。

以上春の読書リストですが、興味をそそられたタイトルがありましたか。

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2009年3月20日 (金)

読書メモ・3月(2009)

先月に引き続き、受験指導と確定申告と自治会の年度末準備が重なった時期であまり読了できていない。読みかけのままにしているものが多い。その中でも読了できた本をいくつかを挙げてみよう。

1.「楊令伝 五 猩紅の章」,北方健三,集英社,2008年
2.「楊令伝 六 徂征の章」,北方健三,集英社,2008年
3.「息の発見」,五木寛之・玄侑宗久,平凡社,2008年
4.「フェルメール全点踏破の旅」,朽木ゆり子,集英社新書ヴィジュアル版,2006年

1・2とも北方健三の渾身の長編『水滸伝』の続編にあたる長編シリーズ。いやあ、たまりませんなあ。息もつかせぬ戦闘シーン。国とは何か。人の生き死にとは何か。さまざまな思いを読むたび新たにする。実は「六」を移動図書から借りて読み始めたら、冒頭の部分の「五」の続きにあたる部分の指している内容がどうも記憶になく、あわてて北上中央図書館から「五」も借りることになった。

ところが「五」を読み始めたら何のことはない以前に借りて読んでいた内容だった。せっかく借りてきたからというわけで「五」も再読したが、ところどころすっかり忘れてしまっているシーンがある。やはり借りてきてよかった。このシリーズ、すでに「七」「八」も出ているはずだからいずれ移動図書で予約図書の連絡が来ると思う。とにかく熱い思いを抱かせる長い物語を読みたい方にはおすすめ。

3の「息の発見」は五木寛之が平凡社から出している「発見」シリーズの最新刊で、対話者は禅僧で小説家の玄侑宗久。この二人が「息」をめぐって交わしている対話が面白い。テーマは息であるが、関連してさまざまな事象が語られる。「洋式・和式トイレの作法」「アメリカ人に、なぜ河童は見えないか」「肉食は睡眠時間を長くする」など対話の要所をまとめたタイトルだけ見ても興味深い。中で印象に残ったのが「人間の第一呼吸と末期の息は、吐く息か、吸う息か」という話である。五木寛之は赤ん坊は産道から息を吐いて出て、人の最期は息を吸い込みいのちを終えると考えている。一方、玄侑宗久はその逆で、赤ん坊は産道を通るときに息を吐ききっているので生まれ出てまず息を吸って産声をあげると語る。そして人間の最期の息は吸う方ではなく吐く方ではないかと医師の考えを引用する。個人的に呼吸法に興味があって読んでみたのだが、いろいろ収穫があった。

ちなみに五木寛之の対談集である平凡社の「発見」シリーズには、他に気功家の望月勇と対話した「気の発見」、カトリック司教森一弘との対談「神の発見」、そして宗教哲学者の鎌田東二との「霊の発見」があるようだ。スピリチュアルな話なので、好き嫌いの分かれるところだと思うが、興味のある方はどうぞ。

4は美しい本である。ふんだんに載せられた写真や図版だけでなく、紙質やレイアウト、数字のフォントの選択などどれも細かく神経が配られ、新書版にしてはぜいたくな一冊という感じがする。

ヨハネス・フェルメール。いつごろから興味を持つようになったんだっけ。ダリの画集で「テーブルとしても使えるデルフトのフェルメールの亡霊」という長いタイトルの作品を目にしたときが最初かもしれない。フェルメール自身の作品ではなくダリの絵で名前を知ったというのもなんだが、なかなか本人の作品を見る機会がなかった。一番最初に目にしたのは「真珠の耳飾りの少女」だと思う。ラピスラズリという宝石を使った天然ウルトラマリンの青で描かれたスカーフと軽くこちらを振り返って見る少女の目が印象的だ。もちろん画集で見たものだから本物の持つ質感はまた違うのだろう。それから「デルフト眺望」。この風景画も美しい。17世紀のオランダの風景が永遠に時を止めたかのようにキャンバスの上に切り取られている。どちらもオランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館に所蔵されている。

この2作品も含めてフェルメールの全作品は三十数点しか確認されていない。ヨーロッパとアメリカの美術館に分散しているフェルメール作品をほぼ全点見て回るといううらやましいような企画の本である。フェルメール作品へのすぐれた入門書にもなっている一冊だと思う。

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