江戸的スローライフのすすめ

2009年11月16日 (月)

江戸的スローライフのすすめ・その17

寒くなると聴きたくなる落語がいくつかある。代表格は「二番煎じ」だろうか。

大火に見舞われることの多かった江戸ならではの噺だが、火の用心に回る町内の檀那衆が番小屋にもどって暖をとりながら一杯やる場面が印象に残る。

寒風の吹く中、「火の用心、さっしゃりやしょう」と拍子木を打ったり、金棒を引いたりしながら町内を巡回して歩く。知恵の回る月番さんが、全員で一度に出るのではなく一の組二の組と二つのグループで交代に巡回することを提案する。「では、言い出したアタクシが一の組で回りますので、二の組さんはその後お願いします」と一の組の面々がまず出発する。

この一の組の檀那衆がやりとりする会話が笑える。三代目古今亭志ん朝さんが演じた「二番煎じ」では、みんな寒いので懐手したまま歩き、拍子木も金棒の音もよく聞こえない。月番さんが「いけませんよ、そんなことじゃ。それにどなたか『火の用心』の声を張り上げていただかないと」、と順に「火の用心、さっしゃりやしょう」の掛け声を上げていくが、謡の先生はどうやっても謡曲のような調子になってしまうし、長唄が得意な檀那は「どこでだれが聞いているか分からないから、いけませんよ」と言いながらも、自慢ののどを披露する。

月番さんがふと思い出して「そういえば若い頃火の回りをやってたと聞きましたが」と辰っつあんに促す。若い頃、吉原のかしらの家に世話になっていたときに金棒を引いてよく夜回りをやったもんでさあ。そう言いながら慣れた調子で「火の用心、さっしゃりやしょう」と声を上げる。さすが馴れた人の「火の用心」はちがうもんだ、とみなが感心しながら番小屋へと戻ってくる。

二の組が巡回に出ると、謡の先生が「出掛けに娘が、おとっつあん寒いからこれをと持たせてくれました」とお酒の入った徳利を月番に渡す。「何を考えているんですか、アナタ。ここは火の番小屋ですよ。こんな所で酒なんか呑んでいていいと思っているんですか。第一アタクシたちがそういうことを言い出したときに止めるのがアナタの役目じゃありませんか。それが、何です。…辰っつあん、そこの土瓶をあけて。で、それにこの酒を入れて火にかけて…」「するってえと、どうなりますか?」「どうなりますかって、徳利から出るお酒じゃあマズイだろうけど、土瓶から出る煎じ薬ならいいじゃないですか、お役人が見回りに来ても」「なるほどね」

というわけで、実は月番さんも寒かろうとやはり酒を持参していた。中にはみなさんお酒を持ってくるだろうから、それじゃ猪鍋(ししなべ)がよかろうと猪肉と葱とみそと鍋を持参してきた者もいる。いやあ、毎晩こんなふうに猪鍋でもつつきながらみなさんと一杯やれるというのは結構なことですなあ、とかなんとか言いながら和気あいあいと小宴会が始まる。

しばらくして番小屋にお役人が見回りに来てひと騒動となるのだが、実は…。タイトルの「二番煎じ」にひっかけたサゲがおもしろい噺である。グツグツと煮えてきた猪鍋を一箸ずつ回して食べる場面など、何度聞いてもうまそうだなあと思ってしまう。葱の芯の熱いところがぴゅっと口の中に飛び込んで、はふはふはふなんてところはたまりません。寒い季節にピッタリの一席である。

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2009年9月22日 (火)

江戸的スローライフのすすめ・その16

今年の「志の輔らくご in Parco 2009」の演目に「柳田格之進」という噺がある。

曲がったことは大嫌い、謹厳実直が着物を着て歩いているような人間である柳田格之進という浪人が江戸で一、二を争う「萬屋(よろずや)」という質屋の主、源兵衛と碁会所で親しくなる。ウマがあって萬屋の主が「どうです、うちにおいでになりませんか」と柳田を離れに誘ったことから、格之進はしばしば囲碁を打ちに通うようになる。

ある月見の晩に離れで囲碁を打ち柳田格之進が帰ったあと、番頭の徳兵衛が主に渡した五十両が見当たらないと騒ぎ出す。離れには主の萬屋源兵衛と浪人の柳田格之進しかいなかったのだから「柳田様が何かご存じなのでは?」そう言う番頭を、人を疑うものではないと主は叱る。

番頭は納得がいかず翌日柳田の住む長屋を訪れて、ご存じありませんかと疑っていることをにおわす。柳田は血相を変えて否定する。しかし家名を傷つけたくない柳田は、なくなったという五十両はわしが出すから明日もう一度来てくれと番頭を帰す。腹を切るつもりでそう言ったのを察した娘のきぬが「ご離縁ください。柳田の娘では遊郭に勤めることができませぬ」と吉原に身売りし、五十両を用意する。

翌日、番頭に五十両を手渡しながら「この後なくなった五十両が出てきたらいかが致す?」と柳田は訊ねる。番頭は嫌みなことを言うものだと思いながら「その時はこのクビを差し上げます。一つで足りなければ主人のと二つ」と柳田に告げて長屋を出る。店に帰り、主の萬屋源兵衛に柳田様から五十両を受け取って参りましたと言うと、主の源兵衛はカンカンになって怒り「返しに行く」と柳田の長屋を訪ねるがすでに長屋を引き払ったあとだった。

その年の暮れ、大掃除で離れを掃除していた小僧が額の裏に主が置き忘れた五十両を見つける。柳田様に申し訳が立たないと主は使用人たちに探させるが、暮れのうちは結局行方が分からない。年が明けて番頭の徳兵衛が、帰参が叶い出世した柳田格之進にばったり出くわすという展開となる。

この「柳田格之進」という噺は、五代目古今亭志ん生と息子の古今亭志ん朝が演じたものも聴いたことがある。志ん生は、この後互いにかばい合う主従の情にほだされて柳田が二人を許し、その後娘のきぬを身請けし番頭の徳兵衛と一緒にするという結末にする。ハッピーエンドではあるが、ご都合主義は否めない。

息子の志ん朝も同じ結末である。しかし、どうも納得できない箇所がいくつか残る。まず、浪人から帰参が叶い出世して江戸留守居役になった柳田格之進が、なぜ娘をすぐ身請けしなかったのか。離縁したから娘ではないという理屈は通らないだろう。人情として不自然である。また、番頭の徳兵衛と柳田の娘きぬが夫婦になるという展開は無理があるのではないか。この二点がどうしても気になっていた。

志の輔らくごはこの疑問にみごとに答えている。まず柳田格之進は娘のきぬとともに萬屋を訪れている。つまりとっくに身請けしていることになる。そして主と番頭を許した後の番頭との婚姻はない。これが自然な流れだと思う。この三人の他に「柳田格之進」を聴いたことがないので、これ以外の結末があるのかどうか分からない。しかし志ん生の演じたハッピーエンドの型は、やはり無理がある。この一点だけを考えても、志の輔版の「柳田格之進」はじっくり練り上げられた力作と言えるのではないかと思う。

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2009年8月26日 (水)

江戸的スローライフのすすめ・その15

前回は「鼠穴」だけで長くなってしまい、「夢金」や「夢の酒」や「御慶(ぎょけい)」といった、夢が重要な役割を果たす他の噺に触れることができなかった。今回はできるだけ簡略に紹介しながらまとめてみたい。

まず「夢金」である。聴いたのは古今亭志ん朝が演じたものだった。雪の降る夜遅く、若い娘を連れた浪人風の男が船宿に来て、一艘出してもらいたいと告げる。船宿の主は船頭がいないのでと断るが、そのとき二階で眠っていた強欲な船頭の寝言が聞こえてくる。あの者でもよいという男に強欲な奴だからと主は再び断るが、結局二階で寝ていた船頭が起こされて船を出すことになる。

浪人風の男とその妹だという若い娘が不釣り合いなので、船頭は途中で男を強請(ゆす)っていくらかせしめようと決める。娘が船の中で眠っているときに船頭が男に話をしてみると、案の定、兄妹というのは嘘であった。恋人に会いたい一心で家を飛び出してきた商家の娘が、癪(しゃく)を起こしているところに通りかかり懐に金があると分かったので、どこかで殺してそれを巻き上げようという魂胆だという。その上、船頭にも殺しを手伝えと迫る。船頭は逆に脅されながら一計を案じ、船を中州に着ける。ここで殺してしまえば分かりませんぜと男に勧め、先に中州に降りさせ船を出してしまう。泳げない男は中州に置き去りにされる。

船頭は娘の実家である商家へ連れていき、御礼に「切り餅」と呼ばれる五十両包みを二つもらう。ところが実は船を出すために起こされたと思ったところから御礼の百両をもらったところまでが、船頭の見た夢だったという噺。オチは面白いのだが下ネタなので詳述できないのが残念。

二つ目の「夢の酒」は、八代目桂文楽師匠が演じるものを聴いた。この噺は大店(おおだな)ののんびりした雰囲気が全編に漂い、なんともほんわかした後味のいい噺である。

ある大店の若旦那が、昼寝をしていて面白い夢を見たと年若い妻に話す。どんな夢でした?それがね、雨宿りした先の家がうちのお得意でまあ上がって一杯どうですとなったんだ。だってあなたは下戸で飲めないじゃありませんか。それがね、一杯だけだからと勧められて飲んでみたら飲めたんだ。それで?そうしたらね、飲み過ぎて気持ちが悪くなってしまって気がつくと布団に寝かされていたんだよ。それで、どうなさったんです?

夢の中の話ではあるが、女性宅でお酒をごちそうになり介抱されたという話に若い妻はやきもちで泣き出してしまう。そこへ大旦那がどうしたんだいと顔を出す。実は若旦那がこれこれこうでという嫁の話を聞き、大旦那は息子を叱る。大笑いして若旦那は夢の話ですよと父親の誤解を解くが、嫁はがまんできない。どうか若旦那の夢の女性に意見してきて下さいと言う。そんなことができるはずがなかろう。いえ、淡島様の上の句を詠んで、どうか誰それの見た夢を見させて下されば下の句も詠みましょうと願えば、できるそうでございます。というわけで大旦那は若旦那が見た夢の女性宅を訪れるという噺。酒好きの大旦那が酒の燗ができるのを待てず目が覚めてしまい、ああ冷やでもよかったというオチ。

最後の「御慶(ぎょけい)」は、「夢金」と同じく古今亭志ん朝の演じたもので聴いた。富くじに入れ込んでいる男が夢で当たりくじのヒントを見る。鶴が梯子の先にとまっている夢だから「鶴の八百四十五番、つるのはしご」ってやつをくれと富くじ屋に言うが、たった今売れたばかりだという。ついてねえやとぼやきながら帰る道で手相見に呼び止められ、夢で見た話をする。手相見はそれは素人の見方で、梯子は下から上にのぼるものだから「鶴の五百四十八番」が正しいと言う。なるほどうめえことを言うと男が富くじ屋に引き返してみると、今度はその番号が残っていて買うことができる。

男は夢見の通り一番富を当ててしまう。すぐ持ち帰るなら千両ではなく八百両ですがどうしますと聞かれ、今すぐ八百両くれと家に持ち帰る。そこからまたてんやわんやの展開となるのだが、夢に関わるのはここまでなのでこの先は省略。

前回の「鼠穴」ではジェットコースター的展開を演出するのが「夢」の役割だったが、今回紹介した噺では少し違う。「夢金」は「鼠穴」と同様、相当長い部分が夢の中の話だが、それほど劇的な人生の有為転変を感じさせる夢ではない。うまくできた夢の話ではあるが、あくまで強欲な船頭の都合のよい夢でしかない。

「夢の酒」で若旦那の見た夢は少し艶っぽい内容だが、その若旦那の見た夢の中に入って大旦那が女性の家を訪ねていくというのが面白い。「淡島様の上の句」というのが実はよく分からない。いずれ調べてみなければと思っているが、そういう俗信があったというのは興味深い。酒の燗ができるのを待ちきれず目が覚めてしまい、ああ、冷やでもよかったというのは他の噺でも使われることのあるオチだ。五代目古今亭志ん生が演じた「らくだ」の長い方のバージョンで同じオチを使っている。文楽、志ん生どちらも酒飲みだったようだから、実感がこもっているのだろう。

「御慶」は夢判断の話で、夢の解釈の仕方をめぐるやりとりがなかなか面白い。そして「夢占」という夢のお告げを信じている男の姿は、ある程度現代でも共感が得られるのではないかと思う。正夢や夢のお告げには何となく信じたくなるところがある。潜在意識にあったものが形を取って解決策などを示してくれると感じるからかもしれない。

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2009年8月17日 (月)

江戸的スローライフのすすめ・その14

眠っているときに見る夢が重要な役割を果たす噺が落語にはいくつかある。

まるで「杜子春」や邯鄲の夢の「沈中記」のような人生の転変を味わう「鼠穴」。欲深い男が欲深さゆえに儲け話の夢を見る「夢金(ゆめきん)」。幸福な商家のちょっとしたファミリーアフェアをさらりとしたタッチで描く「夢の酒」。この他にも富くじにはまっている男が夢で見た内容をもとに富くじを買ってみごと一番富を当てる「御慶(ぎょけい)」などという噺もある。

いずれの噺でも夢が重要な役目を負っているが、印象深さという点ではやはり「鼠穴」だろう。立川談志、弟子の立川志の輔が演じたものをそれぞれ聞いたことがある。こういう噺である。

江戸で商売に成功し自分の店を持つ兄の所へ、田舎から弟が頼ってくる。父親から継いだ田畑を元手に兄は江戸へ出て商売を始め成功したのだが、弟は遊興に使ってしまい一文無しになる。兄に泣きついて勤め口を紹介してもらおうと訪ねてみると、兄は自分が元手を貸すから商いをやってみろと勧める。喜んだ弟は兄から借りたお金で商売を始めようと包みを開けて驚く。中には三文の銭しか入っていない。弟は兄を人でなしと恨むが思い直す。その三文でワラを買って銭を通す「サシ」を作って売りに出る。

それから十年、弟は寝る間も惜しんで働き、蔵が三棟もある大店(おおだな)の主になる。結婚し「花」という娘も生まれ、立派な商人として成功をおさめる。ある風の強い日、弟は番頭に三文の銭を包ませ、それとは別に五両を包ませたものを用意させる。兄の所へ十年前に借りた商いの元手を返しに行くという。風が強いから留守の間火事に気をつけろ。蔵のすき間を塗り込める「目塗り」をしっかりしなけりゃいけないが、その時に「鼠穴」も忘れずに目塗りしろと弟は言い置く。

十年ぶりに再会した兄は、なぜあの時三文しか元手を貸さなかったか訳を話す。遊興の癖が抜けきらない様子の当時の弟にまとまった金を貸しても、遊びに使って一文も残らないだろう。ならばと心を鬼にして三文しか渡さなかったと真情を打ち明ける。

弟は兄に対する誤解も恨みも忘れ、兄弟仲良く酒を酌み交わす。夜遅くなり帰ろうとする弟を、久しぶりに再会したんだから今夜は兄弟水入らずで積もる話をしようと兄が引き留める。弟は蔵の鼠穴が気になって仕方ないのだが、火事で焼け出されたら身代をそっくりお前にゆずって自分は番頭になってもいいとまで兄が言うので、結局は泊まることになる。

その晩火事が起こり、方角を聞くと弟の店のある界隈だという。あわてて弟は自分の店に戻り、番頭に蔵の目塗りをしたか尋ねる。しましたという返事に、「鼠穴は?」と重ねて尋ねると番頭はハッとする。鼠穴の目塗りはしていません。あれ程言っておいたじゃないか、と言う間もなく一つの蔵から火が出る。あっという間に三つの蔵が全て焼け落ちる。

焼け出された弟は裏店(うらだな)を借りて住むが、火事のショックもあっておかみさんが病気で寝込んでしまう。弟は九歳の娘、花の手を引いて兄の許へ商いの元手を借りに行く。

五十両貸してほしいという弟に、兄は貸せないと断る。今のお前に貸しても元が取れなかろうと言う。話が違うじゃないか、兄さんが引き留めるから泊まったのにと恨み言をぶつけても、兄は受け付けない。弟は捨てゼリフを吐いて娘と兄の店を出る。

途方にくれた父親に娘の花が、自分を吉原に身売りして商いの元手を作ればいいとけなげなことを言う。孝行娘のかいあって五十両を借り入れた弟は、一人吉原を出る。土手から娘を置いてきた吉原の灯をぼんやり眺めていると、どんと突き当たった男がいる。「気をつけやがれ」と悪態をついて男が去る。ハッとして懐をさぐると五十両を奪われている。

娘に申し訳が立たないと絶望した弟は、死のうと覚悟して枝振りのよさそうな木をみつけ、帯を枝に結びつけてぶら下がる。あまりの苦しさにうなっていると「目を覚ませ」と兄の声がして弟は起こされる。実は火事が起きて蔵が焼けたところから死のうとぶら下がったところまでが夢だったという噺。

「杜子春」や「沈中記」のようなジェットコースター的ストーリー展開である。おそらくこの「鼠穴」という噺一つで、優に映画一本撮れるのではないかと思われるドラマ性がここにはある。

成功することも転落することもどちらも一睡の夢のようなものだ、それがこの噺のテーマなのだろう。人生の深い断面がみごとに切り出されているように思われる噺である。

しまった。「鼠穴」だけで長々書いてしまい「夢金」や「夢の酒」に触れることができなくなってしまった。続きはこのシリーズの次回に。

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2009年7月20日 (月)

江戸的スローライフのすすめ・その13

前回、左甚五郎が主人公の「三井の大黒」と「ねずみ」の噺を取り上げたが、「ねずみ」の噺のように、精魂込めて彫られたものや描かれたものが生きているように動き出すという噺は他にもある。

すぐに思いつくのは「抜け雀」だ。一文無しで小田原の宿屋に泊まった若い絵師が、宿代の代わりに屏風に雀を五羽描く。翌朝、宿屋の主が部屋の戸を開けて朝日が射すと、屏風の雀が抜け出して隣の屋根まで飛んでいく。しばらくエサをついばんで舞い戻りまたもとのように屏風に納まる。驚いた主は屏風から雀が抜け出したと騒ぎだし、それが評判となって大久保加賀守が千両で買い上げるという話になる。ところが主は宿代の形(かた)に預かっているものだから売れないと断る。

ある時、品のいい老絵師が訪れてきて抜け出す雀の屏風を見せてほしいと言う。雀が飛び出して戻ってくる様子をじっと見ていた老絵師は、この雀はじきに落ちるとつぶやく。え、落ちるって、死ぬってことですかい?と主はあわてる。うむ、止まり木が描いていないからいずれ疲れて死んでしまう。どうすりゃあいいんでしょう?わしが止まり木を描いてやってもいいぞ。と言うと老絵師は鳥かごと止まり木を描く。

それ以降抜け出した雀はかごに入って止まり木にとまるようになり、またまた評判が高くなる。大久保加賀守は二千両出そうと主に買い取りを申し出るが、主は預かりものであることを理由にまた断る。そうこうしているところへ立派になった若い絵師が訪ねてくる。主から事情を聞いてあわてて屏風に描かれた鳥かごを見ると自分の父親の筆であったという噺。

狩野派の絵師の噺ではなかったかとかすかに記憶している。落語ではないが、描かれた鶴が壁から抜け出して舞うというのは、李白の詩にも出てくる「黄鶴楼」の話だ。長江に臨んだ眺めのよい高楼に酒を飲みに来る老人が、酒代の代わりに黄色い鶴を壁に描く。その描かれた黄鶴が手をたたくと壁から抜け出て舞ったという伝説から「黄鶴楼」の名が付いた。確かその爺さんは仙人だったんじゃなかったか。

宿代と酒代の違いはあるが、どちらも払いの代わりに描いた鳥が抜け出すという点では同じ趣向である。「抜け雀」の若い絵師が酒好きである点も「黄鶴楼」の爺さんと似ている。「抜け雀」では若い絵師は宿屋の二階で毎日三升ほどの酒を飲んでいるばかりで、どこにも出かけない。飲み代や泊まり賃の代わりに絵を描いていくというのは、なんだか洒落てていいなあ。もっとも、「抜け雀」も「黄鶴楼」もどちらも評判になるような絵だったからよいが、これが箸にも棒にもの絵だったら描かれても迷惑なだけだろう、たぶん。

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2009年7月10日 (金)

江戸的スローライフのすすめ・その12

江戸時代の伝説的彫刻職人に左甚五郎という人がいる。日光東照宮の「眠り猫」などがその作品として有名だが、実在が疑わしいとも言われている。

この左甚五郎の出てくる話は講談などにも多いが、落語でもいくつかある。「竹の水仙」「四つ目屋」「三井の大黒」「ねずみ」などだ。このうち聞いたことがあるのは、後の二つだけだ。どちらの噺も三代目桂三木助が演じたものである。

三代目桂三木助といえば、風景描写の美しさで群を抜いている「芝浜」が有名だ。五代目古今亭志ん生は三木助の「芝浜」にでてくるカミさんじゃ、魚勝こと魚屋の勝五郎が芝の浜で財布を拾ったのが夢だとは思い込めねえと批評したらしい。噺の演出という点ではそうかもしれないが、それでも三代目桂三木助の「芝浜」には完成された美しさがある。大人のための一種のフェアリー・テイルだと思って聞けば、これほどの美しい噺は他にない。

この「芝浜」の印象が強かったため、三木助=人情噺の落語家というイメージが自分の中に出来上がってしまっていた。それを変えてくれたのが、この左甚五郎を主人公にした「三井の大黒」であり「ねずみ」である。

「三井の大黒」は江戸に出てきた左甚五郎が、ひょんなことから江戸の大工の棟梁政五郎の世話になる噺だ。自分が左甚五郎だと名乗る機会を逸してしまった甚五郎は政五郎の弟子が名付けた「ぽんしゅう」というあだ名で呼ばれることになる。ほとんど仕事に出ない甚五郎に、政五郎は彫刻の仕事を手間賃取りにやってみねえかと水を向ける。三井から大黒を作ってくれと頼まれていたのを思い出した甚五郎は大黒を彫ることに集中し始める。大黒が彫り上がり三井の番頭に手紙を出して受け取りに来てもらい、政五郎にも「ぽんしゅう」が実は左甚五郎であったことが知れるという噺だ。この噺の甚五郎はとぼけた味のある爺さんみたいに描かれている。ノンビリとした口調が妙に耳に残る。

「ねずみ」は仙台の宿屋が舞台だ。「鼠屋」という旅籠(はたご)の客引きをしている子どもに興味を持ち、左甚五郎は「鼠屋」に泊まることになる。ところが蒲団もないし飯もなく、足腰の立たなくなった親父と十二の子どもがやっている貧乏旅籠で、話を聞いてみるとその親父は元は向かいにある「虎屋」という旅籠の主だったのが、後添えと番頭に宿屋を乗っ取られて追い出されたのだという。話を聞いた甚五郎は親父と子どものために板きれでネズミを彫ってやる。このネズミが生きているように動き回ると評判になり、「鼠屋」は千客万来となる。それをくやしがった向かいの「虎屋」は、別の彫刻師に虎を彫らせる。その虎ができると「鼠屋」のネズミがぴたっと動かなくなる。「鼠屋」の親父からの手紙で事情を知った左甚五郎が急いで仙台にやって来るという展開になるのだが、サゲは洒落たサゲなので伏せておきたい。

この「ねずみ」は、ずいぶん昔に聞いて印象に残っていた噺である。三代目桂三木助が演じていることも知らなかった。左甚五郎と十二歳の子どものやりとりがとても良くて、印象に残っていた。つい最近、三木助の「ねずみ」を耳にして、あ、あの噺だとすぐに分かった。もしかすると「竹の水仙」も聞いたことがあるかもしれない。ただ、三木助だったかどうかは分からない。「ねずみ」の噺は神業とも言える技量を持った彫刻師の存在が、噺を成り立たせている。古今亭志ん生の「らくだ」の一部にも左甚五郎をとりあげたくすぐりが出てくる。「左甚五郎の作った蛙だから買えって言われて、まるで生きてるみたいだなあと手を伸ばしたらピョンと跳ねた。本物のトノサマガエルを置いてやがった。」という部分だ。

実在したのかどうかの詮索はだれかにまかせるとして、この左甚五郎を主人公にした「三井の大黒」と「ねずみ」は話の内容も面白いが、それを語る三代目桂三木助の声と間と調子がいい。何度聞いても引き込まれる。三木助の人物造型による左甚五郎がそれくらい印象深いということなのだろう。

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2009年5月12日 (火)

江戸的スローライフのすすめ・その11

景気が悪くなると、宝くじにでも当たらないかなあと期待する。一攫千金の夢である。そうすれば暮らしも楽なんだけど。そういう気持ちは江戸時代の人も同じようで、今の宝くじに相当する「富くじ」が盛んだったようだ。

落語に出てくる富くじは椙森(すぎのもり)神社や湯島天神など神社で開かれたものが多い。目隠しをした役人が、当たり札の入った箱に先に錐のついた棒を突き入れる。箱から出された札は子どもの甲高い声で「松の千五百三十二番」などと読み上げられる。一番富つまり一等ともなると、ざわついていた境内がシーンと静まり返り、みな息をひそめて見守っていたようだ。

富の札は一分金1つで1枚買える。一分金は一両の四分の一。さて現代の金額ではいくらくらいか。法政大学の田中優子教授によると、現代の米を1キロ450円として換算すると金一両は約3万8880円、金一分は9720円になるという。しかし、この計算でいくと銭一文が約6円となり、そばの値段の十六文が96円にしかならない。これは安すぎるのではないか。

そこで田中教授は視点を変えて、そば十六文の金額で考えることにした。現代のかけそばを安く見積もっても300円と計算すると、銭一文は18円。米を基準にした計算の3倍になる。そうすると金一両は11万6640円、金一分は2万9160円ということになる。この辺が妥当な線ではないかという。

これからすると、富の札一枚は約3万円である。おお、結構高い。現代の宝くじ100枚分ではないか。一番富=一等を当てると一千両もらえる。1億1664万円だから、今の宝くじの一等賞金とそれほど違わない。

せっかく一番富を当てても、肝心の富の札を無くしてしまうと賞金がもらえない。落語の「富久」に登場する幇間(たいこもち)の久蔵は、なけなしの一分をはたいて買った富の札を神棚の中に入れておく。ところが火事のお手伝いに芝の旦那の所にいっている間に、久蔵の長屋でも火事があり全焼してしまう。その後、椙森神社で一番富に当たって有頂天になるが、いざお金を受け取ろうとするときに札がない。だめだよ、札がなきゃ。そう言われてしまう。落胆した久蔵がとぼとぼ帰る途中、鳶の頭に出会う。「よお、久さんじゃないか」「あ、頭(かしら)」「お前さんとこの大神宮さまの御宮(神棚)を預かってるぜ、取りに来な」という話になり、めでたく賞金を手にすることになる。

この「富久」や「御慶(ぎょけい)」などでもそうだが、一番富を当てた人に対してすぐにもらって帰るか二ヶ月ほど待つか確認する。二ヶ月ほど待ってから受け取ると満額の一千両。その前だと二百両引かれて八百両。それでも9千万円以上だから、お金に窮している人々は、すぐもらいますということが多かったのだろう。

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2009年4月29日 (水)

江戸的スローライフのすすめ・その10

酒の上でのしくじりでとんでもないことになってしまうのは、今も昔も変わりない。落語には酒でしくじった人物や禁酒の話がかなり多い。

酒でのしくじりが直接のテーマではないが、たとえば「富久」では酒癖の悪さでご贔屓(ひいき)の旦那から出入り止めにされた久蔵という幇間(たいこもち)が主人公だ。芝の久保町辺りが火事だと聞いて浅草から駆けつける。火事はすぐに収まり久蔵は出入りを許されるのだが、火事見舞いに届けられた酒を一人で飲み続け気持ちよくなってしまう。その後同じ晩に今度は浅草が火事になり、久蔵の住んでいた長屋が焼け落ちるという展開となる。

また「親子酒」という噺では、酒を飲むとろくなことがないから酒を飲むのはやめな、そのかわりオレも酒はやめたと息子に言っていた旦那が寒い晩に飲みたくなって一杯やってしまう。息子が得意先回りから帰ってきたと聞いてあわてて酔いを醒まそうとするが、実は息子も得意先でお酒をしこたまごちそうになって帰ってきた。息子はヘベレケの状態で事情を説明するが、旦那は「なぜお前はそう意志が弱いんだ。そんなことじゃ身代は譲れないよ」と叱る。すると息子が「あたしだってこんなぐるぐる回る家はいりません」というオチ。

しかし、酒の噺で一番印象に残るのは「禁酒番屋」だろう。十代目桂文治と五代目柳家小さんの演じたものをそれぞれ聞いたことがあるのだが、こういう噺である。

ある藩で月見の宴の時に、ささいなことから口論となった藩士どうしが刀を抜いての斬り合いとなり一方が斬られてしまう。斬った方は、酔いが醒めてから事の重大さに青くなり、ご主君に申し訳が立たないと腹を切る。一度に家臣を二人失った殿様は、「余も飲まぬから皆のものも酒を飲んではいかん」と禁令を出す。当初は皆おとなしく禁令に従っていたが、日が経つうちに外で飲んでヘベレケになって藩邸に戻ってくる者が出るようになる。また何か大事が起きる前にと重役たちは相談して御屋敷の御門のところに番屋を建て、出入りの者を厳しく改める。

これに困ったのが御家中きっての大酒飲みの近藤某。久々に酒屋の店先に顔を出すと五合枡で二杯、合わせて一升の酒をたちどころに飲み干し、夕刻までに自分の小屋に一升届けろと命じる。酒屋の番頭は困り切るが、知恵の働く店の小僧が菓子屋の半纏(はんてん)を借りてきて五合徳利二本のはいった箱を菓子折と称して通り抜けようとする。番屋の番の者たちは、家中きっての酒飲みの近藤が菓子とはといぶかるが、ご進物だという説明にそれならと許可する。せっかくうまくいきかけたのに、酒屋の小僧がうっかり「どっこいしょ」と言いながら箱を持ち上げたため、結局中身が酒だとばれて「この偽(いつわ)り者め」とすっかり番の侍たちに飲まれてしまう。

この後、油屋の恰好で通り抜けようとして失敗しさらに飲まれてしまうのだが、あまりに悔しいので仕返しをしようと今度は徳利に小便をつめて向かう。「何を持参いたした」「小便でございます」「近藤氏が、小便を注文したと?何にする?」「松の肥やしに…」「バカを言え、出せい」となって、改められるのだがご想像の結末となり、「かようなものを持参しおって…」「ですから、小便と申し上げましたが」「ええい、ここな正直者め」というサゲになる。

二本差しのお侍をぎゃふんと言わせる町人の知恵がさえている噺なのだが、近藤某も番屋の番の者も皆、結局は酒好きの懲りない面々というところが笑える。

そういえばある小咄にこんなのもあった。酒好きが酒を手に入れた夢を見るのだがお燗をして飲もうという寸前に目が覚める。目が覚めて一言、「ああ冷やでもよかった」

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2009年4月16日 (木)

江戸的スローライフのすすめ・その9

前回 に続き詐欺師「左平次」の登場する噺として、「鰻の幇間(たいこ)」を取り上げてみたい。

この噺は幇間(たいこもち)の一八が主役である。昼時で腹が減ってきたが自分の銭で食べるのは幇間の法にないよとばかり、知り合いの芸者の姐さんにごちそうしてもらおうと尋ねるが、あいにく留守でせっかくエサに持参した手土産まで取られてしまう。これはかなわないと、往来でだれか知り合いが来ないかウロウロする。そこへ見覚えのある顔が表れる。ところが一八は名前を思い出せない。だれだっけなあ、とあせっているうちに向こうが近づいてきて「どうした、師匠?」と声を掛けられる。

この声を掛けた男こそ「左平次」だろうと私は思う。「陽気な小悪党」の左平次からすると少しキャラクターが暗いようにも思うが、それは主役ではなく脇だからということと、だます相手が口先のヨイショで生きている幇間であるということによる。つまり詐欺師の左平次から見れば、舌先三寸でだれかを持ち上げて飯のタネにしようという幇間は同業者みたいなものである。しかも「居残り左平次」や「付き馬」の場合と違って遊郭の店の払いを踏み倒そうという大がかりな詐欺ではない。

一八は先手を取られてうろたえながらも幇間の職業的反応で男にヨイショして取り入ろうとする。男は「うなぎを食おうか」と一八を誘う。この時点でだまそうという肚はできている。一八は昼飯にありつけると単純に喜び何の疑いも持っていない。近くのうなぎ屋にあがるが、どうもパッとしない店だ。客が少ないのか二階に上がるとメンコをしていた子どもが急いでおりていく。この間、男はなじみの店だからちょいと話があると下に残り、何やら店の者と話し込む。二階へ上がってきた男は一八と酒のやりとりをするが、頃合いを見計らって「はばかり(トイレ)へ行って来る」と下へ降りる。ひとり残された幇間の一八はこのときとばかり手酌でどんどん酒を飲む。ところがしばらく経っても男が戻ってこない。

うなぎを持って上がってきた店の女中に「あの、ちょいと旦那を迎えに行ってきておくれ。はばかりに行って長えじゃねえか」と言うと、「あの浴衣を着たお方は帰られました」と言う。まだ一八はだまされたことに気付かない。「ああ、なるほど。あの旦那はおなじみさんで、あいつにうんと食わしてやってくれよ、そばにいると食いにくいからってんで先に帰ったんだね」とのんきに都合のいい方に解釈している。その上、おひねりか何か紙に包んで帳場に置いてったはずだからもらってきておくれと告げる。

ところが女中が持ってきたのは勘定書である。どうやらだまされて自分が勘定を払わなければならないと分かった一八は、うなぎ屋に散々ケチを付けて腹立たしい気持ちを解消しようとする。うなぎの分はしょうがないとあきらめの境地もあるのだろう。が、ここで一八の災難は終わらない。男は土産の折詰代も一八にかぶせていた。踏んだり蹴ったりである。もうこんな店は早いとこおさらばするに限る、下駄を出しておくれ下駄をと下足番に告げると「下駄はお供さんが履いていきました」「じゃあお供さんの草履があるだろう」「へぇ、草履は紙に包んで持ってきました」という結末。

徹底してむしり取られてしまったわけである。短い時間にさっとだましてパッと消えてしまった鮮やかな手口はどう考えても左平次であろう。しかし「付き馬」の場合もそうだが、だます手口はその場その場の思いつきだという感じがする。左平次という詐欺師は、じっくり考えて計画的にだますのではなく、臨機応変にその時と場の状況次第で作戦を即座に立てていくアドリブ型の詐欺師である。言ってみれば成り行きまかせなのだ。左平次は確かに詐欺師という悪人である。だが、なぜか左平次のありようには気になるものがある。「人生成り行き」という立川談志の言葉ではないが、人の生き方の根本には計画やら何やら思い通りには運ばない成り行きまかせの部分もある。その成り行きまかせで生きている軽さみたいなものが、悪党ではあるのだが、左平次をどこか気になる存在と感じさせるのかもしれない。

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2009年4月11日 (土)

江戸的スローライフのすすめ・その8

今年のはじめに立川談志の「居残り左平次」を聴いて以来、左平次の存在が頭から離れない。

いつも引用する中野翠さんの「今夜も落語で眠りたい」(文春新書)で、中野さんは前回紹介した「真田小僧」の金坊を取り上げてこう書いている。「私は思う。金坊は『雛鍔』の子と同一人物ね、そして落語界最大のトリックスター居残り左平次の幼い日の姿ね。きっとそうだ。」私もそうだと思う。

左平次という名前が出てくる落語は「居残り左平次」しかないが、左平次だろうと思われる詐欺師が登場する噺は他にもある。「付き馬」と「鰻の幇間(たいこ)」である。これらの落語に登場する人物は固有名を持たないものの、どう考えても左平次だろうとしか思われない鮮やかなだましっぷりを見せる。

「付き馬」は吉原が舞台である。ある店の若い衆が一人の男に声を掛ける。男は遊んでいきたいが金を持っていないという。金を持ってないってあなた吉原に来るのに金を持ってないってことはないでしょと若い衆が言うと、実は小金をためて金貸しをしている叔母がいるのだが、その叔母から頼まれてあるお店に貸した金を返してもらいにきたのだと男は言う。それじゃあその叔母さんのお金で遊んでいきませんかという話になり、回収するのは明日ということにして男は店に上がる。芸者や幇間(たいこもち)も呼んでどんちゃん騒いだ翌朝、勘定書を持ってきた若い衆に金の回収先の店に一筆書いてもいいんだが、あいにく印を忘れてきたからいっしょに来てくれと外へ連れ出す。なんやかやと口実を設けてうまく浅草まで引っぱり出し煙に巻こうとするが、若い衆もさすがに怒る。冗談じゃありませんよ、ここは浅草の雷門じゃありませんか。まあまあ君ねえそう怒っちゃいやだよ、こっちだっていろいろ考えてんだ。と言うと?それがね、この先におじさんちがあるからそこでこしらえてもらおうかと思ってんだよ。

若い衆を連れて男はある早桶屋(棺桶を作る葬儀屋)の近くまで来る。君ね、ちょっとここで待ってておくれ、おじさんに頼んでくるから。こう言い置いて男は早桶屋の親父に「おじさん、おじさん」と大きな声でなれなれしく近づき、向こうにいる若い男の兄貴が腫れの病で死んでしまい並みの棺桶じゃあ間に合わない、ここは図抜け一番小判型の大きな棺をこしらえちゃあいただけませんかと話す。早桶屋が承諾すると「こしらえていただける、ありがとうございます」と若い衆に聞こえるように大声を出してから男は元の場所へ戻ってくる。若い衆を早桶屋の親父に引き合わせて「おじさん、おじさん、出来ましたらこの男に渡してやって下さい。で、君ね、出来たらおじさんから受け取ってね。あたしゃちょっと煙草買いに行ってくるから」と雲隠れしてしまう。ここから先の若い衆と早桶屋のおやじのやりとりはアンジャッシュの漫才みたいにずれた会話が続いて笑えるのだが、最後にはどちらも男にだまされていたことに気がつくという結末。

このだました男はどう考えても左平次である。話術の巧みさ、相手を信じ込ませる詐術のうまさ、どう見ても根っからの詐欺師の仕業としか言いようがない。ちなみに「付き馬」とは、勘定が足りない客の家までついていって受け取ってくる人のこと。もともとは吉原の大門の所で客待ちをしていた馬子さんに頼んだのが始めで、回収するのが若い衆になっても「馬」と呼ばれたようだ。

例によって長くなりそうなので、「鰻の幇間」の方は次回。

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