江戸的スローライフのすすめ

2013年10月20日 (日)

江戸的スローライフのすすめ・その41

『花見の仇討』は、以前記事にしたことがあるので、そちら をごらんいただければと思う。花見の趣向のつもりが、本物の仇討と間違えられて困ってしまうという噺で、なかなかおもしろい噺だ。

もう一つの『高田馬場』も、本物の仇討ではない。

浅草の観音様で、人出を見込んだ物売りがいろいろ出ている。中にガマの膏薬売りが、例の口上とともに一枚が二枚、二枚が四枚と切り傷によく効く薬を売っている。そこへ老齢のお武家が、古い刀傷にも効くかと訊ねる。どのような傷か拝見しましょう。ほれ、この通り背中から刺された突き傷じゃ。

するとガマの膏薬売りが、パッと飛び離れ、姉上、父の仇でございます。やっとめぐり会いましたぞ、と声をかける。姉という女性も現れて、こうしてガマの膏薬売りに身をやつしているのは、どこかで仇にめぐり会えるかと思ってのこと。ここで会ったが百年目、いざ尋常に勝負、勝負。

こう言われて老いたお武家は、いかにもそなたらの親の仇はこのワシじゃ。そなたらの父親を斬り殺した後、逃げる背中にご妻女から刀を投げつけられ、その時の傷がこれよ。しかし、往来で仇討ではいろいろと迷惑がかかる。明日、高田馬場で果たし合いということでどうじゃ。

仇討だということで黒山の人だかりができていたが、明日高田馬場へと日延べすると聞いて散り散りになる。

さてその翌日、高田馬場では仇討があるというので大勢の人が見物に集まってくる。人出をあてこんで物売りが屋台を構える。ところがいくら待っても仇討の姉弟も老いた侍も現れない。刻限が過ぎても仇討が始まらないので、見物もあきらめて三々五々と散っていく。

その見物人の一人が、ある居酒屋で仇討の老侍を見かける。あれ、お武家さん、今日仇討で高田馬場へ行くんじゃなかったんですかい。ああ、あれはウソじゃ。あの姉弟はワシの娘と息子で、ひと芝居したのじゃよ。なんでまた、そんなことを。なに、見物で人出があれば商売になった連中も多いことじゃろう。ワシは頼まれてひと芝居うつ「仇討屋」なのじゃよ。

実際にそういう商売があったのかどうかは分からないが、人寄せ商売と考えれば、案外需要はあったのかもしれない。いずれにしても落語に出てくる仇討には、シリアスなものは少ないようだ。

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2013年10月19日 (土)

江戸的スローライフのすすめ・その40

寒くなってくると鍋物がいいなと思うように、落語が聞きたくなってくる。どちらもほっこりと温まるような気がするからかもしれない。『二番煎じ』などは、鍋が主役の噺で、鍋と落語がいっしょに楽しめる。冬の噺の定番かもしれない。

そういう季節感に沿った噺を選んでみようかと思ったが、冬はともかく、秋と限定される噺が浮かんでこない。ありそうで、なかなか思いつかない。『柳田格之進』の中に、萬屋源兵衛宅で月見をするので柳田様もいかがでしょうと誘いが来る場面ぐらいしか出てこない。あるいは上方落語の『豆狸(まめだ)』の終盤、散り敷いた銀杏の葉が、風に吹かれてさあっと豆狸の死骸を覆う場面などだろうか。

同じように、ありそうで少ないのが仇討物。『宿屋の仇討』『高田馬場』『花見の仇討』いずれも本当の仇討ではないところが落語らしい。

まずは『宿屋の仇討』から。ある宿屋に一人旅のお武家様が泊まる。このお武家さん、前夜に小田原の宿で狭い部屋に相部屋で寝かされ、有象無象といっしょでよく眠れなかったから、静かな部屋を頼むと客引きに伝える。ところが、後からにぎやかな江戸っ子の三人連れが、その隣の部屋にやってくる。

お武家さんからたびたび苦情があり、その都度、江戸っ子三人組は静かになる。しかし、床に入ってからも三人で四方山話をしているうちに、話が盛り上がってしまう。

三人の中の一人、源兵衛という男が、その昔ふたり人を殺(あや)めたことがあると語り出す。さるお武家様の奥方に口説かれて、お屋敷で酒をごちそうになっている時に、屋敷の主の弟が「不義とは不届き」と乗り込んできて、あやうく斬られそうになった。縁の石に足を取られて相手がこけたところを幸いとばかり、刀を奪って突き殺してしまった。

奥方は一緒に連れて逃げてくれと言う。あるだけ持って逃げましょう、と金を取りに奥に入った後ろからつけていって、この奥方もブスリと殺しちまった。女連れでは足手まといになると思ったからだが、どうでぇ、こんなすごい話は聞いたことがねぇだろう、と源兵衛は自慢する。聞いていた二人はやんややんやと喝采を送る。

すると隣のお武家さんが宿の者を呼びつける。実は拙者、妻と弟の仇をたずねて旅をしておる。幸いこの宿でその仇にめぐり会うた。この場ですぐに仇討成敗してもよいが、それでは宿にも迷惑がかかる。明朝、宿はずれにて出会い仇とするから、その男と仲間二人を縛り上げておけ。逃がした場合は宿の者をみな血祭りに上げるから、そのつもりでおれ。

さあ大変。あわてて宿の者たちが江戸っ子三人を縛り上げる。源兵衛は、あの話はどこかの居酒屋で聞きかじった話を自慢話に変えたもので、おれのことじゃない。ウソだから勘弁してくれと泣き言を言うが、宿の者は聞き入れない。

翌朝、気持ちよく目覚めたお武家さんは、世話になったと宿を出ようとする。驚いた宿の者が、縛り上げた三人をどうしましょうと訊ねる。するとお武家さんは、ああ、あれはウソじゃ。ワシには妻も弟もおらぬ。拍子抜けした宿の者が、どうしてあのようなことをおっしゃったのですかと言うと、なに、ああでも言わねばワシが寝られんじゃろう。これでサゲとなる噺である。

源兵衛の自慢話もデタラメだったが、お武家さんの仇討話もでまかせという応酬がおもしろい。長くなったので、残りは次回。

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2013年2月 4日 (月)

江戸的スローライフのすすめ・その39

前回に続き、囲碁が中心となる噺をとりあげてみたい。

まず「笠碁」。この噺に出てくるのはお店の主人二人で、普段から仲がよく碁の腕前もチョボチョボのへぼ同士。いわゆる「碁敵」という間柄。

あるとき一方の主人が「どうです、待ったなしで打ってみませんか」と持ちかけると、相手の方も「望むところだ。待ったなしで打ったって負けるものじゃぁない。やりましょう」と受ける。それからいつものように碁が始まるのだが、これまたいつもの癖で「ちょっと待ってくださいよ、これはやっぱりこっちのほうじゃなきゃ…」と待ったが始まる。

「あなた、それじゃぁ、いつもと変わらないじゃないですか。待ったなしにしたんだから、待てませんよ」と相手が不満を口にする。「じゃぁ、言わせてもらいますがねぇ、お前さんが三年前の暮れの二十八日にどうしてもお金が必要だから貸してもらえないかと借りたことがあったね」「なんだい藪から棒に」「その後お前さんのとこも商売の都合があるだろうから、ときどき返すのが遅れて待ってくれないかと頼みこんできたときに、あたしが待たなかったことがありますか」このささいな行き違いがもとで喧嘩になり、誰がこんな家に来るもんか、と相手は捨てぜりふを吐いて帰ってしまう。

さて、それからしばらくはあんな奴の顔も見たくないと言っていたのが、だんだん手持ちぶさたになり、雨が降る日に「こんな日には碁でも打ってると気が紛れるんだが…、来ないだろうなぁ」と主人がつぶやく。一方、相手の方も様子が気になってしょうがない。煙草入れを忘れたから取りに行ってくると口実を作り、富士山に登ったときの笠を頭にかぶってこっそりとやってくる。

来ないかと待ち受けていた主人の方は、物陰から様子をうかがっている相手に気が付き、店先に碁盤を持ち出す。なかなか入ってこられず店先を行ったり来たりしている相手に、じれったくなった主人がとうとう声をかける。「おぅ、あんまり店先をウロウロしてもらいたくないね」「煙草入れを…忘れたもんだからね…、こんなへぼの家に置いといたんじゃ煙草入れがへぼになると思って取りに来た」「煙草入れがへぼになる、だとぉ。へぼかどうか一つ勝負しようじゃないか」というわけで、お互い強情を張っていたのが一気にうち解けて元の通り仲良く碁を打ち始めるという噺。

十代目金原亭馬生さんの噺がしみじみとしていて実にいいと思う。父親の五代目古今亭志ん生師匠には、碁を将棋に変えた「雨の将棋」という噺があり、これもおもしろい。囲碁・将棋というのは同じくらいの腕前の相手が一番たのしいんだろうなぁ。そんなふうに思ってしまう噺である。

もう一つは「碁泥」。これも大店の主同士。好きな碁を打ち始めると夢中になって他のことが目に入らなくなる。碁を打ちながらどちらも煙管で一服するのだが、畳に火玉が飛んで穴焦げになっても気がつかない。奥さんから座敷で碁は厳禁です、と言い渡され、さてどうしたものかと二人で相談を始める。

いいことを思いつきました。こういうのはどうでしょう。庭の池があるでしょ。その中に入って二人で碁盤を首から吊して打ちませんか。これならいくら煙管で煙草をやっても穴焦げはできないでしょ。でも、碁石はどこに置くんだい?腰にびくをさげてそこに入れておけばいいでしょう。でも、足が冷たくなるよ。少しくらいガマンしなきゃ、あなた。

結局、囲碁を打つ部屋と煙草を吸う部屋を分けましょうということになった。しかし、いざ碁が始まると、考えながらどうしても煙草が吸いたくなり「おーい、煙草盆を持って来ておくれ」ということになる。奥さんは女中に、灰の中にカラスウリの頭だけちょっと見えるようにして埋めて持っていきなさい、どうせ碁に夢中でわかりゃしないから、と言う。

そうして火の心配もなくなったからと奥さんと女中は奥に引っ込んでしまう。座敷では二人が夢中になって碁を打ち続ける。そこへ泥棒が入り込むのだが、この泥棒、三度の飯より囲碁が好き。めぼしいものを物色してそのまま外に出ればいいものを、奥の方からパチリパチリと碁を打つ音が聞こえてくると、たまらなくなる。

座敷に近づいて碁をのぞき込むが、夢中になっている二人には気がつかない。そのうち脇から見ていた泥棒が口をはさむようになる。店の主が不思議に思って「お前さん、誰だい」と訊ねると「泥棒です」と正直な答え。「そうかい、泥棒さん、よく来たねぇ」という主の科白でサゲとなる。

あまり演じられることのない噺かもしれないが、のんびりとした面白さがある噺だと思う。

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2013年1月27日 (日)

江戸的スローライフのすすめ・その38

若い頃に覚えておけばよかったと後悔しているものが一つある。囲碁だ。将棋もからきしダメだが、囲碁はまったく分からない。年老いてからの楽しみのためにも覚えておくべきだったと残念だ。もちろん今から覚えるということでもよいのだが、どうも物おぼえが悪くなって、すっかりのみ込めるまで相当な時間がかかりそうだ。

落語の中にも囲碁の出てくる噺は多い。しかも囲碁が重要な役割を果たしているものもある。

まず碁が噺の中心ではないけれど重要な発端になっているのは「文七元結(もっとい)」である。鼈甲問屋に奉公する文七が小梅の水戸様の御屋敷へ集金にあがり、家中のお侍さんが打っている碁をのぞき込み、お前も一番やってみるかと誘われる。根が好きでたまらない方なので夢中になって打ち始める。

ところが、あ、こんな時間だと席を立つときに、うっかり集金の五十両を碁盤の下に忘れてしまう。店に帰る途中、目つきのよくない男とすれ違い、ああいう手合いに人のフトコロをねらう輩が多いから気をつけなければと集金の五十両を確かめると財布がない。しまった、やられた。

このままでは店の御主人に申し訳が立たない。いっそのこと大川に飛び込んでおわびしよう。そう決めて吾妻橋の欄干に手をかけたところで、たまたま通りかかった左官の長兵衛という男に後ろから抱きかかえられて身投げを止められる。ここから噺は本筋となるのだが、今回は碁に関連した部分だけにしようと思うので、紹介はここまで。三代目古今亭志ん朝さんの「文七元結」は1時間くらいの口演だが、ちっとも長く感じない。明治の名人三遊亭圓朝作の人情噺の中でも傑作の一つだと思う。

その次は、これも長い噺であるが「柳田格之進」。以前、このスローライフのシリーズで取り上げたことがあるので、詳しい噺の筋はこちら で。

この噺では発端から結末まで囲碁が中心的な役割を果たす。浪人している柳田格之進が質両替商萬屋の主人源兵衛と碁会所で知り合いになる。ちょうどよい腕の相手であり気も合うので、主人の方が自分の家で打ってはどうかと柳田を誘う。

こうして柳田は大事な碁の相手として萬屋へしばしば足を運ぶようになるのだが、あるとき囲碁の途中で番頭が主人へ水戸様からいただきましたと五十両を持ってくる。主人は碁に夢中なまま上の空で受け取る。碁が終わり柳田が帰った後で番頭にさきほどの五十両はどちらの帳面につけておいたらよいでしょうかと訊かれ、主人はいぶかる。五十両受け取ったような気もするが、はて手元にないのはなぜだろう。柳田様が持っていかれたのではありませんか。日頃から浪人者の柳田が主人の所へ足繁く通ってくるのを快く思っていない番頭が、ここぞとばかりに柳田を疑う。主人の源兵衛は柳田様がそんなことをなさるはずがない。よしんば持っていかれたにしても、それは何か急な御入り用があってのことだ。私は構わないからうっちゃっておきなさい。

主人からそう言われたものの、うっちゃっておけない番頭が柳田の長屋を訪れて、五十両なくなったから柳田様に疑いがかかりますがどうしましょうと言う。このやりとりを聞いていた柳田の娘おきぬが吉原に身売りして五十両をこしらえ、父親を助けることになる。

それから噺は数年後へ飛ぶ。柳田は藩に帰参がかない、江戸留守居役を仰せつかる。ある年の正月、ひょんなことから萬屋の番頭とばったり出会い、例の五十両が見つかったことを知らされる。暮れの大掃除のときに、座敷の額の裏に置かれていた五十両包みを丁稚が見つけたのである。

万が一、五十両が見つかったらこの首をさし上げます。なんだったら主人の源兵衛の首も添えましょうと番頭が大見得を切っていたことから、その翌日萬屋へ柳田格之進が現れ、二人を前に刀を抜く。しかし、互いをかばい合う主人と番頭の姿に心を打たれ、二人を斬らず床の間に置かれていた碁盤を一刀両断にするという結末となる。

この噺は碁に始まり碁で終わる典型だと思うが、以前の記事で書いたように古今亭志ん朝さんのサゲは父親の古今亭志ん生師匠と同じで、この後柳田格之進の娘きぬを身請けし番頭と一緒になるという形である。どうも無理があると思っていたら、立川志の輔さんの演じた「柳田格之進」」では娘のきぬとともに萬屋を訪れている。つまりとうの昔に身請けされているのであり、番頭との婚姻もない。こちらの方が噺の展開に無理がない。

本来の「柳田格之進」の噺は、志の輔さんの演じた形だったのではないかと思う。では、なぜ志ん生師匠や志ん朝さんの演じたようなサゲが生まれたのか。これは仮説であるが、もしかすると先に紹介した「文七元結」と噺が混線したのではなかろうか。ポイントは三つある。一つは水戸様からの五十両。二つ目が囲碁の出てくる噺である点。三つ目が親孝行な娘の身売りと最終部分での身請け。これが何か同じ噺のような印象を与えたのではなかろうか。そこから混同が起こり、サゲとしては無理のある形で伝わってしまったのではないか。確証はないのだが、そういう気がする。

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2013年1月11日 (金)

江戸的スローライフのすすめ・その37

さらに『らくだ』の続きだが、大家が持ってきた酒を兄貴分は飲み始める。くず屋にも飲めと勧める。ところがこのくず屋、酒癖が悪く、酔いが回ると兄貴分の男にさんざんからんで毒づくようになる。立場がすっかり入れ替わってしまうおかしさがたまらない。

たしか志ん生師匠の演じたものでは、煮しめを肴に飲んでいたくず屋が、こんなもんで酒が飲めるか。魚屋に行ってマグロでも買ってこいと「らくだ」の兄貴分の男に命じる。四の五のぬかしたら、死人にカンカンノウを踊らせると言ってやれ。これでサゲになる。

同じ志ん生の別席の噺では、さらに続きがある。おそらくはこちらが本来の形だろう。

さんざん飲んで深夜になってから二人で焼き場に「らくだ」を運ぶことになる。菜漬の樽に納まった「らくだ」を酔っ払ったくず屋と兄貴分でフラフラしながらかついでいく。

ところが焼き場に着くとホトケさんがいない。フラフラ来る途中、どこかで樽をぶつけてタガがゆるみ底が抜けてしまったのだ。こいつはうっかりしてた、と元来た道を引き返してみると、道端に物乞いの男が寝ている。くず屋と兄貴分は「らくだ」の死骸だと思い込んで樽に押し込み焼き場へ運ぶ。

いざ火が焚かれ始めると、眠りこけていた物乞いの男も目を覚まして驚く。実はこの男、夢の中で酒にありつき燗をして待っているところであった。というわけで、「ああ冷やでもよかった」という物乞いのセリフでサゲになる。

志ん生師匠が演じた後の方の噺は、一時間近くかかるものだったはずだ。前半のカンカンノウと後半のくず屋の豹変ぶりがおかしくて笑える噺である。

さて、『らくだ』の噺では通夜の時に、大家に酒と煮しめを用意させている。長屋の月番が触れて回るというあたりも、なるほどと思う。葬儀屋さんに一括して任せてしまう現代と違い、通夜から葬儀まで互助的な形で行われていたようだ。今でも地方によってはそのようなしきたりの残っている所も多いと思う。私が住む所でも自宅で通夜を行う場合は、近所が手伝いに集まる。

ホトケさんの早桶を二人でかつぐという噺は、他にも出てくる。実際にかつぐのは『猫怪談』という噺で、死んだ父親を与太郎ともう一人でかついでいくと、『らくだ』の噺とおなじようにタガがゆるんで途中で桶がこわれてしまう。タガを直せる早桶屋を呼びに相方が行ってしまった後、与太郎一人で番をしていると、猫が悪さをして桶の中の父親を立ち上がらせたりするという怪談噺。

もう一つは『長屋の花見』で、お茶の入った酒樽をかついだ二人が、おめぇとおれとでよくかつぐことになるなあ。この間も海苔屋の婆さんが死んだときにかついだよな。二度あることは三度と言うから、次は大家さんの時じゃねぇか、というやり取りに出てくる。

身近なところで死に触れる機会も多かったのだろうし、一人では大変だったであろう弔いのあれこれを、長屋の連中が助け合いで受け持ってくれたのだと思う。死に接する機会が減ってしまった現代から見ると、濃い人間関係がそこにはあるように思える。

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2013年1月10日 (木)

江戸的スローライフのすすめ・その36

前回『黄金餅』を取り上げたときに、現代とは異なる葬儀のことについて少し触れた。棺桶が今のような箱形ではなく、早桶と呼ばれる文字通り丸い桶だったという話をした。

もう少し具体的な葬儀の場面はなかっただろうか。すぐに思い出したのは『らくだ』という噺である。死人にカンカンノウ(どういう文字を当てるのか不明)を踊らせるという落語ファンにはおなじみの噺である。この噺は全編これ弔いの噺なので、真っ先に浮かんできたのかもしれない。噺の内容を追いながら、長屋の葬式風景を見てみよう。

「らくだ」というあだ名の暴れ者がある長屋に住んでいた。この「らくだ」の兄貴分で、向こう傷の熊という、これもカタギの人間ではない男が長屋を訪ねてくる。声をかけても返事がないので、「上がるぜ」と言いながら「らくだ」の長屋に入る。見ると「らくだ」がノビている。台所には自分でさばいたらしいフグの残り。ははぁ、さてはフグにあたっておっ死んだな。あれほどフグはあぶねぇからやめとけと言っておいたのに。

と、そこへくず屋の久造という男が「くずぅい、お払い」と声を上げて入ってくる。兄貴分の男は、いいところに来たとばかりにくず屋を呼び止める。思わず返事をしたくず屋は、しまったと思う。「らくだ」の所で以前ひどい目にあわされて懲りていたのである。返事をした以上しょうがないとのぞいてみると「らくだ」が寝ているのが目に入る。

よく寝てますね。ああ、ずっと起きねぇだろうよ。へっ、ということは…。フグにあたって死んじめぇやがったのよ。それはご愁傷さまで。なあ、くず屋、おめぇこの長屋の月番を知ってるか。

そう言って兄貴分の熊という男がくず屋に命じたのは、「らくだ」の通夜をするから月番が長屋の連中から香典を集めてこいというもの。そいつは無理ですよ、とくず屋はことわろうとするが、やさしく言っているうちに行ってきなと男はすごむ。

くず屋が「らくだ」の死んだことを長屋の月番に知らせると、あの厄介者がとうとう死んだかと月番は喜び、ご祝儀代わりに香典を集めてやるよと請け合ってくれる。

やれやれとホッとして「らくだ」の所にもどると、今度は大家の所へ行ってこいと男が命じる。大家さんはお忙しいでしょうから通夜においでいただかなくても結構ですが、いい酒を三升と煮しめを少々届けてもらいたいと伝えてこい。

そりゃあ無理ですよ。ここの大家はケチで有名な人ですから。そうか…、じゃあ、こう言え。それがダメなら死人の行き所に困っているんで、大家さんの所で死人にカンカンノウを踊らせやしょう、とな。

無理です、ムリですと言いながら、くず屋は大家をたずねる。予想通り大家は断る。「らくだ」に家賃を払ってもらったことが一度もないし、催促に行ったらあやうく殺されかけた。何でそんなヤツのために酒や煮しめなぞ用意できるか。じゃあ、カンカンノウですよ。何だ、カンカンノウってぇのは。何?死人にカンカンノウを踊らせるだと。婆さんや、あたしゃこの歳になるまで死人がカンカンノウを踊るのは見たことがない。長生きはするもんだ。おもしろい。見せてもらおうじゃないか。

スゴスゴと戻ったくず屋に、兄貴分の熊は、よし分かった、お前むこうを向けと言う。言われたとおりにすると、兄貴分はくず屋に死んだ「らくだ」を背負わせる。ヒィとなるが、兄貴分におどされてくず屋は大家の所で「らくだ」にカンカンノウを踊らせる。腰を抜かしかけた大家は、分かった分かった、言われた通りにするから「らくだ」を連れ帰ってくれと懇願することになる。

この後、八百屋の所に行って早桶代わりに菜漬の樽をもらってくるのだが、ここでも「カンカンノウ」のおどかしが効く。今、大家さんの所で踊ってきたばかりです。何ぃ、くれてやるから持っていけ。というやり取りが笑える。

例によって長くなるので続きは次回。

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2012年12月 6日 (木)

江戸的スローライフのすすめ・その35

昨日の続きで、『黄金餅』の「言い立て」であるが、こちら のサイトに志ん生師匠と志ん朝師匠の言い立てに加えて立川談志師匠のものを並べた比較が載っている。同じページに地図や参照資料もあるので興味のある方はご覧いただければと思う。

さて、麻布絶口釜無村の木蓮寺に着くと、住職は酒を呑んで酔っぱらっている。酒好きの生臭坊主で、寺の中のめぼしいものはあらかた売り払って何もない。ご本尊も袈裟も何もないので、住職は穴の空いた大きな風呂敷を袈裟代わりに身にまとい、はたきを払子(ほっす)と呼ばれる、棒の先に長い毛のふさふさがついた法具に見立てる。鐘のかわりに欠けた茶碗を置き、抹香が無いから煙草と茶をまぜたものをもくもくと焚いてアホダラ経のようなお経を上げる。

木蓮寺での弔いが終わると金兵衛は、じゃあ、おれが仏さんを焼き場に背負っていくからみんな帰ってくれ、と菜漬の樽を背負い込む。長屋の連中が先に帰ると、金兵衛は木蓮寺の台所に転がっていた錆びた鯵切り包丁をフトコロにねじ込み、一人で焼き場に向かう。

焼き場で腹の所だけ生焼けにしてくれ、などとおかしな注文をつけ、焼き上がるまで新橋の夜明かし屋台へ出かける。明け方焼き場に戻ると仏さんはすっかり骨になっている。骨上げはおれがやるからあっちに行っていろ、と金兵衛は人を追い払う。腹の所は生焼けにしろと言っておいたのにすっかり焼けちまってるじゃねぇかとブツブツ言いながら、鯵切り包丁をブスリと刺すとカチンと当たる音。おお、これこれ。西念の腹の中にあった小金をすっかり取り出し、骨はそのままほったらかし、「骨はいらねぇよ、犬にでもくれてやれ。あばよっ」と姿を消す。

その後、金兵衛はせしめた小金をもとに「黄金餅」という餅屋を始め大層繁盛した、というサゲで噺は終わる。

筋だけ追うと社会面の記事にでもなりそうな陰惨な話であるのだが、これが志ん生師匠や志ん朝師匠の手にかかるとそうはならない。特に志ん生師匠ののんびりした語り口で演じられると、金兵衛という小悪党も熊さんや八っつぁんみたいなおっちょこちょいにしか見えない。有名な「言い立て」の部分を聞きたくて時々思い出したように聞くことが多い噺である。

ちなみに仏さんを納める早桶というのは、円筒形の棺桶のこと。『付き馬』にも早桶屋が登場するが、六代目三遊亭圓生師匠が「どうして菜漬の樽が棺桶代わりになるか、今のみなさんは不思議でしょう。現在のような棺桶は寝棺と言って、一般的になったのは大正時代あたりからで、それまでは丸い早桶が普通でした。ですから同じ桶のような菜漬の樽が早桶の代わりになったわけです」と話していたことがあった。

落語の噺には弔いの場面が出てくるものが多いが、昔の葬儀の様子は現代とは大きく異なるところもあり、なかなか興味深い。機会があればそのうちに取り上げてみたい。

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2012年12月 5日 (水)

江戸的スローライフのすすめ・その34

最近、近所のお年寄りが食べ物を喉に詰まらせて亡くなった。高齢になると咀嚼する力が弱くなるので、なるべく食べ物を小さく切り分けて出さなければならないという。そうしないと喉に詰まることが多いのだそうだ。

その話を聞いていてふと思い出したのが、『黄金餅』という噺である。

この話は筋だけを聞くと陰惨な噺のように響くのだが、五代目古今亭志ん生や息子の三代目古今亭志ん朝の両師匠が演じた噺は、実にあっけらかんとしている。そしてこの噺には落語ファンにはおなじみの「言い立て」と呼ばれる、道順を一気に並べ立てる聞かせどころがある。

こういう噺である。下谷の山崎町に西念という念仏坊主が住んでいた。ケチで有名で、出すものは息でもいやだというくらい徹底している。この西念が病気になるのだが、医者にかかるのも薬をのむのも金がかかるからいらないと言って、ウンウン苦しんでいる。

見かねて長屋の隣りに住む金山寺味噌を商う金兵衛という男が、西念のところへ見舞いに来る。医者にもかからず薬も飲まないと聞いて、「じゃあ何か食いてぇものはないのかい?」と西念に訊ねる。するとあんころ餅を二貫文ほど食べたいと言う。それなら見舞いの品代わりに買ってきてやると金兵衛はあんころ餅を求めに行く。

ところが、せっかく買ってきた餅を西念は食べない。どうしたのかと思っていると「人が見ている所じゃ食べられない」と妙なことを言う。わかったよ、じゃあおれは帰るから、ちゃんと食ってくれよ、と金兵衛は隣りへ戻る。

それでも西念の様子が気になるので壁の節穴からのぞいてみると、西念があんころ餅を前に思案している。それから中のあんこだけ取り出し、かわりに二分金や一分銀を詰め込んでいる。これまでにため込んだ小金を人にとられるのがいやで、餅に詰めてのみ込もういう寸法だ。

ところが、全てのみ込んだところで西念が目を白黒させてばったり倒れてしまう。「おい、西念さん、大丈夫か。西念さん」あわてて隣りの金兵衛は駆け込み、西念の背中を叩くが時すでに遅く、西念は餅をつまらせて息絶えてしまった。

ここで金兵衛の思案が始まる。なんとか西念がのみ込んだ小金を手に入れたいが、トコロテンみたいに上から棒で押せば出てくるというものでもない。何かいい手はないものか。

そこで金兵衛はハタと思いつく。さっそく長屋の大家さんの所へ西念が死んだことを告げに行き、「実は西念さんから、身寄り頼りがないんで、死んだら金兵衛さんの寺に葬ってもらえねえかっていわれてましてね」と話をこしらえる。

長屋の連中もそれぞれ仕事があるんだから、夜が明けてからなんて言わないで、今夜中に弔いをやっつけちまいやしょう。そう言う金兵衛に大家さんは、お前さんの寺は何処だい。へえ、麻布絶口釜無村の木蓮寺ですよ。そいつは遠いなあ…、そいじゃあ、みんな今夜中にかついで行ってもらおうか。と話がまとまる。

貧乏弔いなので早桶が買えず、菜漬の樽に西念の亡骸を入れて、長屋の連中で麻布絶口の木蓮寺を目指す。ここからが有名な「言い立て」となる。志ん生師匠も息子の志ん朝師匠も、よどみなく見事に一気に言い立てる。特に五代目古今亭志ん生師匠の言い立ては、ノンビリしたような独特の間があり、長屋の一行と下谷から麻布までいっしょにつきあって歩いているような気持ちになる。

少し長くなったので、続きは次回。

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2012年6月15日 (金)

江戸的スローライフのすすめ・その33

「百川」は実在する料亭での実話を元にした噺だというが、この噺に出てくる桂庵(民間の職業斡旋所、人材派遣業といったらいいか)の「千束屋(ちづかや)」は別の噺にも登場する。代表的なものは「化物使い」だろう。

人づかいの荒い、一人暮らしのご隠居が本所割下水(わりげすい)に住んでいる。身のまわりの雑用をこなす奉公人を「千束屋」から派遣してもらうのだが、あまりの人づかいの荒さに、大概の者が音を上げて暇をもらいたいと辞めていく。「千束屋へ頼めば、いくらでも代わりが来るんだ」が、この隠居の口癖で、しばらくは入れ替わり立ち替わり奉公人がやってくる。しかし、人づかいの荒さが評判になって、「千束屋」でも「本所のご隠居」と名前が出た途端、誰もが敬遠してしまうようになる。

この本所のご隠居の所へ、わざわざ奉公に行ってみたいという変わった男が現れる。実際、他の奉公人よりはるかに長い期間、雑用をこなし勤めていく。ところが、この本所のご隠居が、化物が出ると噂の物件を安値で手に入れて引っ越すことになる。長年奉公した男は、ご隠居の人づかいの荒さは慣れたから何ともないが、化物は大きらい。化物の出るような所に越すというのなら、お暇をいただきますと辞めてしまう。

「千束屋」から代わりの奉公人を手配してもらおうと思ったが、誰も来手がない。仕方なくご隠居が一人住まいを始めると、噂通り夜な夜な化物が現れる。ご隠居はこれ幸いとばかり、その化物たちをこき使うという噺で、タイトルの「化物使い」はここから来ている。

さて、この噺を聴いた後、記憶に残るものは何か。ご隠居の人づかいの荒さはもちろんだが、そのご隠居の口癖である「千束屋へ頼めば、いくらでも代わりが来るんだ」というひと言も、同じように思い出される。三代目古今亭志ん朝さんの演じた噺では、「千束屋」で奉公先をさがしている人びとの場面もなかなか面白く、印象に残る。

してみると、桂庵の「千束屋」にとってはいい宣伝になる噺だと言える。当時の江戸の桂庵で最も有名だったのが、おそらく葭町(よしちょう)の「千束屋」だったのであろう。呉服商いなら「越後屋」みたいな、業界を代表する店だったのではないか。

日本橋浮世小路の「百川」にしろ、葭町の「千束屋」にしろ、落語の中で名前を出してもらえるような評判の定まった店だったのだろうと思うのだが、こういう形で店の名前を宣伝してもらえることへのスポンサー料というか御祝儀はなかったのだろうか。

噺が高座にかかるたびに出すということになると、これはこれで厄介だ。となれば、寄席に一括して御祝儀として出すか、特にこれらの噺を持ちネタにしている噺家に絞って出すという形などが考えられそうだ。

ただ、実証できるものかどうか皆目見当がつかない。江戸時代のスポンサーシップ全般と、噺家や寄席への御祝儀の実際がどのようなものだったのか詳しい方がいらっしゃれば、教えていただけないものかと思う。

「三井の大黒」に出てくる「越後屋」、「文七元結」に出てくる鼈甲問屋「近江屋」、さらには吉原の大店「佐野槌(さのづち)」(噺によっては「角海老(かどえび)」)。あるいは「品川心中」の舞台「城木屋」。ちょっと思い出しただけでも、具体的な店の名前が幾つか出てくる。特に吉原や品川の妓楼の名は、「廓噺」には欠かせない。

こういった店の落語へのスポンサーシップを研究した書籍など、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報願います。

※なお、以前の「江戸的スローライフのすすめ」をお読みになりたい方は、ブログ左側の「サイト内検索」窓に「江戸的スローライフ」と入力し検索の上、一覧をごらん下さい。

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2012年6月14日 (木)

江戸的スローライフのすすめ・その32

東日本大震災と福島の原発事故以来、落語ネタの記事を書く気になれなかったのだが、久々に「江戸的スローライフ」のシリーズを書いてみたくなった。

新聞の広告で、三代目古今亭志ん朝さんのDVDボックスが発売されると目にした。志ん朝さんが晩年まで毎年のように通っていた大須賀演芸場での口演を収録したものだという。大須賀演芸場での高座については、いつも引用する中野翠さんの『今夜も落語で眠りたい』(文春新書)でも詳しく紹介されている。

「まぼろしの」という形容がつく高座がDVD化されたのかと驚いたが、ボックスセットは高額で手を出せない。それでも手許にある志ん朝さんの噺を急に聴き返してみたくなった。志ん朝さんの噺は、何度聴いても、うまいなあと思わずにいられない。落語の標準形そのものだと言っても過言ではないだろう。妙にくずしたりせず、きちんと演じているのだが、それでいて何とも言えない「華」がある。天性の明るさから来ているものなのだろう。

この志ん朝さんの噺を聴いているうちに、ふと妙な考えが浮かんできた。もしかすると江戸時代の落語には、料亭や大店のスポンサーがついた噺があったのではなかろうか。

なぜ、そのようなことを考えたかというと、「百川」という噺を聴いたときに、古今亭志ん朝さんが、マクラの部分で「実際にあったお話が元になっているそうでございますが」と前置きしていたからだ。実証できる説かどうか分からないが、ともかく考えてみたい。

「百川」という噺は、日本橋浮世小路にあった料亭「百川」が舞台となっている。ここへ葭町(よしちょう)の「千束屋(ちづかや)」という桂庵(民間の職業斡旋所、人材派遣業といったらいいか)から紹介されて、百兵衛さんという人がやってくる。主人が応対に出て、うちは百の川と書いて「百川」という名前だが、百の字がつくお前さんは縁があるかもしれないねと、快く雇ってもらえることになる。

ちょうどその時、二階の座敷席から手を打って人を呼ぶ音がする。ところがあいにく女中たちがみな髪結の途中である。散らし髪のままではお客さんの用を聞きに行けない。困ったなあと主人が言いながら、ふと百兵衛さんに目を留める。そうだ、お前さん来た早々用事を言いつけてすまないが、二階のお客様の用を聞いてきてもらえないだろうか。河岸(魚河岸)の若い衆で気が短い連中だから言葉遣いに気をつけるんだよ。こう教えられて百兵衛さんは二階へ上がる。

河岸の若い衆は、さっきから呼んでいるのに誰も来やしねえ、と悪態をついている。そこへ百兵衛さんが顔を出す。ところが、あいにくこの百兵衛さん、在郷から出てきたばかりで、生まれ在所の言葉しか話せない。河岸の若い衆は何を言っているのかまったく分からず、早とちりした男が頓珍漢なやりとりを繰り広げる。

その後百兵衛さんがこの店の奉公人だということがやっと通じて用を言いつかるのだが、ここからまた百兵衛さんの在所言葉と勘違いのせいでドタバタする展開となる。話がかみ合わずどんどんずれまくる様子がかなり笑えるので、機会があればぜひ耳にしていただきたい噺の一つである。三代目古今亭志ん朝さんの演じたもので聴かれることをお勧めする。

肝心の、料亭や大店のスポンサーの件についての考察は、長くなるので次回。

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