映画

2016年7月19日 (火)

地に足のついた

小林薫が小さな一膳飯屋(というか食堂兼呑み屋)のオヤジを演ずる『深夜食堂』を観た。「ナポリタン」「とろろごはん」「カレーライス」という三話が連続したオムニバス形式だが、ゆるやかにつながっていく展開でおもしろかった。

深夜から早朝まであけるカウンターだけの古びた小さな店だが、しっかりと常連客がついている。そういえば、日経BPオンラインの柳瀬さんがTBSラジオの「文科系トークラジオ・ライフ」に出たとき、今またスナックが来てるんですよという話をしていた。和民やマクドナルドといった広告に支えられたビジネスが不振になる一方で、昔ながらのスナックが元気だと柳瀬さんは言っていたが、この『深夜食堂』を観ていてなんとなく納得した。

常連客はどこにでもいそうな人びとだ。サラリーマンやOLがいるかと思えば、ストリップ嬢やオカマのおじさん、地回りの与太者、旦那に急に死なれてしまったお妾さんなどなど。裏路地の小さな店ののれんをくぐれば、顔を合わせそうな連中ばかりだ。みんながそれぞれの生活を抱えている。そして、小林薫演じるオヤジの作る美味しいご飯を食べに、酒の肴を楽しみにこの店に集まってくる。

とりたててドラマチックな展開があるわけではない。一つひとつのエピソードは、その辺にいくらでもありそうな話だ。しかし、そのどこにでもありそうな小さな話を丁寧に作品化されると、この『深夜食堂』で出される一品料理みたいに、格別の味わいをもつものに仕上がる。こういう映画を観ると、ちゃんと生きなきゃなと思う。地に足のついた生活を送っていかないといけないよなとつくづく思う。ちゃんと真っ当に生きて、ふとすれ違った人びととつながりを持って、毎日ちゃんと食べていくことって、当たり前だけど一番大事なことなんだと思う。

この映画ではひと言も触れられていなかったが、オヤジの小林薫の顔には、左側を縦に切られた刃物傷があった。いろいろあったんだろうなと、この小さな店のオヤジの過去をあれこれと想像させる風貌になっていた。それから派出所のお巡りさんを演じていたオダギリジョーがよかった。この人はこういう演技もできるんだ、と感心してしまった。

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2016年5月20日 (金)

「緋村剣心」について考える

『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心が長州の人間という設定は絶妙だ。薩摩であれば、幕末維新期に活躍したとしても、西南戦争で西郷隆盛と運命を共にした可能性が高くなる。剣心の人物像からすれば官軍側ではなく西郷軍の側についたはずだ。

かと言って土佐では「人斬り以蔵」になってしまう。ここはやはり長州でないと、明治になって陸軍を牛耳った山県有朋と結びつけることも難しくなる。幕府側では、新撰組か会津藩士にでもしなければならないだろうが、それでは維新後「逆刃刀(さかばとう)」を腰に帯び「殺さず」の誓いを立てた剣心という人物の造型から、はずれてしまう。

要するに幕末維新期に「人斬り」として暗殺者に徹し、維新後は己の罪深い存在をあがなうために「殺さず」の誓いを立てながら、なおも闘争の場に巻き込まれざるをえない人物という設定を考えると、長州以外の選択肢は消えてしまうということなのだろう。

剣心の立っている場所は、幕末維新期の草莽の志士たちが立っていた所でもある。維新が目指していたものは、決して藩閥政治でも、一部の人間が私欲を満たすような世の中でもなかった。それは西南戦争の西郷に寄せられた、第二革命としての維新継続を望む心情に限りなく近い。

剣心の周辺に配された人物、たとえば相楽左之助は赤報隊の志士たちの非業の死を目に焼きつけている。明神弥彦の父親は上野彰義隊の一員として戦死している。旧幕府側、新政府側どちらであれ、幕末維新期の人々が立っていた所は「義」によるところであった。維新によって世の中が変わっていっても「義」の有無は重要な意味を持ち続けている。

ここで緋村剣心の「殺さず」という誓いの特異性が浮かびあがってくる。再三、剣心は「そんな殺さずの逆刃刀で人を守れるか」「きれいごとで大事な人間を守っていけるのか」という批判にさらされる。しかし、「この目に映る人々ぐらいは守れると信じている」と剣心は揺るがない。

この設定は、明治人の人物設定として妥当なのだろうか。どうもこの緋村剣心の設定は、平和憲法を原則とする現代日本の姿なのではないかと思えてくる。いかなる状況となっても最後は「殺さず」の誓いに立ち戻る。「逆刃刀」でも闘う途があるという基本線は、武力によらない紛争の解決を目指すという日本の姿ではなかったか。いや、正確に言えば自衛隊という名の武力を保持してはいるが、決してそれを侵略攻撃に用いない、専守防衛に徹するとしてきた姿ではないか。つまり「逆刃刀」とは自衛隊のことである。

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2012年12月 2日 (日)

そういえば昨日は「映画の日」だった

毎年十二月一日になると、今日は「映画の日」だなあと思う。学生のころよく通った仙台の「名画座」は、「映画の日」になると特別企画を組んでいた。それに加えて、今もあるのかどうかわからないが、映画好きの人たちが作成して映画館に置いていたシネマ情報のチラシみたいなもの(フライヤーとか言うんですか、今は)でも、「映画の日」の話はこの時期になると定番の記事だった。それで今でも、十二月一日と聞くと「映画の日」をすぐに思い浮かべてしまう。

最近は、映画館に行って映画を観ることがほとんどなくなってしまった。私の住む北上市にはワーナーマイカルのシネマ・コンプレックスがあり、観に行こうと思えばいつでも行けるのだが、以前記事にしたように(こちら) 、シネコンのような小ぎれいな映画館は苦手である。

ちょっと不健康な、うらぶれた感じのする昭和の映画館を懐かしく思う。あの頃の映画館は入れ替えもなく、一日中映画館で過ごすことも可能だった。観終わったばかりの映画を続けてもう一度観ることもよくあった。そういうゆるい感じの映画館があればしっくりくるのだが、経営的には成り立たないだろうから現実には無理だ。

映画に関して言えば、全体のストーリーより細部のワンシーンの方がいつまでも記憶に残っている。しかも、それは必ずしもベストシーンとは限らない。

初めて一人で映画館に入って観たのは、たぶんロバート・デニーロ主演の『タクシードライバー』である。マーチン・スコセッシ監督の映画をその後よく観ることになったが、最初に観た『タクシードライバー』が今でも一番面白いと思う。

この映画で思い出すシーンは、デニーロ演じるタクシードライバーが拳銃を数丁手に入れて、ジャケットの袖の下から飛び出せるように腕の所にカーテンレールみたいなスライダーを装着したところだ。肘の近くにあった拳銃が腕のひと振りで手のひらの中に納まる瞬間は「おお!」という感じだった。

ジェーン・フォンダが主演した『ジュリア』でも、本筋からするとあまり重要ではないシーンが印象に残っている。『ジュリア』は、ハードボイルド作家ダシェル・ハメットの夫人で戯曲家だったリリアン・ヘルマンの自伝をもとにした映画である。

ジュリアは、リリアン・ヘルマンの幼いころからの友人である女性の名前だ。映画では、ヴァネッサ・レッドグレープが演じていた。大胆で行動的だが思慮深いジュリアは、内気で人見知りなリリアンにとって姉のような存在だった。ジュリアはオックスフォード大に進んだ後ウィーンで精神分析を学び、そこで反ファシズムの運動に身を投じることになる。

モスクワの演劇フェスティバルに招かれヨーロッパに渡ったリリアンは、パリでヨハンという若い男からベルリンにいるジュリアに活動資金を届けることを頼まれ、不安を感じながらも引き受ける。資金をリリアンに託す男は、リリアンの滞在するホテルに現れるのだが、記憶に残るのは、資金を受け取った後のあるシーンだ。

朝のホテルの食堂である。リリアンはやってきた男に朝食を勧める。トーストと目玉焼きのごくありふれたメニューである。男性は素早く平らげるのだが、皿に広がった黄身をトーストのかけらできれいにぬぐうようにして口に入れる。

何ということのないシーンだが妙に忘れられない。その男が、十分に食事がとれていないのではないかという様子がうかがえた。おそらくレジスタンスに身を投じているせいもあったのだろう。そしてこのような食べ方は食事マナーとして許容範囲なのかどうか、そのあたりにも興味を持ったのかもしれない。

この映画には、海辺の家に暮らすリリアンが、夫のダシェル・ハメットと海岸で流木をたき火にして語り合う印象的なシーンもあるのだが、『ジュリア』というタイトルを耳にして、すぐに浮かんでくるのは先に挙げたシーンの方だ。妙なものである。

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2012年11月 3日 (土)

女優

韓流ドラマはほとんど見ないし日本の子役ブームにも興味はないのだが、韓国映画の天才子役と言われるキム・セロンには、まいった。

2000年生まれということは、まだ12歳。『冬の小鳥』(2009年)のジニ役でデビューしたときは9歳だったのか。うーむ、9歳にしてあの演技力は何なのだ。そして韓流四天王の一人、ウォンビンと共演した『アジョシ』(2010年)のソミ役にも泣かされた。

彼女はもはや子役ではなく、一個の女優である。あの凛としたたたずまいは、ただ者ではない。申し訳ないがレベルが違いすぎて、日本の子役と比較するのをためらってしまう。

『冬の小鳥』(原題は『旅人』というのだそうだが)で演じたジニという役は、父親に孤児院へ置いて行かれた女の子の役である。父親が迎えに来ると信じ、自分が見捨てられたのだということを受け入れない孤独な少女。この映画のキム・セロンは圧倒的な演技力を見せる。信じていた父親から見捨てられたという事実を受け入れなければならなくなった彼女の孤独感がひしひしと画面から伝わってくる。

『アジョシ』で演じたソミという役もそうだ。キム・セロンが演じた役は9歳や10歳の女の子には難しいのではないかと思われるものである。ウォンビン演じる質屋のおじさん(「アジョシ」とは「おじさん」のことなのだという)にだけ心を開き、信頼している。テシクという主人公は軍の元特殊部隊要員なのだが、身重の妻が自分の目の前で事故のため亡くなるという悲劇に見舞われ、以来心を閉ざして生きている。質屋の隣りに住むソミだけが唯一心を通わせる相手である。しかし、このソミが麻薬中毒の母親の起こしたある出来事から犯罪組織に誘拐されてしまう。テシクはたった一人でソミを救い出そうと行動を起こす。

臓器売買や麻薬取引の裏社会などダークサイドに触れた作品で、R15指定もうなずけるような残虐シーンもあるけれど、目の覚めるようなアクションシーンと孤独なテシクとソミの心の交流が忘れがたい印象を残す。特にソミが「アジョシ」とテシクに呼びかける声は、どの場面で聞いても切なくなる。

キム・セロンは孤独な魂を演じることのできる希有な女優である。たぶん、どなたがご覧になってもすぐに目が釘付けになるだろうと思う。この演技力を失うことなく成長したらどんな女優になるのだろう。行く末が楽しみなような、空恐ろしいような複雑な心境である。

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2012年2月27日 (月)

Buenos Aires Inception Park

レオナルド・ディ・カプリオと渡辺謙が共演した『インセプション』という映画はご覧になったことがあるだろうか。

他者の夢の中に侵入し夢を操作していく、というより創り出していくことを専門にやっているディ・カプリオが、渡辺謙の演ずる企業経営者にある仕事を依頼されることからストーリーが展開していく。夢の中のシュールな映像がこれでもかこれでもかというくらい登場し、映像だけでも楽しめる作品である。特に街がじゅうたんでも丸めるように端からめくり上げられていくシーンは圧巻である。

CG技術がここまで進んでいるのかということも驚くが、その技術を用いて、非現実的な夢の中の映像を具体的に映像化していく想像力には舌を巻く。CG技術が発達しなければあり得なかった表現なのだろうとつくづく感心する。

ところが、このハリウッド映画のCG技術に負けないようなビデオ・クリップをつくっている映像作家がアルゼンチンにいる。余計な解説は抜きに、まずはこちらのクリップをご覧いただきたい。(うまく再生されないときは右下の「HD」をクリックしてオフにしてください)

Inception Park

なんとも不思議な感触のビデオ・クリップである。この映像作家はCM用のビデオやプロモーションビデオ用のクリップを作っているようで、こちらのサイト には先ほどの「Inception Park」以外に8本のビデオ・クリップが公開されている。

アルゼンチンというとかなり以前に対外債務を消化できずデフォルトを行い経済が破綻し、超インフレ状態の国ではなかったか。サッカーではマラドーナや、現在バルセロナに所属しているメッシなど有名な選手が多いが、国内の経済はめちゃくちゃで、暴動も起きている国というイメージしかなかった。

しかし、こういう映像を見ると、どこでも自分の発想でものを創り出す人はいるのだと少し元気をもらったような感じになる。聞くところによると、アルゼンチンは経済的に立ち直り、リーマンショック後の世界的不況にも関わらず8%の経済成長を達成しているそうだ。

これ以上悪くなりようがないくらい絶望的な状態に今の日本は置かれているし、これから明るい材料は何も見当たらないような気がする。五年先、十年先の悲劇は、目にしたくないほどの惨状を示すだろうと予想される。それでも人は生きていかなければならない。

国の在り様が最悪でも、それをエクスキューズにせず、新しいものを創り出していくしかないのかもしれない。絶望したまま立ち尽くしているわけにはいかない。

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2010年8月 1日 (日)

趙雲ファンのための三国志映画

三国志といえば、近年の映画では「レッドクリフ」1・2のシリーズだろう。呉の周瑜と蜀の諸葛孔明が協力して魏の軍勢を赤壁に破るあれである。あれはあれで面白いのだが、個人的に好きな趙雲の出番が少ないのでもっと趙雲が中心に描かれた映画はないのかと思っていた。

ところが世の中には同じような気持ちの人がいるものである。「三国志」というタイトルでアンディ・ラウが主演した2008年の中国映画で、ダニエル・リーが監督した作品がある。この映画、「三国志」と銘打ってあるが、蜀と魏しか出てこない。しかも主役は何と趙雲その人である。

偶然テレビで放映されたものを見たのだが、途中から見たため最初は趙雲が主人公だと気付かなかった。たまたま見た場面が、孔明の策で寡兵の劉備軍が魏軍を急襲し勝利するところだったこともあり、孔明が中心の映画か、くらいにしか思わなかった。

それにしては孔明を演じている役者に華がないなあ。地味と言ってもいいくらいだ。そうこうしているうちに場面が転々とし、気がつくと趙雲の長坂坡での活躍となる。趙雲がたった一人で魏の軍勢の中を駆けて劉備の息子を無事救出する場面だ。

うわっ、これ趙雲が主役の作品じゃないか。しかもド派手なまでの孤軍奮闘。たまりませんなあ、これは。この後の展開もあっという間に時間が飛び、劉備亡きあと五虎将軍も次々と亡くなり、趙雲一人残るというところまで一気に話が進む。年老いた孔明と趙雲だけが蜀の支えである。その趙雲の最期に焦点が絞られていく。

趙雲ファンによる趙雲ファンのための「三国志」としか言いようのない展開である。なにせ劉備も関羽も張飛もチョイ役扱いで、すぐいなくなるのである。曹操もそうである。大胆といえば大胆な構成を考えたものだ。

この映画を見ていてあらためて気付いたことが一つある。それは趙雲の出身が「常山」であるということだ。「常山の子龍」と趙雲は自分を名乗る。「常山」といえば「常山の蛇勢」という戦法に名を残すほどの所である。常山の蛇は頭を打てば尾が立ち上がり、尾を打てば頭をもたげ、中ほどを打てば首尾ともに立ち上がるということから、全軍が連動して動くという高度な戦法を指す。『陸奥話記』の本文にも出てくるほどだから、よく知られた表現だったのだろう。あの趙雲が常山の出身だったとは。

映画は残念ながらB級作品と言わざるを得ないが、個人的には「レッドクリフ」以上の名作だと思っている。ただし「趙雲ファンにとっての」という形容が頭につくけれども。機会があれば最初からもう一度じっくり見てみたいと思っている。

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2010年4月13日 (火)

映画館へのノスタルジー

学生のころ、三日に一度くらいの割合で映画を見ていた時期がある。お金がたくさんあったからではなく、家庭教師のアルバイト先がお風呂屋さんで、月の半ばを過ぎると無料の映画招待券が余るのでどうですかと頂いたのだった。もともとは仙台の各映画館が営業目的で配った券で、銭湯の常連さんに配っていたそうだ。

こちらはこれ幸いとばかり、それからほぼ毎日映画館へいそいそと出かけていくことになった。もちろん大学の方は自主休講である。その頃あった仙台の映画館のほとんどに入った。当時は二本立てのところも多かった。そして何よりもよかったのは入れ替えがなかったことだ。

つまり午前の一回目から最終上映の回まで一日中映画館で過ごすという夢のようなことが可能だった。見るのに疲れてきたら通路の長椅子に腰掛けて気分転換し、お腹がすいたら売店のパンをパクついて、まる一日映画館で暮らすことができたのだ。

当時の映画館は、いまどきのシネマコンプレックスみたいに小綺麗ではなかった。通路の壁は煤け、古いコンクリートの通路を通り、客席に入っても座り心地のあまり良くない狭いイスの中に身を沈めてスクリーンを眺めるという感じだった。しかも平日の日中の閑散とした客席には、実にさまざまな人々が来ていた。

私のように授業をさぼって映画を見に来た学生。ネクタイを締めたスーツ姿のおじさんもいた。仕事をさぼった営業マンだったのだろうか。映画が始まってもロクにスクリーンを見もせず、口を大きく開けて熟睡していた。お爺さんやお婆さんが一人で見に来ていることもあった。かと思えば日中からペッタリとくっついて離れないカップルの方々もいらっしゃった。後ろから石でも投げてやろうかと思ったが、まあここは穏便に穏便にと自分に言い聞かせてスクリーンに集中したものである。

今思うと実に雑多な人々が、映画館の暗がりの空間で同じスクリーンを見ていたことになる。あまり健康的な雰囲気ではなかったなと思う。しかし、あのなんとなく不健全な映画館の空間で目にした非日常的な映像の数々をしみじみ懐かしく思う。

私の住んでいる北上市にはワーナー・マイカルのシネマコンプレックスがあり、息子が小学生のころはときどき一緒に見に行ったことがある。清潔で明るく、小綺麗な空間である。昔の映画館のような不健全さのかけらもない。何度目かからすっかりカミさんにまかせるようになってしまった。どうもシネマコンプレックスのような空間は、なじめない。昭和生まれの人間だよなとつくづく思ってしまうが、昔のような少し陰のある古びた映画館で、「いま話題の」ではない古い映画を見てみたいものだ。

おそらくそういう映画館は営業していくのが大変で、閉館したところが多いのかもしれない。できれば日本のATGの諸作をまとめて上映しているとこがあれば最高なのだが。

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2010年1月11日 (月)

転石苔を…

A rolling stone gathers no moss.(転がる石にはこけがつかない)辞典によると「職業を変える人は金持ちになれないという意味。ただし米語では、1か所に安住しない活動的な人は新鮮であるという意味にも用いる」とある。米語のように肯定的なとらえ方のほうが面白い。それにしても「移動性」が国民性のようにも感じられるアメリカならではの受け取り方だ。

住む場所も職業も1か所に留まることなく絶えず動いていく。いかにもアメリカ的な感じがする。変化と流動がその特質で、ちょっと古い映画になってしまったが「Back to the future」でマイケル・J・フォックス演じる主人公のマーティがタイムマシンで50年代のアメリカへ行ったときのあるシーンが思い出される。

ある店の床掃除をしている黒人に向かってマーティが「そうだ、あんたは将来市長になるんだよ」と言う。「市長?」言われた黒人はキョトンとしているが、「ゴールディ・ウィルソン市長か。ふーむ、悪くない」と背筋を伸ばし、演説でもしそうな仕草をする。店の主が皮肉たっぷりにThat'll be the day.そりゃ結構だ(言外に、そんなことはあり得ないという含みがある)と浴びせる。

マーティが50年代のエメット・ブラウン博士の家を訪れたときの場面でも印象的なシーンがある。ブラウン博士はタイムマシンを作った当人だが未来から来たというマーティの話を信じない。「じゃあ聞くが、お前さんの時代のアメリカ大統領は誰だ?」「ロナルド・レーガン」「は、西部劇俳優のあの男が大統領だって?信じられるもんか」というやりとりがある。結局マーティが持ってきたハンディカムのモニター画面を博士に見せて納得してもらうのだが、いかにもアメリカ的な話だと思った。

黒人や映画俳優が市長や大統領になることが可能な社会。この移動可能性というか流動性はアメリカ社会の大きな魅力の一つでもあろう。しかし一方でいつも自分の能力をアピールし、売り込まなければならないという強迫観念のようなものもそこには生まれる。

「Back to the future」という映画で、50年代の世界へ行く前のマーティの家庭はプア・ホワイトのそれである。父親はパッとしない仕事に就き、母親の弟は刑務所暮らし。アメリカンドリームの正反対のところにある家庭だ。50年代の世界へ移動したマーティがしたことは、高校生姿の父親に自信を持たせ、マーティの母親となる女の子と結びつけることだった。その結果、現代に戻ったマーティは、一連の出来事で自信を手にし作家として成功した父親の姿を目にすることになる。以前の薄汚れた居間ではなく、こぎれいなミドルクラスの居間に両親と兄、姉たちがいる。

マーティが50年代で少しだけ変えてしまった過去が、結果的にタイムパラドクスを引き起こし、映画はpart2・part3とその解決編が描かれることになる。タイムパラドクスの話が主になる分、part2・part3はストーリーが錯綜し、part1ほどの面白さに欠ける。

しかし、part3の最後の部分だけは印象深く覚えている。タイムパラドクスを修正し、再び現代に帰還できたマーティがガールフレンドを乗せてドライブに行くシーンだ。信号で止まると、顔見知りの高校生から車でレースをしないかと誘われる。マーティが断ると相手はマーティに「Chicken!(腰抜け野郎。臆病者)」と罵声を浴びせる。

この「Chicken!」という罵声語は「Back to the future」のシリーズの中で一つのキーワードになっている。カッとなりやすいマーティは思わずアクセルを踏み込みそうになるのだが、時間移動をくり返す中でいろいろ学んだことを思い出し、自制する。相手はつまらなそうな顔をして走り去る。「Chicken!」と呼ばれても単純に挑発に乗らなくなったマーティは精神的に成長したと言えるのだろうが、このシリーズが作られた頃のアメリカにはそういう「大人の余裕」みたいなものがあったような気がする。

シリーズ三作を久々に見直したくなった。

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2009年5月20日 (水)

長谷川和彦の新作を

沢田研二を主演に、長谷川和彦が『太陽を盗んだ男』を撮ったのは今からちょうど30年前の1979年である。監督第1作の『青春の殺人者』を観て衝撃を受け、『太陽を盗んだ男』が公開されたときはすぐ映画館に行った。

今の若い映画ファンは、長谷川和彦と聞いてもピンと来ないかもしれない。無理もない。若くして才能を期待されながら、この2作品しか監督していないのだから。どれほどすごい監督だったか、もしレンタルされているのであれば自分の目で確かめてみてほしい。

初監督作の『青春の殺人者』は、中上健次の『蛇淫』を原作にした映画だった。水谷豊と原田美枝子が主演。どちらも若かったなあ。水谷豊は今では「相棒」シリーズの役柄イメージが定着している。しかし、この映画の頃は日本テレビの「傷だらけの天使」で「あにきー」と言いながら萩原健一にくっついていくチンピラのイメージだった。若くてつっぱっている活きのいい兄ちゃん。そんな感じだった。原田美枝子もまだ10代なのに、すでに大女優の片鱗をうかがわせていた。二人ともこの作品でキネマ旬報の主演賞を受賞しているのではなかったか。

たぶんラストシーンだと思うのだが、水谷豊の演じる主人公がトラックの荷台で幌にぶら下がるようなかっこうでぼんやりとこちらに視線を向けてくるところが印象に残っている。バックで流れている音楽はゴダイゴだった。

ATG作品だったんだ、そういえば。Art Theater Guild略してATG。大きな映画会社には作れないような印象的な映画が多かったなあ。学生の頃、オールナイトのATG祭と銘打たれた上映会で5本くらいまとめて観たこともある。寺山修司の『田園に死す』や梶芽衣子がお初、宇崎竜童が徳兵衛を演じた増村保造の『曽根崎心中』などだったと思う。

第二作にして今のところ最後の監督作品である『太陽を盗んだ男』は、キティ・フィルム制作、東宝配給作品。沢田研二が主人公の高校教師役。菅原文太が刑事、池上季実子がラジオのパーソナリティという役で登場していた。

何といっても、東海村からプルトニウムを盗み出し原子爆弾を作ってしまう高校教師というストーリーがすごかった。原子爆弾が完成したとき、ボブ・マーリーの曲をバックに主人公が踊るシーンも印象的だった。個人が原子爆弾を手に政府にあれこれ要求を出していくという設定は、無茶苦茶な気もするが、その後の自己中心的な個人の出現を早くも先取りしていたといえるのではないか。

ナイトゲームの野球中継を最後まで見せろとか、ローリング・ストーンズの日本公演を実現しろとか政府に突きつける要求はあまりにも個人的要求で笑ってしまう。しかし、実はこれこそがこの映画の眼目で、政府と対峙して脅迫できる力を持ったのに要求は個人的なレベルを越えることが出来ないというアンバランス。「お前は一体何がしたいんだ」という問いかけが、観念的映像シーンでくり返し示される。何と言えばいいのか。ドストエフスキーの小説を現代化したみたいな、観念的な側面がこの映画にはある。だから魅力的だったのかもしれない。

この作品が公開された1979年の初冬に、仙台で映画祭があった。ゲストとして呼ばれたおすぎが「おもしろかったんだけど、沢田研二があの役やるってのはねえ、もっと知的なイメージの人がやらなきゃ」と毒舌をふるっていたのを思い出す。

長谷川和彦は、その後プロデューサーとして石井聰亙(そうご)監督『逆噴射家族』を制作するが、自身の監督作品はない。長谷川和彦の新作を観たいと願っている映画ファンは、おそらく全国に相当数いると思う。無茶苦茶なんだけどエネルギーの塊のような映画が日本映画でも可能なのだ、と長谷川映画は示してくれる。どうにかもう一度メガホンをとって新作を見せてほしいものである。

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2009年5月14日 (木)

B級映画に学ぶ

ジャッキー・チェンが若い頃に主演した「酔拳」という映画をたまたま観た。以前にも観たことがあり、たぶん三度目くらいだ。

何を隠そう、カンフー映画大好き人間である。中学生の頃はブルース・リーの全盛期だった。あの頃、ひそかにブルース・リーのヌンチャクの技をまねてみよう思った人は多いのではないか。クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」を観たときに、ああこの人もブルース・リー映画が好きだったんだなと急に親近感を覚えてしまった。

ブルース・リー亡きあとのカンフー映画といえば、何といってもジャッキー・チェンとなるだろう。最近は本人の発言がいろいろ取りざたされているようだ。今や世界的な映画俳優になってしまったわけだから、発言も注目されるのだろう。しかし、ジャッキー・チェンの魅力はあくまでもあのカンフーアクションにある。「酔拳」を観ながらあらためてそう思った。

「酔拳」は単純な構成だが、ユーモアの多い明るい映画だ。低予算で作られた映画で、いわゆる「B級映画」の範疇に入るのだろう。この映画がジャッキー・チェンの主演映画としては日本で最初に上映されたものなのだそうだ。分かりやすい話であるが、この映画から引き出せるものも多い。

ジャッキー・チェンの演じる若者が、ユエン・シャオティエン扮するアル中気味の老師匠に弟子入りし、「酔八仙」という拳の奥義を伝授され、敵役を倒す。まあ、あらすじを言えばこれだけの話である。ところがこの映画には、何かを「学ぶ」ときに大事なプロセスがきちんと入っている。箇条書きすると次のようになる。

  1. 基礎訓練はみっちり行う
  2. そのためには本人の強い動機付けが必要
  3. ある程度の段階で実戦レッスンをする
  4. 本格訓練を行う
  5. 習得した技術を実戦で確認する
  6. 習得したものをもとに独自なものをつけ加える

以上を裏返せば「教える」プロセスにもなる。映画で老師匠は、田の字形に並べた水瓶の上に立たせて水を移し替えさせたり、胡桃を人さし指と親指だけで割らせたりと徹底的に基礎訓練をさせる(1の段階)。この段階で若者は修行に耐えられず逃げ出す。しかし、敵役に徹底的に叩きのめされ口惜しい思いを味わう。それをきっかけに老師匠の元に戻り修行を続ける覚悟をする(2の段階)。基礎訓練が仕上がる頃、市場に出かけていかさま賭博の元締めと対決する(3の段階)。その後老師匠から「酔八仙」の奥義を伝授される(4の段階)。敵役と対決し酔拳で闘う(5の段階)。しかし相手が酔拳を封じる技で応酬してきたため、「酔八仙」の技をもとにした独自の拳法技で敵役を倒す(6の段階)。

敵役との対決シーンに老師匠は姿を現し、若者にアドバイスをして6の段階まで導く。「少林寺三十六房」などもそうだが、カンフー映画の楽しみのひとつは、師に導かれながら本人が修行して成長していく姿を観ることだ。最初はまったく無理ではないかと思えるレベルが到達目標になっている。それを修行によって上りつめていく姿を観ていると、何かを習得するということはどういうことなのかと考えさせられる。

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