古典の底力・その16
日頃「今日の占い」といったたぐいは見ることがないし、たまに見るとそれに捕らわれてしまう自分もいやなので、占いに頼ることはあまりない。だからその手の日常生活での「儀式」みたいなものは極力持たないようにしているのだが、ある一時期毎日やっていたことがある。
それは「今日の『老子』」というものである。入室して掃除やら何やらが一段落して、さて、となったときに「そうそう、そういえば」とばかり『老子』の文庫本を手にとって適当にパッと頁を開く。その開いたところにある章をじっくりと読む。ただそれだけのことだが、やり始めたらなかなか面白かった。
最近はほとんどやっていないので、昨日久しぶりにやってみた。目に飛び込んできたのは「第二十四章」である。
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見る者は明らかならず、自ら是(ぜ)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほ)むる者は功無く、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。其(そ)の道に在っては、餘食贅行(よしょくぜいこう)と曰う。物或(あるい)は之を悪(にく)む。故に道有る者は処(お)らず。
つまさきで立つものは、立ち尽くすことができない。大股であるくものは、(長く)あるくことはできない。自分を見せびらかすものには、何もよく見えない。みずから是(ただ)しいとするものは、他人よりきわだって見えることはない。自分でほめるものは、何も成功しない。(した仕事を)誇りにするものは、長つづきしない。それらのものは「道」の立場からいうと、余分の料理や無用の付着物とよばれる。それらを生物はおそらく嫌い、斥けるであろう。だから、「道」を有する人は、そんなところに長居はしないのだ。(中公文庫『老子』 小川環樹訳注)
老荘思想と一口に言うが、『老子』の文はご覧のように逆説的で比喩的、象徴的表現が多いのでまるで天啓のように響く章がいたるところに見つかる。「今日の占い」はその日で終わってしまうが、「今日の『老子』」はよく理解できなくてこれは何を言いたいのだろうと考えることがあり、しばらくの間楽しめる。
適当に開いて読み、どんどん忘れてしまうので残念ながら『老子』をまだ全編通して読んでいない。『老子』を授業で扱うことはまれである。したがって「今日の『老子』」はほとんど実用的な面では役に立たないと言える。だが、先にも述べたように天啓とも思えるような短い文章はスルメのように味わい深い。よく噛まないと味が出てこないが、何度でも楽しめるし放って置いてもわるくならない。
巻末に付いている小川環樹氏の解説によると、老子の存在に関して「架空の人物である」と言う学者もあるらしい。しかし小川氏は実在の人だと思うと述べ、次のように司馬遷の『史記』老子伝を引く。
「老子は楚(そ)の苦(こ)県の人。名は耳(じ)。字(あざな)はタン(耳へん+冉)、姓は李氏。周の蔵室を管理した史官であった」。これによると老子が生まれたのは苦県、現在の河南省鹿邑(ろくゆう)県の東、安徽(あんき)省との境に近いところになる。蔵室とは宮廷の図書館だという。ここの周とは、現在の洛陽市(河南省)をさす。「老子は道と徳とを修めた。その学説は自己をかくし無名でいることを要務とする。周の都に長く住んだが、周の国力の衰えを見て、やがて立ち去り関(かん)まで来た。そのとき関所の監督官であった尹喜(いんき)がいった。『あなたはこれから隠者になられるのでしょう。むりとは思いますが、私のために書物を書いてください』。そのとき、老子ははじめて上下二篇の書を著し、『道』と『徳』の意義を述べること五千余言。そして立ち去り、どこで死んだか知るものはない」。関はおそらく函谷関(かんこくかん)。とすれば、老子はその西方、今の陝西(せんせい)地方のどこかまで行ったことになる。(同上書、解説頁より)
なるほど。その後道教と結びついて神仙思想と親和性が高くなるのもうなずける。老荘思想の大師匠の老子自身が隠者になったのであれば、後の時代の人間がそれに倣って仙人のごとき存在をめざしても不思議ではないと思う。含蓄のある章をもう一つ取り上げてまとめにしたい。第七十六章である。
人の生ずるや柔弱にして、其(そ)の死するや堅強なり。草木の生ずるや柔脆(じゅうぜい)にして、其の死するや枯コウ(木へん+高)なり。故に堅強なる者は生の徒なり。是(ここ)を以て兵は強ければ則(すなわ)ち勝たず、木は強ければ則ち折る。強大なるは下(しも)に処(お)り、柔弱なるは上(かみ)に処る。
人が生まれるときには柔らかく弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。それゆえに武器があまりに強(かた)ければ勝つことがないであろうし、強(かた)い質の木は折れる。強(かた)くて大きなもの(たとえば木の幹)は下にあり、柔らかで弱いもの(たとえば枝や葉)が高いところにある。(同上書より)
柳に雪折れなし、などとも言うなあ、たしかに。
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