時事

2017年10月 7日 (土)

時事的放談・その5

枝野幸男氏が「立憲民主党」を立ち上げたことで、リベラル勢力の受け皿ができ、「自民+公明」対「希望+旧民進+維新」対「立憲+共産+社民」という三極の選挙戦となるのだろう。3ではなく2.5だという見方もあるが、有権者から見ればこの三者のどれかを選ぶことになりそうだ。

videonews.comで社会学者の宮台真司氏が興味深い図式を示していた。「5金スペシャル映画特集 ロクでもない世界の現実を映画はどう描いているか」 のpart1、23分50杪あたりから示される現代政治を分類するマップである。縦軸は経済的な原則、横軸は政治的な原則の軸であり、次のように示されている。

           市場主義
               |
    Eガバメント      |     米国的伝統
    (リバタリアン)      |     (新自民)
               |
参加主義ーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーー権威主義
(市民社会)          |          (国家)
               |
    欧州的伝統      |     日本的保守
    (民主党)      |     (旧自民)
               |
           再配分主義

宮台氏の指摘では、かつての政治的対立軸は下段の「再分配主義」的な政治の中で、権威主義的か参加主義的かというものだったという。ところが、グローバル化の進展により再分配主義から「市場主義」へと世界的にシフトし、自民党も小泉・竹中時代から右上の象限へと位置を変えた。今回の民進党の希望の党への合流で何が起こったかといえば、かつて左下の象限に位置していた民主党(民進党)がどうやら右上に移動し、「再配分主義・参加主義」の左下が空白になってしまったということらしい。

問題はどうも日本だけのことではなく、世界的に、この左下の政治勢力が後退してきているようだ。宮台氏によると、それは「どこの馬の骨問題」だそうで、「どこの誰だかわからない奴のためにオレの税金を使うな」「どこの馬の骨かわからない人間にうちの会社が納めた税金を使ってもらいたくない」と考える人間が増えてきたのではないかという。だから再配分などせず、市場に任せればいいという新自由主義的な発想が強くなる。

国民国家の解体期に入っていると考えれば、再配分主義が勢いを失っていくという流れは押しとどめようがないのかもしれない。しかし、それでも当分は国家による手当が必要な国民が存在する。地方に住んでいると、人口減少と高齢化の影響をひしひしと感ぜずに暮らすことは不可能だ。だから、枝野氏の立憲民主党を軸としたリベラル勢には、この左下部分を埋める政治勢力としての期待がかかってくると思うのだが、果たしてどの程度の支持が集まるのか。

videonews.comは有料コンテンツを中心に配信しているサイトだが、金曜日が5回ある月は、「5金特集」という無料放送を見ることができる。今回もpart2は五本の映画を取り上げていて、part1と深く関連する議論が聞ける。

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2017年10月 1日 (日)

時事的放談・その4

居酒屋のオヤジ政談状態をもう少し続ける。

ダメながらも変わる可能性があるものに賭けるか、それとも変わる可能性のないダメなものを選ぶか、と前回の最後に書いた。もしかすると、ダメながらも変わる可能性があるものに賭けたらホントはダメだった、という結果になるかもしれない。

今回の衆議院総選挙は、政権交代まで至らずとも自公政権の過半数を阻止するという結果が期待できそうな状勢に見える。つまり、対抗軸になると有権者に思われるような政治勢力が結集し、自公候補の議席獲得を阻むことができるのではないかと思わせる。

この期待感はバブルである。中身が本物かどうか確証はないがとりあえず賭けてみる。その結果、勝つには勝ったがとんだ「フェイク」をつかまされたということもあるだろう。その時点で「カネ返せ」ならぬ「票返せ」と騒いでもどうにもならない。前の政権よりはいくらかましなダメさ加減ではあるが、票を入れてしまったものはしょうがない。前政権よりもさらにひどい目にあわされるのであれば、それを教訓にしていくしかない。痛い目にあって次はしっかり選ばなければならないという実感を有権者に植えつけるなら、それはそれでよいことだ。

つまり、自分たちに見る目がなかったから「フェイク」を「本物」だと思い込んでしまったのであり、そのツケは自分たちに降りかかってくるということを身にしみて噛みしめる経験を重ねたほうがいいのだと思う。投票に行かず丸投げするとこういうことになるとか、ブームに踊らされて空気感だけで選択するとこういう結果になるとか、そういう代価を払って学ぶことでしか民主主義は定着しないのではないか。

安易に受けると芸人は育たない、と昔だれかが言っていた。面白くないものには安易に反応しないという観客が、よい芸人を育て上げる。政治も同じなのだろう。選ぶ側の目が肥えてくるかどうかが、政治家が育つかどうかの大事な要素だ。二世、三世といった世襲議員が何の疑問もなく受け入れられ、本人の実力は問われないという不思議な現象も、それによっておのずと解消されるだろう。

これも誰かが言っていたことだが、国会の本会議や委員会の議場にモニターを設置し、有権者からのコメントが洪水のように流れる中で議論してもらったほうがいいのではないか。ニコニコ動画のコメントのように、質疑応答している議員の映像にかぶせて横殴りの雨のように大量のコメントがスクロールして流れていく。あるいはツイッターのタイムラインが滝のようにスクロールしていくのでもよい。有権者からのコメントにボコボコにされながらもきちんと対応できる人物でないと議員になれない。そういうほうが面白いのではないか。

国会中継を見ながら入れていたツッコミが実際にコメントとして議場に流れるようになれば、国民は何を感じているのかリアルタイムで伝わるだろう。ますます劇場型政治になるではないか。そういう声も聞こえてきそうだが、「炎上」して注目が集まるようになれば、政治へ関心を持つ人間も増える。直接民主制の一つのあり方になるのではないか。それともAIに重要な政治案件を判断させるから政治家は要らない。そういう時代になるのか。

いずれにしても、今回の総選挙に過剰な期待はしていないが、結果がどうなり政治がどう動くのか目を離さずに見ていたい。

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2017年9月30日 (土)

時事的放談・その3

前回の記事で「希望」がフェイクだとして安倍独裁よりましではないか、と書いた。さらに、よく考えてみればどちらもあまり期待はできないが、その中でより我慢できるダメさ加減はどちらかという選択なのだ、とも続けた。

では、共産党を中心とした左派勢力はどうなのか。残念ながら、正論を述べているのにあるいは正論を述べているがゆえに、一部からしか支持されない。中道から右派側が大勢を占めている日本の現状では、左派による過半数の獲得など寝言にしか響かない。なぜ正論を述べているのに、あるいは述べているがゆえに支持されないのか。一般大衆に届く言葉を根っことして持っていないからだろう。自民党が戦後七十年以上の期間に、そのほとんどに渡って政権を維持してくることができたのはなぜか。それは、共産党の場合の逆である。一般大衆に届く言葉を根っこに持っていたからだろう。

生活者としての一般大衆は、まずなによりも自分の生活がどうなるのかに関心がある。明日もちゃんとご飯が食べられるかどうかが最優先事項である。その他のことがらは実はどうでもよかったりする。つまり直接わが身に降り掛かってくるまでは「他人事」で済ませられるから、面倒なことは誰かに任せるのでよろしく、という気分である。そこから、任せて文句を言うだけという姿勢が標準的なものになる。

この大衆のいい加減さ、利己主義的ご都合主義という本音の部分に届く言葉を自民党は持っていた。共産党を中心とした左派勢力は、正論であるが理想論に過ぎない、あるいは建前上はそうであろうが現実的には無理だろうという言葉しか発してこなかったのではないか。だから一般大衆には深く届かない。

小泉・竹中時代に始まる新自由主義的政治勢力(これは、自民党も小池氏も同じだ)か、清潔すぎて力のない左派勢力かという選択以外に受け皿となる政治勢力が存在しない。これが現在の有権者の直面している不幸だ。中道右派から中道左派までを雑居させるリベラルな政治勢力が、確固として存在すればおそらく違うのだろうが、民進党はその期待に答えることなく「解党」へと坂を転げ落ち始めた。

しかし、中道右派から中道左派までを雑居させる確固とした政治勢力、というのは語義矛盾なのかもしれない。雑居状態である以上、求心力のある政治家ないし集団がいなければ政治勢力としての存在感はどんどん薄れていく。小沢・鳩山時代が終わった時点で現民進党はゆるやかにバラけていくしかなかったとも言える。

とまあ完全に居酒屋のオヤジ政談だが、ダメながらも変わる可能性があるものに賭けるか、それとも変わる可能性のないダメなものを選ぶか、これが現状だろう。どこも過半数を取れないと自公民と希望の党の大連立という改憲勢力の大政翼賛会になる、という見方もある。憲法改正、安保法制維持という点では自民党も小池氏も変わらないからだ。前原氏は憲法に反する安保法制は見直すと言っているが、本音はどうかわからない。

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2017年9月29日 (金)

時事的放談・その2

いやあ、そう来るのか。

何がって、あれですよ。民進党の希望の党への合流。これは予想もしなかった。つまり、民進党の前原氏がそこまで肚をくくるとは考えてもみなかった。参議院や地方議会に民進党議員が存在するので、解党したというわけではないのだろうが、衆院選後はどうするのだろう。

「希望の党」に「希望」は持てない、と前回書いた。基本的には変わらない。しかし、民進党の衆議院議員がいなくなり希望の党に合流することになると、候補者の急ごしらえ感は解消される。ただし、方針や意思決定の不透明さがどうなるのかは分からない。まさかこのまま小池代表とその周辺ですべてを決定していくという非民主的な形を続けるのではないと思うが。

そういった不安要素はあるものの、自公政権に対する対抗軸として野党勢力がある程度結集することになると、政権交代は無理でも自公の過半数獲得を阻止できるかもしれない。この点が、一番大きな期待感を引き出すのではないか。人びとの求めるものが、現状維持ではなく変化であれば、この期待感はあなどれない。

政策の違いをどうすり合わせるのだとか、政権担当能力のある政治勢力となりうるのかとか、わからない部分は多い。ただ、現状が変わるかもしれないと期待する空気がふくらむと、投票率も上がり一気に流れが変わる可能性が出てくるのではないか。少なくとも、今回の衆議院解散の大義のなさやこれまでの政権側の姿勢に不満を感じていた人びとに、錯覚だとしても、光を投げかけるのは確かだろう。たとえ、その「希望」がフェイクでしかなかったとしても、安倍独裁よりはましではないか。

つまり、よく考えてみればどちらもあまり期待はできないが、その中でより我慢できるダメさ加減はどちらかという選択なのだと思えばいい。こちらを選べばそれほどひどいことにはならないかもしれない。博奕じゃないんだからと言われそうだが、どうなるか確証がないものに賭けるしかないのだから、そういう感覚的なものを選択基準にしてもいいのではないだろうか。

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2017年9月26日 (火)

時事的放談

都知事の小池百合子氏が、新党「希望の党」の党首になるという見出しが新聞の一面に出ていた。自民党に入れたくない有権者の受け皿になることを期待してのことであろう。「都民ファースト」の都議選での躍進を目にして、総選挙でも期待している有権者が多いのかもしれない。だが、果たしてこの新党に「希望」は持てるのか。

結論から言えば、野党へ流れる票の収容先としかならず、かつての「日本維新の会」同様第二自民党的な党にしかならないのではないか。だから、自民党にとっても何ら脅威ではなく、むしろ反自民票が分断されることを内心喜んでいるのではないだろうか。

小池氏に対する期待は、既存の野党勢力に期待が持てないからだろう。こうすれば日本の政治は変わりますとか、みなさんの暮らしは良くなりますという、それこそ「希望」をかけることのできる政党や政治家が見当たらない。そう有権者に思わせている現状を、もしかしたら何とかしてくれるのではないか。こういう幻想が人気や期待のもとになっているのだろう。

だが、都民ファーストの代表選出の不透明さを見ても分かるように、小池氏が代表する政治勢力は民主的な手続きを重視しないようである。組織そのものも脆弱さを感じさせる。そもそも構成しているメンバーが、取ってつけたようなにわかづくりの急造という印象を拭えない。かつての日本維新の会みたいなものだ。総選挙で当選し、国政の場へ出ても果たして有権者の期待したような働きができるのか。

人気商売の芸能人の場合はイメージだけでもよいが、政治家の場合はイメージではなく政治的な実力で測られる必要がある。AKB総選挙みたいな人気投票に、本物の総選挙もなりつつあるということか。

それならばそれで諦めるしかない。国民の民度以上の政治家は現われない。期待する政治が実現されるためには、政治家を選ぶ国民自身の民度を上げるほかないだろう。民主主義というまだるっこしい、手間のかかる制度を機能させ、時間がかかることも含めてそれを国民に納得させられるまともな政治家を育てて送り出すくらいの気持ちでいないと、変わらないのかもしれない。つまり、任せて文句だけ言うのではなく、自らが主体的に関わっていく気持ちを有権者が持つことで、変化は少しずつ訪れるのではないかと思う。

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2017年9月24日 (日)

大義なき解散

内閣不信任決議案が可決された場合、または内閣信任決議が否決された場合、憲法第69条に基づいて衆議院は解散される。その場合でも、憲法第7条により天皇の国事行為として詔書をもって行われるものだそうである。

今朝の報道系番組で、首都大東京の憲法学者木村草太教授は、「憲法のどこにも解散が総理の専権事項であるという記述はありません。内閣に衆議院の解散権があるというのも、憲法第7条が根拠とみなすことはできるでしょうけれども
とコメントしていた。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一、ニ省略
 衆議院を解散すること。

四以下省略

衆議院の解散は、あくまでも天皇の国事行為であって総理の専権事項などではない。しかも木村教授が指摘していたように、「国民のために」衆議院を解散するのであって、政権維持や疑惑隠しのために解散できるのではない。

内閣官房長官を始めとして自民党では「総理の専権事項」と解散の正当性を主張しているが、その当否を争わないとしても、憲法第七条の「国民のために」という条文に照らして、いかなる大義があるというのか。

おそらく有権者の大半は、森・加計隠しの解散だと見ているだろう。しかし、自民党を選ばないと考えた時の選択肢がない。受け皿となる野党が見当たらない。たぶん、そういう考えから自民党をやむを得ず選ぶ、という人がいるだろう。自民党には入れたくないが、といって野党にも任せられるところがないから棄権する。そう考える有権者が相当数いるのではないか。投票率が史上最低の総選挙になるのではないかという、いやあな予感がする。

投票率が下がった場合、確実に組織票を積み上げることができる連立与党の公明党の動員力が大きな意味を持つ。投票率が低ければ低いほど、現政権に有利な結果が出るだろう。仮に投票率40%だったとした場合、過半数を得ても全有権者の二割にしか当たらない。十人のうち二人しか支持していなくても衆議院の過半数を獲得し、民意はわれわれにあると大見得を切ることができる。

では、どうすればいいのか。有権者にできることは投票による意思表示しかないのだから、できるだけ投票率が上がるように、知り合いやご近所を誘うしかない。だが、どこに投票すれば。どの野党も頼りにできないと思えば、白票を投じるしかない。投票率40%で白票率が50%だったとして、残りの有効投票で過半数を得た場合、実質的に全有権者の一割しか支持していないことになる。法律上は問題なくても、政治的に問題ないと果たして言い切れるか。いくらなんでもそこまで図々しく居直ることはできないだろう。とにかく投票に行く。入れるところがなければ白票を投じてくる。棄権した場合は丸投げすることになるので、結果がどのように出ても一切文句は言えない。だから、とにかく投票に行くことだ。

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2017年9月16日 (土)

現実感のなさ・続き

昨日の記事を書いた後で、ふと妙なことを考えた。まさか、そんなことはないだろうが、もしかして。ほとんど妄想のようなものであるが、よろしければ与太話におつきあいを。

先月に続いて、昨日も北海道東沖の太平洋上に北朝鮮のミサイルが着弾した「らしい」。どなたか発射の現場と着弾の現場をご覧になりましたか?だって先月のミサイル発射の様子は北朝鮮の国営テレビが映像を流していたじゃないか。そうですね、確かに。でも、あの映像が本当に北朝鮮国内で実際に発射されたものだという確証はあるのですか。なんならハリウッドに依頼してCG技術を駆使して発射場面を作ってもらいましょうか。

あるいは、ミサイルが着弾したという公海周辺で何らかの残がいなど痕跡は確認されているでしょうか。そんなもん、すぐ沈んでしまうから残るわけがないだろう。確かに、そうですね。でも、アメリカの軍事衛星って地上を数メートル単位で「出歯亀」できるんでしょ。もう「出歯亀」という表現も死語か。「のぞき見」できるんじゃあないですか。もしかすると数十センチメートル単位の高精度かもしれないけれど。とすれば、発射直後か着弾直後の衛星画像がどこかにあるのではないのか。でも、そんなものアメリカからの情報として出てきたことありませんよね。これだけ偵察技術の高度に発達した時代に、北朝鮮発表の映像しかないって、ホント?

つまり、われわれは北朝鮮のミサイル発射という大きな「ホラ話」の中に置かれているのではないかという疑念が浮かんでくる。ジョージ・オーウェルの『1984年』を引くまでもなく、情報操作は大衆を支配するための有効ツールだ。何のために?商売ですがな、あなた。もうかりまっか、ボチボチでんな、の世界ですよ。北朝鮮という脅威が存在することで、たとえば一基800億円とか言われているイージスアショアを何基か備えましょうかってなことになるし、防衛予算の増額もしやすくなるし、戦争商売屋さんにとってはありがたい話ですがな。

えっ、でもそれって、北朝鮮やアメリカには何かいいことがあるの?北朝鮮的には、アメリカに虚勢を張る姿を国民に示し続けることで独裁体制を続けていけるというメリットがあるでしょう。軍事開発の名目で国民から金を搾り取ることもできるし。実際に作ってなくても金だけ巻き上げればウハウハでんがな。で、アメリカは?あのトランプ大統領でも、対外的な危機的状況となれば、国民は頼りにするほかない。国内的に批判の集中砲火を浴びていても、外交問題や紛争へと目をそらせば一時的にはしのげる。それとやっぱり軍産複合体としては、だぶついている在庫を何とかしたいから政府に買い上げて使ってもらうか、同盟国に売りつけるかしたいところでは。

となれば、「三方一両損」ならぬ「三方一両得」のウィン・ウィン・ウィンでみんなハッピーにいきましょうやというところに話が落ち着く。みんなで口裏合わせて、北朝鮮のミサイル発射による挑発がエスカレートしているという緊張を極東に作り出しましょうよ、ねえ、ってなわけだ。

まあ、実際のところは分からない。

架空の「ヤルヤル詐欺」に踊らされていました、というのも阿呆らしいが、かといって現実にミサイルが頭の上に降ってくるというはさらに御免被りたい。

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2017年9月15日 (金)

現実感のなさ

北朝鮮から「また」ミサイルが発射された。朝からテレビはこの話題で持ちきりである。先月と同じように北海道の東沖、太平洋上に着弾したらしい。

アメリカと北朝鮮のチキンレースで、交渉カードの切り札とするためミサイル発射が繰り返されるのは「先代」のころから何も変わっていない。本気で挑発するのなら、あるいは本当にアメリカと事を構え得る気なら、とっくの昔にグアム周辺に打ち込んでいるはずだが、それは一度も実行に移されない。こうなると、ヤルヤル詐欺みたいなもので、結局口先だけではないのかと疑ってしまう。

確かにミサイル発射の回数は多くなり、間隔も短くなった。が、実質的な被害が出ていないという状況は以前と変わらない。こうなると私のような一般人は、「ああ、またか」「また、公海か経済水域の端っこでしょ」「こんどは何?ICBMじゃないの?」くらいの反応になってくる。つまり、そのくらい実感がない。現実にミサイルが着弾するかもしれないという可能性の低い事態については、これまでもなかったんだから今度もないでしょう、で済ませてしまう。

オオカミ少年状態である。今朝のNHKの放送のなかで、北海道だったかの人の感想として「いい加減、うんざりしています」というものがあった。この感触は最大公約数的なものではないだろうか。ミサイル発射、被害なし、北朝鮮の挑発行動への非難、もっと制裁を厳しくしろ、圧力をかけろ。こういう一連の流れで「終了!」となるのが、毎回だ。

神山健治監督の『東のエデン』というアニメを思い出す。細かい説明は省略するが、ミサイルが着弾しても人的被害の発生しなかった「迂闊な月曜日」と呼ばれる事件が起きる。緊張感なく日々が過ぎていくなかで、その次のミサイルが発射され犠牲者が出るという設定だった。今年に入ってからミサイル発射の報道が多くなると、このアニメのエピソードが浮かんでくる。

ミサイルが国内に着弾して甚大な被害が発生する恐怖は、頭の隅に居座っている。しかし、恐怖と緊張感は「日常化」するにつれて薄らいでしまう。例の「非日常も日常化する」という、あれである。こうなると、われわれ日本人は、伝統的に「思考停止」モードに移行する。まあ、前回も領海や領土には着弾しなかったんだから、今度もないでしょう。たぶん、大丈夫ですよ。という程度のやりとりで済ませて、あとは考えない。この心的反応形式は、昨日今日にできたものではないので、いかんともしがたい。

七十年前の戦争だってそうだし、東日本大震災と同時に発生した福島の原発事故にしてもそうだし、大惨事が現実化するまでは、われわれは「ほとんど何も考えない」。そして大惨事に直面したときには「腰を抜かす」。虚脱状態となる。そうしてしばらく呆然として、ふと我に返ると、またいつものように日常生活に戻り、何事もなかったかのように日々を送る。だから、東日本大震災のときに、「日本人は大災害に直面しても冷静さを失わない」と賞賛されたが、あれは冷静だったのではなく、腰を抜かしていただけなのではないか。

現実にミサイルが着弾し、本当に腰を抜かすことにならないことを願っている。

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2017年6月16日 (金)

詮ない事ではあるが・続き

参議院は「良識の府」ではなかったか。二院制は、慎重な審議を行うためのしくみで、法律案は国民に与える影響が大きいため衆参両議院の議決が異なる場合は、衆議院での再可決を要する。こんなふうに中学の「公民」では習う。

「共謀罪」は、委員会審議を打ち切り、委員会での採決をせず、「中間報告」による本会議直接採決で成立した。これが「慎重な審議」と言えるのだろうか。「良識の府」である参議院のとるべき姿なのだろうか。多くの疑義に答えることこそが必要なことであるはずだが、なぜそれほど成立を急がなければならないのか。

しかし、こういった強引な国会運営がなされるであろうことは、安倍政権が衆参両院で過半数を占めた時点で予想されていたことでもあった。実質的には有権者の25%程度の支持しか得ていない政権が両院の過半数を占めている。以前に何度か取り上げたように、投票率が低いからだ。それと衆議院の小選挙区制が党執行部に逆らえない風潮を作り出していることも大きい。本来、自民党は幅の広さが売りであったはずだが、いつの間にか共産党と変わらないほど、執行部絶対の議員が多数派の党になってしまったようだ。

小選挙区制がすぐには改まらないとしても、少なくとも投票率が上がれば選挙結果は大きく動いたはずだ。この低投票率が諸悪の根源なのかもしれない。有権者の四人に一人しか支持していない政権であっても、両院で過半数を占めていれば何でもできる。このまま、もうじき本丸の憲法改正へと進んでいくのだろう。

現政権には、議会制民主主義を守るという考えがないのではないか。あるいは形だけ議会制民主主義に見えるよう整えようという考えか。両院とも過半数を抑えているんだから、国会審議なんて形式的なものにすぎず、自分たちが好きなように法案を決めていくことができる。文句を言う奴はどんどん「排除」していく。答えたくない質問には答えない。「印象操作」と「人格攻撃」で、不都合な人間を社会的に消していく。

このような政治を何と言うか。「圧政」という二文字以外の言葉が浮かんでこない。

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2017年6月15日 (木)

詮ない事ではあるが

「共謀罪」が国会で成立した。実行行為なしでも処罰できるという法律は、これからどのように運用されていくのだろう。

組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案
 (組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部改正)

(中略)

  第六条の次に次の一条を加える。

  (テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)

 第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

  一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮

  二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

 2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。

(後略)

「テロリズム集団その他の組織犯罪集団」とあるが、「別表第三」に掲げる罪を実行することを共同の目的として結合されたものが「組織的犯罪集団」ということになる。その「別表第三」だが、長すぎるので省略する(詳しくはこちら、ページの真ん中あたり)。しかし、「別表第三」の中の

五十五 著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)第百十九条第一項又は第二項(著作権等の侵害等)の罪

を実行することを共同の目的とし結合関係の基礎とした集団が「組織的犯罪集団」と認定されることになると、さまざまな表現の分野で、著作権侵害を恐れて自主規制が広がりそうな気がする。また「別表第四」には、気になる一節がある。

五 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法第四条第一項(偽証)の罪

とあるのだが、その「〜刑事特別法第四条第一項」とは、「第四条  合衆国軍事裁判所の手続に従つて宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する。」というもの。これって例えば沖縄の高江のヘリパッドの建設に抗議している住民たちとかを念頭に置いているってこと?

政府内閣は東京オリンピックに向けてテロ対策の強化が必要と強調するが、それならば「テロリズム集団」と限定すれば済むはずだ。それを「その他の組織犯罪集団」とし、しかもその定義に要する共同目的の犯罪がやたらに多い(ニュース等では277となっている)のでは、拡大解釈による恣意的運用を危ぶまれても仕方がないだろう。「テロリズム集団」以外の集団こそが処罰対象の本命なのではないかと疑わしくなる。

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