風景

2015年10月22日 (木)

夕暮れ時

文化祭の準備で遅い時間になってからでないと生徒がやってこない。教室の南側に面した窓際で、読んでいた本から顔を上げるともう街灯がともりはじめている。秋の日は釣瓶落しだなと思いながら西の空に視線を向ける。爪痕のような細い薄い三日月がかかっている。その下の空はブルーブラックのインクを水に落としたような色合いから山際の茜色まできれいなグラデーションになっている。山は青みがかった灰色だ。あまりの見事な景色にしばらく見とれてしまった。

その爪痕のような薄い三日月も、この数日のうちに半月に変わってしまった。相変わらず紙のように薄い色合いの月だ。夜が更けてから見るクリーム色の月ではない。生徒も相変わらず遅い時間にしかやってこない。下の通りを車や人々が通り過ぎていく。けれども、しんとして音がない。あらゆる物音が死に絶えてしまったように錯覚する。その無音の通りの向こうに、濃さを増していく山並みの灰色と山際の夕映えの茜色が、圧倒的な美しさで広がっている。

ひとの世の何事にもかかわりなく、かつても、これからも、この秋の夕暮れは同じように美しく過ぎていくのだろうなと思う。人の生の何という短さか。八十年、九十年生きたとしても自然の時間の長さにはくらべようがない。でもね、それだから皆じたばたと動きまわるのではないですか。たかだか生きて八十年。昔は人生五十年と言われていたのだ。生きているうちに、あれもこれも思いっきりやってみたいことをやってみなければ。

ため息が出るほど完璧な自然の美しさの前で、ぼんやりとそんなことを考えた。

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2012年9月22日 (土)

無音の風景

私の教室は古い四階建てのビルの三階にある。エレベーターなどという文明の利器はないので、毎日階段を昇り降りしている。南側の窓は飛散防止ワイヤーの入った透明窓で、通りに面している。東と西の窓にも同じくワイヤーが入っているが半透明の窓で外の景色は見えない。

建物自体が古いことに加え窓も二重サッシではないので、外の音がよく聞こえる。救急車やパトカーのサイレンはもちろん、さまざまな物売りやら廃品回収車やら広報車やらの流す音も飛び込んでくる。ハンドベルを鳴らしながら夜間ウォーキングか何かの一行が下の歩道を過ぎていく時は、たいがいの生徒が一瞬ギョッとする。何だ何だあの鈴の音は。それも一つや二つではなく大量の鈴の音が暗くなった外から近づいてくるのは、確かに少し不気味である。好奇心の強い生徒は南側の窓に駆け寄って通りを見下ろしたりする。

ところが、これだけ外の物音がよく聞こえる場所なのに、無音室にいるのだろうかと思うくらい静かな瞬間が幾度かある。風の音もせず、鳥の鳴き声も聞こえず、通りを行き交う車もぴたりと途絶えてしまう。すると、目の前に街並みが広がっていて、遠くの大きな液晶パネルの広告が次々と映像を変えていくのに、まるで音の無い世界に入ったかのように何も聞こえなくなる。

それは不思議な光景である。効果音も音楽も科白も一切の音を止めた映像だけの場面を見ているような感じだ。真空の中にいるような奇妙な感触。突然聴覚を失ったらおそらくこんな風に世界が見えるのかもしれない。

しかし、ごく短い時間しかその静寂は続かない。視界にまだ入らない車の近づく音が聞こえたり、鳥の鳴き声や風の音が突如としてわき起こり、真空だったような光景に再び血が通い始める。音とともに世界が息を吹きかえしたかのように錯覚する。

音が途絶えた光景を眺めていると、家族がいて親しい友がいて知り合いがいて、それでも死んでいく時は一人なのだという絶対の孤独感みたいなものが不意に浮かんでくる。すべての人から切り離された音の無い世界。この世界の中にたった一人で立っているような感覚に包まれる。

無音の風景は、寂しいけれどもそれはそれで美しい。けれど、それでもやはり、さまざまな物音があちらこちらから響いてくる風景の方がいい。血の通ったぬくもりがそこに感じられるからだ。

金曜日21日は日中でも涼しかった。おそらく25度まで気温が上昇しなかったのではないか。急速に季節は秋へと転回している。

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2011年3月11日 (金)

国見山に登る

昨日、教室に向かう途中でふと思い立ち、国見山へと車を入れてみた。この時期だと冬期の通行止めが解除されているかどうか微妙なところだが、とりあえず行ってみようと思った。

案の定、通行止めのプレートつけた台が置かれている。が、いつものように道路を完全にふさぐ形ではなく、左端に寄せてある。車が余裕で通過できる状態だ。ということは通行止めが解除されているということか。勝手に判断して車を山道に乗り入れた。

道路の脇には消え残った雪があるけれども、路面はすっかり乾いている。カーブの多い細い道をゆるゆると上り、国見山神社の鳥居がある付近に車を停めた。この時期に来たのは初めてだ。鳥居のすぐ下にあるコンクリート製の階段が意外と急勾配だったことに驚く。鳥居をくぐる。杉の枝が雪か風で折れて根方に落ちている。以前に来たときは春とか秋だったから木々の枝や葉にさえぎられて見通せなかったところがよく見える。まったく違う場所に来たような錯覚に襲われる。

足許はナラかクヌギの枯れ葉が散り敷き、その上にところどころ雪が凍って少し歩きにくい。途中で国見山廃寺と呼ばれた山岳寺院の七間堂跡などに足を踏み入れ、ごろごろと転がる大きな岩の間を登る。だんだん息が上がってくる。たかだか二百数十メートルの山とも呼べない丘のような場所なのに、岩場を通過していくので、意外にきつい。体力が無くなったなあと痛感する。

大きな岩が重なって狭い通路を形作っている「胎内くぐり」と呼ばれる場所にさしかかる。つい先日震度四の大きな地震があったばかりなので、ここをくぐっているときに地震が起きたらどうなるかと妙なことを考える。幸い何事もなく通過し山頂へ。展望台まで上る階段も急勾配で、どこまでも足にくる。

展望台はとにかく風が強く寒い。さすがに眺めはよい。北上の市内が一望できる。

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あまりに寒いので早々に展望台を下り、もと来た道を引き返した。下り道は枯れ葉と凍った雪で滑りやすいので、途中で拾った枯れ枝を杖代わりにゆっくりゆっくりと降りてきた。帰り道の風景も春や秋とはまったく印象が違う。知らない道を歩いているような感触だった。

この山は奥州藤原氏の平泉が栄える二百年以上前に開かれた。慈覚大師の開山と伝承するが、東北の古寺はほとんどが慈覚大師開山とされているので、あまり信憑性はない。しかし、天台系の僧侶の修行の場となっていて、廻峰行をおこなったのだろうと言われている。その後安倍氏の時代になると奥六郡の仏教文化の中心となった場所である。

ときどき無性にここに登りたくなる。日常の時間と空間の中でなまってしまった五感が再活性化されるような気分を味わうからかもしれない。

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2011年3月 2日 (水)

三月の風景

三月に入ってからまだあまり気温は上がっていないが、それでも確実に雪は融けている。教室の窓から見渡す奥州市の町並みは、すでに春のそれだ。北上市の自宅から見える資材置き場には、一面に雪が多く消え残っている。だが、除雪車が山のように積み上げたところもいつの間にか小さくなり、その近くには黒っぽい地面が広く顔をあらわし始めている。

昨日も教室に向かう途中、北へ帰る渡り鳥の群れを目にした。雁だろうか。きれいに列を作り北へと帰っていく。おとといは雪の消え残る田んぼに降りた無数の白鳥と鴨あるいは雁の群れを見かけた。あまりにも多い数で、最初は何がいるのかすぐに分からなかった。おそらく帰る途中でエサをつつくために舞い降りたものだろう。

枯れ木のような木々の枝先には新しい芽が膨らんでいる。冬の間、まるで死んだようにしか見えなかった木々が急に眠りから覚めようとしている。例年、三月に入ってもドカ雪が降ることが何度かある。場合によっては四月に入ってからでさえ雪となる日がある。それでもそうやって寒くなったり温かくなったりを繰り返し、つづら折りの坂道をゆるゆると上っていくようにして春へ入っていく。

季節が変わろうとしている。人も、それを取り巻く環境も、様々なつながりも季節と同じように変わろうとしている。新たな気持ちで、新たなことに取りかかりたい。巡る季節もやがて咲き始める花も、同じように見えるけれど同じではない。去年の花と今年の花は別のものだ。そのように、また新たな一年の巡りがやって来る。

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2010年11月 9日 (火)

みごとに紅葉した山々

低い雨雲から時折雨がポツリポツリと降ってはすぐ止む空模様だった。ワイパーを間欠にするまでもないくらいの降り方だが、雲が低く垂れ込めているので、午後の早い時間なのに、なんとなく暗い。

教室に向かういつもの通勤路を少しだけはずれ、国見山の極楽寺へと走ってみた。山の木々は赤や黄や茶に色付き、狭い道路にも落ち葉が散り敷かれている。折からの雨でぺたりと路面に貼りついてしまったような葉で路面が見えなくなっている箇所もある。

極楽寺から宝塔山をぐるりと巡るように車を走らせる。みごとに紅葉した風景が視界に入る。ただ、薄暗い空模様のせいで、あまり鮮やかな色合いには見えない。

いつもの通勤路に戻ろうと車を西に向けると、西の空がやけにまぶしい。奥羽山脈の上空のあたりだけ雲が切れて、山の斜面に陽射しが降り注いでいる。思わずあっと叫びたくなるような美しい光景であった。黄と茶を主にした色合いに紅葉した山肌に真上から舞台のライトをあてたように、そこだけ明るく浮かび上がっている。麓のあたりまで陽射しに照らされて遠くからでもよく見える。

西の空の山際だけが晴れているために、このような光景を目にすることができたのだろう。視線を南の空へ、それから東の空へと転じると相変わらずの雨雲。その雲にさえぎられて薄暗い風景の中を車は進む。

奥州市に入り桜木橋を渡るとき、もう一度西の山脈に目を向けてみた。が、すでに西の空にも雨雲が広がり、ついさっき見たような明るい山の紅葉は見られなかった。虹のように一瞬だけ浮かび上がった蜃気楼のような光景だった。

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2010年10月21日 (木)

夕暮れどきの風景

文化祭の直前で準備が遅くまでかかるせいか、夕方六時くらいを過ぎないと生徒が現れない。例年この時期はそうだ。めっきり日の暮れが早くなったと感じる。秋の日はつるべ落としという言い方も、井戸やつるべが無くなってしまった現代では分かりにくくなってしまったが、四時半を過ぎたあたりから薄暗くなり気がつくと辺りが真っ暗になっていたりする。

教室の窓から一人、奥州市水沢区の町並みを眺める。遠くの看板を照らす灯りがポッとともり始める。パチンコ店の大型液晶画面に映し出される広告が鮮やかな色を明滅させている。街灯がともるまでにはまだ少し時間がある。

古いビルの三階にある教室から眺める町並みは民家の屋根と林立するアンテナとコンクリートの電柱ばかりが目立つ。その町並みの向こうに薄墨で描いたような北上高地の一部が見える。暗くなるにつれて、その山の稜線と空の境目がはっきりしなくなってくる。

五時まであと10分というあたりで街灯がともり始めた。すぐ下の大通りを走り過ぎていく車もヘッドライトをつけている。いわゆる薄暮の時間になった。町並みも車もまだ見えるのだが、歩行者や自転車は見えにくくなっていることだろう。この時間に外を運転することが滅多にないため、実際の見え方はよく分からない。

それにしてもあっという間に暗くなった。つい三十分ほど前までは、少し暗くなってきたなというくらいでしかなかったのに、五時を回ろうとする時分には一気に暗くなっている。

灯下書に親しむ秋。そう言えば来週の水曜、27日から読書週間が始まる。七月半ばから読み続けているディケンズの『荒涼館』は、ようやく残り三分の一くらいのところまで来た。この長編は、だんだん面白くなってきた。前半までは善人しか登場しない話なのかともの足りなく感じていたのだが、半分を過ぎたあたりから、徐々に人間の暗黒面とでも呼ぶべきものが表に顔を出し始める。一気に物語の陰影が深くなり、平板だった世界が突如として奥行きの深さを見せる。大江健三郎が筒井康隆に勧めたのも、もっともだと思えるような展開になってきた。

読書週間のうちにできるだけ読了してしまいたいと考えているのだが、どうなることやら。

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2010年9月25日 (土)

橋を渡る

ほとんど毎朝、橋を渡る。北上川にかかる日高見橋という橋だ。北上川の西岸から東岸へ渡ると東陵中学校への入口にあたる交差点があり、そこを右折して展勝地方面へと進んでいく。通い慣れたいつもの通勤路である。

日高見橋という命名は、なかなかいいなと思っていた。かつて陸奥国は日高見国と呼ばれていたことがある。歴史とのつながりを感じさせてくれる名前である。この橋は新しく造られた橋で、片側一車線ながら道幅が広く、歩道もゆったりしている。水面からの高さもあるので、橋の真中あたりに来たときの眺めはなかなかよい。もちろん運転しながらだから、じっくり眺めてはいられないが、川下の珊瑚橋の辺りの風景は、広々として気持ちがいい。

朝の早い時間にこの日高見橋を渡ることは、あまり多くないのだが、夏期講習などの期間には、通勤ラッシュの時間帯にぶつかることがある。そうなると東陵中学校下の交差点を右折するのが大変になる。東岸から西岸の市内方向へ向かう流れが多くなるからだ。

それを避けるため、いつもは渡ることがない川下の珊瑚橋を目指すことになるのだが、建てられてから数十年以上になる珊瑚橋は道幅が狭く、冬の路面凍結時や積雪時には正直なところ走るのが恐い。水面がすぐ眼下に見えるのも高所恐怖症の私としてはいただけない。増水したときはなおさらである。

ただ、古い橋であるだけに色々と思い出すことも多い。珊瑚橋を初めて渡ったのはいくつの時だったのか。おそらく小学校に上がるか上がらないかの頃だと思う。展勝地の桜を見に家族で来たときだ。夏の花火大会の時も、何度か来ている。橋の近くで花火を見上げたこともあるし、珊瑚橋に仕掛けられた「ナイアガラの滝」と呼ばれるエンディングの花火を、川下の方から眺めたこともある。高校時代の友人の家が近いので、遊びに行ったときは北上川の堤防をぶらぶらとこの橋の方まで散歩したりしたものだ。

老朽化しているので、いつか架け替えになるのだろうが、できることなら珊瑚橋は現在の雰囲気を残したまま拡幅だけしてほしいと思う。

北上川にかかる橋で利用することが多いのはもう一つ、奥州市水沢区内に向かって東岸から西岸へ渡る桜木橋である。ほぼ毎日渡っていると言ってもよい。この橋も北上市の日高見橋と同じように川面から高い位置に路面があって見晴らしがよい。しかも片側二車線のゆったりした橋である。

この橋を渡るとき、川下に見える丘陵地帯にいつも目がいってしまう。川が右カーブしていて見えなくなっている先のあたりが巣伏の戦いのあった地点だ。阿弖流為(アテルイ)が紀古佐美の率いる官軍を大敗させた戦いである。川下の丘陵地帯には、その阿弖流為らがたてこもったのではないかと見られている小高い丘というか小山がある。天気が悪くて見通しがよくない時でもこの丘は遠くからよく見える。何だかよく分からないが、目にするたびに気が引き締まる。この桜木橋を渡って水沢区に入ると、教室まで五分ほどという所だからかもしれない。

川の流れは日々表情を変えるが、川の周辺の風景はいつも同じようなたたずまいを見せている。変わらない風景の中で川だけが流れていく。いや風景も少しずつ変わっているのだろうが、それとすぐに気付くような変わり方ではない。その両者を橋の上から眺めるとき、自分が生きている時間のこともぼんやりと思ったりする。

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2010年8月11日 (水)

競馬場のある街の花火大会

今日は奥州市水沢区の花火大会である。せっかくの花火なのに、夕方五時くらいから急に雨が降り出した。そういえば去年も天気が悪かったような気がする。

花火大会の会場は水沢競馬場である。私の教室から車で五分も走れば着くところにあるのだが、競馬をやらない私は、一度も中に足を踏み入れたことがない。外からは何度か見たことがあるし、かつて調教師のご家庭に家庭教師としておじゃましたこともある。しかし、実際に競馬をやってみようという気持ちにはならないで、この歳まで過ごしてきた。以前記事にしたが、一つの物事にのめり込みやすいほうだから、かえってよかったのかもしれない。

午後七時を回った頃からドンという音とともに打ち上げが始まった。例年通り、早々に生徒がいなくなった教室に一人残り、東側の窓から競馬場の上にあがる花火をぼんやりと眺めた。去年は確か雲が低く垂れこめて、花火がくすんで見えたように記憶している。心配した雨は夕立程度で終わり、今年はくっきりと花火が見える。

去年もおととしも、こうして仕事の片付けをする手を休めて窓から花火を眺めた。一瞬のきらめきと鮮やかな色合いを残して暗い夜空に消えていく花火は、華やかだがはかなさも同時に感じさせる。

花火大会の記憶というのは、大概子ども時代の記憶と結びついているのではないか。家族と見に行った花火大会。少し大きくなると友達と行ったり、つき合っている誰かと一緒だったりということになるのかもしれない。いずれにしてもどこか郷愁を誘うところがある。

そのせいかどうか分からないが、これだけ娯楽が多様化しても、花火大会というのは地域を問わず、世代を問わず人気のある娯楽の一つではないかと思う。江戸の昔から夏の夜空にひらく大輪の花火を見上げ歓喜する人々の姿は変わらずに続いてきたのだろう。大きく開いた花火に照らし出され、ズシンとお腹に響くような音の振動を味わい、消えた後の余韻にひたる。今も昔も変わらない夏の風物詩である。

花火大会が終わると微妙に季節が移ろっていくような気がする。まだまだ残暑は厳しいのだが、お盆が過ぎると確実に季節が変わっていく感触がある。岩手の夏休みは短い。来週の水曜はもう始業式であり、実力テストの日である。ひと息ついたらまた走り出さなければならない。

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2010年5月 1日 (土)

満開の桜

教室の南窓から見える視界の中に、何本か桜の木がある。今まさに満開である。四月の気温が低かったため、例年よりずいぶん遅いと思う。ゴールデンウィーク期間に水沢区の桜が満開などという記憶はしばらく無い。

今日は天気も良く、気温も上がってきていると思うが、風が強い。春一番のような突風が時折窓ガラスをガタガタ言わせる。満開の桜の枝も風に揺れているが、散る気配はまったくない。

私の住む北上市の展勝地も桜がだいぶ開いてきたはずだが、この数日、展勝地付近の渋滞を避けて国道4号線を使って通勤しているため、どれくらいの開花なのかよく分からない。帰宅時の夜間にヘッドライトで照らされる道路際の桜は分かるが、北上川沿いの桜並木のトンネルがどうなっているか。ライトアップされるはずだからある程度は確認できると思うものの、ああ咲いているなあという感じを持たなかったので、まだ五分咲きくらいなのだろうか。

先週あたりは観光バスで訪れる人たちも、肝心の花がないのでがっかりだったと思う。このゴールデンウィーク期間が一番の見頃になりそうで、これはこれでいいことかもしれない。大型連休期間に桜の花が残っていることの方が少ないので、花見を考えている人々にはちょうどよい咲き方なのではないだろうか。

追記:
ついさっき、帰宅途中に展勝地を通り過ぎてきたが、道路沿いの桜は満開のようだった。おそらく川沿いの桜並木も同じなのではないかと思う。2日の日曜や3日の月曜あたりは見頃だと思う。

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2010年2月28日 (日)

明日から三月

今朝教室へ向かう途中、北へ帰る白鳥の一群を見かけた。先週あたりから暖かくなってきたので、教室の外を飛び過ぎていく白鳥の鳴き声が時折聞こえていた。

北へ向かう白鳥たちは、「く」の字というより「へ」の字のような、向かって左側の列が短い隊形で飛んでくる。あまり高くない所を飛んでいくので、その一群が視界の右側に入った時に白鳥の様子がよく見えた。まるでジャンボジェットが十数機編隊飛行しているように見える。大型の鳥だなあとあらためて思う。

白鳥たちが飛び去ってゆく下に広がる田んぼには、ほとんど雪がない。家々の周りでも消え残っているのは北側の軒下に少しあるくらいだ。例年ならまだいくらか雪が消え残っていることがあるのだが、今年は雪が少なかった。このまますんなり春に入るとは思われない。いつも三月に入ってから何度かドカ雪がある。一面が雪で白くなることもある。しかし積もったままにはならないで、数日もしないうちに消えて、また地面が顔を出す。

三月九日に公立高校入試。合格発表が十六日。新型インフルエンザで再試験を受ける生徒が出れば発表は十九日にずれる。いずれにしても合格発表を確認に各高校を回る頃には、すっかり春めいてくる。何校か確認して一時間ほど過ぎると合格発表の掲示板前も閑散としてくる。人影まばらな掲示板の所で早春の少し冷たい風に吹かれながら番号を確認しているときに、季節がまた巡ってきたことを一番実感する。

今年度はここ数年で中3生の塾生が最も少ない年度だが、全員合格となることを願っている。


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