ひとりごと

2009年11月25日 (水)

釣りはしないのだが…・その3

釣りシリーズの締めくくりとして、新聞に載っていた記事を紹介したい。

朝日新聞岩手版に宇多清さん(62)というフライロッドを手作りしている方の記事が出ていた。

 …渓流に潜むイワナやヤマメなどの渓流魚を、毛針で誘い出して釣り上げる「フライフィッシング」。カムパネラは、日本のフィールドに定着したこの西洋生まれの毛針釣り専用の竿となるフライロッドを、炭素繊維のシートから巻き上げて手作りする、恐らく国内でも唯一のメーカーだ。

 紫波町佐比内の雑木林の中にひっそりとたたずむ小さなログハウスの工房から、全国各地、本場アメリカのフライフィッシャーマンすらあこがれる名竿(めいかん)が、こつこつと生み出されている。

 代表の宇多さんは、神奈川県平塚市出身で、元は食品パックなどに使う真空ポンプメーカーに勤めた技術者だ。23歳で始めたフライフィッシングに魅せられ、46歳の時、会社を辞めて「いつかは」とあこがれていた田舎暮らしを、あこがれの渓流が広がる岩手に移住して始めた。(中略)「釣り人の感性でしか作れない竿」を目指して99年にメーカーを立ち上げた。社名の「カムパネラ」も、岩手らしい名をと「銀河鉄道の夜」にちなんで釣り仲間の編集者がつけてくれた。

 手作業で炭素繊維の布を切って先を細くした金属製の芯棒に巻き付け、むらなく仕上げるため真空オーブンで焼き上げるのが特色だ。(中略)カムパネラロッドは、代表の宇多さんと、ただ1人の社員で同じく神奈川から岩手に移住したベテラン釣り師の石川寛樹さん(39)の2人が実際に釣りに出かけ、釣り仲間の意見を反映して「感性」で練り上げた竿のしなりを数値化し、一本一本、手作りする。(中略)

 手作りのため、1カ月に生産できる竿は多くて60本。宇多さん手作りのバンブーロッド(竹竿)に至っては年産わずか30本で、予約しても1年半待ちという。

 だが決して量産メーカーになるつもりはない。「釣りは人生の憩い。自分自身が本当に欲しいと思う竿を、喜んでくれる人のために作りたい」。それが、宇多さんと石川さんの答えだ。

(朝日新聞岩手版 2009年11月19日付)

私はまったく釣りをしないので、この手作りロッドがどれくらいの価値があるものか正直分からない。しかし記事の最後に出ていた宇多さんの言葉は、本物の人の言葉だと思う。

一本一本丹誠込めて作られたロッドは、おそらく手にしっくりとなじむ逸品なのだろう。釣りはしないけれども、どんなロッドなのか一度実物を見てみたい。

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2009年11月23日 (月)

冬が近い

先週の何曜日だったか、仕事を終えて帰宅しようと教室を出るとみぞれまじりの雨だった。火曜日の夜だったかもしれない。高校教室の数学を担当している非常勤の先生が、「雪になりそうですね」と窓の外を見ながらつぶやくように言っていたのを思い出す。

車を出して少し走ると本格的な雪である。しかし路面が凍るような寒さではないし、雨雪のような水気の多いしめった雪だから、降ってもすぐにとけてしまい積もるようなことはない。シャーベット状になったところがないかだけ気をつければよい。ノーマルタイヤのままで走っていて怖いのはシャーベット状のカーブにかかったときと橋の上を走るときである。幸いその晩は路面が濡れているだけで、シャーベット状にはなっていなかった。

本格的に雪が降ってきそうなときは空の雲を見ていると分かる。西の空にかかる雲の端の方がふわふわと起毛したようになってきたら要注意だ。積もる雪が確実に降ってくる。もっとも、そういう雲が見られる日は上空に寒気が来ているので、下界のほうもかなり冷え込んでくる。スノータイヤに履き替えておかないと危ないなというのはそういうときである。

雪国に住んでいるので、タイヤ交換は自分でできる。時間が無くて忙しい方は、みなガソリンスタンドやタイヤ屋さんに車を持っていって交換してもらう。私はほぼ毎年、自分でカミさんの車と私の車と2台分のタイヤの交換作業をする。1本に約10分かかるので1時間半ちょっとというところか。例年、この作業をすると運動不足だなあと感じる。たかだか2台の車のタイヤを交換しただけなのに、翌日軽く筋肉痛になる。もう少し日頃から運動しておかなければと痛感させられる。

今年はまだノーマルタイヤのままである。もう少しすると一度ドカッと雪の積もる日が来るはずだから、その時に履き替えようと考えている。雪の降る中でタイヤ交換となるのは避けたいが、それもまた年中行事のようなものでそうなったらやむをえない。

冬でも雪が積もることのないところに住んでおられる方にはなかなか想像できないことかもしれないが、雪がしっかり積もると不便な生活を強いられる。雪かきは当然のこととして、除雪車が通った後の出口確保とか、移動時間を最低でも1.5倍以上見ておかなければいけないとか、意識を冬の生活モードに切り替える必要に迫られる。車のスピードは当然ダウンする。ふだんは速度表示の標識より10キロくらいは超過している交通の流れが、標識の表示以下となる。たまに他県ナンバーの車がこわいもの知らずで追い越して行くが、あれは雪道の怖さを知らないからできることだとヒヤヒヤして見ている。

実際、路面が凍結したり圧雪状態になったりすると、直線路なのに道路脇の田んぼや用水路に車が落ちているのを毎年見かける。おそらく急ブレーキか急なアクセルかだとは思うが、まさかこんなまっすぐなところでと首をかしげたくなるようなところに車が横転していたり、鼻先をつっこんでいたりする。それを横目に「あぶない、あぶない」とトロトロ走るのも冬の風物詩の一つである。

今日は晴れ間が広がり、それほど寒くない。しかし、窓から見える外の木々はすっかり葉を落としている。そろそろ冬モードに意識を切り替えなければならない日が近いのかもしれない。

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2009年11月20日 (金)

釣りはしないのだが…

リンクを張らせていただいているちびやまめさん のところに先日久しぶりに顔を出したら、さっそく記事にしてもらった。ありがとうございます。

ちびやまめさんはフライフィッシャーでイワナやヤマメを求めて渓流に向かう。ときどきそのブログを読んでいて面白いなと思ったり、不思議に思ったりするところがあったのでいくつか質問してみた。まず、魚に色は見えるのかという話。

ハエの見ている世界が白黒の世界だという話は、私も何かで聞いたことがあって知っていた。さて、魚はどうなのだろう。ちびやまめさんの疑問は釣りの体験から生まれたものだそうだ。同じポイントで同じように竿を振っているのに、全く反応しない場合とちょっとだけ反応する場合と食いつく場合の違いを考えたとき、フライ(「毛鉤」って書いてあるんですが…)の形ではないなと気がついたらしい。同じ形状のフライで、同じポイントにキャスティングしても違いが出るときは実は色のちがうフライを使ったときだという。特に赤い色には反応するらしい。なぜ赤なのかという説明を受けたのだが…、すっかり抜けてしまった(笑;)。ちびやまめさん、コメントで補足お願いします。

食いつくかどうかという話で面白かったのが、川面にエサとなる虫が多いときはフライに見向きもしないという話。本物のエサとフライのちがいを魚は見抜いているらしい。なるほどなあ。連中にしてみれば死活問題だもんな。

次に聞きたかったのが、「入渓点」と「退渓点」をどうやって決めるのかということ。渓流に入る特別のポイントがあるのだろうかと思っていたが、そうではなく入りやすい地点が「入渓点」になるという常識的な答えであった。そこから上流に向かって釣り上がっていくということだが、釣れても釣れなくても延々何時間も上流まで向かうと聞いて「うーむ」と思ってしまった。やはり好きでなければできないことである。「退渓点」については詳しく聞かなかったが、おそらく「入渓点」と同じく川から出やすい地点ではないかと思う。これもコメントで説明をお願いします。

一つ聞きそびれてしまったのが、フライフィッシングの釣り糸(ラインって言うんですか?)は何の材質でできているのかという疑問。いろいろな太さがあるようだし、糸の重さでフライを飛ばすのだから普通の釣り糸とは違うだろうなぐらいのことしか思い浮かばないので聞いてみたかった。関連して、普通の釣り糸(いわゆるテグス)は現在はナイロンとかの化学繊維だと思うのだが、昔は文字通り「天蚕糸」だったのかということ。

実は八代目桂文楽さんの落語に「馬のす」(ニコニコ動画で見る)という噺があって、釣り好きの男が仕事をさぼって釣りに行こうと道具を調べてみたら重りも針もエサもあるのだが釣り糸だけがない。ちょうどそのとき近所にやってきた誰かが白馬をつないで馬から離れる。そうだとばかり、男は白馬のしっぽの毛を1本抜いて釣り糸にしようとする。そこへ男の友だちが現れて「馬のしっぽを抜くとこれこれこういう祟りがありますよってぇのを知らねえな」と声を掛ける。気になった男は、何だよ祟りってと友だちに聞き返すが友だちは「ただじゃねぇ。まず一杯呑ましてくれ」と気を持たせてなかなか話さない。さんざんごちそうさせて…、という短い噺である。

この落語にあるように馬のしっぽの毛が釣り糸代わりになったものなのだろうかと気になっていた。落語のことだからなあと話半分に聞いておいてもいいのだが、可能性があるのかどうか知りたいと思う。これも、コメントよろしくお願いします。

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2009年11月19日 (木)

一人ではない

岩手の小さな塾屋を自分で切り盛りするようになってから、やっと三年が過ぎた。塾の仕事をするようになってからは四半世紀が経っている。勤め人の塾講師としての時代が長かった。

勤め人だった頃には分からなかったことで分かるようになったこともある。逆に考えなくてよかったことを考えなければならなくもなった。個人塾だから自分の裁量でどうにでもなる自由があり、その代わり結果も自分で引き受けるのだからあれこれと迷うことや考え込むこともある。勤め人の頃であれば気軽に同僚の講師や先輩に相談し、アドバイスを受けたりハッパをかけてもらったりできた。しかし、小なりといえども一国一城の主になると、おいそれと相談できなくなってしまう。

この経済情勢の中、どの業界もきびしい競争から逃れられないのが実情だろう。ここ岩手も事情は同じである。競争していかなければならないという現実の波が押し寄せてきたとき、ふとひるんでしまいそうになる自分の背中を誰かの目を借りて押してやろうと思い、大験セミナーの金田先生 とブログを通じておつきあいいただいている神奈川のとよ爺先生 に話を聞いていただいた。

三日、三月、三年と節目節目を通過したばかりだがこれから本気でがんばらないといけないと思っていた。アドバイスをいただこうというより、がんばりますので見ていて下さいと宣言することで自分を前に進めようと思っただけだったのだが、お二人からブログの記事(金田先生の「文は人なり」ととよ爺先生の「続・文は人なり」 )にまでしていただき、言葉では表せないくらいうれしかった。本当にありがとうございます。

孤立無援かと自嘲していたのだが、激励の言葉をかけてくださる人が自分にもいるのだと思うだけで、前進しようとする気持ちが一層強くなるものなのだとしみじみわかった。誰かの気持ちに寄り添うこと、一人ではないと伝えること、子どもたちにも同じように一人ではないのだということをつかんでほしいと思う。

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2009年11月13日 (金)

前を向く

「人生ゲーム」というボードゲームがある。息子が小さかった頃よくいっしょに遊んだものだ。さいころ代わりのルーレットの数字で止まったマスの指示によって、ゲームの展開がどんどん変わっていく。すべてが運だけで決まるのではなく、いくつかの選択が勝敗の別れ目になる点が面白いと思った。「人生ゲーム」とはこれ以上もこれ以下もない、絶妙なネーミングである。

人の幸、不幸あるいは運、不運の根源にあるものは「深層のイメージ」だと大験セミナーの金田先生が書かれていたのは、昨日の記事でご紹介したとおりである。選択するときには、迷ったりためらったりすることがあるが、自分の中にある「思い」に目を向けてみると答えはおのずからすぐ手の届くところにあることが多いのではないだろうか。

勤め人だった頃のことを振り返ってみるとよく分かるが、うまく言葉で説明できないもののどこか自分の思いと違うのではないかと漠然とでも感じるものごとに対しては、体が拒絶反応を示すものだ。気が進まないし、意欲も湧かない。したがって結果もよくない。だから本当に自分は何がしたいのか、この仕事を通じて何を実現したいのか自分に向き合ってみる時間が必要なのだろう。

生きていく道筋にはさまざまな出来事が起きる。その一つ一つには何か意味がある。まるで何かに試されているようだと思うときがあるが、その時にこそ自分の中の深層のイメージを大事にし、前を向かなければならない。具体的な行動を起こすために、しっかりと地に足をつけて進んでいかなければと思う。

「思い」を形にし、行動を積み上げていくこと。行動を重ねていくことでしか次の展開は見えてこないのだろう。

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2009年11月12日 (木)

こころなりけり

大験セミナーの金田先生が「人智学」にふれて書かれた文章が心にしみた。(もとの記事はこちら

人がこの時代、この国、この地域、特定の家庭に生まれてくるのは偶然ではない。それぞれの学びの目的があり、生まれてくる。

人間の幸、不幸はある種の宗教が言うような前世のカルマや因果によるものではなく、人間の深層イメージによるものであって、いつでも変えられる。言葉や想像力が一番大切なものである。

人間のエネルギーの根源をなすものは感謝であり、感謝から生まれる行動力である。

私は子どもたちの指導において上記のことを常に念頭に入れている。思いや常日頃発する言葉は、人の運命さえ左右するものだと考えている。

「言葉や想像力が一番大切なものである。」「人間のエネルギーの根源をなすものは感謝であり、感謝から生まれる行動力である。」という文と、それに続く「思いや常日頃発する言葉は、人の運命さえ左右するものだと考えている。」という一文に、あれこれと迷うことの多い私は勇気をいただいた。

金田先生が述べられたように日頃の言葉や想像力、その底に潜んでいる深層のイメージがその人の行動を左右するのであろうし、幸、不幸を生み出してもいるのだろう。仏説に言う「因果応報」という言葉も、そうとらえた方が分かりやすいのではないかと思う。起因となるものは人の心の奥深くにあるのであり、それが具体的な個々の言葉や行動となる。それゆえその具体的な言葉や行動のもたらす結果もまた、すべては深層のイメージから生まれたものだと理解すべきなのだろう。

人は思うようにものごとが進まないと他の人のせいにしたり、置かれている環境や状況のせいにしたくなる。しかし、すべての起因が自分の中の深層のイメージにあると認識できれば、今置かれている状況が自分にとって持つ意味を変えていくことができる。幸、不幸というものは「客観的」なものではない。あくまでも自分の「主観的」なものだ。他から見てどれほど恵まれていても、当人の心が不平不満の塊では不幸だとしか感じられないだろう。逆にさぞ困っているのではないかと心配したくなるような状況にいながら、満ち足りた心で楽しく日々を送っている人もいる。

自分の「思い」と「言葉」をもう一度振り返り、生徒の前に立つときに身を引き締めなければとつくづく思う。ずいぶん「言葉」と「思い」をないがしろにしてきたような気がしてならない。

金田先生、大事な気づきのきっかけをいただき、ありがとうございます。

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2009年11月 7日 (土)

加齢ですか…

三谷幸喜氏が朝日新聞に連載している「ありふれた生活」は面白い。毎回そこはかとなく笑わせてもらっている。今日の紙面に載った内容もくすくすとしてしまった。

NHKの人形劇「新・三銃士」が評判となっている三谷氏だが、手のしびれが突然出てくるようになったらしく病院で見てもらったという。MRI検査の結果は「頸椎の椎間板ヘルニア」。その原因は、診察した先生によると「簡単に言えば姿勢の悪い状態での仕事のし過ぎ。後は加齢ですね」ということだそうだ。三谷氏は最後の一言は聞きたくなかったという。その一言を聞かなかったことにして、「つまりは職業病ということですね」と、医者に確認するように尋ねたと書いている。職業病なら「身体を酷使してまで創作に打ち込む作家の鑑(かがみ)」みたいな雰囲気もあって受け入れられるとのこと。

く、く、くと忍び笑いしながらもご同情申し上げたい気分になった。この「加齢」という一言ほど、グサッとくるものはない。以前、冬場に肌がガサガサになるので皮膚科にいってみたときのことだが、皮膚科の先生曰く「加齢による乾燥肌ですね」。え、そうなのか、ガーン。なんだか一気に老け込んだような気分になる一言であった。そういえば、腰も痛いし、目もかすむし、もう若くないような…。

と思いながらも、三谷氏と同様加齢を認めたくない私は、しかし気の持ちようだと自分に言い聞かせている。まだまだ後半戦がんばらねばならないことも多い。こんな所で老け込んではいられない。年輪を重ねてきましたね、とか何かいい表現はないのだろうか。ということで、今日はお気楽な内容でした。

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2009年11月 3日 (火)

仕事があることのありがたさ

深刻な経済情勢を抜け出したという報道も目にするが、東北地方の雇用状況は厳しい。高校生の就職内定率も昨年同期よりも相当低いようだ。私の住む北上市内の就職希望の高校生で40数%台、北隣の花巻市ではなんと30%弱しか内定していないと先月中旬頃の新聞には載っていた。県内の就職先を希望している高校生が多く、それに応じられる企業がないというのが実状のようだ。高校の進路指導の先生方も県外まで就職先を広げるよう指導しているという話である。

極端に低下した有効求人倍率を目にすると、毎日仕事があることをつくづくありがたいことだと感謝せずにいられない。利益とはさっぱり縁がなく、どうにかこうにか暮らしていける程度の収入しか入ってこないが、それでも毎日教室を開くことができて来てくれる生徒がいるということを当たり前だとはどうしても思うことができない。

努力しなければ続けていけない。それはどこでも、どの仕事でも同じであろう。この時節、努力していない方を見つけるほうが難しいだろうと思う。それでも運に恵まれず仕事がない、あるいは小間切れの雇用にしか収入を得る道がないという方だって大勢いると思う。毎日毎日、当たり前のように教室に来て指導できることにもっと感謝の気持ちを持たなければとつくづく思う。

健康であるということもそうである。定期検診は必ず受けているが、この数年はほとんど何も引っかかることがない。ときどき腰が痛くなったり目がかすんできたりするくらいで、まずまず健康だと言えるだろう。これも当たり前だと思ってしまえばそれまでだが、たいして摂生しているわけでもないのに、病気に縁遠いのはありがたいことである。

何をもって幸せとするかは人によって異なるだろう。しかし、こうやって平凡に日々を過ごせることが、他の何ものにも代え難く幸せなことなのだとしみじみ思う。健康であり、毎日する仕事がある。これだけでも十分なことなのだと思う。

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2009年11月 2日 (月)

今日は寒い

外の風が急に冷たくなってきた。今日も明日も予報では日中の最高気温が10度を下回っている。午後から雪マークになっているのだが、ホントに降ってくるのだろうか。この時期の雪は降ってもすぐに消える。本格的な雪はまだまだ先の話だ。

冬の足音が近づくとともに、新型インフルエンザの流行も勢いを増してきた。昨日のニュースで、盛岡の2歳の女の子が新型インフルエンザのために亡くなったということを知った。なんともお気の毒としか言いようがない。

奥州市内の小・中学校も他の地区と同じように、学級閉鎖が相次いでいる。教室の生徒でも新型かどうかは別として、インフルエンザにかかったので休みますという連絡が入るようになった。来年3月の県立高校入試で、どういう対応が取られるのかまだ正式には何も決まっていないようだ。新型インフルエンザによる欠席者が多いことを予想して、追試の実施を検討するという話もある。できれば今年度は、例外的に追試を実施してもらえればと思う。もちろん、入試事務の煩雑化は避けられないだろうが、何十年に一度の新型インフルエンザの流行であるのだから、例年と同じような対応ではなく特別な対応を求めたい。

それにしても百年に一度の経済危機に加えて、数十年に一度の新型インフルエンザの流行とは何という巡り合わせかと思う。しかし、昔だって疫病や台風や地震が重なって多くの人が倒れた時代があったのだ。医療が進み、情報が入手できるようになった分だけわれわれのほうがまだ恵まれているということだろう。

人ごみを避ける、手洗いをこまめにする、マスクをつけるなどなど個人でできる対策もいろいろある。教室でも除菌水の入った加湿器を動かし、除菌スプレーも置いている。なかなか生徒は除菌スプレーを利用しないが、これから冬場の流行が拡大すると、使われる機会が増えるかもしれない。流行が収束し、こういったものを片付けてもいい状態に早くなってほしいと思う。

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2009年10月31日 (土)

十月も今日で終わり

明日から十一月。それにしても季節の移り変わりははやいものだ。いったい何をしてきただろうかと思いもするが、毎日記事を更新し教室に行き授業をし、それなりにやることはやってきた。決して満足のいくことばかりではないが、かといってそうそう捨てたものでもない。

平凡な日々が続いていくことのありがたさを時に私は忘れてしまうが、何もない平凡な日々がいかにかけがいのないものか、失ってしまうまで気がつかないものだ。昨日と同じような今日。今日と同じような明日。日々が同じように続くと思えるから明日の、来週の、来月の、来年の予定を人は立てていく。どこにもその保証はないのに、確実に明日は来ると思い込んで疑わない。しかし、そうでなければ日々を送ることなどできないだろう。

確実に人生の折り返し点を過ぎてしまったんだなと思った頃から、もっと自分の好きなことをした方がいいのではないかと思うようになった。好きなこともせず、誰かのために自分を押し殺して生きても一生。好きなことをやって好きなように生きても、それも一生。ならば、悔いの残らないように好きなように生きた方がいいのではないか。

亡くなった三遊亭円楽師匠は、好きなことをやってこれてよかったと引退の時に語っていたようだ。おそらく、悔いの残らない生涯だったのではないかと思う。ご冥福をお祈りしたい。

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