立ち話

2012年4月28日 (土)

地域の抱える問題から・その3

地方自治は民主主義の学校だとよく言われるが、市政(あるいは町政・村政)レベルでさえ、自分たちが「当事者」なのだという意識を持ちにくくなっているのが現状ではないか。

実際、市の行政レベルの問題になると、どこへ話を持ち込んでどういう手順を踏めばよいのか明瞭ではなくなる。ならば、そのような面倒なことは誰か(たとえば市会議員であったり行政区長であったり)にお任せしてしまった方が楽ではないか。何もわざわざ面倒を背負いこむことはない。そういう気持ちになるのも不思議ではない。

だから、もっと狭い範囲の自治こそが「当事者」意識を呼び起こすのに向いているのかもしれない。自分が暮らしている足許の地域、自治会の中のことであれば、少しは関心を持つ人が出てくるだろうと思う。

規模が大きくなればなるほど、「無関心」で「他人事」として見ていることが可能になる。誰かにお任せしてサービスだけを享受する「ただ乗り」も増える。であれば、可能な限り自治する区域を小さくするのが一つの手ではないかと考えたりする。

実際には既に自治会が出来上がっているわけだから、それをさらに小さな自治会へ分割するのは無理があるだろう。それならば、自治会や町内会の中によくある「班」の単位を活性化していくということが考えられる。一番身近な範囲の問題を月に一回でも直接膝つき合わせて話し合うことから始めることで「当事者」意識を持つ人がわずかでも増えればよいのではないか。

もちろんそれでもいろいろな壁に行き当たると思われる。たとえば予算の問題。自治会の会費を各班単位の活動にどう割り振るのか。これはなかなか調整するのが厄介な事柄だろうと思われる。また増えることが予想される、「班長」の負担をどうするのか。輪番制で強制的に担当してもらうのか。それとも意欲のある人に続けてもらうのがよいのか。こういった点も問題として浮上してくるだろう。

しかし、それこそが狙いとする「当事者」意識の喚起そのものなので、それをきっかけに議論や試行錯誤が始まればよいのではないかと思ったりする。場合によっては自治会活動など面倒だから自治会を解散しましょうという選択をしてみたっていいだろう。そうして、自治会組織が無くなると、何が大変になるのか身をもって味わうことも「当事者」意識に目覚めるきっかけとなるのではないかと思う。

百人が百人「当事者」意識を持つことは、おそらくあり得ないだろう。しかし、地域の問題を知り、それに関心を持つ人が一人でも二人でも増えてきて、その問題を話題にする「場」が確保されるようになればいくらか状況は良くなってくるのではないかと思う。

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2012年4月27日 (金)

地域の抱える問題から・その2

老人クラブの役員の件でもよく問題点が集約されていたと思うのだが、どの役職・委員でも自分から引き受けようという人はごくわずかしかいない。

積極的に引き受けたいと思わない人の気持ちも分からないわけではない。まず、役員や委員を引き受けると、会議や活動のために自分の時間を否応なく割かなければならなくなる。時間が余って仕方がないという人は別として、勤めがある現役世代には、仕事との兼ね合いが難しいという場合があるだろう。

仮に時間的には問題がなくても引き受けたくないのは、なぜ「自分が」引き受けなければならないのか、他にやれそうな人がいるのになぜ「自分に」回ってくるのか、そういう気持ちがあるからではないか。誰かが引き受けなければならないのは分かるものの、「自分が」損な役回りを引き受けるのは面倒でいやだ。できるなら誰かにやってもらいたい。そういう気持ちになる場合が多いのかもしれない。

私自身、そう思うことが多かった。自治会の役員や二年交替のさまざまな委員など面倒な感じだから、できるだけお断りしようと以前は思っていた。

自治会員の数が多く、自分がやらなくても誰かがやってくれそうな可能性が高いところなら、おまかせして自分はサービスを受けるだけの「ただ乗り」もできる。自分は引き受けないが、役員や委員のやり方がまずい時には不満を言い批判をする。それでも成り立っているうちはよいだろう。

しかし問題は、そのようなサービスの「受け手」ばかりになって「出し手」や「担い手」に回るという人が減り続けると、自治会といえども仕組みが回らなくなるということだ。それゆえ多くの自治会では、役員や各種委員を輪番制にして、否応なく引き受けてもらうという形を取っている。

そうなると、自治会役員などが輪番で強制的に回ってきたときに自発的に引き受けたわけではないのであまり意欲的にならず、とにかく任期を大過なく終えればいいという気持ちになっても不思議ではない。ますます役員は大変だ、できればやりたくない、そういう雰囲気が広がることにもなる。

行き着くところは意識の問題なのではないか。誰かにおまかせして自分は不満を言ったり批判をするだけの方が楽である。面倒なことや大変なことは避けてサービスだけを受け取りたい。そういう意識でもこれまでは何とかやってこれたし、これからもしばらくの間は大丈夫なのかもしれない。

けれども、いずれ問題は表面化する。誰も引き受け手がなく、輪番制で強制的に順が回ってきても頑強にそれを拒否する人が現れてくるだろう。なぜ自分の時間を削ってまで地域のために何かをしなければならないのか理解できない。そのように考える人が増えてくるかもしれない。

自分たちが暮らしている地域の問題は他ならぬ自分たちが解決しなければならない。つまり地域の問題に関しては誰もが「当事者」であるはずなのだが、なかなかその意識が高まらない。

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2012年4月21日 (土)

地域の抱える問題から・その1

地域計画の推進委員として地域の抱える問題に関わり始めて、共通したものがあることに気付いた。

たとえば、小学生の子どもたちの登下校時に行われている「見守り活動」。現在、私の住む地域では朝は交通安全指導を兼ねて連日行われているのだが、下校時は週1回木曜日のみという形になっている。老人クラブの方々がボランティアで「見守り活動」を担当して下さっているが、この活動が危うくなってきている。

一つは老人クラブへの参加者が減ってきていること。特に老人クラブの会長をはじめとする役員のなり手がいない。その理由は、市や県のレベルで開かれる老人クラブ組織の会合がやたらに多いからなのだという。あまりにも忙しいため引き受けたくない。そう思う人が大半だという。もう一つは、この「老人クラブ」という名称がよくないのではないかという声もある。65歳以上が老人クラブの対象者となっているが、昔と違い今の65歳はまだまだ若い。おのずと「老人」という言葉への抵抗感も強くなり、まだ「老人クラブ」じゃあないだろうという話になるようだ。最近では「○○会」と名称を変えて参加しやすくしているところもある。

もっと根本的なところでは、自分たちで動かなければならない老人クラブの活動を面倒だと考えたり、億劫だと感じたりする人が増えたということがあるようだ。民生委員と福祉協力員が中心となって月に一度開かれている高齢者対象の集まりなどは、「受け身」で参加できる。企画も運営も主催者側ですべて行うので、ただ足を運べばあとは与えてもらえるという楽な会である。これに比べると、老人クラブの方は何から何まで自分たちが「主体的」に引き受けて動かないとものごとが進まない。

実は、この点に地域の抱える問題が集約されているように思われてならない。つまり、ことは老人クラブだけに限らないのであり、さまざまな活動で同じ問題に直面しているということだ。それはサービスを受けるだけの人が多くなり、自分たちの問題をなんとかするためには自分たちで動かなければならないと考える人がごくわずかしかいないということである。

ある自治会の話を聞いたときに、なるほどそういうものかと思ったことがある。登下校の「見守り活動」に関連した話から、登校時の見守りを兼ねた交通安全指導の当番でさえ、役員が頭を下げてお願いに回らないと動いてくれない。まして当番ではないその他の行事については、役員以外はほとんど無関心なのだという。

以前に書いたことがあるように、私の所属している自治会は極小規模で、それゆえ毎月一度の集金常会(自治会費の集金を名目とした会合)にはほぼ全戸から出席しあれこれ話し合う。人数が少ないので、自治会から出さなければならないさまざまな委員も否応なくほぼ回ってくる。自治会長は二年交替の輪番制である。

そういう環境なので、やらざるを得ず、引き受けていく中で地域の問題に関心を持つ人もぽつぽつと出てくる。誰かがやるだろうからという考えでは、うちのような極小の自治会は運営が成り立たない。たとえば年に二回ある道路清掃にしても、所属している自治会員の数が多い所では参加しない人が何人かいても、道路清掃そのものは問題なく行えるだろう。しかし、うちのような人数が少ないところでは、一人二人出てこないだけで参加している人の負担が増す。だから、本心は別かもしれないけれども、自治会員の誰もが「当事者」であるという意識を多かれ少なかれ持つことになる。

高齢の方になると億劫だなと思うのが本音かもしれない。現に、自治会費は納めているものの一切の自治会活動に参加せず、集金常会にもまったく姿を見せない方が何人かいる。その中にはひとり暮らしの方もいる。もともとが親戚関係にある人たちの住むところだったので、地縁・血縁意識は強く、そのようにひとり暮らしで自治会との関わりを自ら絶っているような方にも、誰かがほぼ毎日のように接しており、都市部で見られるような孤独死は起こらないだろうと思う。つまり、今では古き良き時代の遺物となってしまった「ちょっとしたお節介(あるいは相当なお節介かもしれないのだが)」の伝統がまだここでは生きているのである。

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2012年4月16日 (月)

まずは歩け

先週の土曜日の午前、ミズバショウ観察を兼ねたウォーキングに参加してきた。地区の交流センターが企画したもので、ミズバショウの自生地が整備され散策コースもできたことから、そこを目的地としたウォーキングということだった。

ミズバショウの自生地は、数年前に亡くなった中学時代からの友人の自宅にほど遠くない所で、その友人が元気だったころに話だけは聞いていた。地区交流センターの整備事業として散策路が作られ、案内板などが設置されたことも知っていた。しかし、実際に訪れてみるのは初めてだ。

地区交流センター前に集合し準備体操を終えると、ウォーキングの概要が説明された。片道3㎞だという。同じ自治会で顔見知りの方が主催者の一人で、さらに数名、うちの自治会から参加しているのに気が付いた。地域計画の推進委員を引き受けているので、その関係で知り合った方々も来ていた。見知った顔があると何となく安心する。

午前九時に出発。横にあまり広がらないよう二人一組ぐらいまでで縦に長く伸びた一団がゆっくりしたペースで動き始める。すぐ前を地域計画で知り合った人が歩いていたので、声を掛けてしばらく話をしながら歩いた。

少し歩いて後ろを振り返ると、一人で歩いている年輩の男性がいたので、こちらから声を掛けてみた。話を聞いてみると、ボーイスカウトの指導者の方で、子どもたちに参加を呼びかけていたので、自転車で伴走するつもりだったとのこと。ところが来てみると子どもの参加がほとんどなく、やむを得ず歩いて参加することになったのだという。膝を悪くしているので3㎞も歩けるか心配なのだがと付け加えた。

ボーイスカウトに入団する子どもたちが少なくなっていると聞いていたので、これはいい機会だと思い、現状や活動の実際をあれこれ聞いてみた。その方の話によると、せっかく小・中とボーイスカウト活動を続けてきた子が高校生になると部活などが忙しすぎて参加できなくなり、リーダーを務める子どもたちが足りないのだそうだ。

いろいろと面白い話を聞かせてもらいながら歩いているうちに、あっという間に目的地に着いてしまった。雑木林の中に堰のようなくぼんだ湿地がある。白いミズバショウの花が咲いている。まだ少し早いそうだが、それでも見事に群生している。

江戸時代に開かれた奥寺堰という用水路の跡なのだが、少し南に新堰ができるまでは、西山と呼ばれている奥羽山脈で伐り出した薪用の木材を春先に用水路を利用して運び、それを引き上げた地点がミズバショウの自生地になったのだという。どうやら、奥羽山脈の木材といっしょに運ばれてきたものが根付いたらしい。

30分ほど散策し復路3㎞となるが、往路と同じ方と雑談しながら歩いたので、前半と同様3㎞という距離が短く感じられた。膝が少し痛むと言いながら、その方もリタイヤすることなく歩いて戻ることができ何よりだった。

今までこういった企画に参加したことがなかったのだが、実際に参加してみるとなかなか面白いものである。地元の名所・旧跡を歩いてみるという経験は、なかなか一人では続かないように思うが、こういうウォーキングとして参加すると楽しいのかもしれない。史跡めぐりのウォーキングも企画されているらしいので、また参加しようと思っている。

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2011年1月13日 (木)

校正は楽し

受験指導たけなわという時期なのだが、地域活動でも忙しくなってきた。私が住んでいる地区に、かつて「地区の文化と歴史を語る会」というものがあったらしい。中心メンバー七人のうち、既に五人が鬼籍に入られ、健在なのはお二人だけだという。そのうちの一人の方から膨大な量の手書き原稿が地区交流センターに託された。

印刷所で入力して原稿を起こしてもらいA4で200枚以上の原稿ができた。ところが手書き原稿の文字が判読できない所が多く、一部の執筆者が亡くなっていることもあり、まずは入力された原稿の校正作業を行わなければ、次の段階の構成作業に入れないことが明らかになった。

地区の歴史、伝承、産業、自然をまとめた地域誌ともいうべきこの本の作成は、実は今回が初めてではなく、第一集、第二集が過去に作られている。その時の編集委員が「文化と歴史を語る会」のメンバーとほぼ重なっている。本来であればその方々が第三集として発行すべきものだったのだが、先にも述べたように高齢と物故者のため実現できないままになっていたようだ。

今回は十区ある各行政区から一名ずつ編集委員を出し、作業を進めることになり、区長さんが近所にいる関係で私も委員に推薦されてしまった。一から始めるのであれば大変だろうと思っていたが、校正作業からだと分かってまずは気が楽になった。

担当頁の入力済み原稿とその元になっている手書き原稿のコピーを各自受け取り、今月末をめどにそれぞれ校正作業である。私もさっそく自宅に帰って始めてみた。最初は手書き原稿の書き癖がうまくつかめず、なかなか息が合わない感じだったが、少しずつ癖が分かってくると判読不明部分の文意が明らかになってくる。こうなるとパズルか推理ゲームみたいなもので、作業に没頭してしまい、あっという間に一、二時間が過ぎていく。

この手の作業はきらいではないのだとあらためて分かった。推敲が好きなので、文章の見直しは半ば趣味のようなものだから、校正作業は楽しいことこの上ない。校正終了後の編集会議も面白そうである。受験期と重なるので時間的には大変だが、うまく調整しながらやっていきたい。

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2010年11月25日 (木)

高齢化社会の一側面

昔あって今なくなってしまった商売というと何だろう。いろいろあるような気がするのだが、いざ一つあげてみようと思うと出てこない。形を変えて現代に残っていたりするからだろうか。

小さな個人商店や酒屋さんの数が減ってしまった気もするが、元気に頑張っているお店も見かける。たまたま見ていたテレビで、高齢者が買い物に行けなくなっている実態を伝えていた。個人商店ばかりでなく大型スーパーでも売上が伸びない店舗は閉鎖され、車などの交通手段がない高齢者は、片道三十分以上もかけて重い荷物を運ばなければならない、という映像が流れる。

こういった状況に対処するため、ある自治会では高齢者の多い団地内に、野菜や日用雑貨を扱う「市場」を設けた。高齢者に好評なのは、必要な商品が入手できるということだけでなく、この「市場」に集まる人々と会話する場ができたことも大きいという。

一方、過疎地に住む高齢者を、軽ワゴン車に商品を載せて訪問販売している個人商店主の姿も紹介されていた。やはり食品から日用品にいたるまで、必要に応じて品揃えを変えていた。高齢者の方々にも喜ばれ、やりがいを感じていると商店主は話していた。

ネットショッピングを利用すれば、一歩も自宅から出なくても食品から日用品にいたるまで何でも手に入る時代になっているのだが、ネットを使えない、あるいは使わない高齢者にとってはそれも全く無縁の話だ。

情報化による高度な便利さから疎外されている人々を救済するものは、結局人が人をつないでいく、非デジタルなネットワークしかないのかもしれない。その一方で効率の悪さは否めないという感じがする。たとえば宅配便と提携して業務とエリアを拡大すれば効率的な形ができるのではないだろうか。しかし、そのようなサービスが現実化していないということからすると、採算やら何やら問題もあるのかもしれない。

私が暮らしている地区の自治会にも高齢者の単独世帯が数軒ある。歩いて十数分の所にスーパーマーケットがあるので買い物は何とかなっていると思うが、このスーパーが閉店したら大変だろうなと思う。その次に近いスーパーまでは歩いて三十分以上かかるはずだ。自分で車を運転して買い物に行くことができる高齢者は問題ないが、ちょっとした経済の動向で自分の生活がきわめて不自由なものになりかねない高齢者もいるはずだ。地域に元気があるうちに、支え合うネットワークを作っていく必要がありそうだ。

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2010年9月29日 (水)

地域活動のボランティア

9月一杯で地域計画策定委員の任期が終了する。一年半ほどの期間だったが、これから十年先の地域のことを考える地域計画に関わることができて、いろいろと貴重な経験を重ねることができた。同じ部会の委員の方々には本当にお世話になった。

来年の春には、われわれの作った地域計画に基づいてそれを実行していく新たな委員会などが設けられるはずである。うまく計画が軌道に乗せてもらえるとうれしい。

やっとこれで一段落かと思っていたら、先日同じ自治会に住んでいる行政区長さんから、「今度地域の歴史とかを中心にした本を作ることになってね。各区から一人ずつだす編集委員に推薦しておいたからよろしく」と言われてしまった。そういう仕事は嫌いではないのでまたまた引き受けてしまった。

前の地域計画策定委員も、今度の編集委員も報酬の出ないボランティアである。しかし、報酬の有無はあまり関係ないなという気持ちが強い。結局のところ、地域のために何か自分でできることをしたいという気持ちを満足させられれば十分だ。前にも書いたかもしれないが、地域の活動に積極的に関わってみると、新しい出会いがあったりこれまで知らずにいた地域の現状やら歴史やらを知ることもでき、楽しい経験をすることができる。

自分でも意外なほど、こういう活動に関わることが好きだったのだと気がついたことも収穫の一つである。やってみると大変なこともあるのだが、基本は「楽しむ」というところにある。大変だなあと思ってやっていくのも楽しもうと思ってやっていくのも、考え方次第である。決まった任期を楽しく充実して過ごす方が、同じことなら望ましいのではないかと思う。

まだ何も連絡が来ていないので編集委員の会合がいつから始まるのか分からないが、新たな活動にワクワクしているところだ。

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2010年9月 5日 (日)

朝から快晴

今朝は五時半からしめ縄張りの作業に参加した。近所の神社の例大祭が毎年9月5日にあるので、神輿渡御のルートに各地域でしめ縄を張る。私の住んでいる地区は神社のお膝元で、宮司さんも同じ自治会の会員である。世帯の少ない自治会だから、しめ縄張りには宮司さん自らも参加して一緒にしめ縄を張って歩く。考えてみると妙な感じもするが、人が足りないので大いに助かる。

去年までは氏子総代の方が縄を提供してくれた。手綯いの縄で、かなりの量があったのだが三年目でやっと使い切り、今年は市販されている縄を購入してきたようだ。三つの班に分かれて作業していたが、私の加わっている班は一番人数が多いはずなのに、実際に作業に来ている人が少ない。杭を立てる穴をあけながらしめ縄を張り幣束を下げていくのだが、しめ縄を張る人数が確保できていない。

そうこうしているうちに他の班が作業を終えて、われわれの担当区域に応援にやってきた。人数が増えると一気に作業が進む。まだまだ終わりそうにないと思っていた作業があっという間に終わってしまった。

空を見上げると雲一つない。雲量ゼロ。快晴である。今日も暑くなりそうだ。日中は教室に行くので御神輿の渡御は見られない。例大祭が終わると、いつもの年ならすっかり秋の雰囲気になるのだが、今年はいつになったら涼しくなることか。

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2010年7月18日 (日)

今日は疲れた

毎年、海の日の前後になるとソフト・バレーボールの予選大会がある。といっても地域のスポーツ大会の一環で、予選に出るのはいつも四チームだけの総当たり戦。毎年のことなので、体力診断のつもりで参加している。

バレーボールの部活動経験は全くないし、得意なわけでもないのだが、世帯数の少ないうちの自治会は頭数を揃えるだけでも一苦労である。だから、経験者であろうがなかろうが、とりあえずボールのレシーブができれば誰でも即選手となる。勝ち負けよりも自治会内の親睦の意味で参加を募っていることもあり、ミスをしても大目に見てもらえる。

そういうわけなので、これまで一勝するのも難しかったのだが、今年は3セットマッチのフルセットで逆転勝ちの一勝をあげてしまった。だれも予想していなかった番狂わせだったが、うれしい一勝で初めて賞状をもらうことができた。

試合は午前中で終わり、昼ご飯を兼ねて公民館で開かれた反省会も盛り上がり、暑かったけれども有意義な一日だった。おそらく明日になると体中があちこち痛くなりそうな気がするが、こうやって汗をかくくらい体を動かすことが日頃無いので、貴重な行事になっている。

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2010年6月 8日 (火)

地域の中のつながり

顔の見える近所のつながりがあるところに住んでいて、本当によかったなあと思う。先日の日曜日、地区の運動会が例年通り開催され、世帯数の少ない私の自治会は半数以上の世帯が参加していた。

地域の活動なんて面倒だし、そういう地縁的なつながりは重苦しい感じがするだけだ。そんなふうに若いころは思っていた。しかし、年齢を重ね、人が一人で生きているのではないということを実感するようになってから、地域活動に向ける視線が自分でも変わってきたような気がする。

若い世代の人たちで、自治会活動に積極的でない人は、おそらく私と同じようになんとなく面倒だったり、重苦しいような気持ちを持っているのかもしれない。実際に参加し汗を流していろいろやってみなければ分からないことも多い。どれだけ周囲の人々に助けてもらえるか、それがどんなにありがたいことか。自治会長を務めていた時期につくづく感じた。

私のブログにときどき「役員の断り方」というキーワードで入ってこられる方が何人かいらっしゃる。年度末が近くなると増えるので、ああ、そろそろ自治会などの役員改選の時期なんだろうなと推測する。そしてまた、できれば役員なんて面倒なものは引き受けたくないから、なんとかうまい断り方はないものかと検索をかけたのだろう。

しかし、物は考えようである。忙しくてそんなことに関わっているヒマは無い、という人でも時間の使い方次第で時間は何とかなるものだ。面倒だと思う人は、実際に経験してみることだと思う。ただ、面倒なだけかどうか。実は自分の気持ちの持ち方次第なのではないだろうか。一つ新しい経験をしてみるかとか、楽しんでやってやろうじゃないかとか、あるいはそれまで他の人が出来ていなかったことを何かやってやろうかというように、積極的な気持ちで引き受けてみた方がいいのではないかと思う。

自治会長を務めた二年間の間に、ほとんどの世帯の方々と親しく話す機会があった。いい経験をさせてもらったと思っている。そうやって顔と名前を覚えてもらうと、何かの集まりがあっても話が早い。いいほうの循環に入ったなあという感触を実感する。そうして、自分が近所の人たちの役に立って何かができたとき、予想もしていなかったくらい感謝されたりするとやっててよかったなと心から思う。顔の見える近所の付き合いがしっかり出来ているなあと実感する。

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