読書

2017年6月20日 (火)

伝記を読む

『現代日本思想大系』(筑摩書房)の第4巻「ナショナリズム」を図書館から借りて読んでいる。吉本隆明がこの巻の編者で、少し長めの冒頭解説も吉本自身が書いている。

さまざまな著者の文章が収められれていて興味深いのだが、山路愛山や徳富蘇峰、あるいは陸羯南といった人びとの文章はさすがに現代では読みにくい。明治人の著作は擬古文ではないが、江戸時代の候文と地続きで、引用部分や手紙部分など近世古文書かと見まごうばかりだ。漢詩文の引用も当たりまえのように白文でなされている。

この巻に石光真清の自伝から二つの文章が抜粋されている。特に『誰のために』から引用された部分に引き込まれた。あまりにも興味深かったので、『現代日本思想大系』のほうは中断し、『誰のために』を借りだして一気に読んだ。ロシア革命からシベリア出兵の時期に、陸軍嘱託となりロシアで諜報活動に従事した人物の濃密に凝縮された時間が行間から溢れ出てくるような感じだった。

自伝は、息子の石光真人が編纂し、『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』という四部作として刊行されたものの一つである。この石光真人という名前にどこかでお目にかかったことがあると思ったら、中公新書『ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書』の編著者であった。こちらも名著である。未読の方は、ぜひ御一読を。

石光真清は、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へ進み、日清戦争後、対露戦への憂慮から私費でシベリアに渡航し、アムール州のブラゴベシチェンスクで語学研修を名目に諜報活動に従事した。いわゆる「軍事探偵」と言われた人物である。『誰のために』は、五十代に達した石光がロシア革命さなかのシベリア、ブラゴベシチェンスクへ再び戻り、激動に翻弄された日々の記録である。

革命指導者、反革命勢力のコザック兵、市民自警団これに日本人義勇軍(石光らの募兵に応じたブラゴベシチェンスク滞留日本人)がそれぞれの思わくを抱え、入り交じっていく。石光は革命指導者のムーヒンとも何度か直接会い、互いにその人物を認め合い、最後の別れ際にはムーヒンから記念にステッキを贈られる。敵対者である人物に丸腰で面会を求め、肚を割って交渉する。このあたりの呼吸は、さすがに明治元年に生まれ、子どもの頃に熊本神風連の乱や西南戦争を目の当たりしてきた人だと感じる。「小人物」ばかりとなってしまった現代には、このような肝のすわった対応は無理だ。

革命勢力、反革命勢力が一触即発で対峙する緊張が続く中、石光は日本陸軍の支援を要請し続ける。しかし、シベリア出兵が決まるまで本腰を入れて介入する気がない軍部は、基本方針通り継続せよとしか返答しない。日本人会の中には石光への不満や不信が一方にうずまき、協力と理解が期待できなくなっていく。そしてついに武力衝突が起きる。革命勢力が市を征圧し、反革命勢力と日本人は着のみ着のままで氷結したアムール川を中国領へと歩いて逃げる。その後、各国のシベリア出兵に伴いブラゴベシチェンスクの市政も一時反革命勢力が取り戻すのだが、財政危機を乗り越える方策がなく、かつて歓呼とともに市長に返り咲いた人物も市民から見放され亡命する。出兵した日本軍に市政を支援する意思がなく、そもそもシベリア出兵に確固とした方針がなかったことが導いた結果であった。失意の石光は日本に戻ることを決意する。

ロシア革命からシベリア出兵時期のシベリア、アムール州で自らが激動の渦中で一つの極となりながら革命の進展を目撃してきた人物の貴重な記録である。以前、ウィリアム・シャイラーの『ベルリン日記』を読んだ時にも感じたことだったが、歴史的な事件の渦中にいる当人たちにとっては、それが歴史的な事件であると意識されないのだろうなと思った。目の前にある瞬間瞬間に対応しているときに、それが歴史のひとこまであると俯瞰することは難しいのだろう。それは我々にしても同じだ。東日本大震災が起き、福島の原発事故が起き、共謀罪が成立した日本に我々は暮らしている。何十年か、何百年か後にどのような歴史として記述されることか。

悠久な時の流れと流星のような人の生の短さに、呆然とし、たじろいでしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月15日 (金)

中休み

枕草子の心状語について、続きをまとめなければいけないのだが、否定的な心状を表す語が待ち受けているので気が重い。そこでズルズルと怠けている。教室のほうも期末試験が終わり夏期講習が始まるまでの中休みのような状態で、今ひとつ気力がわかない。

こういうときは、無理に力んでも大して成果はあがらないので、目先を変えて読書にいそしんでいる。年がら年中読書にいそしんでいるということは、一年を通して中休みの状態という笑えない状況にあるということだ。でもねぇ、ジタバタしても始まらないときは、本でも読むより仕方がないのですよ、実際。

ということで、目下読みかけているものは、『平妖伝』という中国の古典小説。ずいぶん昔に紹介したことがあるので、繰り返しは避けたいが、子どもの頃に暗記するくらい繰り返し読んだ『怪妖伝』の原典である。『怪妖伝』は、子ども向けに簡略にリライトされ、教育上よろしくない部分は大幅にカットされているけれど、原典の『平妖伝』は、R15にはなりそうなくらいの場面が目白押しだ。

ストーリーは単純といえば単純である。天界の秘術が下界に漏れ、それがもとで天下が乱れ、最後は妖術合戦になり、野望を抱いた側が敗れるというだけのある種勧善懲悪的な話である。しかし、中国の古典小説、たとえば『水滸伝』などにも見られるように、登場人物がやたらに多く、主たる筋とは別に各人物の脇筋の話が挿し込まれるので、脱線につぐ脱線で話はゆるゆるとしか進まない。四十回に分けれれた話は、続き物の講談のようなもので、「果たしていかなることになりますやら、次回をお楽しみに」という調子で先への期待を持たせる。そういう語りの上手さみたいなものが全編を通して感じられる。おそらく、この原典は講談のような語り物として始まったのではないかと記憶しているが、どうだったか。

数年前に佐藤春夫が訳した文庫版の『北宋三遂平妖伝』を読んだことがあったが、今回読んでいるものは中国古典大系版で別の人が訳した『平妖伝』である。スタイルとしては『水滸伝』式の、各段の冒頭に絶句かと思われる四行詩が置かれ、その章段の内容を簡略にまとめているというもの。四十回ある章段の四分の一を読んだばかりだから、佳境はまだまだこれからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 9日 (土)

夢野久作について

夢野久作が亡くなったのは二・二六事件から間もない昭和十一年(1936)の三月のことであった。父親の杉山茂丸が前年の七月に亡くなったばかりであり、その一周忌もまだ済んでいなかった。

「九州日報」に勤めて家庭欄に童話を発表しはじめたのが大正十一年(1922)だから、わずか十四年ほどの執筆期間ということになる。その間に探偵小説も含め、数多くの小説を書いた。代表作はやはり『ドグラ・マグラ』とか『犬神博士』ということになるのだろうか。どちらの作品もまだ読んでいない。

以前の記事に書いたことがあるように、「近世快人伝」という玄洋社関連の人びとを取り上げた人物伝が無類におもしろい。父親の杉山茂丸は玄洋社と関わりが深く、その葬儀も玄洋社葬としてとり行われた。「父杉山茂丸を語る」という文章に詳しいが、玄洋社葬をするため九州に向かう東京駅の駅頭に見送りに来た頭山満が、見栄も何も構わずに涙をダクダクと流していたという姿が印象的だ。

この「近世快人伝」には頭山満、杉山茂丸、奈良原到という玄洋社関連の人びととは別に、篠崎仁三郎という博多魚市場の湊屋の大将が取り上げられている。以前に文春学藝ライブラリーで読んだときには走り読みだったので、もしかすると飛ばしていたかもしれないのだが、この篠崎仁三郎の人物伝が破天荒でおもしろい。

なんと言えばよいのか。教育上は決してよろしくないのだろうが、ちょうど落語に出てくる無茶苦茶なお兄ぃさんとでも言うか、ビートたけしみたいと言ったらいいか。とにかく呑む・打つ・買うの三拍子揃ったつわもので、肝のすわった陽気な魚市場の大親分といった貫禄の人だったらしい。小説よりもおもしろおかしくて、少し哀しい生涯である。

この人物伝を収めた『夢野久作全集 7』には、他にも長編童話の「白髪小僧」(これは童話と銘打たれているが大人のためのメルヘンであろう)や、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代をほうふつとさせる「猟奇歌」という短歌群、能の魅力を分析した「能とは何か」などといった文章が収録されている。

「猟奇歌」の短歌群に目を通してみると、後の寺山修司の世界に通じるような妖しい光を放っている。猟奇的な題材の短歌だらけなのだが、三十一音に凝縮されていて余白が大きく、こちらの想像力を刺激して、そこに描かれていない広い情景へと誘われる。

長編童話の「白髪小僧」は、おそらく作品としては失敗した部類に入るのだろう。構成が入り組みすぎて、ストーリーの展開に読者がついていけない。そういうアラはあるのだが、これまた不思議な魅力を持つ作品だ。筒井康隆の小説にも通じるような、時間・空間・意識の自由な飛躍が描かれていて、子ども向けの童話としては確かに無理があるのかもしれない。が、しかし、夢の中の不可思議な時間の流れ方や空間の歪み方と同じような味わいを残す。後の『ドグラ・マグラ』の出現を予感させるような作品だと裏表紙に出ているが、確かにそうなのかもしれない。

いずれ『ドグラ・マグラ』や『犬神博士』を読んでみようかと思っているのだが、八十年以上も昔の人とは思われないくらい、現代に通じる新しさがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月10日 (金)

橋川文三について

近代史の学び直しを続けている中で、このところすっかりはまってしまったのが、橋川文三の文章である。松本健一のような息せき切った性急さみたいなものがほとんどなく、丸山真男みたいにすき間なく堅牢に構築された論理でかためられているわけでもなく、どちらかといえばウェットな感触を持っている。『昭和維新試論』の「序にかえて」で橋川は、次のように述べる。

「いわゆる維新者たちの人間性に多く共通してみられるものが一種の不幸な悲哀感であるということになる。朝日平吾がそうした例の一人であることはたしかであろう。いかにも感傷的な不幸者の印象をただよわせている。しかし、それはまた当時、右翼へ、左翼へ、もしくはアナーキズムへ奔った青年たちの多くに共通する要素でもあった。」

この評言は、そのまま橋川文三自身にもあてはまるのではないか。「感傷的な不幸者」という言い方は秀逸だ。バッサリと切り捨てることなく、論理性のみに走るわけではない橋川の文章が持つ魅力もまさにそれではないか。「一種の不幸な悲哀感」をもつ維新者たちへの共感めいた感情の揺れが橋川の文章にはあふれている。

学者の文体ではなく、小説家の文体というか文学者の文体なのだと思う。太宰治の文体が耳元で囁きかけられるような錯覚を呼び起こすように、橋川文三の文体も読む者を魅了してやまない息づかいを持っている。ある意味でこの文体の魅力は危険である。この人の言うことならどこまでもついていこう。そういう気持ちにさせるような不思議な感触を持っている。

この人の書く文章には、どこか寂しい風が吹いている。夕暮れ時に、帰り道を忘れてしまった子どもの孤独感と当惑感みたいな、切なくなる寂しい風だ。それゆえにいっそう心ひかれてしまう。こういう文章を書く学者がかつていたということに、これまでまったく気づかずに来てしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月28日 (土)

やれやれ

『ノルウェイの森』が出版された1987年、私は結婚してニ年目だった。まだ三十歳には少しだけ間があり、それから先にどういうことが待ち受けているのかなど毛程も気にしていなかった。つまり、その先にのびていく時間の長さは何となく分かっていたものの、それをあれこれと深く考えてみることなどなかったという気がする。

それは今から考えれば幸福な時間だったと言える。今が不幸だというわけではない。けれども、どう考えてもこれから先の手持ち時間は、あの頃の半分くらいのものだろう。いろいろな物事がまだ新鮮で、手垢にまみれていなくて、心を重くするようなものは、自分の内側にも外側にも少なかった。

村上春樹の小説を読むとどうしてもこういう気分になる。自分の中の失われてしまったものや損なわれてしまったものに否応なく向き合うことになるからだろうか。失われていないもの、損なわれてはいないものもあるのだが、喪失したものへ目がいきがちになる。年齢を重ねることというのは、何かが失われていくことの言い換えでしかないのかと思ったりする。それを嘆いているのではない。あきらめとも異なる。やむを得ないことなのだと受け入れるしかないことがらなのかもしれない。

きちんとねじを巻く必要があったときにねじを巻かないで過ごしてしまった。その時間をさかのぼって取り戻すことは不可能だ。後悔していないわけではないが、後悔しても始まらない。だから、「われ事において後悔せずなのだ」と言ったのは坂口安吾だったか。

こんなふうに村上春樹の小説を読むと、どこかで何かのスイッチがパチンと入ったように、普段考えることもなかったようなことが自然と浮かんでくる。そういうものを喚起する力が強いのだろう。村上春樹の作品にひきつけられる人が多いのは、おそらく、触媒のように作用してある種の感情を喚起するこの力によるのではないか。

『ノルウェイの森』の再読は、あと少しで終了となる。中盤から後半のエピソードの数々は細部をほとんど記憶に留めていない。それゆえ、新鮮な気持ちで読み返している。たぶん二十代の終わりに読んだときには気にもとめなかったであろう描写の数々がとても印象深く感じる。

年齢を重ねてから再読するというのは、こういう新たな発見や興趣につながるのだなとしみじみ思う。細部の考察については、いずれ後日じっくりやってみるつもりでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月27日 (金)

菅野完『日本会議の研究』読了

先日の記事(こちら )で触れた『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読み終わった。「ハーバー・ビジネス」のサイトに連載された記事をまとめたものなので、最終章以外は既読内容だったが、あらためて考えこまされる。

今年の夏の参院選は衆議院総選挙と同時選挙の可能性が高いようだが、これが有権者にとって最後の選択機会になるのではないかと、いやな感じがする。安倍政権が参院でも三分の二以上の議会勢力を抑えてしまうと、憲法改正が実現する。この改憲に向けて、安倍政権の周辺にいる一群のひとびとは、長い時間をかけて地道に積み上げてきた。いよいよ最後の仕上げにかかるというところだろう。

暗澹たる気持ちになるのは、ここ数年の国政選挙の投票率が低いままであり、政治に無関心な人びとが多いということだ。よくわからないから、とりあえず丸投げ。白紙委任。そういうことなのかもしれない。憲法改正についても、賛成・反対が決められない、よくわからないという人は、とりあえず反対すべきである。それは議論のための時間を確保するためだ。丸投げや白紙委任してしまうと、賛成派が多数を占め、あっという間に改憲が実現するだろう。秘密保護法や安保法制の成立過程を振り返ってみれば、どういうことになるかすぐに予想がつく。

彼らは本気なのであり、地道に実績を積み重ねてここまでやってきたのだ。もうあと一歩で「詰み」となる。おそらく緊急事態法の新設が最初の改憲項目となる。昨年秋の同時多発テロ事件をきっかけにフランスは非常事態宣言を出し、五月末まで再延長されたというニュースが流れたが、それどころの話ではなくなる。

想像しにくいことかもしれないが、本気で戦前の社会と戦前の憲法への復帰を画策している人びとが実際に活動しているということだ。昭和初期だって満州事変が起きるまで、社会の空気は大正デモクラシーの延長で自由主義的、国際協調的なものだった。それが一気に総力戦に向けた動員体制へと変化していく。同時に軍部の発言力も増大していく。「空気」で動く日本の社会は、あっという間に「空気」の入れ替えが起こる。

安倍政権を支えている一群の人びとが何を考えているのか、このまま進むとどういう社会が待っているか、とにかくこの一冊を読んで考えてみることをお勧めする。この本は、地道に調べ上げた裏づけの上にまとめられているので、たんなる陰謀論だとレッテルを貼って片付けようとするのは、その評者の立ち位置をかえって露呈させることになるだろう。調査報道をやっている人間が少ない日本でもこういう一冊が出てくるようになったのは、興味深いことだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月25日 (水)

何十年ぶりの『ノルウェイの森』だろう

ふと思い立って村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでいる。1987年に書店にならんだときにすぐに買って読んだ記憶がある。かれこれ三十年ほど前の話だ。たしか、それから数年してもう一度読み返したような気がするので、二十数年ぶりの再読ということになる。

さすがに話の大筋は覚えている。しかし、細部はかなり忘れている。最初に読んだときも二回目に読んだときも、おそらく先へ先へと急ぐようにして読んでいたのだろう。「僕」の寮での同居人である「突撃隊」というあだ名の学生や、その寮の中庭で毎朝行われる国旗掲揚の描写など印象に残っている部分はそのままだが、「緑」の実家である「小林書店」での最初の場面など、まるで印象が違う。私は一体何を読んでいたのだろうと思うくらい、記憶していたものと違っている。これでは、まるで角田光代の『旅する本』みたいではないか。

それにしても、読み始めるとやはり止められなくなる。「村上春樹全作品1979~1989」に収められている一巻本で読んでいるので、まだ結構な分量が残っているようにも思えるが、上下に分冊され赤と緑の印象的なカバーのオリジナルだと、上巻の残りが少なくなってきたかなというあたりだろう。

物語の舞台が1968年から69年が中心だったのだなあ、と改めて気づく。これは以前初期三部作について書いたときに気がついていたことではあったのだが、『ノルウェイの森』の直子と「僕」の物語も、いわゆる70年安保闘争の時代を背景としている。「僕」は学生運動の闘士ではない。ノンポリであるが、バリケード封鎖が機動隊によって実力で解かれると、全学ストが解除されていないのに平然と授業に復帰する活動家の連中に違和感を覚えている。だから、嫌がらせのように出席が取られるときにわざと返事をしない。返事をしないことで、何もなかったように授業に戻った活動家たちに居心地の悪い思いをさせている。こういう場面はすっかり記憶から抜け落ちている。

今読んでいる部分の先も、おそらく相当違った印象を持つのかもしれない。それはそれで面白い。いろいろと新たに思うところなど、また後でまとめてみようかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 8日 (金)

そういえば

前回「文春学藝ライブラリー」の話を取り上げたときに、山本七平の『聖書の常識』と『小林秀雄の流儀』、岸田秀との対談『日本人と「日本教」について』にふれたが、そういえば山本七平の本はいつから読み始めたんだろう。

たぶんイザヤ・ベンダサン名義で出した『日本教について』が最初だと思う。同名義のものでは『日本人とユダヤ人』が代表作で、よく知られたものだろう。ところが、この有名な著作は読んでいない。何と言っても、一番初めに読んだ『日本教について』が、私にとっての「山本七平」だ。

どういう経緯でこの本を読むことになったのか。すぐ近所に妹の同級生の家があり、小さい頃からよく遊びに行っていた。そこの家のお父さんが教育に熱心な人で、「こういう本を読んでみるといいよ」と、さまざまな本を貸してもらったり紹介してもらった記憶がある。あ、ということは、さっき読んでいないと言った『日本人とユダヤ人』も借りて読んでいるかもしれない。たぶん、それがきっかけで『日本教について』を読むようになったはずだから。

手許にあるハードカバーの本は背もすっかり日にやけ、小口は茶色に変色してしまっている。奥付を見ると、1976年の版を買っているので、高校二年か三年のときだ。当時の値段で880円となっているが、これは今のどれくらいの金額にあたるのだろう。文庫本が250円から300円ぐらいだったような気がするから、今の三分の一から四分の一くらいと考えると、2500円から3000円くらいに相当するのかもしれない。ハードカバーで買っているのは、単に文庫になっていなかったからだろう。高校生には結構な出費である。そのせいもあるかもしれないが、とにかくこの本は繰り返し何度も読んだ。

繰り返し読んだのは、元を取ろうというセコイ考えだけでなく、この本の中の議論がやたら面白かったからだ。特に朝日新聞の本多勝一との論戦が印象深い。南京大虐殺をめぐる双方の主張と攻防が、囲碁や将棋やチェスの対局のように繰り広げられていた。そこにあるのは、一つの歴史的事実をめぐる論理的な考察のぶつかりあいだった。

この本多勝一との論争だけでなく、全編を通じて学んだことは、論理的に考えることと相対化して考えることについてだった。あるユダヤ人の目から見た日本人と日本社会という設定で、無意識の前提となっているもの(それが同書で「日本教」と呼ばれているものだが)が目に見える形に抉り出されていく。その一つひとつが新鮮な驚きだった。

三つ子の魂なんとやらではないが、高校時代に繰り返し読んだこの本の影響は計り知れない。「陽のもとにあたらしきものなし」という絶対化を避けるものの見方や、のちの『「空気」の研究』に通じていくような、同調圧力に抗して「水をさす」視点の重要性など、振り返るとみなこの本から学んだことではないかと思える。

そこから手を広げて関連する書籍を読破していたらもっと論理的な思考力がついたのにと、今さらながら残念に思う。若いころは、あれもこれもと興味がありすぎて、一つのことに集中して沈潜していくことができなかった。有り余るエネルギーと時間を、これと定めたことに注ぎ込んでいたら、もう少し違った人生になっていたかもしれない。それを後悔しているわけではない。ひとが生きていく過程というのは、無数の取捨と選択から成り立っている。選ばなかった道を後からあれこれ言っても何もいいことはない。それより、今を生きている若い人たちに同じ轍を踏んでほしくないという思いが強い。結局こうやって説教じみた話になるのは自分でも嫌になるが、残り時間のほうが少なくなってきたなという感触を持つようになると、これから先の時間が長い人たちに、余計なおせっかいをやきたくなるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 6日 (水)

気になる文庫

一年ほど前から始めた近代史の学び直しの中で、おやっと思う文庫に出会った。2013年10月から発売されている「文春学藝ライブラリー」である。

書店の文庫コーナーをぶらぶらしていると、茄子紺のカバーに白抜きの背文字が並ぶ一画がふと目についた。中に夢野久作の『近世快人伝』がある。頭山満や杉山茂丸(夢野久作の実父)など玄洋社に関係する人物を取り上げた評伝で、かなり面白い。玄洋社って右翼の源流じゃないかと拒否感をおぼえる方もあるかもしれない。しかし、右左の思想的な立ち位置をとりあえず棚上げして明治の青春群像として読むと、現代では考えられないような破天荒な生き方に、ある種の痛快さを感じる。杉山茂丸の息子だけあって、玄洋社系の人物の姿は的確に把握されている。夢野久作は、それをやや誇張した、ユーモアにあふれる筆致で流れるように描いていく。この『近世快人伝』の中で、どうしても忘れられない印象を残すのは玄洋社の奈良原到の評伝である。

明治十年、鹿児島で挙兵した西郷隆盛に呼応して福岡城下でも武部小四郎らが蜂起する。しかし結果は失敗に終わり、逃亡の末、武部は逮捕され処刑される。その武部小四郎の処刑の朝、同じ獄舎につながれていたのが、武部を先生と仰ぐ奈良原到ら健児社の少年たちだった。刑場に向かう武部が少年たちに向かって絶叫する場面は胸を打つ。そして、その武部の最期の叫びが自分の「臓腑《はらわた》の腐り止めになつて居る。」と始まる奈良原到の述懐が続くのだが、この奈良原の述懐は『近世快人伝』の白眉である。この部分だけ読みたくて何度もこの文庫を手に取ってしまう。そこに込められた一人の明治人の思いには、打算も何もない。師弟の絆とはこのようなものだったのだという深い感慨に捉えられる。

夢野久作の『近世快人伝』は、これまで「夢野久作全集」(三一書房)に収められているものでしか読めなかったと思うのだが、この「文春学藝ライブラリー」で容易く読めるようになるとは思っても見なかった。

同じ「文春学藝ライブラリー」には、橋川文三の『西郷隆盛紀行』も入っている。これもいろいろと刺激を受ける一冊だった。西郷隆盛の人物像を追って、橋川文三が鹿児島から奄美、沖永良部へと巡りながら考えたことがまとめられているのだが、その中で特に奄美で島尾敏雄と交わされた対談が興味深かった。橋川文三のこの文章を読むまで知らなかったが、島尾敏雄は福島出身であった。その島尾が橋川に、日本は南西諸島と大和と東北日本の三つの国から成り立っていたと考えたほうがいいと述べている。東北は長い期間中央に抗していた独立区域であり、南西諸島は中国や東南アジアに開かれた区域であったという。状況は異なるが、沖縄と福島が現代日本の抱える問題を集約したような土地になっていることが自然と頭に浮かぶ。近代の百年以上の時間を経ても何も変わっていないのじゃないか、そんな気持ちになる。

この他に、山本七平の『聖書の常識』『小林秀雄の流儀』、山本七平と岸田秀の対談『日本人と「日本病」について』も同じライブラリーに入っている。『聖書の常識』は、日本人にとって理解しにくい旧約聖書の世界を懇切丁寧に解説してくれる一冊である。余計なものを読むよりこの一冊読めば、聖書の根幹はしっかりと把握できるだろうと思う。山本と岸田が対談した『日本人と「日本病」について』は、今読んでも秀逸な日本人論だと思う。敗戦を迎えても根本的に何も変わらなかった日本人の精神構造は、大震災と原発事故を経験しても結局元の木阿弥にしかならなかった現代までそのまま引き継がれている。ある意味絶望的な気分にもなるが、それでも山本と岸田が、鋭いメスで腑分けしていくやり取りには、その絶望的な気分を打ち破る知的刺激がある。

そして何よりも『小林秀雄の流儀』である。山本七平と小林秀雄という見慣れない組み合わせにギョッとして思わず手を伸ばして頁をめくり始めると、止められなくなってしまった。そもそも山本七平は、他の文章で小林秀雄に触れたことはほとんどなかったはずだ。小林秀雄を語るその文体も、いつもの「山本節」ではない。論理的で分析的で、比較対照する視点を忘れない山本七平が、小林秀雄に関しては主意的にというか主観的にというか、かなり肉声に近いような文章を書いているとは想像もしなかった。

優れた小林秀雄論であり、なぜ山本七平が小林秀雄をそれほどまで読み込んでいたのかよく分かる一冊であるが、私にとっては相変わらず「異色な」山本七平である。よく知っていると思っていた人の、まったく知らなかった意外な一面を目にした時のあの驚きである。しかも、さらに驚いたのが、難解だと思っていた小林秀雄の文章が「よく分かる」のだ。これは山本の引用のし方が適切だからなのか、それとも小林秀雄の文章がもともと論理性に富んだものだったのか。とにかくこれも意外な発見だった。ちっとも分かりにくくないのである。これなら、あれほど大学受験の頃に苦しめられずに済んだのにと、今さらながら思ったりする。

福田恆存、江藤淳もラインナップに並ぶ。なんだ保守的な作家ばかりじゃないかと片付けるのは簡単だが、このライブラリーには隠れた名著が並んでいる。これからどういう作品が文庫化されるのか楽しみにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月31日 (木)

書を読む日々

28日月曜日に春のゼミも終わり、今日は今年度最後の日。明日から四月。ではあるのだが、例年のごとく、受験生の抜けてしまった教室は閑散としてやけに広く感じる。それでも、桜の花が咲きそうなくらい暖かい日が続いているためか、こまごまとした雑務を少しずつ片付けていこうと身体を動かすのもあまり苦にならない。

受験生の指導準備に追われていた時間がぽっかりと空いて、久々に本を読む時間が増えた。去年から始めた近代史の学び直しは、まだまだ先が長い。あと二百冊弱、リストに書きだしてみた本を読み終わるのは一体何年先になるのか。気の長い話ではある。しかも始末の悪いことに、多く読めば読むほど新しい本が加わり、リストはどんどん長くなる。これでは「逃げ水」を追いかけているようなものだ。

しかし、それもまた楽しからずや、である。どこまで行っても終わらないというのは、いい。それはいやだ、という感じ方もあるに違いない。それもわからないではないが、すぐに終わってしまう楽しみはもっと強い刺激を求めることになりがちで、同じ楽しみでも刺激や欲望の果てしなさというのは、なんだかなあと思う。細く長くちびちびと、ちょっとずつかじるようにして同じテーマの本を読んでいくと、強い刺激はなくとも知的な刺激が絶えずあり、そこからさらに枝分かれして興味が広がっていく。こういう果てしなさがいいなと思う。

それは日々生きていることが「学ぶ」ことの連続だからではないか。生きる=学ぶ、と考えると学ぶことが終わるのは生きることが終わる時ということになる。90歳すぎまで毎日4時間以上もピアノを練習していたという、ジャズピアニストのハンク・ジョーンズのことを思い浮かべる。いくつになっても、「学ぶ」ことはあるのだ。もっとうまく弾けるようになる、だから毎日練習する。秋吉敏子も同じようなことを言っていた。

誰かに強いられているわけでもなく、ただただ興味があるから読んでいる。だから学術的な厳密さや正確さを求めて読んでいるわけではない。風の向くまま気の向くまま、である。脇道に入り込んで道草をくうのも、これまたよろしからずや。いつか何かの役に立つなどということも当てにしていない。授業の役に立つかもしれないと一瞬思ったりもするが、中学生に日本の近代化の過程を延々と講義し始めたら、受験までに問題集が終わらない。商売と趣味は別だ。学ぶこと自体が目的化している、ということなのかもしれない。

桜の咲きそうな暖かい陽射しをあびながら、今日もまた頁をめくろうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧