落語

2019年4月10日 (水)

「平成の名人」は存在し得ない?・続き

スマホに時間を吸い取られる人が大多数を占め、スマホ画面を眺めていない人の方が少数派という時代になって久しい。こうなるとスマホ画面から視線を引っぱがし、「情報」を遮断することは、相当難しい。遮断したらどうなるのか。そこに生じる「余白」をどうしたらよいのか。大きなとまどいと不安が心を占めるに相違ない。「情報」が遮断されてしまうことは、もはや恐怖の最たるものになっているかのようだ。

だがそれは実体のないものに対する恐怖なのではないか。「情報」依存、「情報」中毒とでも呼ぶべき状態に入っているため、遮断されたときに耐えられないという感じが生まれるのではないか。

社会的動物である人間は、他者とつながりながらでないと存在していけない。それゆえに「情報」の共有を必要とする。孤立を恐れるのも同様だ。その一方で個としての存在は、周囲から遮断された時間の中で他と区別される個を形作る。「余白」が求められるゆえんである。

しかし、ここでちゃぶ台をひっくり返したくなるような考えが一方に生じる。他と区別される個、近代的自我と言い換えてもよいが、そのようなものは虚妄なのではないか。もともと集合的意識しか存在せず、自我はその偏差でしかないのではないか。自我が存在せず集合的意識だけだというと、まるで『エヴァンゲリオン』みたいだが、ひょっとすると個の存在など虚妄にすぎないのかもしれないと疑わしくなる。

近代以前の社会に生きていた人びとに個の意識があったのか。これは今ここで考えるべき論点ではないので別の機会に譲るとして、少なくとも近代以降の社会に生きる人間は、近代的自我の形成を前提として成長する。他と区別される個。あなたが他者ではなくあなた自身でしかないことの証。胡桃の殻のように、人は防壁を築いて他者と区別される自己を確立する。そのような人間存在のあり方を「孤塔の囚人(a prisoner in a solitary tower)」と表現したのは哲学者のバートランド・ラッセルだったか。

今その防壁が「情報」の洪水によって破られようとしている。もしかするとわれわれは近代的自我という虚妄から脱して、ネットワークの中に集合的意識を確立するという新しい局面に向き合いつつあるのかもしれない。私という存在は、ネットの海から生まれネットの海へと帰っていく。『攻殻機動隊』のモチーフの一つみたいな話だ。

それでも、『攻殻機動隊』の電脳化されたキャラクターである「少佐」こと草薙素子が時々つぶやく「あたしのゴーストがそうささやくのよ」というセリフは無視できない。「ゴースト」とは何か。自我ではないのか。ネットワークの中に融解してしまったかに見える「少佐」の存在が、集合的意識ではなく個を感じさせるのは、この「ゴースト」=自我があるからではないか。

「孤立する」を和英辞典で調べると"stand alone"、"be in isolation"という表現が出てくる。スタンド・アローンというネットワークから接続を断ったイメージが重なる。「情報」の洪水を遮断し、「余白」の時間を作る。その中にしか自我は形成されない。

落語の名人が現代に存在しない話から遠くまで来過ぎてしまった。すでに帰り途が分からない。道に迷ったままで話を終わりにしてもよいのだが、せっかく発端を思い出したのだから、一応それらしく話を終わらせたい。

平成の名人が存在し得ないのは、演者が「余白」を表現する感覚と技量を習得したとしても、その「余白」が観客に共有されなくなってしまったからだ。観客自身が「余白」の意味を理解しなければ、「余白」に依存する落語という話芸は存立の基盤を失ってしまう。名人を名人と認識できる場そのものが消失しているのだから、名人は存在し得ないのだ。

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2019年4月 9日 (火)

「平成の名人」は存在し得ない?

今の落語家にも上手な人はたくさんいるのだろうが、「名人」と呼ばれるほどの人がいると耳にしたことがない。

立川志の輔にしろ柳家喬太郎にしろ、上手な噺家だとは思う。しかし「名人」かと問われれば、答えをためらってしまう。これが六代目三遊亭圓生や八代目桂文楽、あるいは五代目古今亭志ん生なら、即座に「昭和の名人」だと答える。古今亭志ん朝や立川談志であったとしても、やはり「名人」として名前を挙げることに問題はない。

では、今現在の噺家に「名人」が存在し得ないのはなぜか。「し得ない」と言ったのは個々の落語家の資質や技量の問題ではなく、それらを超えた時代環境から来る時間感覚、空間感覚の違いが、どうにも乗り越えられない壁として存在しているのではないかと思うからだ。

中里介山の『大菩薩峠』を読みながら、明治の三遊亭圓朝の人情噺を思い浮かべたという話をこの間書いたが、その時に古今亭志ん生の噺はなぜ「心地良い」のかという問いが同時に浮かんできた。志ん生だけでなく、文楽でも圓生でも、昭和の名人たちの話芸はなぜあれ程魅力的なのか。

立川談志が、この昭和の名人たちのことを回想して独演会で話していたことがあった。確か若い頃の「ひとり会」の高座だったような気がする。五代目古今亭志ん生の噺を高座の脇だか裏手だかで横になって聞いていると、気持ちよくなって眠ってしまうことがあったと談志は言った。それは志ん生の噺がつまらなかったからではなく、あまりにも心地良かったからだ。

話芸の究極はそれだろうと思う。聞いている客があまりの心地良さについうとうとしてしまうような語り。大げさでも奇矯でもない、空気のような流れる水のような自然な語り。すっとその世界の中にくるまれてしまい、その中で呼吸をしているような気持ちの良さが名人たちの語りには感じられたのだろう。

それは噺家個人の資質によるものではなく、時代環境によって形作られた時間感覚・空間感覚に支えられた語り、間の取り方によるところが大きいのではないか。細かい論考をすっとばして極端な形で言ってしまえば、志ん生や文楽や圓生が今現在の落語家として高座に上がっていたとしても、決して「名人」と呼ばれる存在にはならなかっただろうということだ。「昭和の名人」は存在しても「平成の名人」は存在しない。

ではどのように時間感覚、空間感覚が異なるのか。江戸花火と現代の花火の違いみたいなものと考えたらよいのではないか。現代の打上花火は色彩も多く、形もさまざまなものがある。それにくらべると江戸花火は色数が少なく、形も現代ほど多様化していない。現代のわれわれから見れば、地味な花火という感じが強い。しかし、風情という点で言えば断然、江戸花火に軍配が上がる。地味で簡素な花火であるがゆえに、見る人がそれぞれの思いを重ねる「余白」が残っている。現代の花火は目と耳を楽しませるための情報が詰め込まれた見世物であり、色彩や形状や発する音響の多様さを楽しむものとなっている。

「昭和の名人」は、明治生まれであり、談志や志ん朝にしても昭和初期の生まれだ。江戸時代と地続きな感覚がまだそこかしこに残っていた時代である。落語の舞台となる江戸の町の空気と違和感なくなじむことができる感覚が、演者にも観客にも共有されていた。

平成の時代となってから何が決定的に変わってしまったのかと言えば、「余白」がなくなったということだ。かつては存在していた「余白」が、「情報」によって埋めつくされて消滅してしまった。「余白」が存在することを恐れるかのようにさえ感じられる洪水のような「情報」。たとえばテレビの「テロップ」と呼ばれる字幕の垂れ流し。聴覚障害者に対する配慮というより、「情報」の重ね塗りとしか思えないような「テロップ」の洪水。見る者に考える隙を与えないための工夫なのではないかと疑いたくなるほどだ。

大量の情報に瞬時にアクセスでき、即座に他者と情報を共有できる環境があたり前のものになると、「余白」が「情報」で埋めつくされて消滅してしまうことも不思議ではないなと思ってしまう。しかし、「余白」のない時間の流れに人間は耐えられるのか。

落語の「抜け雀」に出てくる老絵師のセリフではないが、「そのうち落ちて死ぬぞ」という気がしてならない。自分の息子が描いた、絵から抜け出ると評判の雀を見て、老絵師は「この絵には止まり木が描いていない。絵から抜け出るくらいの力を持った雀だから、いずれ力尽きて落ちてしまう」と指摘する。

止まり木がなければそのうち雀は疲れて死んでしまう。「余白」がなければ人も疲れて死んでしまうのではないか。肉体的にではなく、精神的に。止まり木はどこにあるのか。それは「情報」を遮断した時間の中にしかない。

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2017年10月17日 (火)

それにつけても…・その3

話を価値の交換に戻す。等価であると見なされれば、本来交換は何を使ってもよかったはずだ。「抜け雀」のところで上げたように、娘を嫁に差し上げるから絵を譲ってくれとか、好きなだけお酒を召し上がって結構ですから絵は私に、ということもありうる。黄鶴楼で酒代に絵を描いていった仙人もいたではないか。けれども、最も普遍的に流通すると思われている価値がお金だから、あれこれ考えなくても済む分だけ簡便である。誰にとっても、分かりやすいという話だ。

だが、だからといって札束で横っ面をひっぱたくようにして交換を迫ることに対しては、嫌な気持ちになる。ひっぱたく方は別かもれないが、ひっぱたかれる方はそう感じる。それは何故か。等価交換だから問題ないじゃないか。問題はない。ないのだが、やはりある。

金払ったんだからいいだろというのは、やはり違うのではないか。たとえば、大道芸に対するお捻りや投げ銭のようなものを思い浮かべると、分かりやすいかもしれない。お捻りや投げ銭は、強要されて出すものではない。強面のお兄さんが強制的に巻き上げる場合もあるかもしれないが、それは例外的な話で、任意のものである。いいものを見せてもらったという謝意をお捻りや投げ銭として表すのだから、そこまでは感心しなかったという人は出さなくてもよいのだ。

つまり気持ちの代替物としてのお金だから、同じお金ではあるが付与されている意味が違う。お金に色がついているわけじゃない、いいお金も悪いお金もおんなじだ。そういう考えもある。気持ちがこもっていようといまいと、お金はお金でしかない。確かにそうかもしれない。だが、気持ちを表すものは、もともとは他のものでもよかったはずである。食事を出す、宿を提供する、洗い物を引き受ける。そういうことでも交換できたのだ。しかし、それではいつでもどこでも交換するというわけにはいかなくなる。だから簡便な方法としてお金がそれらを代替することになったのだ。

交換というやりとりに気持ちという要素が皆無であれば、金払ったんだからという考え方も分からなくはない。大量に生産された製品を買うときに、そこへ気持ちという要素は入りにくい。売る側が気持ちという物語を付加したり、買う側が自分の思いを付加するという場合はあるだろうが、消費物を買うときにその要素は限りなくゼロに近い。だから、スーパーのレジで合計金額を支払うときは、何も感じることなく言われたお金を払うのであり、それに対してレジ係の方でもマニュアル通りにお買い上げありがとうございますと返してくるのである。

マス化されるほど交換の場に気持ちは不要となってくる。これが一点ものに近くなってくると、にわかに気持ちの要素が前面に出てくる。肉筆のたった一枚しかない絵を売る側も、それを買う側も、本来的にはお捻りや投げ銭感覚でやりとりしていたのではないか。だから、絵の雀と鳥屋の鳥を同じ次元で扱う宿屋の主は笑われるのだ。

その一点ものの絵が、描いた当人も買い入れた当人もいなくなると、気持ちの要素は薄くなる。当事者がいないのだから当然とえいえば当然かもしれない。そうなると、その絵は描かれた当初の事情から切り離され、絵画市場で取引される「商品」という性質が強くなる。値上がりが見込まれれば投機の対象にもなる。

ここで逆転現象が起きるのではないか。その絵に内在する価値を認めるからお金で交換したいということから、お金で評価されないものは価値がないということへの逆転。その絵に価値があるのなら値がつくはずである。誰も買いたいと思わないようなものであれば、つまりお金を払ってもいいと思われるものでなければ、その絵には価値がない。理路としてはそうなのだろう。

だが、そう割り切ってしまっていいのだろうか。芸術作品の価値は、ある時代だけで確定されるものではない。伊藤若冲は自分の絵は数百年後になれば理解されると思っていたらしいが、その通りになっているではないか。同時代やそれに続く数世紀に評価されなくとも、はるか後世に「発見」されることだってある。

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2017年10月16日 (月)

それにつけても…・その2

話を元に戻せば、すべての価値をお金という価値に一元化するという拝金主義に違和感を覚えるのは、金銭化できないものだってあるのではないかとどこかで感じるからなのだが、たとえば同じ落語の「井戸の茶碗」という噺などが浮かんでくる。

「井戸の茶碗」では、易で暮らしを立てている長屋住まいの浪人が、くず屋に先祖伝来の小さな仏像を売り払い、中から五十両の金がでてきて騒動になる。仏像を購入して五十両を見つけた細川藩士は、おれは仏像を買ったのであって五十両を買ったのではないからこの金は元の持ち主に返してこいと、くず屋に命じる。浪人は浪人で、手放した以上仏像から何が出てこようと自分には関わりがないと、これまた取り付くしまもない。その後、あれこれと展開はあるが、最後は浪人が自分の娘をその細川藩士の嫁に出すということで落着する。

この噺は徹底的に金銭的な価値で測れないものがあるのだというテーマを反復する。

浪人も、細川藩士も、意地になって金を受け取らない。こまったくず屋が浪人の住む長屋の大家に相談し、仲裁に入ってもらう。くず屋に十両、残りを二十両ずつ折半ということで落ち着く。落ち着きはするのだが、浪人はそれでは相済まぬと言う。では何か気持ちを差し上げてはとくず屋に勧められ、これはワシがふだん使っておる茶碗だがこれしか差し上げるものがないと、浪人が頼む。これが実は「井戸の茶碗」という天下の名器。細川の殿様が三百両で買い上げ、今度は百五十両ずつ折半することになる。百五十両を届けたくず屋に浪人が、その細川藩士は妻帯しているかと尋ねる。独り者だと判ると、では娘を嫁に、という展開だ。

出だしが五十両受け取りの拒否である。浪人も細川藩士も筋の通らぬ金は受け取れないと、頑なに拒む。次が、五十両折半後の、それではワシの気が済まぬという浪人の茶碗進上だ。お金の謝礼にお金では気持ちが表せない。だから、なにかモノを差し上げたい。そういうことだろう。さらに三百両折半の後は、自分の娘を嫁に出すという最上級の謝意である。

金銭のカウンターとして提出されるものが、茶碗であったり娘であったり、いずれも金銭的価値に換算されないものばかりだ。茶碗は細川の殿様が三百両で買い上げたし、娘だって吉原に連れていけば五十両にはなるじゃないか。確かにそうである。が、それは相手が拝金主義者の場合ならそう受け止めるだろうという話だ。それを金銭に換算できない気持ちとして受けてくれるであろうと思ったから浪人はくず屋に託したのであり、細川藩士もまたそのように受け止めたのである。

この噺がうまくできているのは、金銭の折半に対する謝意を何で表すかという構成になっているからだ。交換するものとして金銭が出てこられない場面で、何を提出するか。そこに焦点が当たっている。「お金では買えないものがある、ってえのは貧乏人のやせ我慢だ」と喝破したのは談志だったか。やせ我慢にはやせ我慢の美学がある。武士は食わねど高楊枝。この噺が、浪人者と細川藩士というお侍さん同士でなければならない所以でもある。

拝金主義への違和感は、金でしか交換できないという思想に対して生じるのではないか。人の気持ちだって金で買える。まあ、そうかもしれない。だが、いくら金を積まれてもいやなものはいやだ、そう断る人間だっている。いまどきそんな人間はいないって?それほど世の中捨てたものではない。絶滅危惧種のような存在かもしれないが、金がすべてとは限らないと考えている人間はいるはずだ。落語がいまだに滅びることなく受容されていることが、その何よりの証だ。

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2017年10月15日 (日)

それにつけても…・その1

すべてをお金という価値に一元化する拝金主義に違和感をおぼえるのはなぜだろう。

人であれ、物であれ、お金で測れない部分があるのではないか。おそらくそのように感じるときがあるから、あらゆるものを金銭というひとつの物差しで測ってしまうことに、何か違うのではないかと心のどこかがつぶやく。

「抜け雀」という落語がある。勘当された若い絵師が一文無しで泊まり、宿賃の代わりに白い衝立へ雀の絵を描く。これを形(かた)において後で払いに来るからそれまで取っておけと、主に言いつける。このときのやり取りがおかしい。

絵師は衝立に雀を五羽描く。宿の主は、最初それが何の絵なのか分からない。絵師に雀だと言われてなるほど雀ですなと納得する。絵師は「一羽一両。五羽で五両だ。」と告げる。それを聞いて主は「そりゃあ高いや。高い、高すぎる。おもての鳥屋に行ってごらんなさい。こんな大きな鳥が二十文で買えますよ。」と手を広げる。

この科白は、同じ次元で比較できないはずの絵と鳥料理を、金額で比べるおかしさなのだが、つまりは芸術作品の価値と消費物の価値を同じ尺度で比べるおかしさであるのだが、宿の主をひとしきり笑った後でふと考えこむ。

では、金銭以外の価値で芸術を測ることができるものはあるのか。「抜け雀」の噺にしても、小田原の大久保加賀守が絵と衝立を千両で買いたいと評価したことで絵師の評価が上がる。これが、誰も買いたいという人間が現われなかったら、いくら素晴らしい作品であろうと評価の低いままで終わってしまう。

だが、ここでもう一度考えは反転する。この絵を大久保加賀守が千両出しても買いたいと思ったのはなぜか。それは、朝日があたると衝立から雀が抜け出るという絵だからだ。つまり、絵そのものに価値があり、それを金銭という尺度で交換してもらうためには、千両出してもいい。そのように評価されたからではないのか。

ということは、交換の尺度は何も金銭に限らないのではないか。たとえば、自分の娘を嫁にやるから絵を譲ってくれ、という展開もありうる。この先好きなだけお酒を差し上げますので、この絵は私のものに、ということだって可能だ。

つまり、もともと交換したいという気持ちを抱かせる価値が作品に内在しており、それを何と交換するのかという話だったものが、分かりやすいから金銭という尺度で交換してもらおうということになったのではないか。分かりやすい、というのは共通した尺度として流通しやすいという意味である。

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2016年5月24日 (火)

ジャズと落語

昨日の話の続きみたいになるが、古典的な参照点が厳然として確立されているという点でジャズも落語も「今」を感じさせる演奏や口演が難しいジャンルだと思う。

スタンダードなものが具体的な形で存在しているのだから、たえず過去の偉大な参照点との比較をまぬがれない。技術的に完璧になったとしても、すでにそのジャンルの可能性が究め尽くされ、これ以上何もつけ加えるものがないのではないかと思われるような地点に立たされているというのは、きつい。

たとえばアルトならチャーリー・パーカー、テナーならジョン・コルトレーン、トランペットならマイルス・デイヴィスみたいに参照点となる巨匠たちは演奏の可能性をとことん探究し尽くしているように思われる。やっぱり、パーカーみたいには吹けないよなあ、とか。マイルスのトランペットが何といっても最高だわ、やはり、とか。コルトレーンのフリージャズっぽい演奏も捨てがたいよね、とか。

落語だってそうだ。「明烏」なら八代目桂文楽で聴きたいし、「火焔太鼓」は何といっても五代目古今亭志ん生に限るし、「真景累ヶ淵」とか「ちきり伊勢屋」みたいな長い噺は六代目三遊亭圓生ですよ、あなた。という具合に、いつでも最高峰の参照点がそびえている。

こういった参照点を前に途方にくれない演者がいるだろうか。それでも、今現在の演者は今の音を出し、今の噺を演じるしかない。その場合にできることはどういうものなのだろう。

一つは他ジャンルとの融合が考えられる。しかし、それはあくまで傍系的なものにしかならないのではないかという気がする。クラシックとジャズの融合、ロックとジャズの融合、ラテンとジャズの融合などなどさまざまな試みがなされてきたし、ボサノバとジャズの融合などは個人的に大好きな演奏が多い。ではあるものの、それでもやはり主流ではない。ちょっと目先の変わった演奏で気分転換にはなるけれど、毎度毎度これを聴きたいわけじゃないよね、となる。

そうなると、単なる融合ではなくジャズイディオムによる再解釈とか吸収、消化という方向になるのかもしれない。エッセンスだけ取り込む。それをジャズの側から最大限に活かす。どう聴いてもジャズでしかないのだが、要素として様々な他ジャンルの音楽が埋め込まれている、あるいは溶け込んでいるという状態あたりだろうか。

落語なら立川志の輔の「志の輔らくご」が、一つの方向ではないか。「志の輔らくご」は新作と古典の再解釈の二本立てである。新作は文字通り新たに創り出されたオリジナルの落語である。現代のある一面から切り出された素材が笑いを呼び出し、同時にそこで明るみに出されたものに少し考えさせられる。あるときはユルキャラ・ブームを取り上げ軽妙な噺に仕上げ、またある時は誰かと会話しながらもスマホの画面から顔を上げない若者を登場人物にし、笑いを誘いながらも、これでいいんだろうかねえとふと思わせる。

もう一つの古典の再解釈のほうが実は重要である。古典落語とて最初に高座にかけられたときは「新作」落語だったはずで、明治の三遊亭圓朝作の人情噺なども「新作」として生まれて古典として残ってきたものだろう。そう考えると、確かに「志の輔らくご」の新作は楽しいしハッとさせられるものも多いのだが、立川志の輔以外の落語家にも演じられていかなければ、古典となっていかない。つまり一代限りの噺という可能性だってあるということだ。

それからすると、古典の再解釈は対象が古典落語なのだから、これ以上評価が変動しない安定した素材である。そこにどう現代的な意義を見出すかということになる。ちょんまげの人はお相撲さんくらいしかおらず、遊郭もないし、火鉢って何?蚊帳って何?の世界で、古典落語の巨匠たちの口演をそのまま再現しても、理解されない。ならば、マクラに振るしかないではないか。立川志の輔のマクラはその時々の話題から入り、本編の古典落語の世界でキーとなる部分についての予備的知識が展開される。これがあるから、まったく初めてその古典を耳にする人でもすんなりと噺の世界に入ることができる。

ジャズも落語も古典芸術だということに話が尽きてしまいそうだ。古典音楽であるクラシックが「革命的」に新しくなりようがないのと同様に、ジャズも落語も古典として完成してしまったジャンルなのだ。だから、その枠組みを「革命的」に変えるのではなく、現代的な意義を見出すという方向が本筋ということになる。そういう意味でジャズも落語も、きわめて保守的なものだ。年寄りの愛好するジャンルである。それで何らかまわない。そこに盛り込まれた現代的な意義に興味を覚える人がいれば、この先も廃れることはないだろうし、そうでなければ衰退していくだろう。でも、それはそれでいいんじゃないだろうか。

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2016年4月 5日 (火)

「たそがれ」あるいは「かはたれ」

つい先日終わってしまった『昭和元禄落語心中』というアニメが、とてもおもしろかった。第一回が始まるときに、ちょうど帰省していた息子に教えられて一緒に観ることになったのだが、昭和の落語の世界をしっかりと背景に置き、落語のネタの選び方もなかなかシャレていた。惜しむらくは、放映時間の関係でやむを得ないのだろうが、古典落語の一席をそのまますべて語らせることができず噺のエッセンスだけを抽出して紹介していた点だ。これだと落語ファンはすぐに「ああ、あの噺か」と分かるものの、そうでない人には何のことか意味不明なままだったのではないか。八代目有楽亭八雲が得意とする「死神」にしても、サワリだけなので、この噺のおもしろさが十分に伝わらないのが残念だった。

それはそれとして、後の八代目有楽亭八雲となる菊比古と、二代目有楽亭助六となる初太郎こと「信さん」とのほろ苦い友情の描き方がたまらなくよかった。対照的なタイプの二人の落語家。菊比古は、おそらく六代目三遊亭圓生や三代目古今亭志ん朝などがモデルとなっているのだろう。一方の初太郎(助六)は、五代目古今亭志ん生や自称五代目の立川談志などがモデルだろうか。「人情噺」をやらないという助六の設定は、八代目桂文楽にも通じるところだが。その助六が第十二話で人情噺「芝浜」を演じた。これはなかなか切ない場面だった。

この『昭和元禄落語心中』のエンディング・テーマが『かは、たれどき』という曲だった。澁江夏奈さんの作曲・編曲になるスロー・バラードで、トランペットの柔らかな響きが耳にのこるいい曲だ。エンディングのタイトルロールも、曲と一体になってじわりと郷愁を呼び起こす映像となっていた。

「かはたれ」という言葉は「たそがれ」と同義だ。どちらも「あれは誰?」というのが直訳となる。つまり、「か(彼)はたれ(誰)」であり、「た(誰)そかれ(彼)」である。夕闇が降り始め、はっきりと人の姿の見分けがつかなくなってきたころの時間帯を指す。

「たそがれ」は、漢字で書けば「黄昏」だが、「かはたれ」や「たそがれ」という言葉を目にすると何とも名状しがたい感触に包まれる。なぜだろう。昭和の昔の子どもたちは、黄昏時まで外で遊んでいた。「じゃあ、また明日」と別れをつげてそれぞれの家路を急ぐころ、街灯が灯り始め、どこかの台所から夕飯の仕度をする匂いが漂ってきたり、茜色に染まった西の空を眺めながら明日もいい天気だと思ったり、そんな記憶と結びついているからなのか。それもあるのかもしれない。

あるいは、すっかり夜の闇が降りてしまう前のほんのひと時だからだろうか。人や物の姿がぼんやりとながらもまだ見える時間帯。だんだん輪郭がぼやけて見えなくなっていくのは分かっている。しかし、まだ今少しの間はかすかに姿が分かる。境界の時間。人も時代も、そういう「黄昏」の時間に差しかかってきたと意識すると、来し方行く末のことが何となく思われてしまう。「明日もいい天気だ」と子どもの頃のように無邪気に思ってばかりいられなくなった。年齢を重ねるというのはそういうことなのか。

【追記】
「たそがれ」は主に夕方、「かはたれ」は主に明け方に用いるようです。アニメのエンディングからどちらも夕暮れ時だろうと思い込んでいました。

本来はどちらも人の姿の見分けがつかない時間帯を表していたのが、「たそがれ」が主に夕方に定着すると、「かはたれ」が明け方について用いられるようになったとのことです。

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2015年3月20日 (金)

名人の死

三代目桂米朝師匠が亡くなった。

米朝師匠の噺を初めて聴いたのは、いつだったろう。高校生の頃だったか、それとも大学に入ってからだったか。ラジオの落語番組を何気なく聴いていて、米朝師匠の「壺算」に引き込まれてしまった。

上水道が普及する遥か以前のこと、大阪は「水の都」と言われる割にいい水が手に入りにくく、どの家にも「水壺」と呼ばれる壺が置かれ水屋から買った水を蓄えていた。

長屋に引っ越したある夫婦が新しい水壺を買おうと考えた。ところが亭主は、安い品物を高い金出して「どうもありがとう」と買ってくるような買い物下手。そこでおカミさんは、亭主の友人で買い物上手の男に一緒に行ってもらえと焚きつける。

よし任せとき、とその友人は亭主を瀬戸物屋に連れていき、一荷入りの水壺の金額で二荷入りの水壺をせしめるという噺。詐欺ではないかと言われればその通りなのだが、瀬戸物屋の番頭と買い物上手の男とのやり取りがやたらにおかしい。

まず、一荷入りの水壺を三円で買う。縄をからげ天秤棒を通してもらい、二人で担いで一旦店を出る。そのまま回れ右して「じゃまするで」とまた店に入る。「なんぞお忘れで」と尋ねる番頭に、「実は二荷入りの水壺がほしかったんや」と男は告げる。「へえへえ、ほな二荷入りは三円の倍の六円で…。あっ。あんさん買い物うまいわ」と番頭は感心する。実は一荷入りの水壺も、自分達で運ぼうと天秤棒まで用意してきたと言われて、三円まで大まけに値引きしたのだった。

で、支払いの段になり、買い物上手の男は「この水壺なんぼで引き取ってくれる」と番頭に尋ねる。「なんぼで引き取ってと言われましても、今さっき売ったばかりでっしゃろ。傷さえなかったら元値の三円で引き取らせてもらいます」「そうか、助かるわ。ほな、さいぜんの三円と合わせて六円でええな」「へえ。へえへえ、そういうことになりますな」「ほな、じゃましたな」

何が変なのか分からないが、どこか腑に落ちない番頭は、帰りかける男たちを引き止める。このやりとりが何度か繰り返され、最後のオチにつながる。米朝師匠を代表する噺ではないと思うが、私はこの噺が一番好きだ。オロオロする番頭に同情しながらも、ついつい笑ってしまう。

米朝師匠は「上方落語中興の祖」と言われ、持ちネタの数も多かった。「たち切れ線香」「一文笛」のようなホロッとくる噺。「算段の平兵衛」のピカレスク。「地獄八景亡者戯」といった大作。西の旅、東の旅を題材にした数々の旅の噺。どれを取っても繰り返し聴きたくなるものばかりだ。

談志師匠が亡くなった後、これで米朝師匠が亡くなったら「名人」がいなくなってしまうなと思ったが、ついにその日が来てしまった。

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2012年1月18日 (水)

珠玉の話芸

久々に書く落語ネタの記事である。

このところ、思い出したように三代目古今亭志ん朝さんの噺を聴いている。授業が終わった教室で聴き、自宅に帰って遅い夕食を摂りながら聴き、しみじみ上手いなあと感じ入る。

噺のマクラで志ん朝さんは、「名人なんてものは、なかなかいるものではありません。アタクシなどが考えます名人てぇものは、もっとずっと高いところにあるものでして…」とよく話していたことがある。おそらく、父親である五代目古今亭志ん生師匠や六代目三遊亭圓生師匠などが、具体的な「名人」のイメージとして頭に浮かんでいたのだろう。

そうは言うものの、やはり三代目古今亭志ん朝さんは「名人」である。志ん生師匠とは間の取り方がまったく違うけれども、実に心地よい間がある。この「心地よさ」というものが志ん朝さんの演じた落語のキーワードであるような気がする。

間もそうだが、何と言っても声の質感がたまらない。艶のある、耳に心地よくひびく声のトーン。この声の質感は志ん生師匠や圓生師匠でさえ太刀打ちできないのではないだろうか。延々聴いていたくなる声である。そこはかとなく感じさせる品のよさも魅力だ。聞き手に媚びない、しゃんと背筋が伸びた姿勢がそこにはあるのだと思う。古典落語を伝承しているという自負もまた強かったのではなかろうか。

つい昨日聴いていた「三軒長屋」や「愛宕山」など、目の前に鮮やかに情景が浮かび、江戸時代の人びとの息づかいまで聞こえてきそうな見事な口演である。それでいて後を引かない。耳の底にこびりついて離れないというしつこさがない。噺が続いている間、もっとこの声を聴いていたいなあと思うのに、噺が終わるとあっさりとそれが消えていく。このあたりも三代目古今亭志ん朝さんのすごいところではないか。

存命であれば、七十三歳なのだそうだ。まだまだ現役で高座に上がっていたであろうと思われる年齢である。どれほど奥深い江戸落語の世界を見せてくれていただろう。そう思うと早すぎる死であったと残念でならない。

だが、数多く残されている噺はどれも磨き込まれた珠玉の逸品である。まったく落語を聴いたことがない方は、ぜひ三代目古今亭志ん朝さんの落語を聴いてみるとよいと思う。落語の面白さ、落語という話芸のすばらしさが存分に味わえるはずである。

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2011年11月23日 (水)

談志が死んだ

教室で朝から十二時間以上指導して帰宅すると、立川談志師匠が亡くなったというニュースがテレビで流れた。「談志が死んだ」と回文のような思いが駆けめぐる。

天才的落語家の一人だったのだと思う。そしてまたこの先、容易に現れそうにないタイプの落語家だったのではないかとも思う。昭和の名人と呼ばれた五代目古今亭志ん生師匠や八代目桂文楽師匠、六代目三遊亭圓生師匠、そして自らの師匠であった五代目柳家小さん師匠など綺羅星のような落語家たちの身近にいて、その生き方や芸の磨き方を目の当たりにし、その圧倒されるような影響から逃れるように自らの落語世界を作り上げてきた生涯だったと言えるのではないか。

傲慢不遜とも見える風貌や破天荒な発言とは裏腹に、落語に対する繊細な感覚と徹底した探究が談志師匠の独自な芸を支えてきたのだと思う。三年前にNHKで放送された談志落語を聞いて思ったことをまとめた「立川談志はマイルスである」のシリーズを再掲して、追悼の気持ちを表したい。合掌。

立川談志はマイルスである

立川談志はマイルスである・続き

立川談志はマイルスである・さらに続き

立川談志はマイルスである・まとめ

「江戸的スローライフ」のシリーズにも一つあったので、合わせてご紹介する。

江戸的スローライフのすすめ・その14

しばらく落語ネタの記事は書かないつもりでいたが、談志師匠が亡くなったと耳にしてどうしても書かずにはいられなかった。

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