福原さんのこと・その2
ある年の3月、大学が春休みに入りそろそろ帰省しなければと思っていたら、福原さんが「小林さん、出身は岩手でしたっけ?」「はい、北上です」「じゃあ、よかったら乗っていきませんか」「え?」実は福原さんは秋田の大曲に実家があり、お彼岸の墓参りに顔を出そうかと思っていて車で行く予定だったのだ。「ぜひ乗せて下さい」一も二もなく私は頼み込んだ。ちょうど飲み会が続いてアルバイト代も飲んでしまっていたため、どうやって帰ろうかと思案していたところだった。「東北自動車道の北上インターで107号線に降りるからそこまでだけど、いいですか?」そういう福原さんの申し出に大きく頷いて私は感謝した。
仙台を発つ当日、約束の場所で待っていると一台の白い高級車が停まった。クーペタイプだが国産車では当時一番高いクラスの車種だった。福原さんが笑顔で「荷物は?」と尋ねるので「これだけです」とバッグを一つ示すと「おや、ずいぶん身軽ですね」と可笑しそうに言った。荷物のバッグは後部座席に置かせてもらい、私は助手席に座った。車内に流れている音楽は意外なことにモダンジャズではなかった。「え、福原さんもフュージョンを聴くんですか?」「あ、車の時はね。とくに高速にのるときはフュージョンの方が運転してても合うから」
そんな雑談をしているうちにすぐ東北自動車道に入り、仙台の街を離れて北へ向かうことになった。車はゆったりしていて走りは静かであり、速度が出ていてもあまりそれを感じなかった。ところがどの辺りを走っているときだったろうか。赤いスポーツタイプの1台が追い越し車線を一気に抜いていった。福原さんの表情はまったく変わらなかったが、車が急に加速し始めたことに私は気づいた。ちらりと速度計を見るとすでに150キロを超えている。車が大きいのであまり速くは感じないが、どんどん加速されていくのが分かった。え、大丈夫だろうか。シートベルトはしていたが、何となく不安な気持ちが高まっていった。メーターは180キロである。うわあ、もう180キロだよ。福原さん何考えてんだ、一体。
先ほどの赤いスポーツカーが見えてきた。福原さんは追い越し車線に入るとその赤い車を抜き返して前に出た。こちらは冷や汗が出て心臓が口から飛び出しそうなくらいだった。しばらく走って速度を落とすと「私、赤い車を見るとどうしても抜きたくなるんですよ。さっきもね、小林さんを乗せているからどうしようかなと思ったんですけど、赤いのに抜かれたら我慢できなくて」「はあ」「あ、言うの忘れてましたけど、若い頃にA級ライセンスを取って鈴鹿のサーキットで走っていたこともあるんですよ」それを早く言ってほしかった。まったく人が悪い。しかしそういうペースで走ってきたので北上インターに着いたのはあっという間だった。料金所を出てすぐのところで私は降ろしてもらい、福原さんは「ご両親によろしく」と笑顔を残し107号線に降りていった。
そういう茶目っ気というか、いたずら好きなところを持ち合わせている人でもあった。「品のいい中年の紳士」という表現を何かの文章で目にすると真っ先に思い浮かべるのは福原さんのことだ。それから何年も経って久々に「カウント」を訪れ、マスターから「福原さんが亡くなったの知ってる?」と言われたときは驚いた。まだそんな歳ではなかったはずだが。どうしてまた亡くなってしまったんだろう。忽然といなくなってしまったという感じが強くて私にはまったく実感がなかった。未だに実感はない。
若い頃に出会った人というのは忘れがたい印象を残す。そしてなにがしかの影響も受ける。福原さんは、こんな大人になれたらいいなと思わせるような素敵な紳士だった。そういう大人がもしかしたら少なくなったのかもしれない。雲の上のスター選手やスター俳優ではなく、身近にいる素敵な大人。そういう大人が増えるといいなと思う。
早春の強い風が吹くこの時期になるといつも思い出さずにはいられない。ブログを書き始めたときにどうしても書き残しておきたいと思っていた人物の一人である。
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