音楽

2016年5月24日 (火)

ジャズと落語

昨日の話の続きみたいになるが、古典的な参照点が厳然として確立されているという点でジャズも落語も「今」を感じさせる演奏や口演が難しいジャンルだと思う。

スタンダードなものが具体的な形で存在しているのだから、たえず過去の偉大な参照点との比較をまぬがれない。技術的に完璧になったとしても、すでにそのジャンルの可能性が究め尽くされ、これ以上何もつけ加えるものがないのではないかと思われるような地点に立たされているというのは、きつい。

たとえばアルトならチャーリー・パーカー、テナーならジョン・コルトレーン、トランペットならマイルス・デイヴィスみたいに参照点となる巨匠たちは演奏の可能性をとことん探究し尽くしているように思われる。やっぱり、パーカーみたいには吹けないよなあ、とか。マイルスのトランペットが何といっても最高だわ、やはり、とか。コルトレーンのフリージャズっぽい演奏も捨てがたいよね、とか。

落語だってそうだ。「明烏」なら八代目桂文楽で聴きたいし、「火焔太鼓」は何といっても五代目古今亭志ん生に限るし、「真景累ヶ淵」とか「ちきり伊勢屋」みたいな長い噺は六代目三遊亭圓生ですよ、あなた。という具合に、いつでも最高峰の参照点がそびえている。

こういった参照点を前に途方にくれない演者がいるだろうか。それでも、今現在の演者は今の音を出し、今の噺を演じるしかない。その場合にできることはどういうものなのだろう。

一つは他ジャンルとの融合が考えられる。しかし、それはあくまで傍系的なものにしかならないのではないかという気がする。クラシックとジャズの融合、ロックとジャズの融合、ラテンとジャズの融合などなどさまざまな試みがなされてきたし、ボサノバとジャズの融合などは個人的に大好きな演奏が多い。ではあるものの、それでもやはり主流ではない。ちょっと目先の変わった演奏で気分転換にはなるけれど、毎度毎度これを聴きたいわけじゃないよね、となる。

そうなると、単なる融合ではなくジャズイディオムによる再解釈とか吸収、消化という方向になるのかもしれない。エッセンスだけ取り込む。それをジャズの側から最大限に活かす。どう聴いてもジャズでしかないのだが、要素として様々な他ジャンルの音楽が埋め込まれている、あるいは溶け込んでいるという状態あたりだろうか。

落語なら立川志の輔の「志の輔らくご」が、一つの方向ではないか。「志の輔らくご」は新作と古典の再解釈の二本立てである。新作は文字通り新たに創り出されたオリジナルの落語である。現代のある一面から切り出された素材が笑いを呼び出し、同時にそこで明るみに出されたものに少し考えさせられる。あるときはユルキャラ・ブームを取り上げ軽妙な噺に仕上げ、またある時は誰かと会話しながらもスマホの画面から顔を上げない若者を登場人物にし、笑いを誘いながらも、これでいいんだろうかねえとふと思わせる。

もう一つの古典の再解釈のほうが実は重要である。古典落語とて最初に高座にかけられたときは「新作」落語だったはずで、明治の三遊亭圓朝作の人情噺なども「新作」として生まれて古典として残ってきたものだろう。そう考えると、確かに「志の輔らくご」の新作は楽しいしハッとさせられるものも多いのだが、立川志の輔以外の落語家にも演じられていかなければ、古典となっていかない。つまり一代限りの噺という可能性だってあるということだ。

それからすると、古典の再解釈は対象が古典落語なのだから、これ以上評価が変動しない安定した素材である。そこにどう現代的な意義を見出すかということになる。ちょんまげの人はお相撲さんくらいしかおらず、遊郭もないし、火鉢って何?蚊帳って何?の世界で、古典落語の巨匠たちの口演をそのまま再現しても、理解されない。ならば、マクラに振るしかないではないか。立川志の輔のマクラはその時々の話題から入り、本編の古典落語の世界でキーとなる部分についての予備的知識が展開される。これがあるから、まったく初めてその古典を耳にする人でもすんなりと噺の世界に入ることができる。

ジャズも落語も古典芸術だということに話が尽きてしまいそうだ。古典音楽であるクラシックが「革命的」に新しくなりようがないのと同様に、ジャズも落語も古典として完成してしまったジャンルなのだ。だから、その枠組みを「革命的」に変えるのではなく、現代的な意義を見出すという方向が本筋ということになる。そういう意味でジャズも落語も、きわめて保守的なものだ。年寄りの愛好するジャンルである。それで何らかまわない。そこに盛り込まれた現代的な意義に興味を覚える人がいれば、この先も廃れることはないだろうし、そうでなければ衰退していくだろう。でも、それはそれでいいんじゃないだろうか。

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2016年5月23日 (月)

ロバート・グラスパー、ふたたび

以前にロバート・グラスパーの「Black Radio」を取り上げて、これはジャズではないだろうと話を切り上げてしまったことがある。即興演奏(インプロビゼーション)のない演奏をジャズであると認めるわけにはいかない。そういう意識から、ロバート・グラスパーの音楽はジャズではないだろうとしたわけだが、これは早とちりであった。

Youtubeにアップされている「Covered(Recorded live at the capitol studios)」のトリオ演奏を聴いてみて驚いた。悪くないどころの話ではない。まさにジャズの演奏ではないですか。ピアノの鳴らし方が、「今」の時を感じさせる。50年代や60年代の巨匠たちによるビンテージものの演奏とは異なるけれど、現在のジャズそのものだ。

これは、このところ暇さえあれば教室で聴いているレイチェル・Zにも共通して言えることだ。レイチェルの「Everlasting」に入っている「Fields of Gold」をネットラジオで偶然耳にし、「ひと耳惚れ」してしまった。スティングの曲だということすら知らなかったのだが、レイチェルの演奏のほうが格段にいい。エンドレスにして延々聴きたくなるような中毒性がある。これもまさに「今」を感じさせる音だ。

ジャズを愛好するというのは、どこか骨董趣味に似たようなところがある。過去の巨人たちの国宝級の歴史的演奏がすでに厳然として存在し、これを越える演奏はなかなか出てこないだろうなあと思ってしまう。落語も同じだ。どうしても今現在の演者ではなく、過去に存在した巨匠たちに目がいってしまう。これは過去においてピークを作り上げてしまった芸術の、避けられない性質なのかもしれない。いつも過去の巨人たちと比較される。それを越えるような才能が現れ、革命をもたらさない限り、ジャンルとして確立されてしまった芸術は過去の参照点から逃れられない。

しかし、言うは易く行うは難しでそうそう簡単に「革命的」な天才が出てくるわけではない。めったに出てこないからこその「天才」だろう。ロバート・グラスパーが試みていることは「革命的」なことだろうか。R&BやHip hopとジャズの融合は「革命的」たり得ているのか。うーん、それは厳しいのではないですかねえ。

たとえば、マイルス・デイヴィスがエレクトリック・マイルスと呼ばれた時期、ロックとジャズの融合した新しい方向性を探究したが、これとて成功したかとなると疑問である。結局、確立された主流派のジャズは揺るがなかったのではないか。それと同じように、ロバート・グラスパーのHip hopとジャズの融合は、新しい音楽の創出につながってはいないのではないだろうか。

とはいえ、トリオ演奏でアコースティックジャズを聴かせるロバート・グラスパーは悪くない。少しピアノのタッチがおとなしくて、女性ピアニストの演奏を思わせるところもある。そんなところからレイチェル・Zの演奏を連想してしまったのだが、それはそれとして、このトリオ演奏でのピアノの鳴らし方はいいなあ。まぎれもなく2000年代の音だという感じがする。

そういうことで前言は撤回します。ロバート・グラスパーの演奏はジャズです、確かに。

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2015年3月23日 (月)

ロバート・グラスパー

TBSラジオで、「文科系トークラジオLife」(こちら )という番組が二ヶ月に一度放送されている。日曜日の深夜、生放送で三時間ほど若手論客のにぎやかな議論を耳にすることができる。

直接放送を聴くことができなので、私はいつもポッドキャスト配信されたものをダウンロードして聴いている。ポッドキャストだと生放送終了後のやりとりも「外伝」という形で一時間くらい収録されていて、満腹するまで議論が聞ける。

二月の末に放送された回は、「No Music, No Life?〜音楽はいまどう聴かれているのか」というテーマで面白かった。音楽というテーマは身近なものであるせいか、寄せられたメールの数も番組史上最多だということだった。

『Jazz the New Chapter〜ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』という評論を出した柳樂光隆さんや、矢野利裕さんといった三十代の若い評論家の方々が、しきりにロバート・グラスパーがいいと薦めていた。矢野さんは以前の放送回でもロバート・グラスパーを推しており、どういう音楽なのか気になっていた。

ジャズとヒップホップを融合させた音楽らしいのだが、ともかくYoutubeで「Black Radio」(こちら )を聴いてみた。フィーチャーされているボーカリストはグラミー賞クラスの有名どころがそろっているようなのだが、うーん…である。オールドジャズファンとしてはいまいちピンとこない。柳樂さんはある講座で、オールドジャズファンから「お前にジャズを語る資格はない」と酷評されたそうだが、そのお爺ちゃんの気持ちがわかるような気がする。

つまり、モダンジャズを聴き続けてきたオールドジャズファンからすると、「これはジャズじゃないだろう」としか挨拶のしようがない。油井正一がキース・ジャレットを認めなかったレベルの話ではなく、そもそもジャンルが違うんじゃないか。ジャズじゃなくてブラック・コンテンポラリーとかヒップホップとかでいいのじゃないかと思ってしまう。音楽としては良質だと思うが、「ジャズ」ではない。昨日のジョン・クレマーの「Nexus」と比べてみれば一目瞭然である。誰が聴いても「Nexus」はジャズだが「Black Radio」はジャズではない。サギをカラスと言うたが無理かで、ジャズでないものをジャズというのは無理だ。

ジャズのジャズたる所以は何か。それは即興演奏だ。エリック・ドルフィが語ったように「音楽は空に消えて、二度と捉えることはできない」という究極の一回性に支えられている。この再現不能性を感じさせないものはジャズと呼ぶことができない。これは譲ることができない一線だ。スリリングなインプロビゼーションがないジャズを聴きたいとは思わない。

誤解無いように繰り返すと、ロバート・グラスパーの「Black Radio」は音楽として良質だと思う。悪くない。しかし、ジャズではない。私も頑固なオールドジャズファンなので、この感想には固執したい。

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2015年3月22日 (日)

ジョン・クレマー

Youtubeで何がありがたいといって、古い音源を手軽に聴きかえすことができるということ以上のものはない。

ジョン・クレマーというテナー・サックス奏者をお聴きになったことがあるだろうか。耳なじみのいいフュージョンのサックス奏者というイメージが強いようだが、この人が、本当にやりたかったのはこっちだと言いたげな2枚組アルバムを出したことがあった。「Nexus」というアルバムだ。

ああ、この人はコルトレーン・フリークだったんだ。ジョン・コルトレーンを聴いていた方は、ジョン・クレマーのテナーを聴くとたぶん真っ先にそう思うはずだ。コルトレーンに捧げたオマージュ以外の何ものでもない。そんなふうに、コルトレーンを彷彿とさせるプレイが延々続く。フュージョンをやってるけど、本当はこれがやりたかったんだという思いがひしひしと伝わってくる。

この「Nexus」はCD化されていないのではないかと思う。アナログ盤しか出ておらず、若いころに聴いて以来、長い間耳にする機会がなかった。いまから三十年前。二十代の半ばにもなっていなかったころだ。通い詰めていた仙台のジャズ喫茶「Count」でよくかかっていた。そのころ「Count」のウェイターをしていた友人がコルトレーン・フリークで、したがってジョン・クレマーのこのアルバムも大好きで、リクエストがなくてもときどきターンテーブルに載せていた。

ふと思い立って、先日Youtubeで検索してみると、「Nexus」の2枚組がまるまるアップされているではないか。アナログ盤の1枚目と2枚目の音量に差がありすぎるのが欠点だが(おそらくデジタル化して取り込むときにレベルを揃えなかったのだろう)、当時の雰囲気は十分に味わえる。

1枚目に収録されている曲は「Misty」「Body and Soul」「God Bless the Child」のようにスタンダードが多い。「Body and Soul」は、「Birds and Ballads」というオムニバスアルバムにも収録されているので、一番耳になじんでいる。しかし、このアルバムのすごいのは、なんといっても2枚目だ。コルトレーン自身が吹いているのかと錯覚するようなすさまじさがある。ジャズ喫茶では1枚の両面を続けてかけることはまず無かったし、2枚組を通して聴く機会も全くなかったから分からなかった。あらためて聴いてみるとこの2枚目のすごさがよく分かる。

特にドラムのカール・バーネットとジョン・クレマーのデュオで演奏される「Softly, As in a Morning Sunrise」や「Impressions」は圧巻だ。ドラムがこれでもかという勢いでリズムを刻み続け、ジョン・クレマーがバリバリと吹きまくる。いやあ極楽、極楽。ジャズを聴いててよかった。そんなふうに思ってしまう快演である。

興味のある方、特にコルトレーン・フリークの方は、こちらのリンクでどうぞご一聴を。

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2015年3月17日 (火)

レッド・ガーランド

昨日の角田光代さんの『旅する本』ではないが、若いころの印象と年齢を重ねてからの印象には、違いがある。音楽についてもそれは同じだ。

レッド・ガーランドのピアノを、ホテルのラウンジ・ピアノみたいな軽い演奏だと若いころは思っていた。なぜポール・チェンバースやフィリー・ジョー・ジョーンズとともにマイルス・クインテットの"the rhythm section"を長らく務めていたのか、ピンとこなかった。

手許には「Groovy」「At the Prelude」の2枚のCDと、「Classic Albums」シリーズに入っている「Red Garland Eight Classic Albums」という、アルバム8枚分を4枚のCDに収録した輸入盤しか持っていないのだが、ある時その「Groovy」をBGMにかけて作業をしていた。何気なく聴いていたガーランドのピアノが突如として輝きはじめた。サックスプレーヤーでなくても、ワンフレーズの長さは基本的に息の長さではないかと勝手に思い込んでいるのだが、ガーランドの軽やかに転がっていくフレーズは「息が長い」。そのフレージングの華麗さとテクニックのすごさ。ラウンジ・ピアノのような軽い演奏という印象は、全く間違いだったと気がついた。

肩から力を抜いて超絶技巧の演奏を軽々とやってのけるという、侘び寂びの極致みたいなガーランドのすごさは、血気盛んな若いころにはよく分からなかったのだろう。いつまで聴いていても疲れない。だから、この頃は暇さえあればガーランドを聴いている。

ちなみに「Red Garland Eight Classic Albums」という輸入盤はお得だ。アマゾンで1250円。8で割るとアルバム1枚あたり150円ちょっとという驚異的な金額。CD1枚にアルバム2枚が入っているので、BGMとしてかけ流して聴くには最適な長さでもある。この「Classic Albums」のシリーズは、他のプレーヤーでも数多く揃っている。まとめて聴く機会のなかったプレーヤーを集中して聴いてみようというときに重宝する。以前は音質にバラツキがあり当たり外れが多かったようだが、最近のシリーズは特に問題はないようだ。

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2014年3月16日 (日)

The scene changes

バド・パウエルの有名なアルバムに"The scene changes"という一枚がある(こちら )。ジャケット全体が青い色調で、ピアノに向かうバド・パウエルとその陰から顔をのぞかせる少年が写っている。ブルーノートレーベルから出されたものだ。一曲目は"Cleopatra's Dream"。以前、あるビールメーカーのテレビCMで流れていたことがあるので、タイトルを知らなくてもこの曲を耳にすれば「ああ、あの曲か」とうなずく方も多いと思う。

私はこのアルバムでバド・パウエルにはまってしまった。学生の頃足繁く通ったジャズ喫茶で初めて聴いたときに、最初の"Cleopatra's Dream"でまるごともっていかれてしまった。印象的なイントロに始まり、急速なテンポでメロディラインが展開されていく。たぶんバド・パウエルのアルバムの中で、一番耳になじみやすいものかもしれない。

その頃ジャズ喫茶で聴いていたのは、LPレコードだった。ターンテーブルに載せられた盤に針が下ろされ、短いスクラッチノイズに続いて最初の音が飛び込んでくる瞬間が一番好きだった。CDだといきなり最初の一音が始まる。余白みたいな時間がない。CDでこのアルバムを聴いたことがないので、LPとの違いはわからないが、おそらく微妙に印象が異なるだろうと思う。

このアルバムには、"Amazing Bud Powell vol.5"というタイトルもついている。同じ"Amazing Bud Powell"のシリーズであれば、何と言ってもvol.1とvol.2に尽きるだろう。圧倒的な速さとテクニックとエモーション。バド・パウエルのピアノのすごさが、この二枚で堪能できる。

それでも、ときどきこのアルバムに収められている演奏が頭の中に響くことがある。あれは何なのだろう。実際に鼓膜が振動し、それが聴覚神経を通って脳内に届いているわけではないのに、ちゃんと脳内で音楽が鳴り響く。どこかに格納された音の記憶が呼び出されて聴覚中枢で再生されているのだろうか。なんだかハードディスクに収めた音楽ファイルを再生しているみたいな話だなあ。

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2013年10月22日 (火)

中学生には…

秋になると、やはりジャズがいい。茜色にたそがれていく西空を眺めながら、お気に入りの一枚を聴いていると、それだけで何だか心が満たされてくる。

スタンダードジャズを初めて聴いたのはいつだったろう。たぶん中学三年くらいだったのではないかと思う。FM放送から流れてきたコルトレーンの「Violet for your furs (コートにすみれを)」とビル・エバンスの「Someday my prince will come (いつか王子さまが)」の二曲だ。

定番中の定番というべき曲だと今なら分かる。「Violet for your furs」など、レッド・ガーランドのピアノに続くコルトレーンのテナーが流れ出した瞬間に、うっとりと聴き入ってしまう。これ以上のバラードはあるのだろうかと思うほど美しい曲だ。ガーランドのピアノもいい。音楽を聴いていて味わえる至福のひとときと言っていいのではないか。

ビル・エバンスの「Someday my prince will come」にしてもそうだ。端正なピアノの音である。スコット・ラファロのベースが、エバンスのピアノにしっかりと対峙して最後まで心地よい緊張感を持続していく。小気味よいほど澄明なトリオの演奏である。

ところが、初めて聴いたとき、これらの曲のよさがまったく分からなかった。つまりジャズのよさが皆目分からなかったのだ。スタンダード中のスタンダードを、これ以上考えられない最良の演奏者で聴いたのに、である。そんなものなのかもしれない。いくら背伸びしてみても、所詮中学生の私にはジャズは無縁の音楽だったということだ。

あれから四十年近くになる。どこでどういう巡り合わせだったのか、気がつくとすっかりジャズ・ファンになってしまっている。中学生のときには分からなかったよさも、今ならすんなりと分かる。分からないとは思ったけれど嫌いにはならなかった。それがよかったのかもしれない。

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2013年10月 3日 (木)

前にどこかで

キース・ジャレットの「Somewhere Before」というアルバムのジャケットを眺めている。都会の街角を写したセピア色の写真。ニューヨークかどこかの古い写真だろうか。1曲目に入っている「My Back Pages」を聴きたくて、ときどきかける。ボブ・ディランの曲をジャズにアレンジしたもので、ライブ演奏の録音だ。

チャーリー・ヘイデンがベース、ポール・モチアンがドラムスのトリオ。この時のキース・ジャレットはいくつだったのだろう。1968年10月30日・31日の録音となっている。今から45年前の録音ということになるのか。60年代後半の雰囲気は、この1曲目の選曲からも十分に伝わってくる。

手許にあるキース・ジャレットのアルバムは、ソロ演奏のものの方が多い。ソロ以外のアルバムは、これとヨーロピアン・カルテットで録音した「My Song」しか持っていない。けれども妙なもので、よく聴いているのはこの2枚の方だ。

ソロを聴こうと思うと、どうしても全曲集中して聴かなければという気になるので、構えてしまう。それからすると、この「Somewhere Before」の「My Back Pages」や「My Song」の「The Journey Home」は、とりあえずこの曲だけという気楽な聴き方ができる。特に「The Journey Home」は、いい。こんなにいい曲だと、以前は思っていなかった。

これまで「My Song」というアルバムでは、「Country」が一番好きな曲だった。高校生のころ初めて聴いたときに、ヤン・ガルバレクのアルト・サックスとキース・ジャレットのピアノのソロ部分が耳から離れなくなってしまった。こんな繊細で抒情的な曲がジャズにもあるんだ。この曲を聴いていなかったら、もしかするとその後もっとジャズを聴いてみようと思わなかったかもしれない。

しかし、この数年「My Song」というアルバムを何度も聴いているうちに、待て待て、これは「Country」より「The Journey Home」の方がいいんじゃないか、という気持ちが強くなった。秋の黄昏時、西の空が茜色に染まるのを眺めながらこの曲を聴いていると、なんだか分からないけれど、前にどこかでこんな光景があったなという気持ちになる。

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2013年1月22日 (火)

今日は「ジャズの日」?

たまたまネットでニュース記事を読んでいるときに、1月22日[火曜日]仏滅・黙阿弥忌・ジャズの日という欄外の表示が目に入った。「ジャズの日」?何だ、それは。

さっそくお手軽なWikipediaを調べてみると、ありましたありました。

ジャズの日(じゃずのひ)は、日本でJAZZ DAY実行委員会が制定した記念日である。毎年1月22日。

東京都内の老舗ジャズクラブ「バードランド」「サテンドール」「オールオブミークラブ」のオーナーらによる「JAZZ DAY実行委員会」が2001年から実施。

JAZZの"JA"が"January"(1月)の先頭2文字であり、"ZZ"が"22"に似ていることから。
(Wikipedia記事より転載)

なのだそうだ。なるほどね。ジャズのファン層を広げるための一環か。この手のこじつけ「○○の日」というのは、どれくらいあるのだろう。あまり普及に役立っているとは思えないのだが、それぞれの関係者の間では盛り上がっているのかもしれない。

それはそれとして、個人的には毎日が「ジャズの日」なので、特に今日が「ジャズの日」であろうがなかろうが、どちらでもかまわない。教室の指導が終わると必ずCD1枚分をBGMにして、後片づけと翌日の準備をしている。かけるCDは日によって異なるが、この数週間はアート・ペッパーの「The Return of Art Pepper」かマイルス・デイビスの「1958 Miles」か、元教室生の保護者の方からいただいたDoctor3のセレクトCDである。

ピアノトリオが好きなので、教室に置いてあるCDも半分以上がピアノトリオで、レッド・ガーランドやケニー・ドリューのトリオをよく聴いていた時期もあった。が、最近どうも仕事の後にピアノトリオを聴くと疲れがほぐれないように感じて、管楽器の入っているCDを聴くようになった。

不思議なものでトランペットやサキソフォンのような管楽器の音を聴いていると、神経も身体もリラックスしてくる。息を吹き込む楽器だからではないかと思うのだが、呼吸のリズムに自然になじむのは妙なものである。特に上記のアート・ペッパーの演奏やマイルス・デイビスの演奏は最高だ。

「The Return of Art Pepper」は、それほどすばらしい演奏だと思ったことがなかったのだが、あらためて聴いてみると実にいい。躍動感と軽やかな飛翔感があり、アート・ペッパーの才能が全開している。マイルス・デイビスの「1958 Miles」の最初に入っている「On Green Dolphin Street」も、実にいい。マイルスのトランペットもコルトレーンのテナーも何とも言えない柔らかな音を出している。これらの2枚のCDがともに半世紀も前の演奏だとは信じられないような気がする。

という具合で、毎日が「ジャズの日」状態は、しばらく続きそうだ。

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2011年2月15日 (火)

カウント・ベイシーはすごい

いつも引用させていただく一関「ベイシー」のマスター菅原正二さんの「物には限度、風呂には温度」(朝日新聞岩手版掲載)に、カウント・ベイシーの素敵な逸話が載っていた。

1976年に4度目の来日を果たしたカウント・ベイシー・オーケストラを成田空港で迎え、東京公演の後、仙台の宮城県民会館でのコンサートまで菅原さんは同行して歩いた。その仙台でコンサートが始まる前の楽屋にいたとき、たまたまベイシーと二人になり菅原さんが「終演後に食事でもどうか」と誘ってみたらしい。

するとベイシーは簡単に「O~Key!」と応じてくれたらしく、「じゃあ(ギターの)フレディ・グリーンも誘いましょうか?」と聞くと「いや、ワシ1人で行く。誰か1人を誘ったらみんなに悪い」と言ったそうだ。続きはそのまま記事を引用したい。

「じゃあ、バンド全員でやりましょう!」というと、次の言葉と表情にぼくは感動した。彼は心配そうな顔つきでぼくの胸のあたりを右手の甲でポンポンと軽く叩き「スウィフティー、お前フトコロ大丈夫か!?」と。
 ぼくはこの時、アメリカのジャズ・ミュージシャンでひとのフトコロ具合を心配する人を初めて見た。(後略)    (2011年2月9日、朝日新聞岩手版)

ちなみに「スウィフティー」というのは、菅原さんのニックネームである。で、菅原さんはどうしたかというと仲間のジャズ喫茶のマスター連中に「各自目ぼしい客に声を掛け、会費5千円でレセプションを行う、いいな!!」と圧力をかけて回ったそうだ。それからバンドの宿泊先のホテルの支配人に電話し、最上階の夜景の美しいレストランを貸し切る交渉をしたという。

コンサート終了後、ホテルのレストランは超満員。予定より早くレストランに姿を現していたカウント・ベイシーは最初、心配そうな表情で様子をうかがってくれていたらしい。

 彼の表情に満面の微笑が戻ったのは会場がバンドの全メンバーとファンでいっぱいになったのを確かめてからのことであった。そしてそれは誰にとっても楽しいレセプションとなったのだった。
 もしもカウント・ベイシーの音楽を聴くことがあったなら、そういう彼の人柄がちゃんとその音楽に表れていることを知るだろう。
 そしてそういった「真実」が全てのレコードの溝に刻み込まれている事実こそが素晴らしいのだと思う。     (前掲同記事より)

いい話だなあ。カウント・ベイシー万歳!と叫びたくなる。

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