音楽

2009年11月 1日 (日)

あなたと夜と音楽と

ブログネタが思いつかないので、むかし、おいに送ったメールで紹介した架空FM放送を再掲して今日はお茶を濁すことにする。テーマは、もしジャズの曲で自分がFM番組を作るとしたら何を流すか。

オープニング
キース・ジャレットの「Country」("My Song"に入っているもの)
サックスのヤン・ガルバレクが若い!このメロディラインは、たまらない。
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2曲目
エラ・フィッツジェラルドの「These Foolish Things」
どのアルバムに収録されているか、いまだに不明。こういうしっとりとした曲を、じっくり聴かせるエラはさすが。
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3曲目
アート・ペッパーの「Over the Rainbow」(オムニバスアルバム"Birds & Ballads"あるいは"Ballads By Four"に収録のもの)
ペッパーは50年代の若い頃のプレイが一番だと思うけれど、それでもこの曲だけは、このオムニバスに収録されたものが最高だと思う。ピアノのスタンリー・カウエルとベースのセシル・マクビーもいい。ちなみに、このアルバムに入っている別の曲でジョン・クレマーの「Nexus」も忘れがたい。
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4曲目
ジョン・コルトレーンとデューク・エリントンの「In A Sentimental Mood」
コルトレーンは、本当は"Bluetrane"や"My Favortie Things"といったものを選ぶのが筋なのだろうけど、デューク・エリントンと共演したこのアルバムの1曲目にあるタイトルチューンは、コルトレーンの持つ繊細な一面がよく分かる曲だと思う。
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5曲目
マイルス・デイヴィスの「On Green Dolphin Street」("1958 Miles"に収録のもの)
マイルスのファンであれば、おそらくもっと他の曲を選ぶであろうが、個人的にはこの曲が一番好きである。曲そのものが好きだし、このアルバムに入っているマイルスの演奏もいい。
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6曲目
バド・パウエルの「Cleopatra's Dream」("The Scene Changes"の1曲目)
Bluenoteレーベルの青いジャケットが、何ともいえずよい、超有名盤。ずいぶん昔、テレビCMにも使われた曲。バド・パウエル自身は壮絶な一生を送った人で、最後はニューヨークで栄養失調のため亡くなった(60年代アメリカという、もののあふれた国で!)ジャズピアニストで、この人の影響を受けていない人はいないだろう、というくらい偉大な人。穐吉敏子も多大な影響をうけている。
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穐吉敏子といえば、この人のインタビューを聞いて、すごいと脱帽してしまった。たしか70歳を過ぎていたはずだが、それまで夫のサックス奏者、ルー・タバキンと結成していたビッグ・バンドを解散した理由を聞かれて、「もっとうまく弾けるようになると思うので、ピアノに集中したいから」と答えた。70過ぎて、しかも一流のピアニストが、「もっとうまくなりたい」からというこの向上心。頭が下がる。

7曲目
ライオネル・ハンプトンの「Star Dust」
これはCDで、入手できるのかどうか。原盤は12インチシングルだったような気がする。この曲は、何といってもアルコ・ベースのスラム・ステュワート。もちろんリーダーのライオネル・ハンプトンのヴィブラフォン(いわゆる鉄琴)もよいけれど、それ以上に弓をつかって引いているベースが最高によい。
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エンディング
ビル・エバンスの「Waltz For Debby」(同名アルバムのタイトルチューン)
やはり、締めはビル・エバンス。何も他に付け加えることはない。
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2009年9月 9日 (水)

井上陽水的

八月の下旬、遅い夕食を食べながらテレビをつけると井上陽水の笑った顔がアップで映った。NHKの教育テレビで4夜ほど連続の番組だった。たぶん4日分のうち2日か3日分を見たような気がする。しかも毎回途中から。

この人は変わらない。デビューした頃から現在までどこをどう切っても、すべて「陽水」という感じがする。放映された番組の中で「ぼくはアマチュア時代を経験せず、いきなりプロになっちゃったから」と笑う場面があった。

最初に聴いたのは、そのプロになりたての頃の「傘がない」だったろうか。私はまだ中学生だった。その歌詞と歌詞が喚起するイメージがしっかり刻み込まれてしまったが、個人的な問題が社会的な問題に優先するという、陽水のこの歌は時代の「空気」にぴたりと合っていた。

高校時代は「氷の世界」と重なる。軽音楽部(何となつかしい響き!)に所属していた友人たちは文化祭になると、ステージのない小体育館にフォークギターを抱えて三々五々現れた。だれかが歌い始めるとそのまわりに人垣ができていく様は今の路上ライブに似ていると言えなくもない。

そこで歌われた曲のほとんどは陽水のアルバム「断絶」や「陽水II」や「氷の世界」に入っているものだった。歌う側も聴く側もよく知っている陽水的世界が古い小体育館の薄暗い空間に広がっていったのをつい昨日のことのように思い出す。

しかし、井上陽水の歌詞は意味を考え出すと「ワカンナイ」と言いたくなるところがある。たとえばPuffyに書いた「アジアの純真」。なぜ「白のパンダ」をどれでも全部並べにゃならんのだ。あるいは「少年時代」。夏が過ぎて風が「あざむ」とはどういうこと?それとも「風アザミ」という新種のアザミか?よく分からない歌詞なのに、なぜかイメージだけは喚起される。

同じフォーライフ・レーベルのメンバーだった吉田拓郎や泉谷しげるや小室等の歌詞が、メッセージ性や物語性を帯びて分かりやすいのと対照的に、陽水の歌詞は分かりにくい。けれどもイメージ喚起力は抜群に強い。そう考えると陽水の歌詞は「現代詩」と思った方がいいのかもしれない。

井上陽水が「現役の」シンガーソングライターとして今も注目され続ける秘密も、そこにあるような気がする。おそらく抽象度の高い歌詞がそれぞれの時代の「空気」に微妙な形で共振していくのだろう。メッセージではなくイメージがその時代にリンクするのかもしれない。

いくつになっても変わらないこの人の「軽さ」みたいなものは、悪くないと思う。「お元気ですかぁ?」と陽水が呼びかける車のCMが、昔あった。あの脱力感が、そのまま陽水という存在のとらえどころのなさにつながっている。あんなふうに「何を考えているのか分からない」、と私も言われてみたいものだと思ったりする。

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2009年7月 2日 (木)

音楽で英語を

高校時代の友人にビートルズで英語を覚えたという男がいた。

私たちの世代は、いわゆる「ビートルズ世代」ではない。1970年に解散してから聞き始めた世代である。しかし、その友人はビートルズのファンで、ビートルズの歌詞で英語を覚えていた。「歌詞を」のまちがいではなく「歌詞で」である。たとえば知覚動詞の文例といえば、I saw her standing there.が出てくるといった具合に。高校時代、その友人に英語のテストで勝てるものは誰もいなかった。英語の教師でさえ説明のまちがいを指摘されるときがあるくらいの、抜群の英語力だった。

思い出してみると、その友人に限らず洋楽が好きで英語を覚えた人間は結構多かったのではないか。

この時期になると、なぜかカーペンターズの"Rainy Days and Mondays"のワンフレーズが浮かんでくる。Rainy days and Mondays always get me down.という歌詞がカレン・カーペンターのあの声で思い出される。なんだか雨で気が滅入るなあという感触とぴったり重なるからかもしれない。

よく見るとこの文には頻度を表す副詞のalwaysが入っているし、getのこういう使い方があるよという例文にもよさそうだ。alwaysのような頻度を表す副詞の位置はbe動詞・助動詞の後、一般動詞の前と文法書には出ているが、そういう規則を覚える前に歌詞で覚えてしまっているのでgetの前にくるんだっけなと反射的に浮かぶ。

英語は語学という側面があるから、文法のみではなかなか定着しないように思う。今の中高生ならヒップホップやラップの方がピンと来るのかもしれないが、英語への入り口として音楽というのは馬鹿にできないのではないか。それにしてもヒップホップやラップで覚えるとなると速くて大変だろうなあ。カーペンターズやキャロル・キングの歌詞で英語になじめた時代が懐かしい。

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2009年6月26日 (金)

20世紀的スターの死

今朝のニュースで驚いた。マイケル・ジャクソンが亡くなったという。どういう事情で亡くなったのか詳しい状況は伝わらないが、朝一番の驚きだった。

50歳だという。1958年8月29日生まれだそうだから、同学年だ。彼がジャクソン5のボーカルだった頃からその声は耳になじんでいる。特に2ndソロアルバム「ベンのテーマ」のタイトルナンバーを歌うマイケルの声は印象に残る。

その後のマイケル・ジャクソンの成功は、ここであらためて取り上げるまでもないだろう。「スリラー」などは全世界で1億枚以上のセールスだという。1億枚である。数百万枚の話ではない。

数々のショービジネス上の成功と富を若くして手に入れながら、スキャンダラスな話題にも事欠かなかった。虚実取り混ぜてマイケル・ジャクソンを巡る噂というのはいつも存在していた。

あまりにも実像から離れすぎてしまった虚像が一人歩きし、実像は置いていかれてしまう。周囲の人間も光源に群がる虫のごとく、種種雑多な人間がさまざまな思惑から彼に近づき離れていったことだろう。その中でマイケル・ジャクソンには社会からも、周囲の人間たちからも孤立してしまった孤独の影がある時期から濃くなっていったように思う。

典型的な20世紀的スーパースターの死だと思う。マリリン・モンローやエルビス・プレスリーと同じように、富と名声の全てを手にしながら、決して幸福とは言えない孤独の影がぬぐえない晩年の突然の死。あるいは富と名声の全てを手にしてしまったが故の不幸な死、と言う方が正確かもしれない。

U2のボノやブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが、アフリカの貧困問題に目を向けて1985年に世界規模の「ライブ・エイド」のコンサートを開いたように、社会的活動という選択肢もあったと思うのだが。自己の世界の中から外へと開いていけなかったスーパースターの悲劇ということになるのだろうか。

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2009年6月10日 (水)

個性を生かす

「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」

米国のピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)がかつて口にしたことばだそうだ。すでにご存じの方も多いかもしれないが、辻井さんは全盲である。今回の快挙は「全盲の日本人が優勝」と伝えられたようだ。今朝の朝日新聞「天声人語」で知った。

「天声人語」は次のように述べる。
 ニュース価値はそこにあっても、競演の結果に「全盲の」は要らない。それは奏者の重い個性だけれど、審査上は有利でも不利でもない。勝者が「たまたま」見えない人だったのだ。(2009年6月10日付 朝日新聞「天声人語」)

辻井さんは何度も耳で聞いて曲を覚え、それを練習し演奏するという。音にだけ集中し、聞き取った音を今度は自分の音として表現していく。これがどれだけ才能を要することなのかは容易に想像がつく。目が見える見えないに関わりなく、自分の音として表現できるかどうかが演奏家として評価される大事な要素だと思う。他の人には表現できない「音」。「天声人語」はそれを「音の個性が正当に評価された」と書いている。まさにその通りだろう。

ふたたび「天声人語」を引用する。
 20年前、ご両親は「生まれてよかったと思ってくれようか」と悩んだ。やがて、母が台所で口ずさむ歌をおもちゃの鍵盤で再現し、同じ曲でも演奏家を聞き分けてみせた。その才をいち早く見抜いたのは親の愛だ。
 かつて息子は「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」と口にしたそうだ。母は今、「私に生まれてきてくれてありがとう」と涙する。「できない」ではなく、「できる」ことを見つめ続けたご褒美。世界が「生まれてよかった」と祝す才能は、どれもそうして開花する。(2009年6月10日付 朝日新聞「天声人語」)

最後の「できない」ではなく「できる」ことを見つめ続けることには愛情が必要だ。深く考えさせられる。つい生徒の「できない」ところにだけ目が行ってしまう私は、よくかみしめなければならない。大験セミナーの金田先生が以前のブログで書かれていた「勉強できないのもその子の個性だ」という一言とともに肝に銘じたいことばである。

偶然だが、私の住む北上市のさくらホールで13日、帰国後初公演となるという。さくらホールでは大ホール固定席が1310席のところを、コンクール優勝後に予約の電話が殺到し仮設席を加えて1406席まで増やしたそうだ。すでに9日の時点でチケットは完売ということなので、これからチケットを考えている方は残念ながら入手できないようだ。

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2009年5月31日 (日)

何となく潤いが足りないなと思っていた。お肌の話ではない。日常生活の話である。

はて、何が不足しているのだろう。しばらくの間、気がつかなかった。車の中で久しぶりに音楽をかけてみて分かった。そうだ、音楽だ。しかも歌。歌う声が流れていなかったのだ。落語ばかり聞いていたので、「語る」声は聞いてきたが「歌う」声を聞いていなかった。

沢田研二の記事(こちら )でも書いたように、歌の魅力というのは突き詰めると歌い手の「声」の魅力ということになるのではないか。同じ歌をカバーしても耳の底に残り続けるものとそうでないものとがある。好き嫌いは別として、たとえば小田和正の声は流れ出したとたんにその場の空気を変えてしまう。小田和正にしか出せない声であり、その声で伝わってくるものがある。いい曲というとき、メロディラインやリズムもあるのだろうが、声が案外大きなウエイトをしめているのではないだろうか。

小学校高学年のときの音楽の先生が「人間の声が最高の楽器です」と言っていたのを思い出す。単独の楽器の中では一番がピアノ、その次がバイオリン、しかしどちらも人間の声にはかなわないというのがその先生の口癖だった。

声帯が空気を振動させ、声として耳に聞こえてくる。それだけのことなのに、二つとして同じ声がないという不思議。似ている声はあっても全く同じ声はない。ジャンルや男声、女声に関係なく自分の耳に心地よい「声」というものが確かにある。声の波動が自分に合うということなのだろうか。アンジェラ・アキさんの声もいい。毎朝NHKの連続ドラマ「つばさ」のタイトルバックで彼女の声が流れ出すと耳が持っていかれてしまう。

大験セミナーの金田先生の歌う声も、一度耳にしたら忘れられない。初めて聞いたときにゾクゾクしたのを覚えている。もちろん、歌は上手い。しかし、うまさに感動するのではない。上手いだけの人ならいくらでもいると思う。その「声」がじわじわと静かにしみこんでくる人は少ない。どうしてこの人はプロにならなかったんだろう、と不思議でしょうがなかった。

今年の始めに一関の「青空」さんという喫茶店の二階で、金田先生のお座敷ライブが開かれた。そのコンサートの終わりの方で、金田先生が歌った「手紙~拝啓十五の君へ~」はアンジェラ・アキさんのオリジナルと甲乙つけがたい程よかった。カバーする許可をとるのは大変だろうから、公開しない私家版のCDの中に入れていただきたい一曲である。

小田和正にしても沢田研二にしても不思議なことがもう一つある。歳をとっても「声」が変わらないということだ。あれは一体何なんだろう。CMで流れる小田和正の「声」しか知らなかった息子が、ある日小田和正の姿をテレビで見てひと言。「ええ、小田和正ってこんなおじいちゃんだったの?」思わず笑ってしまったが、確かに声は若い。なぜ「声」は歳をとらないのだろう?鍛えているから…、だろうか。

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2009年5月25日 (月)

沢田研二

先日、長谷川和彦の新作映画が見たいという記事を書いた(こちら)。その日のアクセスはいつもより多かった。アクセスログを見て驚いた。キーワード「沢田研二」で入ってくる人と「水谷豊」で入ってくる人が多かったのだ。沢田研二3に対し水谷豊1くらいの割合になっている。

うーむ。一体どの年齢層の方々なのだろう。「ジュリー」ファンなのだろうか。と言っても、若い人は「ジュリーって、だれ?」かもしれない。沢田研二がタイガースというグループのボーカルだった頃からの愛称である。ソロで活動するようになってからも沢田研二は、ヒットチャートのトップにいた。TBSの「ザ・ベストテン」という音楽番組でも何度1位を取ったかわからない。

長谷川和彦が監督した『太陽を盗んだ男』もそうだが、役者としての沢田研二も忘れがたい印象を残している。たとえば3億円事件の犯人を主人公にしたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(ちなみに阿久悠・上村一夫の原作で、脚本はなんと長谷川和彦)。NHKの単発ドラマスペシャル、『幸福な市民』の主人公もよかった。おすぎは酷評していたが、『太陽を盗んだ男』の高校教師役は悪くなかったと思う。あの頃沢田研二以外にあの役をこなせたと思える役者は浮かんでこない。どの役を演じても存在感があった。

ついこの間、たまたまつけたテレビで「今の」沢田研二のコンサートを目にした。少し太ったのではないかと思ったが、声は変わっていない。さすがである。その中で憲法九条のことを歌った曲があった。自身が作詞した「我が窮状」という曲である。沢田研二が憲法九条についての歌を歌っているらしい、ということは耳にしていた。正直に言って、ヒットする曲とは思えなかった。が、しかし。あの沢田研二の「声」で歌われると不思議に耳の底に残る。これは沢田研二をリアルタイムで聞いたことがある世代だからそう思うのだろうか。若い人たちが聞いても同じように耳に残る「声」なのだろうか。

もし沢田研二が本気で今の音楽シーンに戻ってくることを考えたら、案外今の若い人たちにも、あの「声」が届くのではないかという気がする。テレビの映像で見た限りでは、あのコンサートはかつてのファンに向けたものでしかないと感じた。つまり本気でもう一度チャートのトップを取るような音楽活動を目指したものではないなと思った。しかし、本気で考えたらおそらく今の時代を歌える実力は十分すぎるくらい持ったボーカリストなのだ。たとえば小田和正や井上陽水、亡くなった忌野清志郎が今という時代に届く「声」を持っているのと同じように沢田研二の「声」には耳の底に残り続ける魅力がある。

いい曲と才能のある若いプロデューサーに出会えば、まだまだ世代を越えて共感されるヒットが生まれる可能性があるのではないか。

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2009年5月 3日 (日)

追悼・忌野清志郎ファンの一人として

忌野清志郎が2日、がん性リンパ管症のため亡くなった。58歳だった。

塾講師となって間もないころ、勤めていた塾は教室指導より家庭教師の仕事の方が多いところだった。その頃に家庭教師として教えていたある中学三年生の男の子が、忌野清志郎の大ファンだった。忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」(彌生書房、1983年)も読んでいた。彼の部屋の机の脇に置かれていたその詩集に気づいて「清志郎ファン?」と訊ねると、男の子は少し気恥ずかしそうにうなずいた。

私も忌野清志郎ファンになったのは、中学生の頃だった。RCサクセションの「僕の好きな先生」がラジオから流れていた。その頃のRCサクセションはフォークグループだった。後にR&Bやロックの代表的なバンドになっていったが、私にとってのRCと忌野清志郎はフォーク時代のイメージが忘れられない。

なぜ忌野清志郎が気になる存在であり続けたのか。それは一つには彼の書く歌詞、言葉の持つ力によるものだと思う。ある時は社会的なメッセージを込めて過激とも思えるアジテーションを投げかけ、ある時は短編小説の1シーンのような美しい情景を見せてくれた。そういう個人と社会の両方へ視線を向けている姿勢が魅力だった。

過激なエピソードが数多く知られている。しかし、忌野清志郎のエピソードの多くは彼の子どものような天真爛漫さやいたずら心、あるいは反骨心に裏付けされた茶目っ気の表れだったのではないか。管理されない人間の象徴みたいな人物だったから、気になり続けたのかもしれない。

「雨あがりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」がなんだかやたらに聴きたくなってきた。ご冥福を祈りたい。

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2009年5月 1日 (金)

ビル・エバンス

先日、ビル・エバンスの’64~’75のコンサートやスタジオ撮影の映像を見る機会があった。’64年のコンサート映像を見て驚いた。三十代半ばの若い姿だが、その演奏の様子を見ると弾きはじめから弾き終わりまでうつむいたままなのである。顔が鍵盤とほぼ並行で、右腕の側からの映像は逆「コ」の字状態だ。キース・ジャレットの「ケルンコンサート」のジャケットなども「コ」の字ではあるが、最初から最後までこの姿勢ではないだろう。

小さなジャズスポットでの演奏なのか、ビル・エバンスのトリオと客席がフラットですぐ近くに客がいる。演奏が終わると、ビル・エバンスはちらっとだけ客席に視線を向けてすぐに次の曲に入った。恥ずかしげな様子とも少し違う。何と言えばいいのだろう。たぶん、演奏に集中し始めると自然にうつむいて鍵盤と顔が平行になってしまうようだ。

当然のことながら’64年のライブ映像のベースはスコット・ラファロではない。ラファロは’61年に交通事故で夭折してしまう。亡くなる直前の時期に録音されたビレッジ・バンガードでのライブは「ワルツ・フォー・デビイ」と「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の2枚のアルバムに収録されている。「ポートレイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」とともにラファロがベースだったときのトリオが残したリバーサイド・レーベルの傑作である。特に「ワルツ・フォー・デビイ」の美しい旋律と張りつめたような演奏は、とてもライブコンサートでの演奏とは思えないほどだ。

そのラファロの死からチャック・イスラエルを新しいベーシストに迎え、トリオでの活動を再開してから数年の映像が’64年の映像なのだろう。ビル・エバンスのピアノはどこから聴いてもビル・エバンスの音で、硬質で澄んだ、独特の感触がたまらなかった。

途中の年代からベースはエディ・ゴメスに変わる。エディ・ゴメスの緊張感が漂ってくる初期のころの映像があった。ビルはいつものように鍵盤に覆いかぶさるように弾き続け、ベースやドラムスを振り返ることすらしないのだが、背中でベースのエディに圧力を掛けているような迫力があった。スコット・ラファロにしてもチャック・イスラエルにしても、ビル・エバンス・トリオのベーシストは大変だったんだろうなと思った。ビルの要求するレベルの演奏が出来なければならないという緊迫感は、エディ・ゴメスの表情を見ているとひしひしと伝わってくる。それから数年後のスタジオ収録の映像では、そのエディ・ゴメスもすっかり貫禄が出てきてビル・エバンスと対等に渡り合っていた。成長せざるを得ない「場」があるというのは、すごいことだなあとあらためて感じた。

この十年ちょっとの期間のビル・エバンスはほとんど演奏レベルが変わらない。どこをどう切ってもビル・エバンスである。映像を隠して演奏だけにすると、年代の区別がつかないくらいだ。そして演奏時のうつむき姿勢も変わらない。あれはやはり集中しているときの癖なのだ。

最後まで見終わってふとあの姿勢はだれかに似ているなと思った。そうだ、「ピーナッツ」に出てくるシュローダーだ。小さなピアノに覆いかぶさるようにして弾いている男の子。ルーシーが思いを寄せているあのシュローダーの演奏している姿になんとよく似ていることか。まさか「ピーナッツ」の作者のシュルツさんがビル・エバンスの演奏姿をまねたわけでもないと思うのだが…。

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2009年3月29日 (日)

即興演奏という奇跡

このところ指導が終わると教室で聴いているのは、キース・ジャレットの「キース・ジャレット・ソロ・コンサート」という2枚組CDである。もうずいぶん昔に買ったもので、1973年にブレーメンとローザンヌで録音されたソロ・コンサートの演奏を聴くことができる。

キース・ジャレットのソロ・コンサートは、このブレーメン、ローザンヌに限らず即興演奏の一発録りである。全編即興演奏というのがすごい。ピアノに向かうまでどんな演奏になるか分からないのだ。最初の一音を弾き始めたら後は一気に最後まで弾き続けなければならない。これがどれほど大変なことなのか、少し想像していただければ分かるのではないだろうか。譜面など全くないのである。自分の中にあるイメージに導かれて(だろうと思うのだが)、彫刻家が大理石から見事な彫像を削りだしてくるように、音で世界を形作っていく。卓越した演奏技術と音楽的素養を兼ね備えていなければ不可能な演奏であろう。

彼のソロ・コンサートの白眉は何と言っても「ケルン・コンサート」である。このコンサートの演奏はいかなるジャンルの音楽とも似ていない。いかなるジャンルの音楽も近づけない美の極致を示している。「天才」という言葉が何の疑問もなく形容する語句として浮かんでくるような演奏である。おそらくこれは「天上の音楽」とでも言うべきものなのだろう。もしキースがこのコンサートを残して夭折していたら、モーツァルトのように神に愛された音楽家として永遠に名を留めたかもしれない。

ブレーメン、ローザンヌのコンサートと並んで聴いているアルバムに「STAIRCASE」がある。これはキース・ジャレットがパリで映画音楽の仕事している合間を縫ってスタジオに飛び込み一気に録音したと言われているアルバムだ。「Hourglass 砂どけい」と題された演奏がたまらなくいい。時間が止まってしまうような錯覚に襲われる演奏である。

最近のキース・ジャレットはジャック・ディジョネット、ゲイリー・ピーコックとのトリオでの活動が多く、これはこれでスタンダードジャズの贅沢な演奏が聴けるのだが、若い頃の天才的なソロ・コンサートの即興演奏を時々聴いてみたくなる。2008年にも来日してソロ・コンサートを開いている。渋谷のオーチャード・ホールでのコンサートの模様がテレビで放映されたはずだが、なぜか見逃してしまった。年輪を重ねたキースはどんな即興演奏を聴かせているのだろう。

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2008年10月25日 (土)

恐るべし、ジャズ・ジャイアンツ2

前回ハンク・ジョーンズが満90歳を迎えてなお、毎日4時間の練習を欠かさないという話を引用しましたが、またまた一関のジャズ喫茶「ベイシー」のマスター菅原正二さんが朝日新聞岩手版に連載している「Swiftyの物には限度、風呂には温度」というコラムで興味深い話を読みましたので、ご紹介します。

物事にはおのずと「着地点」というものがはじめから決まっており、その「場所」が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシーから無言で教わった。(朝日新聞岩手版2008年10月25日付)

こう書き出し、菅原さんは翌日大阪でのコンサートを控えた京都でのある夜のエピソードを紹介します。ベイシー・オーケストラのベーシストが、母親が亡くなったから翌日帰国してもいいかとホテルのベイシーの部屋にやって来たときのこと。ベイシーはお悔やみを言った後に「帰るか、帰らないかはワシの決めることではない。お前が自分で決めればよろしい」と寝てしまったそうです。あわてた菅原さんは知人の東京のベーシストに電話をかけまくりますが、みな尻込みするばかりでもうダメだと思った深夜、当のベーシストが現れ帰国を止めたことを告げ一件落着。

別の来日公演時、今度はバリトン・サックス奏者が同じことを言い出し、そのときもベイシーは慌てずさわがず同じ答えをして寝てしまうのですが、前回と違ってサックス奏者は帰国してしまいます。翌日に岩手での公演を控えていて困った菅原さんはジャズ評論家の野口久光さんに電話します。すると野口さんは「あのネ、1930年代初頭、カンザスシティー時代のベイシー楽団にバリトン・サックスいなかったの」と平然とおっしゃったそうです。この一言で菅原さんは慌てるのをやめ、翌日の岩手公演ではバス・トロンボーン奏者がバリトン・サックス奏者の抜けた低音部を何事もなかったようにカバーしていたとのこと。

ベイシーの「御大」ぶりがうかがえて、思わず頬がゆるんでしまいました。何があっても無駄に慌てる必要はないのだという確固たる信念があるから、メンバーが帰国したいと言い出しても「ワシの決めることではない」と寝ることができるのでしょう。物事はなるようにしかならない、あるいはなるようになるものだ、ということでしょうか。長年楽団を率いてきたボスならではの貫禄です。「着地点」が見えている、というのはすごいことです。長年の経験も大きいのでしょうが、やはりその経験に裏打ちされた哲学が感じられる話です。

カウント・ベイシー・オーケストラの公演を聴きにいったのはたった一度しかありません。最後の来日になった年だったと思います。宮城県民会館での公演でした。ベイシーは電動車イスに乗ってステージに現れ、体調があまり思わしくないのかと痛々しかったのですが、一方で三輪車に乗ったいたずらな子どものようにも見え、なんだかとぼけた味がありました。ピアノの前に座るとポロン、ポロンとごくわずかな音しか出さなかったのですが紛れもなくカウント・ベイシーの音でした。その時もすごいもんだなあと思ったものです。余計なものを全部そぎ落とした俳句みたいな演奏なのにやっぱりカウント・ベイシーなのです。一音、一音がカウント・ベイシーその人のすべてを表していて、他のだれともまちがえようのない世界をそこで聴かせてくれました。

何を語るかではなく、何を語らないか。簡にして潔。いつもダラダラと無駄なおしゃべりが多い私は、教えすぎないことを自分に言い聞かせているのですが、ダメです。カウント・ベイシーのようにほんの二言、三言ですっと理解できるような教え方ができれば本望なのですが。道はまだまだ遠いなあ。

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2008年9月17日 (水)

恐るべし、ジャズ・ジャイアンツ

あっと気がつけば半月以上も放置しておりました、ハハハ…。

さて、岩手県一関市には全国的にその名を知られたジャズ喫茶「ベイシー」があります。リンクしていただいている大験セミナーの金田先生の教室から徒歩3分の距離にあり、教室におじゃますると連れ立ってベイシーに行き、ジャズを聴いてくるということもよくありました。

この「ベイシー」のマスターが"Swifty"こと菅原正二さんで、ジャズファンの方はよくご存じだと思います。その菅原さんが朝日新聞の土曜の岩手版に「Swiftyの物には限度、風呂には温度」という素敵なコラムを載せています。毎回、おなじみの軽妙な語り口で楽しませてくれるのですが、9月13日付のコラムを読んでいて一つのことをきわめた人はすごいものだなあ、とつくづく感心しました。

今回のコラムはピアノの巨匠、ハンク・ジョーンズの話から始まるのですが、このハンク・ジョーンズ氏は1918年7月生まれで、御年90歳。もちろん現役のピアニストです。N響と演奏するため来日していて、滞在先の帝国ホテルにいるハンク・ジョーンズと電話で話をすると、ひとしきりしゃべって「じゃ練習に戻る。又な!」と告げ、時間を惜しむようにピアノを弾き始めたというエピソードを紹介し、菅原さんはこう書いています。

 今年7月に満90歳を迎えたハンク・ジョーンズはジャズ界の至宝であるが、毎日4時間の練習を今でも欠かさないそうである。それどころか「もっとピアノが上手になりたい」とも語っている。 
 素晴らしい。
 身近なところでは今年75歳になったアルトサックスの渡辺貞夫さんなども同じことを語っており、とにかく毎日精進を怠らないのだ。
 感心する。励みにもなる。
 こういう人たちは、トシをとることをマイナスではなく、プラスに変えているところがあって、トシと共にその音楽にますます磨きがかかっていくのがよく分かる。
 そりゃそうだ。重ね積んだ経験が物をいう。「どんな経験でも自分の糧にすることはできる。人生に無駄なものなんてないからね」と、これもミスター・ハンク・ジョーンズのお言葉だ。

すごいなあ。90歳になってなお「もっとピアノが上手になりたい」という言葉には頭が下がります。

ふと思い出したのが、これも日本の誇るジャズピアノの巨匠、穐吉敏子さんのこと。穐吉さんは夫君のルー・タバキン氏と率いていたビッグバンドを2003年11月に解散し、ソロ活動に入りましたが、その理由を知ったときは驚きました。「もっとピアノが上手くなると思うから、ピアノに専念したい」とのこと。確かそういう趣旨だったと記憶しています。

ハンク・ジョーンズ氏、渡辺貞夫さん、穐吉敏子さんいずれも大御所です。もうこれ以上練習なんかせずともいいじゃないですか、洒脱におもしろおかしく暮らされても誰も文句は言いませんよ。それなのに皆もっと上手くなりという、この向上心。この貪欲さ。前進することを止めない旺盛な精神。いずれも好きな道で一流をきわめた人たちだからこそ共通する意識なのでしょう。

「ベイシー」の菅原さんが末尾に紹介したハンク・ジョーンズ氏の「人生に無駄なものなんてないからね」は至言です。肝に銘ずべし。

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2008年1月 7日 (月)

The Load Out

Jackson Browneはいつ聴いてもいいなあ。

ここ数日、授業が終わった教室でヘヴィローテーションとなっているのは、Jackson Browneの"Running On Empty(「孤独のランナー」)"です。特に3曲目の"Rosie"と9曲目の"The Load Out"、そしてすぐに続く10曲目の"Stay"を何度も何度も聴いています。

以前、と言ってももう二十年近く前のことになりますが、友人の大験セミナーの校長さんからJackson BrowneのLPをまとめて借りたことがありました。大験セミナーの校長さんはシンガー・ソングライター・校長なのでキャロル・キングやジャクソン・ブラウンとか大好きな方です。何のきっかけで貸していただくことになったかは忘れてしまいましたが、まとめてじっくり聴くことができたのはいい経験でした。

その中で何回聴いても飽きないし、このメロディラインと間奏はたまらないなあと思うのが"The Load Out"とアルバム"Hold Out"の5曲目"Of Missing Persons"です。後者はLittle Feetの亡きLowell Georgeのことを歌った美しい曲です。

さて"The Load Out"ですが、なぜこの曲は胸を締めつけるほどいいんでしょうね。 メロディラインがいいこともさることながら、歌詞の持つ力も大きいと思います。ツアーでアメリカの街から街へと移動していくバンドがコンサートを終え、ローディたちがPAの機材や楽器を梱包し始める、祭りの後のようなかすかに切ない寂しさをJackson Browneは歌いあげています。これに続く"Stay"は、だからもう少しだけ残って聴いていてほしいという明るい曲になっていますが、この"Running On Empty"の9曲目から10曲目の途切れない演奏は、実に心地良いです。

よくよく考えてみると、スライド・ギターの音色が聴ける曲が昔から好きだったんだなあ、と改めて思います。6曲目に"Dark End of the Street"が入っているライ・クーダーの3rdアルバム"Boomer's Story"も一時期ヘヴィローテーションでした。Little FeetのLowell Georgeもスライド・ギターで有名です。ボトルネック奏法とも言われますが、大好きです、この音色。The Allman Brothers BandのDickey BettsことRichard BettsやBonnie Raittなどもスライド・ギターといえばすぐに思い出します。なぜと言われても困りますが、このキュイーンというボトルネック奏法独特の音色が好きだからとしか言いようがありません。

"The Load Out"はピアノの音も気持ちいいです。よく響いてきます。

どうや当分"Running On Empty"がヘヴィローテーションになりそうです。

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2007年12月 1日 (土)

虹の彼方に

映画『オズの魔法使い』の中でジュディ・ガーランドによって歌われた有名な曲です。全米レコード協会等が主催し、投票によって選定された「20世紀の名曲」(2001年)では第1位に選ばれたそうです。

スタンダード曲ですから、いろいろなジャンルのいろいろな人がこの曲をカバーしていると思いますが、1曲だけ選べと言われたら、迷わずアート・ペッパーがアルトサックスで演奏している"Over the Rainbow"を選びます。

この演奏は、GALAXYレーベルから出ていた「Ballads by Four」というオムニバスアルバムに収録されているもので、スタンリー・カウエルのピアノ、セシル・マクビーのベース、ロイ・ヘインズのドラムスというメンバーをバックにペッパーがワンホーンで吹いています。残念ながらこのCDは持っていません。現在入手困難のようです。

録音されたのは1978年12月2日。29年前の今ごろの話です。「Ballads by Four」に収録されている演奏がテイク1で、同じGALAXYの「Ballads by Five」に入っている方がテイク2だそうです。私が聴いていたのはたぶんテイク1の方だと思います。

最初に耳にしたのは、FMのジャズ番組で紹介されたときでしたから、アルバムがリリースされてすぐの頃だったのでしょう。

アート・ペッパーが好きな人は、天才的なフレーズが軽やかに乱舞する50年代の若い頃が最高だと言います。私もそうだと思います。「Surf Ride」や「The Marty Paich Quartet featuring Art Pepper」などのペッパーは、キラキラときらめくフレーズを吹き散らしながら疾走していきます。ちなみに後者のアルバムにも"Over the Rainbow(虹の彼方に)"が入っていますが、この曲に関しては78年の演奏の方が好きです。

78年のペッパーの演奏には若い頃のような流麗なフレーズはありません。しかし、聴く者の感情を揺り動かす深みがあります。悲しみや苦しみがすべて洗い流された後のような、どことなく寂しくはあるのですが、すがすがしさを感じさせる演奏です。

この前年、77年ペッパーは初来日します。麻薬中毒、刑務所生活、二度の離婚。演奏家としても最低の状態だったと思いますが、薬物から抜け出すための療養所生活を経て、最後の奥さんになるローリーさんの支えもありペッパーは音楽の世界に復帰します。おそらく心身ともにボロボロの状態での来日だったのでしょう。けれども、日本のファンはステージに現れた彼を5分間も続く怒濤の拍手で迎えたそうです。

ここからペッパーの復活が始まりますが、私の好きな"Over the Rainbow"は復活してからの彼が吹き込んでいた一曲だったわけです。ですが、そういった背景を知らなくても、この一曲はすばらしいと思います。

虹の彼方に空高く、いつか子守歌に聞いた国がある
虹の彼方に空青く、願った夢が本当にかなうという

歌詞もいい曲です。

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