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2020年5月 9日 (土)

コロナ禍の中で・その3

ロックダウン(lockdown)の訳語は何だろうと辞書を引いてみると「(米)囚人の独房への拘禁、厳しい監視」とあって、現在世間で流通している使われ方とズレがあるように感じる。こういうときは英英辞典に当たるべきだ。「オクスフォード現代英英辞典(OALD)」で引いてみると、次のように出ている。

"an official order to control the movement of people or vehicles because of a dangerous situation"

直訳すれば「危険な状況により、人びとや車両の移動を規制する公的な命令」とでもなるだろうか。これならしっくりくる。

羊のように(あるいは去勢された豚のように、と言うべきか)おとなしい日本人は「ロックダウン」が長引いても暴動など起こさない。アメリカのいくつかの州で、ロックダウンの解除を求める「暴動」が起きていることとは対照的だ。良くも悪くも日本の社会では和を乱さないこと、悪目立ちをしないこと、大勢に異を唱えないことが美徳とされるので、激しい自己主張の表現である抗議など考えられないということなのだろう。60年代の終わり頃に新宿騒乱があったり、安田講堂事件があったことなど、今となっては信じられないような平穏ぶりである。

コロナウイルスの感染拡大による変化の中でひときわ象徴的だと思うのは、人と人との物理的距離を取ることが、公共の場において標準的なあり方になったことだ。スーパーのレジでも床に標示があって間隔をとるように求められる。何も標示がなくても、列を作らざるをえない所では、誰言うともなく「社会的距離」を取るようになった。

これではデモや集会などありえない。もっともアメリカで行われているように、車に乗ったまま集団でデモ行進をしようと思えばできないこともないが、そこまでしてデモをする日本人はいないだろう。

こんなふうに人と人の距離が遠くなり、連帯や団結ではなく、分断と孤立が進むようになると、そうでなくともひどかった「見たいものしか見ない」という風潮が一層広まるのだろうなと思ってしまう。他者に対する想像力を欠いても、それがあまり問題とはならない社会ということなのだが。

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