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2020年5月 7日 (木)

コロナ禍の中で・その2

全国に緊急事態宣言が拡大された時、ふと「並行世界(パラレルワールド)」という言葉が浮かんできた。きっと、コロナウイルスの感染が起きる前の世界がそのままどこかで続いていて、そちらの世界では、これまでと同じようにお気楽にあちらこちらへでかけたり、三々五々人びとが集まったり、映画館やサッカースタジアムが満員になったりしているのではないか。

私たちの世界は、どこかでポイントが切り替わったのだと思えてならない。ある時点でパチンとスイッチが入り、あるいは切れて、ウイルスの世界的流行という悪夢のような現実の中に投げ込まれている。

これは不条理なことである。しかし、もともと世界は不条理なものだったのではないかとも思う。不条理なものを不条理なまま受け入れて生き延びるより手だてがないのではないか。

不条理ということで思い浮かべるのはアルベール・カミュである。今回のコロナ禍の中、カミュの『ペスト』が読まれているということを耳にして、私も読み返してみた。以前読んだのは四十年ほど前の二十代のころだ。

冒頭に出てくる、階段のネズミの死骸という場面は印象強く残っていたが、その他の場面はほとんど覚えていなかった。それでも、二十代のころに激しく心揺さぶられた箇所は、変わりなく心に迫ってきた。長い引用となるが、新潮文庫の宮崎嶺雄訳で引いてみる。P155-156の一節である。

(前略)しかし、筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪にささげることになると、信じたいのである。なぜなら、そうなると、美しい行為がそれほどの価値をもつのは、それがまれであり、そして悪意と冷淡こそ人間の行為においてはるかに頻繁な原動力であるためにほかならぬと推定することも許される。かかることは、筆者の与しえない思想である。世間に存在する悪は、ほとんどつねに無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。人間は邪悪であるよりもむしろ善良であり、そして真実のところ、そのことは問題ではない。しかし、彼らは多少とも無知であり、そしてそれがすなわち美徳あるいは悪徳と呼ばれるところのものなのであって、最も救いのない悪徳とは、みずからすべてを知っていると信じ、そこでみずから人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬのである。殺人者の魂は盲目なのであり、ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。
(新潮文庫、アルベール・カミュ『ペスト』、宮崎嶺雄訳)

いったい二十代の私は、何故それほど激しく心揺さぶられたのか。今となっては思い出すすべもない。ただ激しく心を動かされたという感触だけが残っている。「ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。」この力強い認識に、心臓をわしづかみにされてしまったのかもしれない。

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