« 江藤淳『完本 南洲残影』 | トップページ | 蟷螂の斧・その2 »

2019年6月26日 (水)

蟷螂の斧・その1

教室の南側の壁に少し色のあせた地図が貼ってある。七年前に出た七訂版の放射能汚染地図だ。群馬大の早川教授が作成したものを友人が入手し、十数部わけてもらったうちの一枚である。

七訂版の作成は2012年8月8日の日付になっているから、東日本大震災に続く福島第一原発の事故から一年半近く経つころのことになる。少し色褪せてはきたが、授業しているときにいつも目に入る。特に福島第一原発から飯舘村へと北西方向に濃い色の帯が伸びているのを見ると、まるでナイフでえぐられた傷口から血を流しているように見え、そのたびに複雑な気持ちになる。

この地図の下には「強い余震が来たら一番近い席の人はドアを開けてください」という手書きの紙が貼ってある。これは八年前のものだ。3.11の後、教室を再開して間もない頃に貼ったはずだ。

この手書きの紙の上に地図を重ねて貼るとき、たぶんこの先何年も貼ったままにしておくだろうと思った。東日本大震災があったことも福島第一の原発事故があったことも忘れてしまいたくなかった。他の人びとの記憶から薄れても、いつまでも覚えていようと思った。

去るもの日々にうとし。確かにその通りだ。もう誰も東日本大震災のことを日常の話題にはしない。津波被害の大きかった沿岸部と違い、ほとんど被害らしい被害のなかった内陸部は、忘れるのも早かった。福島で起きた原発事故に至っては、もはや本当にあったことなのか疑わしくなるほど話題にのぼらない。

あの頃降下したセシウム137はどうなっているのだろう。半減期三十年だから、2041年になってようやく半分の線量だ。もっとも表土は風雨にさらされて削られてゆくので、実質的には十七年くらいで半減するだろうということも、あの頃なにかの記事で読んだ。そうだとしてもまだ半分ほどの年数しか経過していない。目に見えるわけではないし、何か具体的な影響が出ているようにも思われないので、降下したセシウム137が今どうなっているのか、誰も切実に心配しない。今度の参院選でも争点にすらならないだろう。

そうやって忘れていくうちに、私たちは正当に持つべき怒りも忘れ、穏やかに虚勢されてゆく。社会の大勢に、あるいは体制に従順であることがよしとされ、疑問を持つこと、異を唱えることは身を滅ぼすだけであると周囲から諭される。いや、諭される程度ならまだいい方だろう。おそらく異分子、あるいは危険人物と見なされて、その存在を無視されてしまうのがオチではないか。

大勢に、あるいは体制に逆らうとどうなるのか。いくつか具体的な見せしめを大々的に示せば、それだけで効果は十分だろう。社会的な抹殺へと追い込むスキャンダルがあれば容易だし、無ければ無いで執拗な人格攻撃を続けて評判を下げてやればよい。

そういう見せしめを目にすれば畏縮する。どこからも圧力をかけられていなくても、自主規制をする。本当に思っていることを言わなくなる。少しずつ酸素濃度が下がっていくような息苦しさにもそのうち慣れて違和感を覚えることもなくなる。支配されているという実感など毛ほども持つことはない。

|

« 江藤淳『完本 南洲残影』 | トップページ | 蟷螂の斧・その2 »

ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 江藤淳『完本 南洲残影』 | トップページ | 蟷螂の斧・その2 »