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2019年5月11日 (土)

説話はおもしろい

高校に入って古文の教科書で最初に習うのは、「児のそら寝」あたりだろうか。『宇治拾遺物語』に載る話で、ご存知の方も多いのでは。

今年教室に来ている高校一年生の古文教科書には、この「児のそら寝」ともう一つ「絵仏師良秀」も載っている。これも同じく『宇治拾遺物語』に収録されている。火事になって自宅を焼失し、妻子も焼け死んでしまうのだが、不動明王の火炎はこのように描けばよいのだと得心して喜ぶ絵仏師良秀の姿が印象的な話だ。確か芥川龍之介の「地獄変」という短編は、この話が元だったのではないかと記憶している。あるいは『今昔物語集』に載る話だったろうか。

この「絵仏師良秀」の現代語訳をさがしていたら、作家の町田康が訳したものをみつけた。『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08』という河出書房新社から出ている一冊に、伊藤比呂美訳の『日本霊異記』『発心集』、福永武彦訳の『今昔物語』とともに、町田康訳の『宇治拾遺物語』が入っている。

どの説話もいくつかの章段を抜粋した訳ではあるが、とてもおもしろかった。特に町田康訳の『宇治拾遺物語』は、今の高校生が読んでもなじみやすい軽さがあり、古文に対する敷居がぐぐっと下がるような気がする。

説話は、いってみれば新聞の三面記事の寄せ集めみたいな所があり、おもしろい話、怖い話、悲しい話、しみじみした話、などさまざまな題材が取り上げられている。当時の人びとと現代のわれわれの間には、物事の受けとめ方の違いや感じ方の違いがあるのは確かだ。しかし、何百年経っていようが、基本的な喜怒哀楽の感情はそれほど大きく異なるわけではない。まるで、自分の知っている誰かさんや、ご近所の誰それさんの話ではないのかと思わされるような既視感を味わったりする。

そして好奇心がひとめぐりすると、人間て何だかおかしくて哀しい生き物だなあとしみじみ思う。人間の持っている愚かしさのようなものが、何とも言えずいとしく思われる。

自らを省みても思うことだが、人間そんなに立派に生きられるものではない。どこかで小ずるかったり、意地が悪かったり、欲が深かったりする。それでも奇跡のように、そのような卑小さを突き抜けた振る舞いに出ることもある。聖でもあり俗でもある人間という存在の不思議さを、説話の数々は存分に味わわせてくれるように思う。

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