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2019年4月 6日 (土)

長い物語を

桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』を再読してみた。最初に読んだのは息子が十八の時だから、もう五年も経っている。筋はだいたい覚えていたし、最初に読んだときに受けた印象と大きく異なるところもなく、十分に物語の展開を楽しむことができた。

文庫版あとがきで桜庭一樹が、ある一族の長大な物語を書きたいと思ったのは、長編を依頼してきた編修者と話をしているときにガルシア・マルケスの『百年の孤独』とイザベル・アジェンデの『精霊たちの家』、そしてヴァージニア・ウルフの『オーランドー』が頭に浮かんできたからだと書いていた。ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』は以前に図書館から借りて読んだことがある。かなり面白かった。残りの二冊は二つとも持っているのだが、長らく「積ん読」されたまま頁を開いたことがなかった。

さっそく『百年の孤独』を引っ張り出して読み始めてみた。いつ購入したか忘れてしまったが、「積ん読」期間のうちにすっかり紙の色が古びて、古書を読んでいるような気分になる。物語は中南米のマコンドという村が舞台で、この村を切り拓いた男の時代から始まって、子の時代、孫の時代まで読み進んでやっと全体の半分くらいである。時代はゆっくりと流れ移るのだが、一族をめぐる出来事は破天荒なものの連続で、マコンドも次第に発展し始め、大きく姿を変えようとしている。これから後の半分はどう展開していくのだろう。大いに楽しみである。

先日の『大菩薩峠』も長い物語だが、長い物語ばかり平行して読んでいるような気がする。イザベル・アジェンデの『精霊たちの家』は『百年の孤独』が終わってからにしようと思っているけれど、もう一つ読み始めているのがトマス・ピンチョンの『重力の虹』。これも長い。まだ冒頭部分だが、舞台となっているロンドンが、第二次大戦中という設定のはずなのに、なぜかジョージ・オーウェルの『1984』に描かれたロンドンをずうっと陽気にしたような不思議な街として描かれている。この冒頭部分だけでも、わくわくするような展開を期待させる。『重力の虹』も入手したのは相当以前だ。紙質がいいのか『百年の孤独』みたいに頁が変色してはいない。つい昨日買ってきた本のような雰囲気だ。さすがに『大菩薩峠』『百年の孤独』と平行して読み進める時間が取れないので、『大菩薩峠』が終わるまで一時中断している。中断してはいるけれども先が読みたくてしかたない。

長い物語を読みたいという欲求はどこからくるものなのだろう。それは小学校の図書室にあった分厚い『西遊記』を毎日少しずつ読んでいた頃から少しも変わらない。読み終えてしまうのが惜しくて、わざと少しずつしか読まなかった。三つ子の魂…と言うけれど、基本的な好みは変わらないということか。

長い物語と言えば、忘れていたがまだ読みかけのものがあった。『旧約聖書』である。聖書を物語扱いすると信心深い方からバチあたりな奴だと叱られそうだが、信仰心を持たない者からすると、『旧約聖書』などは『千夜一夜物語』みたいな長い長い物語にしか見えない。「出エジプト記」のあたりまでしか読んでいないので、まだまだ入口の付近をうろうろしているようなものだ。読みたいものだらけで当分店ざらしのままだと思うが、これも少しずつ続きを読んでいきたいと思っている。

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