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2019年4月 5日 (金)

中里介山『大菩薩峠』

中里介山の『大菩薩峠』を読んでいる。かなり長い話の、まだ4分の1を少し越えたあたりまでしか読み進んでいない。

音無の構え、机竜之介。この名前だけはずいぶん昔にどこかで耳にしていた。虚無的な盲目の剣士で、理由もなくただ人を斬りたいだけの男を主人公とした悪漢小説(ピカレスクロマン)というとらえ方で済ませていたのだが、実際に読んでみると少し違う印象を持つ。

まず、この小説は群像劇なのではないかということ。確かに机竜之介という主人公がいて、一方に竜之介を兄の仇として追う宇津木兵馬という青年剣士がいて、この二人の話が本筋である。ところが脇筋がやたらに多く、竜之介も兵馬もどこかへ行ってしまいしばらく姿を見せない章段が続いたりする。しかもこの脇筋が無類に面白い。脇筋の人物に焦点が合っている時は、こちらの方が本筋なのではないかと思うほど活き活きした描写が続く。人物もどんどん増えてくる。まだまだ先が長いので、これからどういう展開になっていくのか楽しみである。

物語の展開とは別に、『大菩薩峠』を読み進めるうちに、この語り口はどこかでなじんだことがあるような気がしてきた。一体何だったろうかと考えてみて気がついたが、三遊亭円朝の人情噺だ。

落語の明治中興の祖と言われる初代三遊亭円朝は、数多くの人情噺や怪談噺を生み出した。「怪談牡丹灯籠」「文七元結」「名人長二」「業平文治」「塩原多助一代記」などなど、落語の古典として語り継がれることになる名作揃いだ。五代目古今亭志ん生が、人情噺は笑わせるところは少ないけれども、これができなければ一人前の落語家と言われなかったという趣旨の話をマクラでしていたことがあった。志ん生自身も円朝全集を繰り返し読んでいたようだ。

円朝の人情噺は落語としては長い咄が多い。「牡丹灯籠」や「塩原多助」は一部しか聞いたことがないが、全編聞いた「名人長二」は、二時間くらいだ。「牡丹灯籠」や「塩原多助」を全編聞くとなると、おそらくその二倍か三倍くらいの時間が必要なのではないか。

もっともこれらの長い人情噺は全編通しで語ることは滅多になく、連夜の続き物として語られ、寄席に客を引きつけたものだと思われる。この人情噺や講談にも通じる語りの伝統、つまり「さて、いかなることになりますやら」と後に期待を持たせる引っぱり方が『大菩薩峠』にも共通して感じられる。

物語を「語り」として耳にすることがなくなってしまった現代のわれわれでも、連綿として続く「語り」の伝統と無縁になってしまったわけではないのだなとつくづく思わされる。文字を読めない人がほとんどいなくなってしまった識字率の高い社会で暮らしていると、物語は「目で追うもの」であり「耳で聞くもの」ではなくなってしまった。しかし琵琶法師が語った『平家物語』にしろ、江戸時代の人形浄瑠璃にしろ、語られる物語に耳を傾けるという享受のしかたの方が、文字を黙読していくより一般的であったのだ。それも相当長い期間に渡って。

もう一つ『大菩薩峠』を読んでいて感じたことがある。これも現代ではその感覚が希薄になってしまったように思うのだが、第二次大戦前までは、江戸と地続きの意識が濃厚にあったのではないか。少なくとも明治、大正(あるいは昭和初期でさえ)の頃には江戸時代生まれの人が実際に生きていたのだから、維新後いかに欧化が進もうと市井の人びとの日常には江戸時代の名残がなにかと多かったと思われる。

とすれば、三遊亭円朝の人情噺にしても、中里介山の『大菩薩峠』にしても、あるいは『忠臣蔵』であっても、そこに描かれている世界に対しては違和感より親和感の方が強かったのではないか。ある確実な手ざわりや肌ざわりとともに受け入れられていたように思われてならない。

時代劇ですら基本的に現代人の感覚と意識で人物造形がなされている今とくらべて、明らかに異なる感覚と意識がそこにはある。おそらくそれは時間の流れ方、空間のとらえ方の決定的な違いによるものなのだろう。つまり、今よりもっと時間の流れ方がゆるやかで、遠く離れた異郷まで行くことが大変な困難を伴うものだった時代の感覚と意識ということになるのだが。

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