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2019年3月18日 (月)

八年が過ぎて

八年前に東日本大震災が起きたとき、妻の母も、私の父もまだ元気だった。3月11日の夜に妻と様子を見に行くと、義父母はロウソクの灯の中、小型のラジオをつけて地震情報に耳を傾けていた。家の中はそれほどひどいことになっておらず、ひとまず安心して帰ったのを覚えている。私の父は、難病のため足腰が立たない暮らしが続いていたが、認知症の方はまだそれほどひどくなかった。強い余震が何度かきたときには、どうやって父を連れて逃れるかということばかり考えていた。

その義母は七回忌が過ぎ、父も昨秋他界した。八年の間に、義母や父ばかりでなく一人またひとりと身近な人びとがいなくなってしまった。叔父たちも数年前に亡くなった。五十代のはじめだった私も還暦を迎えた。だからどうだというわけではない。八年の間にずいぶん様変わりしてしまったのだなと改めて感じるだけだ。

東京オリンピックまであと五百日とかで、世間的にはお祭りムードなのかもしれないが、何か今ひとつ気乗りがしない。震災からの復興をアピールすると言っているようだが、本当に復興したのか。

10日の夜にNHKで見た震災関連番組が印象的だった。復興住宅での孤独死、除染された故郷に戻ったものの周囲に誰も戻っておらず呆然としている人。結局、形の上での復興は進んでいるように見えて、被災者の心の復興は一向に進んでいないのだと知らされた。震災がもたらした一番大きな被害は、被災者が所属していたコミュニティが失われてしまったことではないか。その喪失感が身内や友人・知人を亡くした喪失感と相まって人びとの心の中に空洞を作っている。失われてしまったものは戻らないのだという空虚感。おそらくそれは一人や二人どころの話ではない。膨大な数の人びとが埋められない虚ろを胸のうちに抱えて日々を送っている。

だからこそ元気になるためにもお祭り騒ぎが必要なのだという人もいるだろう。確かにそうかもしれない。けれど、そのお祭り騒ぎは、空虚感を抱えた人びとの心には何ももたらさないのではないかと思ってしまう。お祭り騒ぎで潤う人間だけが興奮して盛り上がっているだけではないか。そのように醒めた視線を投げかける人びとに、そんなことはないと正面から言えるのだろうか。表面的な復興のアピールにお祭り騒ぎが利用されても、苦々しく思うだけだ。

オリンピックが近づけば近づくほどいっそう押しつけがましさは増してくるだろう。国民一丸となってオリンピックを盛り上げましょう。背を向けているそこのあなた、あなたはホントに日本人ですか?オリンピックに協力的でない人は「非国民」であるかのような同調圧力がうっとうしいくらいに高まることだろうと、今から憂鬱になる。

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