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2018年5月

2018年5月30日 (水)

あっという間に六月・続き

しつこくダラダラと続けているといえば、英単語の練習を始めてから二年近くになる。七月の下旬で丸二年だ。なかなか12000語の単語は覚えられない。今の時点でやっと六割弱ぐらいになっているだろうか。おそらく6000語から7000語の間だろうと思う。ベースが4000語程度あったのだから一年で1000語くらいずつしか増えていない。この調子でいくとあと五年か六年はかかることになるなあ。それでやっとアメリカの小学校卒業程度の語彙となるのだから、なんだか脱力する。

ではあるが、しつこく単語練習を続けているおかげで少しは英文を読むのが苦にならなくなってきた。これくらいいいことがないと、単なる苦行になってしまうので、やはり何らかの「ごほうび」があるのはうれしいということだ。目に見えて力がついてきたなという実感があるのとないのとでは、やる気に大きな差がつく。してみると、試験で点数が上がるということは、やはり重要なことなのだ。

何を寝ぼけたことを言うておるのじゃ、「ぼおっと生きてんじゃねえよ!」とNHK総合の土曜朝に放送されている「チコちゃんに叱られる」みたいな喝が入りそうだが、自分が成長しているのだという感触こそが一番の「ごほうび」なのではないか。これは年齢には関係がない。具体的な物やサービスを「ごほうび」にしてもいいのだが、そのようなものは一時的な満足感しか与えない。深いところからくる満足感は、成長の実感によるのではないか。ひとが学ぶことをやめないのは、それがあるからではないのか。

目的や達成感のないものは、徒労感しか生まない。シジフォスのあれである。小さくてもいいから達成したという感触があるといいのだ。トイレ掃除や洗い物の片付けがきらいではないのは、たぶん同じような心の傾向から来ているのかもしれない。すぐに味わえる達成感。目に見えて確認できる成果。こういうものに弱い、というわけだ。

ということで、英単語の練習はこの先も延々と続いていくことになりそうだ。

おまけにもう一つ。このごろハマっているものといえば「数独」。ナンバープレイスである。「数独」というのはどうやら商標らしいが、ネット上のサイトを見ると「数独」「ナンバープレイス」が同じくらい使われている。ご存じの方には無用の説明だが、9☓9のマス目があって縦列・横列・3☓3の9個のブロックの中のどれも1〜9の数字をダブらせずにすべて使うという、ルールはとても単純だが、始めてみるとなかなか奥が深い。

実は以前カミさんがスマホのゲームアプリで「数独」を遊んでいたのをチラッと見て、ふーんと思っていたのだが、実際にやってみると面白い。私はスマホを使っていないので、プリントアウトした紙と鉛筆、消しゴムで遊んでいる。最も原始的な形だが、いつでもどこでもすぐにできるという点ではこれが一番だ。

論理的に考えていくのが早道なのだと思うが、レベルが上がっていくと、そこからさらにひらめきが必要になりそうでしばらくハマりそうだ。これもまた、すぐに味わえる達成感が共通項だろう。

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2018年5月29日 (火)

あっという間に六月

同じような毎日を迎えては送り出しているだけなのだが、気がつくともう六月である。

新年度が始まってこの二ヶ月、一体何をしてきたのだろうと思う。それなりに教務を片付け中学生の中間試験の準備をし、白ゆりテストの説明会にも顔を出してきた。個人的な生活には大きな変化はないが、ご近所や知人のところに不幸があり、二つほど葬儀に出てきた。

その他は相変わらずである。近代史の学び直しは、韓国併合時の朝鮮半島を集中的に学んでいた。いわゆる日帝支配の三十六年間である。さまざま発見することが多かった。一番近い国なのに何も知らずにいたわけで、複雑な気持ちがする。

しかし、近代史の学び直しだけでは飽きる。このところ小説はあまり読む気にならないので、Yuval Noah Harariの"Sapience --- A Brief HIstory of Humankind"とChris Negusの"Linux Bible ,ninth edition"をちびちびと読んでいる。

ユーバル・ノア・ハラリさんはイスラエルのヘブライ大学歴史学部教授で、この本は『サピエンス全史』という邦題で翻訳もされているようだ。こちらは辞書を引き引き、半分ほど読んだが面白い。なんとなくジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』と似たような感じだなと思ったら、巻末に"Special thanks to Jared Diamond, who taught me to see the big picture."として名前があげられていた。ユーバル・ノア・ハラリさんの議論の中心はどうやら、この著作の次に出た"Homo Deus --- A Brief Histrory of Tomorrow"のほうにあるらしく、いずれこちらも読んでみなければと思っている。

クリス・ニーガスさんの"Linux Bible"は文字通りリナックスの全解説で、一番基本のところから一番深いところまで網羅されている。つまり初心者が読んでも勉強になるし、上級者が読んでも参考にできるという理想的な本だ。こちらは"Sapience"の倍以上のボリュームがあるので、読み終わるのはいつのことになるのか分からない。ではあるのだが、ひとつひとつの項目がすんなりと頭に入ってくる。いつまで経ってもリナックス初心者で、ほとんど何もわかっていない私のような人間が読んでも、なるほどそうなっているのかと納得する解説だ。本当によく理解している人が書くと、こんなふうに初心者が読んでもすっと分かるように説明できるのだろうな。なんと言えばいいのか、説明の論理がすっきりしているので、その論理の流れに乗っかっていれば肝心な所からはずれないということなのだと思う。これが中途半端に理解している人の説明だと、とたんに難しくなる。

つまり、どちらの本もきわめて論理的な文章なので、その論理の流れがすんなりと入ってくるのだろう。こういう本を読んでいると自分の頭が良くなったように錯覚する。本当は作者が優秀なのだが、自分が論理的になったような錯覚は気持ちがよい。あくまでも錯覚なのだが。

ただ、この二冊もこれだけを読んでいると飽きる。そうすると、近代史関連、特に朝鮮半島の近代史関連の本をまた読み始める。でまた、それも飽きる。すると英文に戻る。この繰り返しである。「三つ子の魂百まで」というが、昔からそうだった。何事かに熱中するとしばらくのあいだはそれにのめり込む。文字通り寝食を忘れるくらいはまり込む。ところがある日唐突に、飽きる。憑き物が落ちたように、ああしばらくはもういいやと投げ出す。そして別のものにハマる。それも飽きる。また元に戻る。この繰り返しで長年を過ごしてきた。だから、たぶんいつまで経っても中途半端なんだろうなと思う。まあそれもしょうがない。今さら変えようとは思わないし、このままダラダラと熱中と飽きた状態を繰り返し延々しつこく続けていこうと思っている。

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