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2018年4月

2018年4月 6日 (金)

何が違うのか

薬局で薬が調剤されるのを待つ間、BGMに流されているピアノ演奏を聴いていた。聴いたことのある曲だが題名が出てこない。まあいいか。ピアノはとても軽快で耳に心地よく入ってくる。おそらく誰が聴いても不快にはならないだろうと思われるような演奏だ。

母が軽いめまいがするというので、かかりつけのお医者さんに診てもらったのだが、季節の替わり目には三半規管の調子が悪くなってめまいを起こす人が多いという。ここ数日そういう患者さんが多いですよ、と医者は微笑した。とりあえずめまいに効く薬を出しておきましょう、と処方せんを渡してくれた。その処方せんを持って行った薬局での話である。

昔ならイージーリスニングとでも呼んでいたか。今は何と呼ぶのだろう。スムースジャズとか何とか言うんだろうな、たぶん。4ビートだから確かにジャズの演奏ではある。黙って聴いていると、いくらでもするすると入ってくる。一方でするする抜けていく。BGMとしては最高の音楽だろう。

薬を受け取って車に戻りエンジンをかけるとビル・エバンス・トリオの演奏が流れ始める。同じように4ビートのジャズ演奏だ。でも、明らかに何かが違う。何が違うのだろう。家に戻る道々ずっと考えた。

ああ、そうか。糖分の入った缶コーヒーとドリップしたレギュラーコーヒーの違いだ。どちらもコーヒーであることに変わりはない。だが、誰が飲んでもそれなりに美味しく感じる甘くて苦い缶コーヒーと、入れたてを砂糖なしで飲むレギュラーコーヒーでは風味が違う。コーヒー飲料とコーヒーそのものの違いとでも言えばいいか。

BGMのピアノ演奏は何も考えずにすむように流されていた。ひたすら耳に心地よく響いたのは、何も考えなくてよかったからだ。空気のように、存在を感じさせない音楽。それに対しビル・エバンスの演奏は、何かを考えさせる。自分の内側にある何かを引っ張り出す。あるいは自分の内面のどこかに引っかかる。だから、ひたすら快いわけではない。ときに不協和だったりもする。

自分が欲しているのはどちらの音なのだろう。毎日でも耳にしたいのは、BGMの方ではなくビル・エバンスの方だ。"inspire"という英単語がある。「鼓舞する、霊感を与える、吹きこむ」などが主な意味だが、ビル・エバンスの演奏を聴くと"inspire"される。その演奏から自分が何かを吸い込んでいるという感触を味わう。

BGMのピアノ演奏をだめだと言っているのではない。あれだけ「気配」や「体臭」を感じさせない演奏をするのは、相当な技量が求められるはずだ。意図的にそういったものを消さなければならないからだ。無味無臭の衛生的な、まさに薬局の待合室向きの演奏なのだ。極力、演奏している人間の顔や体を隠し、まるで自動演奏でもあるかのような滑らかさに到達している。その演奏が、自分の中の何かを引き出そうとしないのは当然だ。引き出さないために演奏されているのだから。

そういえば、このごろBGMをかけながら作業をするということができなくなってしまった。作業をやめて聴き入るか、流れている音楽を「聴かず」に作業するかのどちらかになっている。つまり聴きたいと思えば作業はできないし、作業に集中し始めると音楽が邪魔になってしまうのだ。年齢を重ねるとともにそうなったのか、それはよく分からない。

たぶん残り時間がだんだん減っていくという感触が、多少は切実さをもって身に迫ってくるようになったからかもしれない。若い頃はそういう感触と無縁だったり、あっても漠然としたものだったのだが、時間をふんだんに浪費するという贅沢さを手放しでは喜べなくなった。歳を重ねるというのはそういうことなのだろう。

だから、何かを引き出してくれる音楽に、対話するように向い合って耳を傾けていたい。心底そう思う。

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2018年4月 2日 (月)

「道徳」という教科

今年度から、「道徳」が教科化されるという(平成30年度から小学校で、31年度から中学校で)。政府の資料によると、「教科」というのは従来、  

   ①数値による評価を行う
   ②検定教科書を使用する
   ③中学校以上の担当教員については、教科ごとの免許を設ける

といった原則があったそうだが、それが「道徳」という教科については

   ①数値による評価は行わない。記述式など他の評価の在り方を検討する。
   ②検定教科書を作成するかどうか。しない場合、学習指導要領の指導内容に
    沿った教材を使用する。(各教育委員会で作成されている郷土の教材など)
   ③中学校においても、小学校同様、徳育の担当教員は設けず、学級担任が
    指導することとするかどうか。
   ④中学校については、名称を徳育ではなく、「人間科」にすることなども検討
    する。

このような取り扱いにするのだそうだ。特に①の「数値による評価は行わない。記述式など他の評価の在り方を検討する」というところに関心が集まるのではないかと思うのだが、これは得点で評価するテストではなく、小論文や作文のようなテストで評価するというこのなのだろうか。文部科学省のサイトを見ると、「道徳の評価の基本的な考え方に関するQ&A」という項目があり、そこに回答が載っている。

   ・道徳科の評価は、道徳科の授業で自分のこととして考えている、他人の考え
   などをしっかり受け止めているといった成長の様子を丁寧に見て行う、記述に
   よる「励まし、伸ばす」積極的評価を行います。
   ・このような道徳科の評価は入試にはなじまず、入試で活用したり調査書
   (内申書)に記載したりはしません。

数値評価はせず入試にも活用しない。とりあえずは、なるほどと思う。思った上でなお、「道徳」は教科として指導できるものなのだろうかという疑問が消えない。

このもやもや感は何だろう。小学生はともかく、中学生には材料だけ与えて自分で考えさせそれぞれが自分の道徳観を形作るほうがいいのではないか。「記述による「励まし、伸ばす」積極的評価」すら無くてもいいのではないか。たとえば、指導する教員の道徳観と大きくかけ離れたような道徳観を持つ生徒に対して、「積極的評価」をできるものだろうか。

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