« 一つずつ | トップページ | 節目 »

2018年3月28日 (水)

さて、ここまで何を読んできただろう

もうじき新年度が始まる。年が明けてから四分の一が過ぎるということになる。すっかり暖かくなり、桜の花も今年は早く咲くだろう。

ところで、今年はここまで何を読んできたのだろう。あれこれ読んだような気もするが、はて何を読んだのかとんと思い出せない。

近現代史の学び直しの途中だから、その関連で読んだものが多いはずなのだが、さて何だったか。特に韓国併合後の朝鮮半島に興味を持ち、朝鮮史関連が増えたような気がする。

『朝鮮史』梶村秀樹、講談社現代新書
『白凡逸志』金九著、梶村秀樹訳、平凡社東洋文庫
『日韓併合小史』山辺健太郎、岩波新書 青版
『パンソリ』申在孝、平凡社東洋文庫
『朝鮮王朝の滅亡』金重明、岩波新書

ああ、そうだ。これに関連して中上健次の評論集を読んだのだった。『中上健次エッセイ撰集 青春・ボーダー編』恒文社。中上健次が朝鮮半島に興味を持っていたことを知らなかったし、パンソリに関心を寄せていたことも初めて知った。

一番近い外国である韓国・朝鮮のことをほとんど何も知らずにこれまで過ごしてきたのだな、と改めて思う。1910年から1945年の植民地時代のことも、それ以前の朝鮮社会のことも、何も学ぶことなく来てしまった。日本史に関連の深い、百済からの渡来人、李氏朝鮮、文禄・慶長の役、朝鮮通信使、江華島事件、甲午農民戦争、韓国併合といった用語は思い浮かぶものの、それだけだ。用語が抱え持っている膨大な細部にまったく思いが至らなかった。

上海に成立した大韓民国臨時政府の主席、金九の自伝『白凡逸志』などを読むと、日帝時代の朝鮮の人びとが支配者である日本人にどのような思いを抱いていたのかよく分かる。もちろん、金九は右派の急進派だから、一方の極端であろうとは思う。日帝時代に親日派と言われた半島の人びともいたのであり、日本に対する思いが一様でなかったろうとも思う。しかし、激烈な反日感情を抱かせるような、植民地支配の実際がそこには存在した。

何かにつけて日韓関係はギクシャクしがちだし、北朝鮮とはまともな対話すらできない。元をたどれば、三十六年間の植民地支配の「感情的精算」ができていないからなのだろう。踏んづけた方は忘れても、踏まれた方は痛みを覚えている。併合という植民地支配がどのようなものだったか、踏んづけた側の子孫は、その歴史の実際に目を向ける必要がある。

これは「自虐史観」とは無関係だ。そもそも植民地支配の実態を教えられることすらないのだから、まずは歴史を知ることそのものから始めなければならない。評価はその後にくる問題だ。歴史的背景を知った上で、嫌韓になるのはそれぞれの自由だが、無知に由来する嫌韓あるいは嫌中は単なる排外主義でしかない。ナショナリストを気取るなら、朝鮮のナショナリストだった金九の「愛国心」に共鳴するのが筋だろう。

|

« 一つずつ | トップページ | 節目 »

読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: さて、ここまで何を読んできただろう:

« 一つずつ | トップページ | 節目 »