« それにつけても…・その3 | トップページ | 属人的 »

2017年11月 5日 (日)

少数派のぼやき

総選挙も終わり、低い投票率の中、自公政権の圧勝という予想外なのか想定内なのかよく分からない結果となった。投票せず丸投げした人も含めて、世の中の多数派は「経済が安定していること」を、「民主的な手続き」や「政治家の説明責任」や「官僚の隠蔽体質」の問題よりも重視したということだ。

これは当然といえば当然のことだろう。清廉潔白な政治が行なわれても、食うに困るような毎日では生活できない。経済的なゆとりがあってこその社会的安定。衣食足りて礼節を知ると昔から言うじゃないですか。確かにその通りだ。天変地異が起きても日本で暴動や掠奪が起きないのは、そこそこ経済的なゆとりが社会にあるからだろう。その逆であれば、人びとは生き延びるために奪い合うことをためらわないはずだ。社会が安定的なものであるためにも、経済的なゆとりが不可欠である。それは間違ってはいない。

間違ってはいないが、依って立つ原理・原則に正当性が担保されていなければ、結果的に豊かになったからいいじゃないかで済ませてしまうわけにはいかない。結果ではなく、その過程を問題にするということだ。

「過程に問題があり結果もよくない」
「過程に問題はあったが結果はよい」
「過程に問題はなかったが結果はよくない」
「過程に問題がなく結果もよい」

この4パターンの中で、「結果」を重視すると、「過程に問題はあったが結果はよい」という選択肢はありということになる。一方、「過程」を重んじる場合は、「過程に問題はなかったが結果はよくない」を受け入れる覚悟がなければならないだろう。

第三次産業の従事者が圧倒的に多く、その第三次産業は「結果」重視のビジネスが多数派であると考えれば、世の中の多数派が「過程に問題はあったが結果はよい」という「終わり良ければ全て良し」的な傾向を持つのは自然なことだ。原理・原則や手続きといった「過程」を重視しても「結果」がよくなかったらお終いじゃないか。そういう声が聞こえてきそうだ。

つまりは世の中、声の大きい人間が勝つということで、無理を通せば道理など引っ込んでもかまわないということだ。声の小さい人間や弱い立場にいる人間は、黙って引っ込んでいろ。決まったことに文句をつけるんじゃない。そんなふうに一喝されて終わりだ。だから、同じことなら「勝ち馬」に乗ったほうがいいということになり、身も蓋もなく「結果」の出そうなところに擦り寄っていく。道理や倫理で飯は食えませんからね。確かに。

だが、本当にそれでいいのか。「過程」を問わなくて本当にいいのか。気がついたらブラック企業だらけ、気がついたら偽装だらけ、ウソとごまかしだけが全てです、でいいのか。そのようにして「結果」を追い求めて、人びとは幸せになっているのか。この社会に生きていることの幸福感を多くの人が感じているのか。

もうそろそろ、正しく没落していく方策を求めるべき時なのではないか。すでにGDPは中国に追い抜かれ、人口減少社会に突入し、経済大国という過去の幻影にいつまでもすがりついている時代でもなかろう。どうやったら暴動や掠奪を起こさずに正しく没落していけるか。「過程」を問うという在り方に軸を移していくべきではないか。少しでもましな形で社会を維持していけるのは、そちらの道ではないのかと思う。

|

« それにつけても…・その3 | トップページ | 属人的 »

ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 少数派のぼやき:

« それにつけても…・その3 | トップページ | 属人的 »