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2017年10月15日 (日)

それにつけても…・その1

すべてをお金という価値に一元化する拝金主義に違和感をおぼえるのはなぜだろう。

人であれ、物であれ、お金で測れない部分があるのではないか。おそらくそのように感じるときがあるから、あらゆるものを金銭というひとつの物差しで測ってしまうことに、何か違うのではないかと心のどこかがつぶやく。

「抜け雀」という落語がある。勘当された若い絵師が一文無しで泊まり、宿賃の代わりに白い衝立へ雀の絵を描く。これを形(かた)において後で払いに来るからそれまで取っておけと、主に言いつける。このときのやり取りがおかしい。

絵師は衝立に雀を五羽描く。宿の主は、最初それが何の絵なのか分からない。絵師に雀だと言われてなるほど雀ですなと納得する。絵師は「一羽一両。五羽で五両だ。」と告げる。それを聞いて主は「そりゃあ高いや。高い、高すぎる。おもての鳥屋に行ってごらんなさい。こんな大きな鳥が二十文で買えますよ。」と手を広げる。

この科白は、同じ次元で比較できないはずの絵と鳥料理を、金額で比べるおかしさなのだが、つまりは芸術作品の価値と消費物の価値を同じ尺度で比べるおかしさであるのだが、宿の主をひとしきり笑った後でふと考えこむ。

では、金銭以外の価値で芸術を測ることができるものはあるのか。「抜け雀」の噺にしても、小田原の大久保加賀守が絵と衝立を千両で買いたいと評価したことで絵師の評価が上がる。これが、誰も買いたいという人間が現われなかったら、いくら素晴らしい作品であろうと評価の低いままで終わってしまう。

だが、ここでもう一度考えは反転する。この絵を大久保加賀守が千両出しても買いたいと思ったのはなぜか。それは、朝日があたると衝立から雀が抜け出るという絵だからだ。つまり、絵そのものに価値があり、それを金銭という尺度で交換してもらうためには、千両出してもいい。そのように評価されたからではないのか。

ということは、交換の尺度は何も金銭に限らないのではないか。たとえば、自分の娘を嫁にやるから絵を譲ってくれ、という展開もありうる。この先好きなだけお酒を差し上げますので、この絵は私のものに、ということだって可能だ。

つまり、もともと交換したいという気持ちを抱かせる価値が作品に内在しており、それを何と交換するのかという話だったものが、分かりやすいから金銭という尺度で交換してもらおうということになったのではないか。分かりやすい、というのは共通した尺度として流通しやすいという意味である。

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