« 時事的放談・その3 | トップページ | 時事的放談・その5 »

2017年10月 1日 (日)

時事的放談・その4

居酒屋のオヤジ政談状態をもう少し続ける。

ダメながらも変わる可能性があるものに賭けるか、それとも変わる可能性のないダメなものを選ぶか、と前回の最後に書いた。もしかすると、ダメながらも変わる可能性があるものに賭けたらホントはダメだった、という結果になるかもしれない。

今回の衆議院総選挙は、政権交代まで至らずとも自公政権の過半数を阻止するという結果が期待できそうな状勢に見える。つまり、対抗軸になると有権者に思われるような政治勢力が結集し、自公候補の議席獲得を阻むことができるのではないかと思わせる。

この期待感はバブルである。中身が本物かどうか確証はないがとりあえず賭けてみる。その結果、勝つには勝ったがとんだ「フェイク」をつかまされたということもあるだろう。その時点で「カネ返せ」ならぬ「票返せ」と騒いでもどうにもならない。前の政権よりはいくらかましなダメさ加減ではあるが、票を入れてしまったものはしょうがない。前政権よりもさらにひどい目にあわされるのであれば、それを教訓にしていくしかない。痛い目にあって次はしっかり選ばなければならないという実感を有権者に植えつけるなら、それはそれでよいことだ。

つまり、自分たちに見る目がなかったから「フェイク」を「本物」だと思い込んでしまったのであり、そのツケは自分たちに降りかかってくるということを身にしみて噛みしめる経験を重ねたほうがいいのだと思う。投票に行かず丸投げするとこういうことになるとか、ブームに踊らされて空気感だけで選択するとこういう結果になるとか、そういう代価を払って学ぶことでしか民主主義は定着しないのではないか。

安易に受けると芸人は育たない、と昔だれかが言っていた。面白くないものには安易に反応しないという観客が、よい芸人を育て上げる。政治も同じなのだろう。選ぶ側の目が肥えてくるかどうかが、政治家が育つかどうかの大事な要素だ。二世、三世といった世襲議員が何の疑問もなく受け入れられ、本人の実力は問われないという不思議な現象も、それによっておのずと解消されるだろう。

これも誰かが言っていたことだが、国会の本会議や委員会の議場にモニターを設置し、有権者からのコメントが洪水のように流れる中で議論してもらったほうがいいのではないか。ニコニコ動画のコメントのように、質疑応答している議員の映像にかぶせて横殴りの雨のように大量のコメントがスクロールして流れていく。あるいはツイッターのタイムラインが滝のようにスクロールしていくのでもよい。有権者からのコメントにボコボコにされながらもきちんと対応できる人物でないと議員になれない。そういうほうが面白いのではないか。

国会中継を見ながら入れていたツッコミが実際にコメントとして議場に流れるようになれば、国民は何を感じているのかリアルタイムで伝わるだろう。ますます劇場型政治になるではないか。そういう声も聞こえてきそうだが、「炎上」して注目が集まるようになれば、政治へ関心を持つ人間も増える。直接民主制の一つのあり方になるのではないか。それともAIに重要な政治案件を判断させるから政治家は要らない。そういう時代になるのか。

いずれにしても、今回の総選挙に過剰な期待はしていないが、結果がどうなり政治がどう動くのか目を離さずに見ていたい。

|

« 時事的放談・その3 | トップページ | 時事的放談・その5 »

時事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時事的放談・その4:

« 時事的放談・その3 | トップページ | 時事的放談・その5 »