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2017年9月26日 (火)

時事的放談

都知事の小池百合子氏が、新党「希望の党」の党首になるという見出しが新聞の一面に出ていた。自民党に入れたくない有権者の受け皿になることを期待してのことであろう。「都民ファースト」の都議選での躍進を目にして、総選挙でも期待している有権者が多いのかもしれない。だが、果たしてこの新党に「希望」は持てるのか。

結論から言えば、野党へ流れる票の収容先としかならず、かつての「日本維新の会」同様第二自民党的な党にしかならないのではないか。だから、自民党にとっても何ら脅威ではなく、むしろ反自民票が分断されることを内心喜んでいるのではないだろうか。

小池氏に対する期待は、既存の野党勢力に期待が持てないからだろう。こうすれば日本の政治は変わりますとか、みなさんの暮らしは良くなりますという、それこそ「希望」をかけることのできる政党や政治家が見当たらない。そう有権者に思わせている現状を、もしかしたら何とかしてくれるのではないか。こういう幻想が人気や期待のもとになっているのだろう。

だが、都民ファーストの代表選出の不透明さを見ても分かるように、小池氏が代表する政治勢力は民主的な手続きを重視しないようである。組織そのものも脆弱さを感じさせる。そもそも構成しているメンバーが、取ってつけたようなにわかづくりの急造という印象を拭えない。かつての日本維新の会みたいなものだ。総選挙で当選し、国政の場へ出ても果たして有権者の期待したような働きができるのか。

人気商売の芸能人の場合はイメージだけでもよいが、政治家の場合はイメージではなく政治的な実力で測られる必要がある。AKB総選挙みたいな人気投票に、本物の総選挙もなりつつあるということか。

それならばそれで諦めるしかない。国民の民度以上の政治家は現われない。期待する政治が実現されるためには、政治家を選ぶ国民自身の民度を上げるほかないだろう。民主主義というまだるっこしい、手間のかかる制度を機能させ、時間がかかることも含めてそれを国民に納得させられるまともな政治家を育てて送り出すくらいの気持ちでいないと、変わらないのかもしれない。つまり、任せて文句だけ言うのではなく、自らが主体的に関わっていく気持ちを有権者が持つことで、変化は少しずつ訪れるのではないかと思う。

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