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2017年9月 1日 (金)

ふらんすへ行きたしと思へども・続き

フランス語基礎は原先生のおかげで三年目に何とかなったが、おなじ三年目にフランス語講読でお世話になったのは、山本有幸先生と大矢タカヤス先生だった。

大矢先生はフランスの大学の客員から戻ったばかりで若手の先生だった。奥さんがフランス人らしいぞ、と同じ講読を受けている学生が噂していた。奥さんがフランス人かどうかはともかく、どうやってフランス語講読の単位をもらえるかのほうが、私には問題だった。

テキストはバルザックの『ゴプセック』。文庫本では訳本がなく、バルザック全集の第何巻かを探しだして買い求めた記憶がある。とにかく原文と註釈だけでは無理だと思ったのだ。幸い履修している学生の数が多いので、訳読の順番が回ってくるのは間隔があってそれだけ準備に時間が取れた。そのため、全集の訳文とテキストの原文を隅から隅までつき合わせて訳文を考えていくことが可能だった。

それでも欠席回数が多くて単位をもらうには微妙なところがあった。これは何とか泣きを入れて頼み込むしかないとハラをくくり、教官室を訪ねて「なんとか単位をいただけないでしょうか」と相談すると、まあしょうがないかという表情で了承してくださった。一応筆記試験の点数はとれていたということもあったのかもしれない。

もうひとつのフランス語講読で、山本先生に講義してもらったのは、メリメの『カルメン』だった。こちらは文庫本での訳本もあり、楽勝だと思ったのもつかの間。最終的に履修届を出して履修することが確定した学生は、私も含めて全部で八人ほど。講義室が広すぎてどこに座ったらよいか悩むくらいだった。「できるだけ前の方に集まってください。今年はこれくらいの人数しか履修しませんので、こじんまりといきましょう。」山本先生は、冗談や皮肉ではなく、ごく当たり前の調子で告げて講義を始めた。

山本先生の講義はぜひ受けたいと思っていた。それは、大岡信の『詩への架橋』という岩波新書で、旧制中学のころ一緒に同人誌をやっていて、山本の詩が仲間の中では一番だったという記述を読んでいたからだった。加えて、掲載されていた十代の頃の山本先生の作品もあまりにもカッコよかった。とても十五、六の少年の詩とは思えなかった。

だから、フランス語講読の観点で選択したのではなく、どうして詩人とならず大学教授になったのかという文学的興味の方が大きかった。直接それを伺う機会はなかなか訪れなかったが、ある日、市内へ下るバスの停留所で山本先生と一緒になった。人数の少ない講読を受けているので、山本先生も私がその中の一人であることはすぐに分かったようだった。バスが来るまでは少し時間があった。「大岡信さんの『詩への架橋』で読んだのですが、…」と私は単刀直入に切り出した。「どうして詩人の道を選ばれなかったのですか。」

ぶしつけな私の質問に少し苦笑したような表情を浮かべ、「うーん、詩で立っていけるとは考えていなかったからね…」と先生は答えられた。「でも、あの本に引用されている先生の詩は、とても十代の少年が書いたとは思えないくらい完成されていると思いましたが。」「…。たぶんフランス文学のほうが面白くなってしまったからかもしれないな。」「そうなんですか。」

そうしたやりとりの後で、「そうだ。あの頃の私たちに興味があるのだったら、大岡の『年魚集』という本を読んでみるといい。もう少し詳しいことが書いてあるはずだから。」と先生は勧めてくださった。バスがやってきて先生も私もそのバスに乗り込み、話はそこまでとなった。『年魚集』は、『詩への架橋』の前年に青土社から出ていた一冊だった。実は未だに読んでいない。いつか読もうと思いながら、入手しないまま過ぎてしまっている。

山本先生にはもう一つ忘れられない印象が残っている。それは年度の終わりの頃だった。前期に試験がなかったので、おそらく後期の試験で単位が出されるのだろうと私は思っていた。そろそろ試験範囲などの話もあるだろうと、前の週に欠席した講読に顔を出した。その週は訳読が回ってくるはずだった。

土曜日の最初のコマの講義だったから、たぶん午前九時ころから始まったのだと思う。自分の担当分が終わると眠気に襲われ、私は講読の残りの時間をこっくりこっくりしながら過ごしていた。ほどよく暖房が効いて、静かな講義室で居眠りするのは心地よかった。ふっと目が覚めたとき、山本先生の声が聞こえてきた。教壇の席に座ったままいつもの穏やかな調子で「…ですから、後期も筆記の試験は実施しません。」と言ったように聞こえた。寝ぼけてぼんやりしたままの私は、聞こえた内容を反芻した。後期も…筆記試験は…実施しない?!

唖然としたままの私を残して、山本先生も他の学生たちも講義室を出ていく。あわてて山本先生を追いかけた。「山本先生、後期も試験はしないって本当ですか。」「そうです。」「でも、それじゃ、評定を決められないんじゃないですか。」先生は例の少し苦笑したような表情を浮かべた。「今年は履修者が少ないので、講義の時の訳読で君たちの力はつかめましたから大丈夫です。」「でも、それでは不安です。」「みなさんに単位を出しますので大丈夫ですよ。」

事実、大丈夫だった。筆記試験もレポートもなし。隔週に回ってくる訳読だけ。それだけでフランス語講読の単位をもらってしまった。結構欠席回数もあったのに、である。

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