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2017年6月17日 (土)

雪崩をうって

昭和の始め、満州事変が起きるまで社会の空気は国際協調をとる幣原外交をよしとするものだった。第一次大戦後の軍縮と国際協調の流れは、大正デモクラシーとともに時代の空気感を形作った。軍事費の削減を求める声が当然のごとく起こり、実際に陸軍の数個師団が整理された。軍服を着た軍人が、電車の中で一般市民から「税金泥棒」といった罵声を浴びせられることも珍しいことではなかったらしい。

それが満州事変の勃発とともに、社会の空気が一変してしまう。満蒙は日本の生命線であり、日本の勢力下に置くことは何よりも重要なことである。そのような主張が広く受け入れられていく。その後の満州国成立と国際連盟脱退が、さらに帝国主義的拡大政策の支持へと国内の空気を押し上げる。軍部と右翼の国家主義者だけが戦時体制へと引っ張っていったわけではないのだ。

こういったナショナリズムの噴き上がりは、日露戦争後のポーツマス条約に反対する「日比谷焼き打ち事件」が最初なのだろう。「戦勝」したのに、なぜ賠償金が取れないのだ、と暴動が起きた事件である。国民の意識の底にある、ある種素朴なナショナリズムは、きっかけさえあれば一気に空気感を作り出し爆発的な勢いで拡大していく。

山本七平の『「空気」の研究』に、その「空気」の実態が詳細に分析されていることはよく知られている。昔から今に至るまで、日本の社会は「空気」に大きく支配されてしまうという点で何も変わっていないのじゃないかと思う。

今、何が一番起こってほしくないかと言えば、それは北朝鮮によるミサイル攻撃である。核ミサイルであろうが通常兵器であろうが、一発のミサイルが(あるいは数十発かもしれない)実際に着弾して死傷者を出すことに対する恐怖感はもちろんある。七十年以上も国土を攻撃される恐怖を味わったことのない社会が、破壊と死に直面するという現実に耐えられるのかどうかとも思ってしまう。

しかし、それ以上に憂鬱になるのは、社会の空気が一気に好戦的なものに変わるだろうという暗い予感である。報復を求めるナショナリズムの噴き上がりが容易に想像される。「日比谷焼き打ち事件」から「満州国成立」といった過去の例を思えば、同じような社会的興奮状態へと沸騰しないという保証はない。そうなったときに、おそらく冷静な対応を求める声はかき消されていくだろう。憲法を改正して自衛隊を国軍とし、報復攻撃せよ。そういう声が大きくなるだろう。右翼の街宣車ががなりたてなくても、SNSの「いいね」や「RT」を通じて誰もがナショナリズムの信奉者に変わっていくだろう。

異を唱えるものは「非国民」「敵の回し者」と大炎上どころの話ではないだろう。やられたらやりかえすのが当たり前だろう。報復しないで黙っていろっていうのか。そういう声が支配的な空気を醸成するだろう。だが、そのように声高に言う人間が戦闘に行くわけではない。実際の戦闘で死傷するのは自衛隊員である。そして、戦争という事態になって一番犠牲になるのは「市民」である。イラクでもシリアでも、「市民」が大量に犠牲になった。報復感情というナショナリズムの噴き上がりがもたらすものは、結局「市民」の犠牲と軍需産業の利益増大だけではないか。

戦争を起こさせないための政治・外交こそが第一であるはずだが、戦争したくてうずうずしているどこかの国のリーダーはおそらく違う考えなのだろう。ここまで書いたことが杞憂に終わることを切に祈っている。

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