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2017年6月11日 (日)

閉塞感

石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いたのは1910年(明治43年)。日露戦争を経験し、幸徳秋水らの「大逆事件」が起きた直後のことだ。啄木自身は、その閉塞した時代状況の展開を見ることなく、明治の終焉とともに亡くなってしまう。

それから二十年ほど経った1931年(昭和6年)、満州事変が起きる。ここから1936年(昭和11年)二・二六事件までの昭和初期も、社会には閉塞感が漂っていた。

啄木が「時代閉塞の現状」を書いたころに感じていた閉塞感は、近代国家という目標に追いついてしまった明治国家の目標喪失と、拠り所なく漂流し始めた個人の故郷喪失が重なりあう形で生まれたものだろう。また昭和初期の閉塞感は、政党政治への不信、世界恐慌前後の経済的状況が根底にあり、国内改造と満蒙進出によって一気にそれを打ち破ろうとする動きを作り出した。

翻って2017年の現在、そこはかとなく漂っているこの閉塞感はどこから来るのだろう。簡易真空装置で少しずつ空気が抜かれていくみたいに、ちょっとずつちょっとずつ自由な空気が社会から奪われているからだろうか。それとも、あらゆるものを経済的価値に一元化し、それ以外のものに価値を見出さない拝金主義的な風潮のせいなのか。子どもから大人まで、「結局はお金でしょ」という身も蓋もない価値観が大手を振るい、「武士は食わねど高楊枝」的なやせ我慢の美学などこれっぽっちのかけらも見かけなくなってしまった。

少なくとも、啄木が生きていた明治末のころや青年将校たちが行動を起こそうとしていた昭和初期の日本は、主権を持った「独立国」だった。他国の軍隊を駐留させ、基地を提供し、その費用まで負担するような「属国」ではなかった。地位協定や年次改革要望書によって主権を握る「宗主国」に尻尾を振るような国ではなかった。

戦争に負けて占領され、GHQによる民主化を受け入れるよりほかに選択肢はなかったのだから仕方がない。そうだろうか。戦後まもない日本の政治を切り盛りした保守の政治家たちは、「面従腹背」という言葉の意味をよくわかっていたはずだ。占領国であるアメリカの言うことには従う以外の選択肢がないのだから従わざるをえないが、いずれ時が来たら従属から抜けだして「独立国」になる。それまではじっと我慢する。これが当時の政治家の共通認識だったのではないか。

しかし、朝鮮戦争を境として、経済発展と引き換えに対米従属を続けたほうがよいという変質が常態化していく。高度経済成長により日本は豊かな先進工業国となった。対米従属を通じた経済発展こそ日本の生きる道、とでもいうように経済的価値が何よりも優先され、物質的豊かさは実現された。だが、それで幸せになったのか。豊かな社会に暮らしているのに、幸福だと感じている人の割合が少ないのはなぜだろう。

独立した国民国家ですらグローバリズムの攻勢にのみ込まれようとしている現在、「属国」の立場に甘んじている日本は二重の意味で、独立した主権国家としての存立基盤を危うくしている。

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