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2017年6月20日 (火)

伝記を読む

『現代日本思想大系』(筑摩書房)の第4巻「ナショナリズム」を図書館から借りて読んでいる。吉本隆明がこの巻の編者で、少し長めの冒頭解説も吉本自身が書いている。

さまざまな著者の文章が収められれていて興味深いのだが、山路愛山や徳富蘇峰、あるいは陸羯南といった人びとの文章はさすがに現代では読みにくい。明治人の著作は擬古文ではないが、江戸時代の候文と地続きで、引用部分や手紙部分など近世古文書かと見まごうばかりだ。漢詩文の引用も当たりまえのように白文でなされている。

この巻に石光真清の自伝から二つの文章が抜粋されている。特に『誰のために』から引用された部分に引き込まれた。あまりにも興味深かったので、『現代日本思想大系』のほうは中断し、『誰のために』を借りだして一気に読んだ。ロシア革命からシベリア出兵の時期に、陸軍嘱託となりロシアで諜報活動に従事した人物の濃密に凝縮された時間が行間から溢れ出てくるような感じだった。

自伝は、息子の石光真人が編纂し、『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』という四部作として刊行されたものの一つである。この石光真人という名前にどこかでお目にかかったことがあると思ったら、中公新書『ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書』の編著者であった。こちらも名著である。未読の方は、ぜひ御一読を。

石光真清は、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へ進み、日清戦争後、対露戦への憂慮から私費でシベリアに渡航し、アムール州のブラゴベシチェンスクで語学研修を名目に諜報活動に従事した。いわゆる「軍事探偵」と言われた人物である。『誰のために』は、五十代に達した石光がロシア革命さなかのシベリア、ブラゴベシチェンスクへ再び戻り、激動に翻弄された日々の記録である。

革命指導者、反革命勢力のコザック兵、市民自警団これに日本人義勇軍(石光らの募兵に応じたブラゴベシチェンスク滞留日本人)がそれぞれの思わくを抱え、入り交じっていく。石光は革命指導者のムーヒンとも何度か直接会い、互いにその人物を認め合い、最後の別れ際にはムーヒンから記念にステッキを贈られる。敵対者である人物に丸腰で面会を求め、肚を割って交渉する。このあたりの呼吸は、さすがに明治元年に生まれ、子どもの頃に熊本神風連の乱や西南戦争を目の当たりしてきた人だと感じる。「小人物」ばかりとなってしまった現代には、このような肝のすわった対応は無理だ。

革命勢力、反革命勢力が一触即発で対峙する緊張が続く中、石光は日本陸軍の支援を要請し続ける。しかし、シベリア出兵が決まるまで本腰を入れて介入する気がない軍部は、基本方針通り継続せよとしか返答しない。日本人会の中には石光への不満や不信が一方にうずまき、協力と理解が期待できなくなっていく。そしてついに武力衝突が起きる。革命勢力が市を征圧し、反革命勢力と日本人は着のみ着のままで氷結したアムール川を中国領へと歩いて逃げる。その後、各国のシベリア出兵に伴いブラゴベシチェンスクの市政も一時反革命勢力が取り戻すのだが、財政危機を乗り越える方策がなく、かつて歓呼とともに市長に返り咲いた人物も市民から見放され亡命する。出兵した日本軍に市政を支援する意思がなく、そもそもシベリア出兵に確固とした方針がなかったことが導いた結果であった。失意の石光は日本に戻ることを決意する。

ロシア革命からシベリア出兵時期のシベリア、アムール州で自らが激動の渦中で一つの極となりながら革命の進展を目撃してきた人物の貴重な記録である。以前、ウィリアム・シャイラーの『ベルリン日記』を読んだ時にも感じたことだったが、歴史的な事件の渦中にいる当人たちにとっては、それが歴史的な事件であると意識されないのだろうなと思った。目の前にある瞬間瞬間に対応しているときに、それが歴史のひとこまであると俯瞰することは難しいのだろう。それは我々にしても同じだ。東日本大震災が起き、福島の原発事故が起き、共謀罪が成立した日本に我々は暮らしている。何十年か、何百年か後にどのような歴史として記述されることか。

悠久な時の流れと流星のような人の生の短さに、呆然とし、たじろいでしまう。

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