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2016年7月 7日 (木)

帰ってくるところ

朝のNHKドラマで、ヒロインが独立して出版社を起こそうと退職願を出す場面を観ていたら、思いがけないひと言が耳に残ってしまった。

勤めている小さな出版社の社長の、「失敗したら、またここに帰ってくればいい」というセリフである。このごろトンと聞いたことがないひと言であり、なんと温かい言葉であることかと思った。敗戦後の混乱期、世の中全体がその日その日を生きていくのに精一杯で、余裕なんてかけらもないように思われた時代でも、そのような寛容さがちゃんとあったのだ。

翻って、これが現代を舞台としたドラマだったらどうなるのだろう。「失敗しても、ここに帰ってくる場所はないよ」とでもなるのではないか。自己責任という言葉が有効であるのは、失敗してもまたやり直せる安全網が完備されている場合のみだと思うのだが、転落したらもうそれでお終い、次はないという社会では、失敗することが怖くて転げ落ちないように必死で今いるところにしがみつくしかない。自己責任という言葉は、本来社会が果たさなければならない安全網整備の責任から逃れるための言い訳にしか響かない。

「また帰ってくればいい」とは、なんとありがたい言葉だろう。こういう寛容さが、かつての社会には確かにあったのだと思う。社会にも個人にも、ちゃんと包摂性があった時代。それがどんどん失われ、気がつくと、はじかれてむき出しのまま世の中の荒波に投げ出された個人が、ぽつんぽつんと波間に見えかくれする。そうしていつの間に海の底へと沈んでしまっても、誰も関心を持たない。いつ自分もそうなるかもしれないと恐れを抱きながら日々を送っているだけだ。

かつてのような包摂性を備えた社会を再びつくるということは、おそらく難しいのだろう。けれども「一億総活躍社会」なんていううそ寒いかけ声ではなく、「またここに帰ってくればいい」と言えるような関係性を少しずつでも作っていくことのほうが大事なんじゃないだろうか。

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