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2016年6月12日 (日)

時代が違っていたら

生まれる時代を人は選ぶことができない。否応なしに生まれ落ちた時代の風に吹かれ、人は時代の空気を吸い込む。時代が違っていたら、たぶん私も同じように感じ、同じような道を選んだかもしれない。昭和維新期の青年たちの心情や行動を記述した文章を読み続けていると、それほど遠いところに立っている人たちではないという気がしてくる。

例えば、五・一五事件を引き起こした海軍青年将校や二・二六事件の陸軍青年将校たち。あの時代に生まれて、海軍兵学校や陸軍士官学校に入り下級将校となったら、おそらく私も同じように決起したのではないか、と思ってしまう。

五・一五事件は「話せば分かる」と言った犬養毅首相を「問答無用」と射殺した事件である。犬飼首相を暗殺しても社会そのものの変革に直結するわけではない。にもかかわらず彼らは、国家改造のためにはそれが必要なのだと確信して事件を引き起こしている。無抵抗の老人を若い軍人たちが集団で襲撃した。客観的に見ればそういう事件であり、その点で卑怯といえば卑怯な振る舞いである。大隈重信に爆裂弾を投げつけて暗殺を確信し、その直後自ら命を絶った玄洋社の来島恒喜のような暗殺者の倫理みたいなものを感じさせない事件でもある。

しかし、彼らの目に映っていたのは、選挙で票を買収することが当たり前の腐敗した政党政治と金権により政治に影響力を行使する財閥、それと対照的に昭和恐慌に苦しむ大衆の姿である。犬養毅首相自身の姿ではなく、腐敗した政党政治の姿をその上に重ねて見ていたということになるのだろう。だからといって暗殺が正当化されるわけではないが。

ただ、あの時代に生を受けていたら、同じように行動したのではないか。どうしてもそういう感じがぬぐえない。戦後の民主化された世の中しか知らず、戦前の軍人というと狂信的なファシストか軍国主義者しかいないように思ってしまうが、二・二六事件の陸軍青年将校の一人である村中孝次にしても、その青年将校に影響を与えた西田税にしても文人的素養にあふれた人間である。戦後に生まれていたら、おそらく芸術か学問の分野をめざしたのではないかと思われる人びとだ。決して軍国主義の生んだ怪物というわけではない。

だから、彼らが現代に現代的な姿で生きていても不思議ではないように、われわれがあの時代に生まれれば、あの時代の青年の姿で生きていた可能性だってあるのだ。戦前の軍国主義的なものを全て封印し、「墨塗り」をして、無かったことにしてしまったのが占領下の戦後社会である。戦前的なものを自分たちとは無関係なものとして切り離してしまったわけだが、無関係だとした時点で道を間違えたのではないか。それよりも戦前的なものに徹底して向き合うべきだったのではないか、その中から残すべきものと捨てるべきものを見きわめて戦後の社会を再構築すべきだったのではないか。

戦前の社会は一部の軍人と国家主義の右翼勢力が破滅へと導いたのであり、自分達はその犠牲者だ。ということにするのが一番楽である。悪いのは彼らであり、われわれはだまされていた。本当は誰も戦争など望んでいなかった。そのように言うことは簡単である。しかし、満州事変が起きると満州は日本の生命線だと肯定し、アメリカと開戦するといよいよ欧米の勢力から亜細亜を解放する戦いが始まったのだと喜んだのは、同じ当人たちなのではないか。竹内好は十二月八日の日米開戦の報に接したとき、これで亜細亜解放の戦いが始まるのだと、日中戦争に対して持っていた後ろめたさのようなものが払拭されるのを感じた。同じように感じた人も多くいたはずなのだ。しかし、戦後になってもその事実からしっかりと目をそらすことなく向き合った人が少なかったということなのだろう。

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