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2016年5月24日 (火)

ジャズと落語

昨日の話の続きみたいになるが、古典的な参照点が厳然として確立されているという点でジャズも落語も「今」を感じさせる演奏や口演が難しいジャンルだと思う。

スタンダードなものが具体的な形で存在しているのだから、たえず過去の偉大な参照点との比較をまぬがれない。技術的に完璧になったとしても、すでにそのジャンルの可能性が究め尽くされ、これ以上何もつけ加えるものがないのではないかと思われるような地点に立たされているというのは、きつい。

たとえばアルトならチャーリー・パーカー、テナーならジョン・コルトレーン、トランペットならマイルス・デイヴィスみたいに参照点となる巨匠たちは演奏の可能性をとことん探究し尽くしているように思われる。やっぱり、パーカーみたいには吹けないよなあ、とか。マイルスのトランペットが何といっても最高だわ、やはり、とか。コルトレーンのフリージャズっぽい演奏も捨てがたいよね、とか。

落語だってそうだ。「明烏」なら八代目桂文楽で聴きたいし、「火焔太鼓」は何といっても五代目古今亭志ん生に限るし、「真景累ヶ淵」とか「ちきり伊勢屋」みたいな長い噺は六代目三遊亭圓生ですよ、あなた。という具合に、いつでも最高峰の参照点がそびえている。

こういった参照点を前に途方にくれない演者がいるだろうか。それでも、今現在の演者は今の音を出し、今の噺を演じるしかない。その場合にできることはどういうものなのだろう。

一つは他ジャンルとの融合が考えられる。しかし、それはあくまで傍系的なものにしかならないのではないかという気がする。クラシックとジャズの融合、ロックとジャズの融合、ラテンとジャズの融合などなどさまざまな試みがなされてきたし、ボサノバとジャズの融合などは個人的に大好きな演奏が多い。ではあるものの、それでもやはり主流ではない。ちょっと目先の変わった演奏で気分転換にはなるけれど、毎度毎度これを聴きたいわけじゃないよね、となる。

そうなると、単なる融合ではなくジャズイディオムによる再解釈とか吸収、消化という方向になるのかもしれない。エッセンスだけ取り込む。それをジャズの側から最大限に活かす。どう聴いてもジャズでしかないのだが、要素として様々な他ジャンルの音楽が埋め込まれている、あるいは溶け込んでいるという状態あたりだろうか。

落語なら立川志の輔の「志の輔らくご」が、一つの方向ではないか。「志の輔らくご」は新作と古典の再解釈の二本立てである。新作は文字通り新たに創り出されたオリジナルの落語である。現代のある一面から切り出された素材が笑いを呼び出し、同時にそこで明るみに出されたものに少し考えさせられる。あるときはユルキャラ・ブームを取り上げ軽妙な噺に仕上げ、またある時は誰かと会話しながらもスマホの画面から顔を上げない若者を登場人物にし、笑いを誘いながらも、これでいいんだろうかねえとふと思わせる。

もう一つの古典の再解釈のほうが実は重要である。古典落語とて最初に高座にかけられたときは「新作」落語だったはずで、明治の三遊亭圓朝作の人情噺なども「新作」として生まれて古典として残ってきたものだろう。そう考えると、確かに「志の輔らくご」の新作は楽しいしハッとさせられるものも多いのだが、立川志の輔以外の落語家にも演じられていかなければ、古典となっていかない。つまり一代限りの噺という可能性だってあるということだ。

それからすると、古典の再解釈は対象が古典落語なのだから、これ以上評価が変動しない安定した素材である。そこにどう現代的な意義を見出すかということになる。ちょんまげの人はお相撲さんくらいしかおらず、遊郭もないし、火鉢って何?蚊帳って何?の世界で、古典落語の巨匠たちの口演をそのまま再現しても、理解されない。ならば、マクラに振るしかないではないか。立川志の輔のマクラはその時々の話題から入り、本編の古典落語の世界でキーとなる部分についての予備的知識が展開される。これがあるから、まったく初めてその古典を耳にする人でもすんなりと噺の世界に入ることができる。

ジャズも落語も古典芸術だということに話が尽きてしまいそうだ。古典音楽であるクラシックが「革命的」に新しくなりようがないのと同様に、ジャズも落語も古典として完成してしまったジャンルなのだ。だから、その枠組みを「革命的」に変えるのではなく、現代的な意義を見出すという方向が本筋ということになる。そういう意味でジャズも落語も、きわめて保守的なものだ。年寄りの愛好するジャンルである。それで何らかまわない。そこに盛り込まれた現代的な意義に興味を覚える人がいれば、この先も廃れることはないだろうし、そうでなければ衰退していくだろう。でも、それはそれでいいんじゃないだろうか。

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