« いま私たちの立っているところ | トップページ | あれもこれも »

2016年5月18日 (水)

時代の替わり目

昭和初期の歴史を学び直していると、どこで世の中の空気が変わってしまったのだろうと考えさせられる。この間記事にしたように、大正末から昭和六年の満州事変前までは軍部に対する風当たりが強く、軍人が肩身の狭い思いをした時期だった。それが、満州事変の勃発から変化していく。

満州事変後の大きな替わり目は、天皇機関説排撃事件とその中で出された国体明徴声明だろう。「統治権は国家にあり、天皇はその最高機関として統治する」という美濃部達吉の天皇機関説は、国家公認の憲法学説であり昭和天皇も機関説でなんら問題ないとしていたものだ。この機関説を軍部・右翼が排撃する中で、政友会も加わり国体明徴運動が政治利用されていく。機関説排撃は在郷軍人会を中心に全国展開され、岡田内閣は昭和十年に二度に渡って「国体明徴声明」を出す。

第一次の声明では、「機関説が国体の本義に反するもの」という文言にとどまっていた。それが、第二次の声明になると、「機関説は取り除かれるべきものである」として、帝国憲法のもとにおける立憲主義の統治理念が公然と否定されることになった。「合法無血のクーデター」とも言われるゆえんである。

「国体」という言葉は現代ではわかりにくい。おそらく「国民体育大会」の略語としての「国体」しか思い浮かべないだろう。wikipediaに載る定義では「天皇を中心とした秩序(政体)」とあるが、本来は「国がら」とか「国のあり方」くらいの意味しか持たなかったものが、「天皇を中心とした秩序(政体)」という意味に固定化していったのだろう。だから、「国体の本義に反する」というのは「天皇を中心とした秩序(政体)の本義に反する」ということになる。

この天皇機関説排撃事件と国体明徴声明のあった昭和十年が、時代の大きな替わり目なのではないかと思う。翌昭和十一年に二・二六事件、昭和十二年に日中戦争勃発。そして昭和十六年に太平洋戦争開始。機関説を巡る国体明徴運動を通じて軍部が政治の主導権を握り、戦時体制へと国内を引きずっていくことになった。

しかし、その当時の社会に生きていた人々は、それほど重大なことだとは受け止めていなかったのではないか。国体明徴声明が持つ政治的な意味など、一般大衆には無縁の話であり、それよりも景気が悪かったり暮らしが大変だという日々の問題のほうがはるかに大事だったろう。

時代をある方向に引きずっていきたい人々にとって、この一般大衆の政治的無関心は最大の味方となる。とんでもないことになると誰も思わなければ、それに抵抗しようとする勢力も生まれないし、密かに進めていることに関心が向けられることもない。もう引き返せないところまで連れてこられてしまったと気づいても、どうしようもない。

|

« いま私たちの立っているところ | トップページ | あれもこれも »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時代の替わり目:

« いま私たちの立っているところ | トップページ | あれもこれも »