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2016年5月12日 (木)

近現代史の学び直し・その後

去年のいまごろから延々、というかだらだらと近現代史の学び直しを続けている。そもそも何がきっかけで始めたのか、よく覚えていないのだが一年前の「近現代史の学び直し」という記事を読み返すと、亜細亜主義者の幾人かに興味をもったことからのようだ。

まだまだ学び直しの途上で、学び直しというより新しく学ぶことや認識することのほうが多い。その中で、いかに大雑把な印象しか持っていなかったか思い知らさせることがしばしばだ。そうだったのかと特に意外に思ったのが、大正末から昭和初期の社会の風潮である。昭和初期といえば、満州事変や五・一五事件あるいは二・二六事件に代表される軍部の台頭というイメージしかなかった。軍国主義・全体主義一色のきわめて不自由な空気感の中で人々が日常を送っていたのだろうな、ぐらいの感触である。

ところが実際は違っていたようだ。特に第一次大戦後の大正末から満州事変の起きる昭和六年ころまでの十年は、外交では幣原喜重郎の国際協調外交、国内的には第二次護憲運動に代表される大正デモクラシーの流れの中にあり、社会の風潮は軍国主義や全体主義的なものではなかった。軍人に対する風当たりも強く、軍服を着た軍人が電車の中で乗客からあれこれ文句を言われて肩身の狭い思いをすることもあったという記述を読んだりすると、「えっ、そうだったの?」と驚いてしまう。国粋主義的な政党が選挙で候補者を立てても当選する方が稀であったようで、一般大衆はそういう勢力を支持していたわけではなかったのだとわかる。

その社会の空気感が変わるのが1931年(昭和6年)に起きた満州事変である。「満蒙問題」とか「満州問題」と呼ばれていた問題を解決するため、国外では満州事変、国内では国家改造を同時に進める。これが軍部とそれに結びついた国家主義者たちの意図していたことであった。

「満蒙問題」とは、日露戦争後獲得した満州・内蒙古をめぐる日本の利権ないしは勢力圏に関する問題である。1920年代の後半から、それまで列強諸国にあたえていた諸権益を回収する国権回復運動が中国でおこった。日本がロシアから引き継いだ満蒙での権益も、ロシアと清国との間で決められていた25年という期限が迫っており、二十一ヶ条の要求で99年までの延長を押しつけていたものの、国際的な正当性は認められなかった。この中国側の権益回収の中には、南満州鉄道の買い戻しも含まれる。元々のロシアとの条約に「売り戻し」の条項があり、おそらくロシアは25年の条約期限後に満州鉄道を高く売るつもりでいたのだろう。この条項を逆手に取り、アメリカからの借款で南満州鉄道を買い取るという考えが中国政府にあったようだ。

これを一気に解決する策として満州の領有という案が陸軍の中に生まれる。明治以来の陸軍の大陸進出志向からすれば、ごく自然な発想だろう。と同時に、第一次大戦後に強く意識され始めた総力戦体制を確立するため、国家改造が必要だともされた。現行の内閣を倒し軍部首脳を首班とする国家改造内閣を成立させ、そのもとで総力戦にむけた総動員体制を作ること。それが急務だと軍部に強く認識される。こうした動きに民間の国家主義者たちが結びついて、三月事件、十月事件、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件が起こされていく。

「満州事変」「満州国成立」「国際連盟脱退」という流れの中、民衆の意識は軍部支持へと振れていく。この意識の底に何があるのか。現代のわれわれには実感できないのだが、日露戦争で日本の兵士が9万人弱戦没しているということが大きかったようだ。満州の地は、日本人兵士の血によって獲得されたものだという意識。これが当時の民衆の意識の根底に共通項として横たわっている。それゆえ「侵略」という意識より、当然の「権利」だという意識のほうが強かったのだろう。日露戦争から二十年ほどしか経っていない時代なのだ。戦死した家族や親戚が身近にいて、従軍した人々も存命だったはずだ。こうした人々の意識が国家主義的な流れに束ねられていくのは、そう無理な話ではなかったのかもしれない。

こうして見ていくと、国際協調ではなく対立と、権益の保護(今なら国益の擁護とでも言うのだろうか)が対外侵略の正当化に利用されているのがわかる。国際協調みたいな手間のかかるぬるいやり方より、敵と味方をはっきりさせて対立を煽り、実力行使で手早く解決したほうがすっきりする、と考える人が多くなると、今の時代でも同じような流れは生まれてくるのではないか。手間のかかるぬるいやり方にこそ、力による衝突を避ける歴史の智慧が含まれていると思うのだが。

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