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2016年5月25日 (水)

何十年ぶりの『ノルウェイの森』だろう

ふと思い立って村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでいる。1987年に書店にならんだときにすぐに買って読んだ記憶がある。かれこれ三十年ほど前の話だ。たしか、それから数年してもう一度読み返したような気がするので、二十数年ぶりの再読ということになる。

さすがに話の大筋は覚えている。しかし、細部はかなり忘れている。最初に読んだときも二回目に読んだときも、おそらく先へ先へと急ぐようにして読んでいたのだろう。「僕」の寮での同居人である「突撃隊」というあだ名の学生や、その寮の中庭で毎朝行われる国旗掲揚の描写など印象に残っている部分はそのままだが、「緑」の実家である「小林書店」での最初の場面など、まるで印象が違う。私は一体何を読んでいたのだろうと思うくらい、記憶していたものと違っている。これでは、まるで角田光代の『旅する本』みたいではないか。

それにしても、読み始めるとやはり止められなくなる。「村上春樹全作品1979~1989」に収められている一巻本で読んでいるので、まだ結構な分量が残っているようにも思えるが、上下に分冊され赤と緑の印象的なカバーのオリジナルだと、上巻の残りが少なくなってきたかなというあたりだろう。

物語の舞台が1968年から69年が中心だったのだなあ、と改めて気づく。これは以前初期三部作について書いたときに気がついていたことではあったのだが、『ノルウェイの森』の直子と「僕」の物語も、いわゆる70年安保闘争の時代を背景としている。「僕」は学生運動の闘士ではない。ノンポリであるが、バリケード封鎖が機動隊によって実力で解かれると、全学ストが解除されていないのに平然と授業に復帰する活動家の連中に違和感を覚えている。だから、嫌がらせのように出席が取られるときにわざと返事をしない。返事をしないことで、何もなかったように授業に戻った活動家たちに居心地の悪い思いをさせている。こういう場面はすっかり記憶から抜け落ちている。

今読んでいる部分の先も、おそらく相当違った印象を持つのかもしれない。それはそれで面白い。いろいろと新たに思うところなど、また後でまとめてみようかと思う。

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