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2016年4月13日 (水)

桜の季節

私が住む北上市にある桜の名所、展勝地も開花したらしい。例年より八日早いということで、このままいくと、ゴールデンウィーク前にすっかり散ってしまうかもしれない。

自生する山桜は群生しない、という話をどこかで目にしたことがある。だから桜の名所と呼ばれるところは、みな人の手で作られたところなのだそうだ。ソメイヨシノという品種そのものが人工的な種で、別の台木に接ぎ木するような仕方で殖やされる。全国にあるソメイヨシノは同じ一本の木から分けられたものだ聞いたときには驚いた。北から南まで全国津々浦々に桜の名所はあるだろうし、学校の敷地には、たいてい校庭を囲むように桜の木が植えられていたりするが、おそらくほとんどがソメイヨシノだろう。それがすべて同じ一本の木から殖やされたものだとは。

桜を植えて並木にしたり川べりを彩ろうと誰かが最初に思った。それに賛同する人が現われ、話が盛り上がり、あるいは盛り上がりはしなくても着実に事業が始まる。最初のうちは頼りない若木だったものが十年、二十年と年輪を重ねて立派な桜の木に成長する。それが今ある桜の名所になって残っているものなのだろう。

よく知られた桜の名所でなくても、自分の住んでいる近くには小さな「桜の名所」があちこち見つかる。これも同じように誰かが始めたものだ。近所でも神社へと続く通りの片側に桜の並木があって、毎年この季節には花を咲かせていた。しかしいつの年からか花をつけなくなり、朽木になりつつあった。人や車の往来がある場所なので、市役所に頼んで伐採してもらい、今では切り株がわずかに痕跡をとどめているばかりだ。

最初に植えた人(たち)は、たぶん善意から桜並木を作ったのだろう。春になれば花を楽しめるし、夏には日除けにもなる。神社の参道までまっすぐに続く道だから、なにより殺風景でなくなるのが一番だったのかもしれない。そのころは今のような車社会ではなかったろうし、道そのものも舗装などされていなかった。私が小学生の頃は、砂利道だった。だから、今のような世の中になり、暮らしぶりもすっかり変わってしまい、誰もが車で出かけるようになるなどと想像しなかったとしても無理はない。

善意から始めたことでも、それが時代と合わなくなったり、あるいは明らかに危険や害悪をもたらすようになったら、続けていくことを見直すことが必要だ。最初に始めた人が、こうなったら片付けてしまっていいと明言しておいてくれれば、後の人は楽だが、そうなっていないもののほうが多いのではないか。始めるときに終わりを考えておくことは、難しい。そうではあるが大事なことなのではないだろうか。

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