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2015年11月 5日 (木)

読書メモ・11月

相変わらず、松本健一を読み続けている。北上と水沢の図書館で所蔵しているもので残すところは少なくなった。ただ、松本健一は著作が多いので、両方の図書館にある分を合わせても、全著作の半分くらいかもしれない。前回書いた後に読んだのは、以下の通り。

『蓮田善明 日本伝説』
『出口王仁三郎 屹立するカリスマ』
『地の記憶をあるく』
『三島由紀夫亡命伝説』
『われに万古の心あり──幕末藩士小林虎三郎』
『白旗伝説』
『どぐら綺譚』

水沢の図書館で残っているのは、『石川啄木』(近代日本詩人選、筑摩書房)くらいだが、これは本館ではなく衣川セミナーハウスにある本なので、借り出しの予約を入れた。北上のほうでは、五巻ある『評伝 北一輝』を借り出そうと思っている。あとは江刺の図書館に何冊かあるものを読み、文庫本で入手予定の『秋月悌次郎 老日本の面影』『竹内好「日本のアジア主義」精読」』を読んで一段落のつもり。

いくつになっても新しく知ることや学ぶことは多いものだと実感する。それまで源氏の旗印という意味しか持たなかった「白旗」に、降伏の意味があるのだと教えたのは、幕末のペリーの砲艦外交だったということ。「白系ロシア人」というのは、白人種のロシア人の意味ではなく、ロシア革命の「赤系ロシア」に反対する、またはそこからのがれた人達だから「白系」なのだということ。これまでまったく知らずに過ごしてきた事柄や、間違って覚えてきた事柄が山ほどあるのだろうなと改めて思う、

人生の折り返し地点をとうに過ぎているのに、今さら何か学んでもという気もする。しかし、だからこそ意味があるという考え方もできる。歳をとると失うものばかりが増えていくが、それでもまだ何か新しく得ることはできる。それがなにかの役に立つとか、有益な稔りをもたらすということがなくても、知ることや学ぶこと自体に意義があるということだ。六十の手習い、七十の新入生、八十の新人、そんなふうに考えればまだまだ学ぶことは多い。

今年は『枕草子』の語彙を中心に古語の学び直しをしようかと思っていたけれども、結局、近代史の学び直しというテーマにいつの間にか変わっていた。まあ、それはそれでいい。いつものことだと笑いとばせばよい。このテーマに関連して読むものは大量にあるので、これから何年か継続して学んでいくことになるのだろう。独学にはマイナス面も多いが、自分のペースで自分の方法で進められ、飽きたら休めばいいという気楽さもある。継続していく動機付けが難しいのは確かだが、いつまでに成果を出せと迫られるものでもないので、ノロノロと歩いていられる。非効率ではあるけれども非生産的ではない。学ぶことは生きることの同義語だと思えばよい。

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