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2015年8月18日 (火)

竹内好が抱いていた不安

竹内好が1972年の日中共同声明に接して書いた「前事不忘、後事之師」という一文がある。(『日本と中国のあいだ』、文藝春秋、1973年所載)冒頭、竹内は共同声明の前文を引く。

「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」

竹内はこの前文の「反省」という文言を問題とする。反省は、良心の問題であり道徳の領域に属することであり、法の領域ではない。しかし、この一句が将来ますます意味が深まるように思う、とまず述べる。さらに竹内は、本当は日本政府はこの一句を文言に盛込むことを、なんとか回避したいと願ったのではないかと想像する。そしてそれを声明の眼目にしたのは中国側にちがいないとする。ただしそれは中国側が一方的に押しつけたわけではなく、賠償請求権の放棄の宣言を代償として盛込んだのだという。

つまり相手に反省を求めることと、みずから賠償請求権を放棄することとは二にして一であり、そこには外交を道義の基礎の上におこうとする中国の外交姿勢が見られると竹内は述べる。

だが、この「反省」という一語の重みが日本側によく分かっていないのではないか、少なくとも中国側の意図とはズレがあるのではないかという不安が示される。それは北京到着の日の宴会で、周恩来総理のあいさつに答えた田中角栄首相のあいさつの中にも表れているという。田中首相のあいさつの一部は次のようなものである。

「…しかるに、過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら、不幸な経緯を辿ってまいりました。この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります。第二次大戦後においても、なお不正常かつ不自然な状態が続いたことは、歴史的事実としてこれを率直に認めざるを得ません。
 しかしながら、われわれは過去の暗い袋小路にいつまでも沈淪することはできません。私は今こそ日中両国の指導者が、明日のために話合うことが重要であると考えます。」

この田中角栄首相のあいさつに対応する周恩来総理のあいさつは以下の通りである。

「…しかし、1894年から半世紀にわたって、日本軍国主義の中国侵略により、中国人民はきわめてひどい災難をこうむり、日本人民も大きな損害を受けました。前の事を忘れることなく、後の戒めとするといいますが、われわれはこのような経験と教訓をしっかり銘記しておかなければなりません。」

この両首脳のあいさつの相違点を竹内好は次のようにまとめる。

「ここで問題にしたいのは、未来のために過去を忘れるな、という中国側の見解に対して、日本側は、過去を切捨てて「明日のために話合う」ことを提唱している相違点である。(中略)
 過去を問わぬ、過去を水に流す、といった日本人にかなり普遍的な和解の習俗なり思考習性なりは、それなりの存在理由があり、一種の民族的美徳といえないこともない。(中略)漢民族は、伝統的に記録を生命よりも大切にする民族である。たとい自分に不利なものでも、後世の史家の判定にゆだねるために記録を保存する習性がある。われらミソギ族とは正反対なのだ。「前事不忘、後事之師」である。この相違点を主観だけで飛びこえてしまうと、対等の友好は成立たない。」

さらに竹内は共同声明の意義を次のように述べる。

「国交正常化が「両国人民の願望」であり「両国人民の利益に合致する」ということの強調、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」のが「両国人民の友好のため」に放棄するのだという宣言、すべて中国側のイニシアチブが文面ににじみ出ている。
 それだけに、最初に引用した「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国人民に重大な損害を与えたことについて責任を痛感し、深く反省する」という一項が、共同声明のかなめとして、千鈞の重みをもって迫ってくる。「責任を痛感し、深く反省する」ことの実行を中国側は見守っている。それを実行するかしないかが、この共同声明の有効性を保証する鍵だともいえる。もしこれが空言におわるならば、共同声明の全体が瓦解することになる。」

この43年前の日中共同声明で国交が回復され、友好のしるしとして上野動物園にパンダが贈られた。パンダを一目見ようと大勢の人が上野動物園に押しかけ列をなした。そういうニュース映像の記憶がある。しかし、日中共同声明に盛り込まれていた「反省」という文言の重みには、どれだけの日本人が気づいていたのだろう。

竹内好の一文は「朝日ジャーナル」1972年12月29日号に載ったものだから、相当数の目に触れていることと思う。けれども竹内が抱いた不安を深刻なものとして受け取った人がどの程度いたのか。その後の日中間のぎくしゃくとした関係、特に閣僚の靖国神社参拝問題や歴史認識の問題を巡る問題を目にすると、少なくとも自民党の政治家の方々には、「反省」という語の重みが分かっていないのではないかと思わざるを得ない。

「反省」して頭を下げたんだから、もう昔のことは水に流してもらってもいいではないか。日中共同声明を出した時点でミソギは終わっている。過去よりも明日に目を向けた建設的な議論をしたい。おそらくはそのような意識なのではないか。

しかし、竹内好が言うように、中国側が見守ってきたのは、「反省」を実行するかしないかなのだ。いつまで経っても実行が伴わず、かえって「反省」を裏切るような行動や発言が繰返されると不信感しかつのらないだろう。それゆえに「反省」という文言をめぐる意識のズレは大きな問題だ。

これは想像でしかないが、中国政府が政府に対する不満をそらすため反日愛国教育を推し進めた時期があったのは、一向に実行されない「反省」に対する苛立ちが根底にあったからなのではないか。

「反省」を口にしていながら実行が伴わないのであれば、放棄した戦争賠償請求の中身に見合うだけのものを日本側に要求するしかない。そういう意識が中国側に生まれても不思議ではない。

戦後70年談話の中で、安倍総理は「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と述べているが、43年前の日中共同声明の時点まで時間を巻き戻せば、「反省」の実行をしてこなかった、少なくとも実行してきたと受け取られなかった日本側の姿勢が根本的に変わらない限り、いつまで経っても謝罪を求められるのではないかという気がしてならない。

「反省」した以上、その実行が求められる。この基本的な認識の違いは、広く知られなければなるまい。「ごめんなさい」で許されてしまう文化の中に生きていると、「ごめんなさい」と認めたのだから当然それに対する償いをしたり、罰を受けたりしなければならないという文化に違和感を持つ。けれども、それはお互いさまなわけで、「反省」や「謝罪」をしながら口先だけで何もしない人間は信用できないと思う文化も一方にあるのだ。相互理解より相互誤解からしか異文化の交流は進まないのかもしれない。

自国の文化だけが優れているのだという自国中心主義は感情的な反発や狂信的な排外主義につながりやすい。文化は相対的なものであり、それに優劣はつけられない。そういう相対主義に立つより他にまともな立場はないのではないか。

竹内好の「前事不忘、後事之師」という一文は、この先もしばらく有効性を失わずに持ち続けるのではないかという気がする。

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