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2015年5月13日 (水)

近現代史の学び直し

歴史の授業で一番おろそかになっているのは、たぶん近現代史なのだろう。日本史でも世界史でも時代順に授業が進んできて近現代史以降になると、消化する時間が足りなくなり、駆け足で一気に授業を終わらせてしまう。その結果、歴史的な理解を欠き、今の日本の社会がなぜこのような形になっているのか分からないという状態に陥る。

幕末から維新期にかけての開国期、急速な近代化を遂げる中で何が実現され何が実現されなかったのか。なぜ、帝国主義へと向かい、アジアの諸地域に植民地を獲得しさらに膨張していこうとしていたのか。なぜ、第二次大戦で敗戦国になりながら、その後の社会の在り方がドイツと日本では、これほど異なるのか。そもそも日本は本当に近代的な市民社会が成立しているのか。

こういう疑問は、近現代史を学ばなければ、うまく解消されない。特にアジアとの関係を学び直すことは重要なのではないか。ヘイトスピーチに見られるような極端な民族差別的思考は、歴史をきちんと学んでいないことから来ているように思う。

また、一国の首相が、改憲構想を巡る発言の中で「立憲主義」を理解していないことを露呈したり、逆に改憲そのものが絶対にしてはならないことのように思い込んだりしている人がいるのも、近現代史を含めた歴史的なものへの認識が不十分だからなのではないか。憲法改正が、改悪か、一字一句も変更を許さない護憲かという選択肢しかないのは実はおかしい。よく改める、という立場があるはずなのに、それを政策上のポイントにしている政党が現れない。

そもそも憲法は国民が制定会議を自分達で開き、出来上がった憲法によって権力を縛っていくものだ。それが「立憲主義」の本義であるはずなのだが、そしてまたその本義からすれば、憲法は絶対的なものではなく修正可能なものであり、修正を入れることによって国民がより権力に対して縛りをかけていくということができるものであるはずだ。

といったような近代的な市民の常識に相当するものが、全く常識になっていない。それも近現代史を学ぶ時間が薄くなっているからではないだろうか。

だからどうこうしろ、という話ではなく、明治維新から第二次大戦敗戦くらいまでの近現代史を見なおしてみるのは面白そうだ、と思っているという個人的な話だ。特に亜細亜主義を掲げていた人々の著作に目を通してみると、興味深い内容が多い。亜細亜主義者というと、日本の軍国主義化と侵略戦争への理論的支柱となった極右の人々というイメージしかなかった。それゆえ、最初から、読んでみようという気持ちにすらならなかったのだが、実は極右というステレオタイプで片付けてしまえるほど単純な人々ばかりではないようだ。

たとえば、東京裁判で民間人として唯一A級戦犯として起訴された大川周明の著作を読んでみると、「狂信的」な国家主義者のイメージと少し違う側面が見られる。大川周明が書いた『頭山満と近代日本』という一文など興味深い。玄洋社という福岡の国粋主義者の団体を実質的に主宰した頭山満の評伝とでもいうべき文章なのだが、主義の中身は置くとして、明治の青年の波乱万丈の一代記でなかなか面白い。特に自由民権運動との関わりなど興味深い話題もあった。たとえば、板垣退助らの自由民権運動が民撰議院論(国会開設を求める)と征韓論の立場であり、大隈重信らが民撰議院論は取るが非征韓論の立場であり、政府は民撰議院論にも征韓論にも反対する立場だったという指摘など、教えられるところが多かった。これまで板垣の自由党と大隈の立憲改進党の違いについて、フランス流の急進主義とイギリス流の穏健主義の違い程度の認識しかしていなかった。征韓論についての立場を入れてみると、国威宣揚のために征韓すべきという自由党と内政を充実させて国権を拡張しようという改進党の立場は、確かに相容れない。そういえば、板垣退助は西郷隆盛らとともに征韓論に敗れて政府を去ったのだったなあと改めて思い出した。

こうした例ばかりではないが、あれこれ読み込みたい話題が多いのは確かだ。なんとなく右傾化しているように感じる現在だからこそ、戦前の右翼本流の亜細亜主義者を読んでみることには意味があるのではないか。つまり、亜細亜主義者の主張してきた所を批判的に捉え直してみない限り、それを乗り越えることはできないのではないか。戦後の民主化教育の中で、こうした戦前の亜細亜主義者の主張は危険な国家主義、国粋主義につながるものとしてタブー視されてきた。だから、読まずに「危険物」「取扱注意」のレッテルを貼ってお終いにしてきたのだと思う。しかし、こういう思想的背景があり、こういう精神的支柱があって具体的な個々の事件や出来事があったのだと把握することこそ、歴史から学ぶことの意味なのではないだろうか。

今の時代に大川周明や北一輝や石原莞爾(興味深いことにこの三者とも熱心な法華経信者だ)を読んでいるなどというと、危険な国家主義の極右だと思われかねないが、戦前の国家主義や国粋主義を危険だと思うからこそ、その中身を理解しておく必要があると思う。

というわけで、だらだらと長くなってしまったが、要は亜細亜主義者を通して日本の近現代史を学び直してみようかと思っているというだけの話である。

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