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2015年5月12日 (火)

通ってきた道

何十年も過ぎてしまうと、自分にもそういう時期があったのだということすら意識に上らなくなる。

中学生を見ていて、なんだか歯がゆいなあとか、もう少し自分のことなんだからきちんと取り組んでほしいものだとか思ったりする。けれども、そういう自分は同じくらいの年頃どうだったのか。きちんと取り組んでいたと言えるのか。あまり大きなことは言えないような気がしてきた。

勉強に関して思い出せるのは英語くらいだ。中学生になって一番期待していたのは、たぶん英語の授業があることだったように思う。一年生の時の英語の先生は誰だったのか思い出せないが、二年・三年の時は、部活の顧問でもあった先生で、その先生についてはずいぶん以前に記事にした。

今から考えると、英語教師としてどうだったかと言えば疑問符が浮かんでくる。まず発音が完全にジャパニーズイングリッシュであった。加えて例文の主語が、ほぼ「Mina」か「Noriko」に決まっていた。これはその先生の好きな歌手が青江三奈と淡谷のり子だからというだけの話なのだが、私たちは「またかよ」と思いながらその例文を書き写していた。授業のすすめ方そのものも、特に変わったことをしていたわけではない。ごく一般的な授業だったのではないかと思う。しかし、時々脱線して語られる経験談やエピソードは抜群に面白かった。ただし、英語に関したものではなかったと思うが。

それでも私は特に不満ではなかったし、英語という教科への期待が裏切られたとも思わなかった。むしろ、学校の勉強というのはそういうものだぐらいにしか思っていなかったのかもしれない。それよりも、ラジオでやっていた英語講座を熱心に聴いていた。今でもたぶんあるのだと思うが、NHKの第二放送で毎日三回くらい繰り返して基礎英語・続基礎英語・英語会話の放送があり、朝と夜の時間を欠かさず聴いていた。もちろん、一年生のころは続基礎英語や英語会話の放送内容は難しすぎてわからない部分の方が多かったが、それでも英語会話でレッスンのブレイクに語られるイギリスの日常生活の話題などが興味深かった。パブで飲まれているエールやスタウトというビールの種類や、日本の若葉マークに当たるものがイギリスではLマークと呼ばれるものとして存在することなどなど、そういう雑学的な話がおもしろかった。

だから、もうすっかりそういう中学生の気持ちなど忘れてしまったのだけど、今だって学校の授業がどうであれ塾の授業がどうであれ、当の中学生はそれぞれあまり気にもせず自分の勉強をしているのだろうと思う。無理にきちんとさせようと思わなくても、自分で面白いと思えば放っておいてもやる奴はやるし、そうでなかったら強制してもやらないだろう。

塾の仕事をしていて、教えたことに対する定着具合がよくないと、あれだけやらせたのにとか思ったりすることがある。けれども、勉強って、そんなに効率良く進んでいくものじゃないような気がする。行きつ戻りつしながら、あるいは同じ所をグルグル回っているように見えて、少しずつ上昇していくものなんじゃないだろうか。機械でものを作ったり、出来上がった製品を販売したりといったことみたいに、効率良く合理的にものごとが進めばよい、というわけにはいかないのだと思う。

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