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2015年3月16日 (月)

角田光代『旅する本』

去年のいつごろだったか、高校1年生の現代文教科書に載っていた角田氏の文章を、偶然読むことになった。一読して、これは小説なのだろうか、それとも随筆なのだろうかと判断に迷った。

話の筋は明快である。学生時代に古本屋に手放したある本(翻訳小説)に、旅先のネパールで再会し、入手した後また売り払う。ところがその同じ本にアイルランドの古書店で再び遭遇する。あまりの偶然に驚くが、作者はあることに気づく。それは学生時代に最初に読んだ時の印象と、ネパールで読んだ時の印象と、アイルランドで読んだ時の印象がそれぞれに相当異なるということだ。つまり作者の人生の旅とともにこの本も旅をし、作者の人生の深まりとともに本の印象も深まっていくという話である。

学生時代にその本を手放すとき、古書店の親父から「本当に売ってもいいのか」と謎のような言葉がかけられる。これが呪文のように作者の心に響いてくるさまや、同じ本との偶然の再会の様子など、現実の話としては出来過ぎていてにわかには信じがたい感じもする。作者が、同じ本であると確信できたのは裏表紙の見返しにイニシャルと花の絵が書き込んであったからだ。このエピソードにはリアリティがある。だから、随筆とみるべきなのかもしれない。だがしかし、一方で、ちょっと待てよ、小説家が素朴に経験を回想した随筆など書くはずがないではないかという疑念が浮かんでくる。随筆を装った小説ではないのか。短編小説として読んだとしても、なかなかよくできていると思う。

この虚実皮膜の間にあるところが、もしかしたらいいのかもしれない。「小説よりも奇なり」という現実があってもおかしくないし、現実にありそうな経験を虚構として描き出すことも同様だ。もしかすると、ネパールでの再会は実際にあった話で、アイルランドでの話は虚構かもしれない。つまり「話を盛った」わけだが、それによって面白い話になったのであれば、小説としてはめでたいことではないか。

といったようなあれこれを考えさせる興味深い文章である

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