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2013年10月 1日 (火)

浅田次郎『壬生義士伝』再読

しばらくぶりに『壬生義士伝』を再読してみた。以前読んだときにも、涙、涙の連続で困ってしまったが、今回もまた涙腺がゆるみっぱなしで鼻をグズグズさせながら読み通した。

いい話だなあ、それにしても。数多くの人々の語りと主人公の独白によって、吉村貫一郎という南部藩を脱藩した新撰組隊士の姿が鮮やかに浮かんでくる。

前回読んだときには、この吉村貫一郎という人物の生き方が切ないほど誠実であることに大きく心を動かされてしまった。再読してみても、その姿には激しく心を揺さぶられるが、前回読み飛ばしていた部分も多かったことに気付いた。

まず、新撰組隊士だった男を描いているのだから当たり前の話かもしれないが、他の新撰組隊士の話が同時に丁寧に語られているということ。近藤勇や土方歳三、齋藤一に沖田総司。こういった人々の姿を中心に、新撰組とはどのような存在だったのかということが、明快に描かれていく。

それから、吉村貫一郎の親友であった大野次郎右衛門の友情。南部藩の重職にあるがゆえに、非情な態度を見せなければならなかった辛さなど、主人公に匹敵するくらいの見事な生き方である。

それは息子たちについても言える。吉村貫一郎の息子嘉一郎と大野次郎右衛門の息子千秋の姿は、それぞれの父親の姿と二重映しになるような、切ない誠実さにあふれている。

幕末、維新、そして大正期までの日本の変わり様を大きな背景に置き、主人公を記憶する人々の語りは、その周囲にいた数々の人物の姿を浮かび上がらせる。この群像劇の中心に、どっしりした存在感をもって主人公は描き出されていく。

いやあ、いい話だなあ。史実では大野次郎右衛門という人物は存在せず、吉村貫一郎も剣客としてより論客として活躍したようだが、それはそれでよい。虚構の中でしか描けない真実もある。

岩手に住んでいることが一層誇らしく思えてくる。そういう小説である。

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コメント

『壬生義士伝』を読みました。
吉村貫一郎が大野次郎右衛門より切腹を命じられた後、家族との別れを回想するシーンは涙。涙でした。
今日は虚脱感に襲われています。


【学び舎主人】
金田先生、コメントありがとうございます。
いやあ、そうでしたか。この小説はいいですよね。

映画では中井貴一が、テレビでは渡辺謙が吉村貫一郎を演じています。テレビ版の方は、Youtubeだったかニコニコ動画だったかにアップされていました。小説に描かれたイメージは、中井貴一の方が近いように思いますが、これは意見の分かれるところかもしれません。

それにしても、浅田次郎さんの小説はうまいです。

投稿: かねごん | 2013年10月 9日 (水) 23時53分

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