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2013年10月 2日 (水)

大野晋『日本語練習帳』

この本が岩波新書から出て話題になったのは、いつのことだったか。もう十年以上も前になるだろうか。

前半の章では、似た意味合いをもつ語の使い分け方が詳しく述べられている。『日本語練習帳』という題の通り、問題を解きながら読み進むので、一つ一つ作業して確認するのも面白かった。

語の意味の変遷について述べている部分を読むと、昔読んだ『日本語の年輪』(大野晋、新潮文庫)をなつかしく思い出した。加えて、ときどきお世話になる「岩波古語辞典」(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編)のことも思い浮かぶ。こうしてみると、大野氏の書いたものや編集した辞書に随分お世話になっているのだと、あらためて思う。

後半の章に入って一番興味深かったのが、「は」と「が」の使い分けについての説明だった。文法の学習だと、「は」も「が」も主語を作る働きが強調される。しかし、よく考えると「は」は副助詞で、「が」は格助詞だから微妙に働きが異なる。だから、たとえばそば屋さんに入って

ぼくは天ぷらそばがいいなあ。私はキツネうどん。じゃあ、おれはタヌキだ。

こういう会話があったとして、最後の「おれはタヌキだ」の文を「自分はタヌキという動物だ」という意味に取る人は、まず無いだろう。他の人が天ぷらそばとキツネうどんを頼むのに対し、自分の場合はタヌキ(そば)だ、そういう意味で言われているはずだ。このように「は」は、そのあとに新しい情報を提示する形となり、「AはBである」「AはBする」という文をつくるのが主たる働きなのだという。

一方の「が」は、「…が…名詞」という形を作り、「が」の後に出てくる名詞または体言代用の「の」までのひとまとまりを作るのが主たる働きだという。

注文したそばが遅いのは、我慢できない。
あなたが昨日見かけた人は、斎藤さんだ。
うれしいのは、彼が駆けつけてくれたことだ。

いくらでも似たような文例はあると思う。これらの文の「は」と「が」は交換できない。「が」は「そばが…の」「あなたが…人」「彼が…こと」という、次の名詞まで(あるいは体言代用の「の」まで)のひとまとまりをつくっている。一方、「は」の方は、その後に「何だ」「どうする」という情報が求められる。「注文したそばが遅いのは」どうなのかというと、「我慢できない」。「あなたが昨日見かけた人は」だれなのかというと「斎藤さんだ」。「うれしいのは」何かというと「彼が駆けつけてくれたことだ」。こういう使い方になるのだという。

「は」と「が」には、それぞれ主たる用法の他にいくつかの用法があることも示されていて、なるほどと目を開かれた。

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