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2013年10月13日 (日)

円、循環

昨日の記事の続きみたいなものだが、桜井章一氏が『手離す技術』(講談社+α新書)でふれていた円の感覚の話。おそらくこれは、桜井氏が雀士として数多くの勝負からつかんだ感覚なのだと思う。

麻雀をやらない方はイメージしにくいと思うけれども、麻雀は自分の手許にある13枚の手牌へ積まれた山から1枚の牌を持ってきて、代わりに1枚捨てるということを繰り返し、役のある上がりの形をつくっていくゲームである。

たえず新しい牌が入り、1枚の牌が出ていく。入れるだけで捨てることがないのは認められない。入ってくるものには、役をつくっていくのに有用なものもあれば、不要なものもある。どちらにしろ、一度手許に持ってきてから判断しなければならない。こうして、手牌は刻々と姿を変えていく。

ゲームの進行そのものも、そうだ。東西南北がゲームの進行とともに循環していく。東の人が「親」で、それ以外の人が「子」となる。東が一巡すると「東場」が終わり「南場」に入る。昔は、さらに「西場」「北場」まで巡って「一荘」だったそうだ。現在では、「東場」「南場」の半分だけ、つまり「半荘」で終了という遊び方が一般的だと思うが。

ツキも循環する。ついている流れでいい牌が入ってくることもあれば、必要な牌がまったく入ってこない時もある。つきっぱなしということもないし、つかないままということもない。手許にある13枚の牌が刻々と姿を変えていくように、ツキの流れも刻々と変わっていく。

これは何も麻雀に限った話ではない。我々が生きている毎日そのものが、刻々と変化する流れの中にあり、大きな循環の中にある。心臓から送り出された血液は体の中を循環し、細胞も一定期間で入れ替わっていく。季節の移ろいも、歳月の巡りも、循環する流れの中にある。

してみると、円や循環というのが自然な姿ということになるのかもしれない。生きているものは循環するものであり、循環しなくなったときは死を意味する。水の流れも循環するから浄化されるのであり、流れのなくなった水は汚れていく一方だ。

円や循環のもつ柔らかさは、生そのものの柔らかさなのではないか。

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