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2013年9月 3日 (火)

見えないもの聞こえないもの

私たちが日々経験している世界は、合理的な法則で説明できる範囲内にあると誰しも思う。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手に触れられるものがすべてであり、感覚器官がとらえられないものは「存在しないもの」だと言われる。

でも、果たしてそうなのだろうか。先日大験セミナーの金田先生 のブログ記事(こちら )を読んだときに、ふと同じようなことを考え込んでしまった。

可視光線の範囲にあるものしか、人間の目には見えない。たとえば紫外線や赤外線は、見えないないわけだが、昆虫の目には紫外線を感知する能力があるらしい(解剖学的に、紫外線を感知する細胞が分かっているのだそうだ)。だから、オス・メスで紫外線の反射率が異なるモンシロチョウの羽の色は、私たちが見ているものと違う色のものを蝶自身は見ていることになる。

音にしてもそうだ。人間の聴覚は20000Hzくらいまでしか感知できないが、犬の聴覚はその倍以上の高さまで捕らえられる。そこで、30000Hzの犬笛は、犬にだけ聞こえるものとして訓練などに使われる。

つまり、蝶が見ている世界や犬が聞いている世界は、私たち人間とは異なる像の世界だということになる。蝶の話で言えば、トンボやハエと同じように複眼なのだから、そもそも見え方はまったく異なったものだろう。

私たちは、感覚でとらえられる世界がすべてだと思っているので、それ以外のものが存在することを認めようとはしない。特に霊魂の存在などは、はなからデタラメだと思いがちである。ある法事で同席した僧侶に、「霊魂は存在するのですか」と訊ねたところ、手をヒラヒラ振りながら「そんなものはありません。死ねば灰になるだけです」と即座に否定された。僧侶でさえ霊魂の存在を認めないのだから、一般の人はなおさらである。

私自身、霊的な体験というものを一度もしたことがない。霊感が強いとか、そういうこともない。科学的に、合理的に説明できないものは、存在しないものだと日頃は思っている。信心深くもないし、特定の宗教を信じているわけでもない。

だが、ビデオニュース・ドットコムの五金スペシャル(こちらpart1part2 に分かれています)で聞いた東大病院の救急救命医、矢作直樹氏の話は、なぜだか腑に落ちた。東大病院救急部・集中治療部部長という肩書きからすると、合理的、科学的思考を最優先する立場を想像するのだが、そうではない。救急救命医として、数多くの人の死に矢作氏は立ち会ってきた。そこで経験したことの95%までは合理的に説明しようと思えば説明できるが、残り5%はどうしても合理的に説明できないのだという。

ビデオニュース・ドットコムのインタビューで特に印象深かったのは、「肉体は霊魂の一時的な入れ物であり、肉体の死で霊魂も死んでしまうわけではない」という話だ。矢作直樹氏は『人は死なない』 (バジリコ、2011年)という本を出しているが、そういう意味で「人は死なない」ということなのだ。

死生観というものには、個人の哲学が深く反映すると思う。疑問や反発も予想されるが、矢作氏の死生観は興味深い一つの見方ではないだろうか。

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コメント

小林先生こんばんは。
僕は最近山岡荘八の「徳川家康」にハマっているのですが、人間の力量はやはり生きてなんぼのものだと思います。
神様や霊魂の存在は否定しない僕ですが、人生で汚れた心もピュアな心も、神心なんでしょうかね。
生き恥をかいて生きる日々ですが、生きる意味をこの歳になると考えますね。


【学び舎主人】
金田先生、こんばんは。

私も基本的には「生きてなんぼのもん」という考え方なのですが、矢作直樹さんの話の中に、「肉体を持って死すべき存在として生きているのは、まあ一種の修行でしょうかねえ」という一節があり、なんだか妙に共感してしまいました。

生きている意味について考え出すと、それぞれの人生哲学そのものに突き当たるものですね。

投稿: かねごん | 2013年9月 3日 (火) 23時04分

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