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2013年9月20日 (金)

少数派の弁

なんだかんだと考えてみると、どうも自分は少数派に属しているのだなと思う。スマートフォンなどあってもなくてもいいし、携帯電話すらいらないかもしれないと考えたりしている。2020年の東京オリンピック開催も、それほど喜ばしいことだと思わない。ベストセラーはなるべく読みたくない。興業収益一位の映画もあまり見たくない。

ここまでくると、単にへそ曲がりなだけかもしれない。それもあるかもしれないけれど、多数派が押しつけてくる価値観にちょっと待ってくれと言いたくなることが多い。本当にそれは価値があるのか。価値があると思わされているだけじゃないのか。そんなふうに疑ってしまう。やっぱり、へそ曲がりか。

物も情報も、それが本当に必要かどうかではなく、それらが人びとの中にかき立てる欲望によって価値のあるものとされていく高度に発達した資本主義の社会。そういった場所に、我々は暮らしている。必要かどうかを考えると無くてもよかった物や情報ばかりなのだ、本当は。

無くてもまったく困らない存在だったはずなのに、それが逆転した時代に我々は生きている。物や情報が創り出されることによって、それが新たな必要を産み出し欲望を駆り立てている。スマホがあってラインでやり取りすれば便利だし、みんなラインでやり取りしてるから、使えないと困るよ。みんなが面白いって言ってるから面白いんじゃないの、たぶん。あの映画は見ておくべきでしょう、今年一番の話題作だし…などなど。

これは高度資本主義の社会にいる以上、不可避なことなのだと思う。でもね、なんだか癪にさわる。どうもいやだなあ、この買わされてる感が。多数派が欲望を駆動するので、いつの間にか「生活必需品」みたいな扱いになっていくんだろうな、物も情報も。でも、それって一種の同調圧力ではないのか。

そういうことに対してどこかで反発する気持ちがあるので、少数派にならざるを得ないのかもしれない。まあ、個人事業主で何の組織にも属していないので、多数派でなくてもいいかという気持ちが強いのも、否めないが。

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コメント

この記事の意見に200%同感です。
同調圧力に負けないで生きて行こうとすると、なんだか時代に取り残されたような気がするのだけれど、その気分に負けない生き方が必要ですよね。


【学び舎主人】
金田先生、コメントありがとうございます。

何だかこの頃、自分が少数派なのではないかと感じることが多くなってきました。根が頑固でへそ曲がりなので、やむを得ないかと思ってますが、あまり世間と乖離すると、商売にも影響が出るかもしれないと、せこい心配をしております。

それでも、気に入らないものは気に入らないと言ってしまった方が、精神衛生上よいですよ、やはり。

投稿: かねごん | 2013年9月21日 (土) 00時12分

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