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2013年8月29日 (木)

五音七音・その1

九月の実力試験範囲表を見ると、国語の詩歌は短歌の出題となっている。表現技法と句切れの話はしておかなきゃなあ、と思いながら、そうだ字余りや字足らずの短歌の定型に関した問題もあったなあと浮かんできた。

短歌を詠む方は、どれくらいいるのだろう。専門歌人は別として、日常的に短歌を作ったり新聞の歌壇に投稿している人口は、ハテいくらぐらいなのか。全人口の数%ととしても、数百万にはなるが、そのくらいは存在するのだろうか。

ふと何気なくこういう疑問が浮かんだのは、現代のわれわれが和歌の伝統から切れてしまったところにいるのではないか、と感じていたからだ。

少なくとも江戸時代、近世まではごくごく当たり前に和歌を詠む人びとがあちらこちらに存在していた。菅江真澄の日記を読むと、東北の片田舎の人びとが、ごく当たり前のように歌を詠んで真澄とやりとりしている。もちろん、詠んでいる人びとは、庄屋さんだったり少し学のある人びとだったりするのだが、それでも驚くほど和歌を詠む人びとの裾野が広いことに気付く。

考えてみれば、それは不思議なことではないのかもしれない。万葉集に収められた歌は、ありとあらゆる階層の人が詠んだものである。名も知られていない東国の農民やら、防人やらの歌から天皇の歌まで揃っている。つまり、誰もが歌を詠むのが当たり前であったのだ。古今集の「仮名序」で紀貫之が、「生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠まざりける」と書いたのもうなずける。

平安時代の和歌は、コミュニケーション・ツールであり、現代で言えばメールやラインと同様、当たり前にやり取りできないと社会生活に不都合が生じるものだった。あるときには恋文であり、あるときには当為即妙な言葉の応酬であり、ある場合には苦境を訴える陳情だったりした。歌一つで人と人との関係ができあがったり、修復されたりしていたのである。

しかも、その流れは連綿として続いていく。中世の連歌から俳諧連歌が派生し、近世は俳諧の方が盛んであるようにも見えるが、和歌の流れは決して途絶えてはいない。江戸の庶民ですら古今集や百人一首の歌はそらんじていたのであり、落語の「崇徳院」や「千早振る」なども歌の意味が分かっているからこそおかしさが出てくる。また、一方に狂歌という形で社会風刺や滑稽味のきいた歌が広まっていくが、これにしても本歌を知っているから余計に面白みが味わえる仕掛けになっている。

こうして続いてきた和歌の伝統が、文明開化の明治になったからといって急に消えてしまうわけではない。正岡子規による短歌の革新運動が起き、新しい文芸としてむしろ盛んになったと言ってもいいのではないだろうか。

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